ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第二十四話 表 灰燼より出でて

 

 ルームミラーに目をやる。

 

 後部座席に横たわる茉由の呼吸は浅く、止血のため腹部を縛った白いワイシャツは赤く染まっている。

 

 北畠がその死に際に放った弾丸は、遼を庇った茉由の腹部を貫いた。

 気を失い、血を流す彼女を前に遼は救急車を呼ぶことができなかった。

 

 教団施設の地下駐車場、血の海、転がる死体。

 

 ここで身柄を拘束されれば、その取り調べは一日二日で終わるはずもない。

 そのまま殺人の容疑で逮捕される可能性すらある。

 

 ――今、捕まるわけにはいかない。

 しかし茉由を見殺しになどできない。

 

 頭は熱に浮かされているようなのに、手足が異常に冷たい。

 

 これは全て、己の決断が招いた事態だ。

 茉由を巻き込んだことも、あの場に一人で向かったことも、――そのためにヒスイと燈を裏切ったことも。

 

 後悔は後回しだ。

 ハンドルを握る手に力を込め、目的地を目指す。

 

 

 「おいおいおい、うちは内科だぞ」

 午前の診療を終え一息ついた乾は、遼の腕の中でぐったりとしている茉由を見て声を上げた。

 遼の後ろには点々と血の跡が残されている。

 

「あー、佐藤さん、後の事務作業は俺がやるんで先に上がってください。残ってる人にもそう伝えといて」

「わ……わかりました」

 乾は受付で作業をしていた看護師にそう言うと遼に向き直る。

「一ノ瀬、こっちだ」

 首で指し示し、足早に奥へと向かう。

 

 診察室のベッドに茉由を寝かせると、腹部に巻かれたワイシャツを見る。

 止血の意味を成しているのかいないのか、この瞬間にも血は容赦無くその細い体から流れ出ている。

 

 「なんの傷だ?」

「……撃たれました」

「銃創か。……弾は抜けてるな。内臓も外れてる。止血と輸血だ。お前、芹澤の血液型わかるか?」

「AB型です」

「なんで知ってんだよ。じゃあいけるな。腕出して待っとけ」

 

 台に載せた道具をガチャガチャと鳴らし、乾が診察室に戻る。

「縫合なんて長いことやってないが……まあなるようになるか。これを解くからお前はこれで逆側の傷を押さえろ」

 真っ白なタオルを手渡され、遼は静かに頷く。

「いくぞ」

 乾は茉由の腹に巻かれたワイシャツを取ると、針を手に傷口を縫合していく。

 口では不慣れとこぼしていたが、傷口は迷いのない手つきで縫い合わされていく。

「よし、ひっくり返せ」

 乾の指示で茉由の身体をうつ伏せにし、目配せしてから当てていたタオルを外す。

 

 「……何があった?」

 輸血が始まり、静まり返った診察室で乾が遠慮がちに言う。

 遼は口を開くが、カラカラに乾いた喉から言葉は出てこなかった。

 

 話せば今度は乾をも巻き込んでしまうかもしれない。

 ヒスイが倒れた時、異世界(ネビュラ)については話したが、一方で教団については触れなかった。その必要がなかったからだ。

 茉由がその身に銃弾を受けることになったあらましを話すとなれば教団に触れることは避けられない。

 

 「言えんならいい。お前が口を噤む理由も想像はつく。殺すとか殺されるとか、そんな話に巻き込まれるのも御免被る」

 

 今、遼がここにいることすら、乾を危険に晒している可能性はある。それは来る前からわかっていた。

 それなのに、遼は利己的な理由で茉由を乾の元へと連れて来た。

 茉由の命すら危険に晒しながら。

 

 ――あの場で死ぬべきは自分だったのに。

 

 「でもな」

 乾が言葉を紡ぐ。

「俺だって友人をこんな目に遭わされてなんも思わんほど落ちぶれちゃない。俺を使えるなら使え。使われてやる。全部一人で背負おうとするな。こいつだって、ンなこた望んじゃねーだろ」

 そう言って、気づけば呼吸が穏やかになった茉由を見る。

 それはいつも通りの、いや、いつもよりぶっきらぼうな口調だった。

 

「……ありがとう……ございます」

「おい、泣くなよ。男を泣かす趣味はねーぞ」

「いえ、泣いてはいません」

「そこは泣くところだろうがよ」

 

 「あんたら……人が寝てるのに、うるさいよ」

 ベッドの方から聞き慣れた声がする。

「悪いな、起こしちまったか。具合はどうだ?」

「……いッた……まあ、最悪」

 意識の戻った茉由にかける言葉が出てこない。

「一ノ瀬……無事でよかった」

 生死の狭間を彷徨ってなお、遼を気遣う茉由に返す言葉が見つからずただ呆然とその顔を眺めていた。

 いっその事「お前のせいだ」と罵られたらどれだけ楽になれただろうか。

「……あんた、()()自分のせいだって思ってるでしょ……。自惚れんな……。これは……あたしがそうしたかったから……。それをあんたに、あげたりなんかしない」

 その声にいつもの弾けるような活力はない。

 それでも、言葉には茉由の強固な意思が込められていた。

 

