ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第二十五話 裏 四百年の邂逅

 

 公爵の言葉が飲み込めず、景真は硬直していた。

 

 ジュストは生きている。

 

 公爵はそれを景真に「確認する」と言った。

 つまり、ある程度の確信があるということだろう。

 

 メノウが明らかに動揺した顔でこちらを見ている。

 この場に連れて来たのはやはり失敗だったかもしれない。

 

 「……ワタリビトの寿命はどんなに長くても百年程度です」

 だから、生きているはずがない。と、続く言葉を飲み込む。嘘になるからだ。

「その通りだ。ならば、今ジュストを名乗っているのはその後継者か? 君はその者と会ったのだろう」

「わかりません。その名を名乗ったのは確かですが、本人かどうか判断する材料がない」

 実際、あれが本物の明石全登であるという確証はない。

 

 「私がジュストと出会ったのは四百年ほど前。当時の私はまだ齢百五十程度の若輩者。父――後の初代アルヴァン公に連れられゴンドを訪れた時のことだ」

 公爵はテーブルの上で両手を組む。

「”一風変わったワタリビトがいる”。そんな噂を耳にした父は、彼に会いに行った。当時、まだ地方の一領主に過ぎなかった父は異世界の知見を欲していた」

 その視線がコハクへと移る。

「その時君と君のご両親にも会ったよ、コハク。まだ幼かったから覚えていないかもしれないが」

 そう言って目を細める。

「ジュストは確かに、他のワタリビトとは違っていた。寄る辺なき身でありながらそれを嘆かず、王の如き風格があり、また自身の神を強く信仰していた」

 

 公爵はグラスをあおり、景真を見る。

「私は彼がする異界の話に夢中になった。長き戦乱の時代。英雄がそれをおさめ、ひと時の平穏を得た。その死後また新たな戦いが始まり――彼はその戦いの最中、ネビュラへと迷い込んだ」

「……俺の世界の歴史でも、そう伝わっています」

 景真の言葉に、公爵が満足そうに頷く。

 聞いた話に裏付けを得たからだろうか。

 

 「私は毎日のように彼の元に通い、オービスの話を催促した。歴史、文化、技術、風俗、そして神話。どれも新鮮だったが、そこにはこのネビュラにも通底するものがあると感じていた。そんなある日のことだ」

 

 手に持ったグラスに透かすようにコハクを見る。

「コハクの母、ヒスイが消えたのは」

 コハクが驚きに目を見開いている。

「我々は総出で彼女を捜索した。父の兵も動員してな。だが、見つからなかった。形跡はゴンド近くの森の中で途絶えていた。そしてその最中――ジュストも姿を消した」

 

 再びグラスをあおり、揺れる水面を見つめる。

「それから百年ほど後のことだ。異端者どもと暗闘を繰り返す非合法組織。その頭目が”ジュスト”と名乗っているとの報告が父の元に上がって来たのは」

 

 ふと考える。

 交流のあった公爵がまだ生きているのを承知で”ジュスト”と名乗り活動していたのは、それが己であると知らせるためだったのではないか。

 いつか来たる、正にこの時のために。

 

 「ジュストはこの世界では、何者でもない。その名を継ぐことに意味もない。ならば、やはり本人なのであろうと私は考えた」

 景真自身、あの男が四百年前に姿を消した大名、明石全登その人だという確証は持たない。

 しかし公爵は断片的な情報をつなぎ合わせ、そうだと確信しているようだった。

「……彼がもし、本物の”ジュスト”だとして、あなたは何を望まれるのですか?」

「彼と会談の場を設けてほしい。それは、この先に待つ戦争に勝利するためにも必要なことだろう」

 メノウが息を呑む気配がする。

 

 全登は公爵が、摂理から外れた自分を許さないだろうと言っていた。

 しかし公爵と話した景真にはそうは思えなかった。

 あるいは、もしそうだとしても二人が会い話し合う場は必要不可欠だと感じた。

 この戦いを、勝利で終えるために。

 

 「わかりました。あなたと会うよう、必ず説得します」

 景真の宣言に公爵が満足げに頷く。

 

 賽は投げられた。

 その出目がなんであれ、駒は前へと進む。

 

 もう後には戻れない。

 

 

 

 星明かりを映す水面に小さな浮きが揺れる。

 夜風が泉を波立たせると、星々は千々に乱れた。

 

