ネビュラ・ディバイド   作:ダデ丸

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第二十八話 裏 使徒

 

 「誉れ高き聖堂騎士団諸君! 緒戦は貴君らの勇猛たる戦いにより我が軍の大勝となった。さしもの異端者どもも恐れ慄いていよう!」

 

 女神の足跡の西。

 山中に敷かれた陣中で大きな篝火を囲む聖堂騎士団に、一際壮麗な甲冑をその身に纏う男が演説する。

 男の名はヴォラトゥス。

 聖堂騎士団団長にして、神都四大貴族の一角であるヴィリディス家の当主である。

 

 異端者掃討戦の緒戦。

 聖堂騎士団の被害はゼロ、敵死傷者多数とその言葉通り圧倒的な戦果を挙げた。

 騎士団はすでに勝利を確信し、陣中では酒樽が開けられている。

 

 「明日はより一層激しい戦いになるだろうが、貴君らであれば必ずや栄光に満ちた勝利を掴むことができると確信している! 続いて、ケリサル大司教から貴君らにお言葉がある。心して聞け!」

 ヴォラトゥスの言葉で豪奢な聖衣に身を包んだ小男が、金細工の施されたグラスを手に篝火の前に立つ。

 

 大司教ケリサル。

 権謀術数と賄賂で商人の身から創世教大司教の座まで上り詰めた男だ。

 今ではその立場を利用し、表向きには息子に譲った商家をさらに大きくし、私財を貯め込むことに腐心している。

 此度の遠征では教皇より軍監に任ぜられ、不本意ながら前線まで赴くこととなった。

 当然、ケリサルがどのようにこの地位を得たかは周知の事実となっている。

 高慢ではあれど清廉を是とする者が多数を占める聖堂騎士団員からは、蛇蝎の如く嫌われていた。

 

 「聖堂騎士団の皆さん。今日の結果を見てもわかる通り、忌々しい異端者どもは大陸最強と謳われるあなた方の敵ではない。このような下らぬ戦は早々に終わらせて神都へ凱旋しようじゃないか」

 ケリサルが腕を広げ、その影を前へと伸ばした篝火が揺れる。

「さすれば、教皇猊下も女神オルフェナもお喜びになろ――」

 

 ヒュッ。

 

 風切音、あるいは空間そのものが断ち切られたような音の直後、その声が途切れ、その顔が硬直する。

 ずる、と頭部が胴と別れ、湿った音と共に土の上に落ちた。

 

 「――その臭い口で女神の名を鳴かないで欲しいなぁ」

 それは夜露の如く透き通った声だった。

 

 首に続き身体もどさりと音を立てて倒れ、手に持ったグラスから溢れたウィーネと血が赤く土を染めていく。

 

 なんの前触れもなくケリサルの背後に現れた男が、地面に転がるその首を冷たく見下ろす。

 その手に握られた剣には一滴の血も付いていない。

 

 騎士たちは何が起きたか飲み込めず、皆一様に男とケリサルだったものを見て固まっていた。

 

 「きッ……貴様! 何者だ! よくも大司教を!」

 最初に剣を抜き声を上げたのはヴォラトゥスだった。

 裏返る声を押さえつけ、震える切先を男に向け睨みつける。

「えぇ? これから死ぬ人に名乗る意味ある?」

 男は首を傾げ、心底興味なさそうに言う。

 

 周囲の騎士たちもヴォラトゥスの声で我に帰ったように剣を抜き、じわりと男を包囲する。

 これだけの数の白刃を向けられてなお、男の目は自らを取り囲む誰をも見ていなかった。

 

 夜の色が変わる。

 この瞬間、世界の摂理(ルール)が書き換わったかのように。

 

 「……まぁいいか。僕はリブラ――女神の十二使徒が一柱。君たちに」

 空気が、アニマが震えている。

 まるで世界そのものが、この男の味方についたかのように。

 

「――調和を、齎しに来たよ」

 

 血と悲鳴。

 白刃が舞い腕が、脚が、首が切り離される。

 怒号――複数の火球がリブラを襲うが、その一瞥で立ち消える。

 冷気が満ち、火球を放った騎士たちの足が凍りつく。

 絶叫し、逃げようと脚を動かした瞬間、凍りついた足は砕けその場に崩れ落ちた。

 