 「ごめん」も「ありがとう」もいらない。

 やりたいことをやっただけだ、と。

 

 後悔が消えることはない。

 それでも、黒い澱に沈んでいた景色が明るく照らされたように感じる。

 独りでなどなかった。それを思い出した。

 

 一人では何も成せないもいうことも。

 

 ヒスイに謝らなければ。

 燈にも。

 赦してもらえるかはわからないが。

 

 「――乾さん、芹澤さん。話しておくことがあります。これまでの、全てを」

 

 

 

 

 

 「んなことになってたのか……」

 遼の話を黙って聞いていた乾がポツリとこぼす。

「ヒスイさんが異世界……ネビュラだっけか? の人だって話は聞いてたし、まぁ、ぶっちゃけ半信半疑だったよ。耳も尻尾も、アニマの存在もこの目で確かめて、否定できる材料なんて無くても、やっぱりまだ信じられなかった」

 

 深く息を吐き、天井を仰ぐ。

「……あるんだなぁ、こんなことが」

 乾のその言葉には複雑な色が乗っていた。

 不安、恐怖、驚愕、困惑、それに――

「なんか少しワクワクしてませんか?」

「するだろ、そりゃ。異世界が実在して、このままいくとその世界の女神が侵略してくるんだろ? で、お前はそれを阻止する”鍵”とやらを持つ異世界人とのハーフだ。なんだそりゃ。俺が中学生だったら羨ましくて死んでたわ」

「そういうものですか」

「ま、流石に今の俺はお前になりたいとは思わんがな。これが大人になるっていうことか」

 そう言い、すっかり温くなったコーヒーを啜る。

 

 「……ヒスイちゃんを、帰してあげられるの?」

 ベッドに横たわったままの茉由が遼を見て言う。

 自身が重傷を負ってなお、一度会っただけのヒスイのことが気がかりで仕方ない。そんな声色だった。

「赤い髪の男が言った富士山麓の施設……。さっき話にも出した姉さんの後輩の明石さんは、そこに向かった後ネビュラに転移しています。なので、そこに転移装置のようなものがあると踏んでいます」

 赤髪の男の思惑は未だ不明だ。

 だが、男が示したその場所に答えがある。遼はそう確信していた。

 

 遼のジャケットの中でスマートフォンが鳴る。

 その画面をちらりと見て電話を取った。

「ええ――はい。お手数おかけしてすみません。すぐ迎えに行くのでそこでお待ちください」

 短い通話を終えると乾が怪訝そうに言う。

「なんだ? 誰か来るのか?」

「ええ、今着いたとの連絡だったので迎えに行って来ます」

 遼はそう言うと立ち上がり、診察室を出て行った。

 

 少しして様子を見に待合室に向かった乾が聴いたのは、ペチンという乾いた音だった。

 

 慌てて待合室へ駆け込んだ乾が目にしたのは頬を張られた遼と、右手を振り抜いた後のヒスイ、そしてそれを困惑しながら見守る少女と一人の男だった。

 

 「……なぜ、一人で行ったのですか」

 ヒスイが右手を押さえ、翠緑の瞳で遼を真っ直ぐに見て言う。

 それは遼も初めて聞く低い声だった。

「……あなた方を危険に晒したくなかったからです」

「遼」

 その声で待合室の空気がピンと張り詰めた。

「死ぬつもりでしたね」

 全部見透かされている。

 この翠の瞳には。

 

 「わたしたちは()()()だと。遼――あなたが言ったんですよ」

 その言葉に心の臓を刺され、拳を握りしめる。

「……仰る通りです。私は……間違えました。あなたを、裏切った」

 こんなにも想ってくれている相手を。

 信じてくれている人を。

「後悔、しています。そして、謝らないといけないと」

「ならばもう……二度と、同じ間違いをしないでください。あなたが死んでしまったら……誰が姉君を助け出し……わたしをネビュラへ……帰して、くれるのですか」

 

 徐々に揺らぎ、やがて決壊する。

 遼に縋り付き幼子のように泣きじゃくるヒスイが落ち着くまで、その場の全員がただ静かに見守っていた。

 

 「あ、一ノ瀬の同僚の高瀬です」

「乾です。見ての通り、しがない町医者です」

 診察室に向かいながら簡単な挨拶を済ませる。

 

 「茉由さん!!」

 ヒスイが茉由の寝るベッドへ駆け寄る。

「ヒスイちゃん、ひさしぶり。教えてあげたセット……上手にできてるね」

「はい……茉由さんのお陰で、色んなところに行けるようになりました」

「そっか、良かった」

 茉由が弱々しく笑う。

「目の下……真っ赤。一ノ瀬に……泣かされたんでしょ。でも……あいつも反省してたから、赦してやって」

 茉由の手が弱々しくヒスイの顔を撫で、ヒスイがその手を握る。

 その温もりに安心したかのように、茉由はすうすうと寝息を立て始めた。

 

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