「来たな。アムラス」

 釣り糸を垂らし、浮きを見つめたまま全登が言う。

「……その名で呼ばれるのは何百年ぶりかな」

「今ではすっかりアルヴァン二世か。良かったのか? 護衛もつけずに」

「公都は安全だ。この街で不審な輩は、”第三の翼”くらいのものだ」

 公爵の皮肉に全登が笑う。

「……ここがヒスイの生家か」

 そう言って、公爵は泉を背に佇む家を見上げる。

「ああ。我らが邂逅するに、これ以上ない舞台だろう」

「――そうだな。あの二人はどうした?」

「外してもらった。今頃は酒場だろう」

 二人の間に沈黙が横たわる。

 

 「――釣れるか?」

「いや、さっぱりだ。ここの水は清すぎるな」

 再び沈黙する。

 四百年の時の中から、今伝えるべき一言を探すように。

 

 「――あれから、何があった? お前が私たちの前から姿を消してから」

 先に口を開いたのはアルヴァン公だった。

「俺はヒスイを探し、大陸を彷徨った。その旅の果てで出会ったのだ。出会(でくわ)した、と言うべきか」

「出会した?」

「そうだ。女神の翼の、その断片に」

 釣竿の先が微かに揺れる。

 かかったのは魚ではなく、記憶の中の小さな(ほぞ)だった。

「奴は俺に祝福を与え、使命を課した。ネビュラの真実と、オービスの未来を見せて。いや、祝福などではないな。これは()()だ。俺は死を奪われ、生ける屍となった」

 公爵が息を呑む。

「……使命とはなんだ?」

女神(オルフェナ)を殺すことだ」

 全登は躊躇なく言い放った。

「女神を……。なぜ女神の一部である()がその死を望む?」

 公爵にとり、それは容易に受け入れられる言葉ではない。

「女神が人の未来を縛るからだ」

「お前の言う人の未来とはなんだ?」

「平和で、平穏で、発展も衰退もしない、管理された世界。女神はこのネビュラのみならず、オービス(俺の故郷)すらをもその管理下に置かんとしている」

「……それは真に否定すべきことか?」

「これはあくまで俺個人の信念だ。人の未来は人の意思で紡がれていくべきだと。たとえその先に滅びが待っていようとも、自らの手で選び取るべきだ」

「お前は、お前の世界の神の敬虔な信徒だった。だから女神(オルフェナ)を受け入れられないだけなのではないか?」

 全登はかぶりを振る。

「そうじゃない」

 一度針を引き上げ、再び泉へ投げ入れる。

「この世界に来た時、俺は考えた。この世を作った神が、なぜここでは存在しないものとして扱われ、紛い物の神が祀られているのかと」

女神(オルフェナ)は実在する。紛い物などではありえん」

「正しく。それこそが俺の出した結論だった。実在するからこそ紛い物なのだ。神とは人が創り、人の中にのみ存在し得るのだと。いや――」

 顎に手を当て思案する。

「あるいはORPHENA(オルフェナ)も、そのようにして始まったのやもしれん」

 

 「ジュスト、お前は神なき世界に何を見る」

「――自由だ」

 釣竿を置き、立ち上がる。

「自由に生き、自由に死ぬ。自由に栄え、自由に滅ぶ。留まるものなど何もない。無より出でて、流転し、いずれ無に帰る。それがこの宇宙の摂理だ。生命も、生命なきなきものも、この宇宙そのものすらも」

「摂理から外れた身でぬけぬけと」

「もっともだ。ゆえに、これは俺が摂理に還るための戦いでもある」

 公爵が全登の横に立ち、夜空を見上げる。

「……死ぬつもりか」

「とうの昔に死ぬはずだった身だ。……違うな。元々、俺はこの世界にあり得べからざる者だ」

 

 「――俺を止めるか? アムラス」

 揺らぐことのなかった全登の言葉が、初めてほんの僅かに揺らいだようだった。

 その言葉に、公爵は少し考えてから答える。

「――私は、恐れているのだ。神を失ったこの世界が、(しるべ)を失った人々が前へと進んでゆけるのか?」

「逆だ」

「逆?」

 

 「神でもなければ、人の歩みは止められんさ」

 

 止まっていた時計のゼンマイが、音もなく巻き直されていく。

 

 

 

 

 

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