 混乱の中逃げ惑う騎士を、昏い森の中から現れた影が襲う。

 昼間、一方的に蹂躙された異端者たちが騎士を引き倒し、鍬を振り下ろし、耕すようにその命を屠っていく。

 

 やがて悲鳴は止み、聖堂騎士団の陣営には小さくなった篝火だけが残された。

 

 

 “女神の足跡”北側、公国騎士団陣内。

 

 ウェスペル率いるアゲント騎馬隊の奮戦により戦力を温存した公国騎士団は、迫る決戦に向け静かな夜を迎えていた。

 本陣の周囲にいくつもの前哨を置き、周囲に斥候を放ち警戒に当たらせている。

 

 ウェスペルたちは敵の背後を切り崩し、集落に火を放ったのち東へと退いた。

 そこから北東へ移動し、その山中に布陣すると報せがあった。

 これには部隊の位置を秘匿し、公国騎士団と掎角(きかく)の勢を成す狙いがあった。

 

 樹上に備えられた物見台の上で、猫族の斥候は星明かりを頼りに草原へ夜目を凝らしていた。

 時折り夜鳥が横切る以外、風に草が揺れているだけの単調な景色だ。

 否が応にも眠気に襲われ、そろそろ交代の時間――というところで視線の先に白い何かが見えた。

 その白い影は縦に揺れながら猛然とこちらへ向かってくる。

 

 「――ッ、西より騎兵が接近! 単騎です!」

 樹の下を歩く騎士に向けて言う。

「聖堂騎士団の伝令じゃないか?」

「白い甲冑……聖堂騎士のようですが負傷しています!」

「西で何かあったのか……? 合図を出してやれ!」

「はっ!」

 斥候は松明を手に取ると火を点け、草原を駆ける騎馬に向けて大きく振る。すると、こちらに気づいたのか方向をやや修正して真っ直ぐに接近して来た。

 

 そのまま森の中に駆け込むと、馬上の白い人影は力尽きたようにずるりと落馬した。

 それは、日中に伝令として公国軍を訪れた聖堂騎士バルドールだった。

 その左腕は肩から切断され、赤黒い血が流れ出ている。

 騎士は素早く治癒術をかけつつ朦朧とするバルドールに声をかける。

「しっかりしろ! む、貴殿は昼間の……何があった!?」

「ギ……ギルノール殿に……至急……」

「おい! すぐに将軍に知らせろ!」

「は……はい!」

 

 斥候からの報せを受け、ギルノールが駆けつけて来た。

 簡単な止血と治癒術によりひとまず出血は止まっている。しかし、既に多くの血を失っており顔は青白く、呼吸も弱々しい。

「バルドール殿」

 その側に跪くようにしてギルノールが顔を寄せる。

「本陣に……女神の使徒……リブラと名乗る男が突然現れ……大司教が殺された……。すぐに異端者の群れも現れ……騎士団長は生死……不明……」

 震える唇から紡がれる声は掠れ、辛うじて聞き取れる程度の声量しかない。

「……聖堂騎士団は壊滅したのだな」

 使徒の名が出た途端、ギルノールの顔色が変わった。

「……あれが……あれは()()()()としか……思えなかった……」

 バルドールの目が見開かれ、右手が何かを求めるように宙を彷徨う。

「奴らに……女神の祝福があるのなら……異端者とは……誰、なの――」

 刹那、闇夜にギルノールの槍が閃く。

 白銀の刃は、バルドールが声を上げる間も無くその眉間を貫いた。

 

 「死に際にそのような妄言を吐かれては士気に関わる」

 囁くように告げ、穂先を引き抜く。

 血が滴り、微かに湯気が上がる。

 立ち上がったギルノールの蒼い瞳が冷たい炎を灯し、バルドールだったものを見下ろしていた。

 

 「し……将軍?」

 その様子を見守っていた騎士が、突然のことに言葉を失っている。

 ギルノールは小さく息を吐き、槍に付いた血を拭う。

「……聖堂騎士バルドール殿は命懸けで我らに危機を報せた。しかし異端者より受けた傷は深く、介錯を望まれた。その勇気と忠義に敬意を表する。戦後、英霊として弔おう」

「……はっ!」

 迷いない足取りで本陣へ向かうギルノールの背を、騎士は慌てて追った。

 

 「なんと……聖堂騎士団本陣が……。では、我らは西へ援軍に?」

 本陣の天幕の中で、公国騎士団参謀イシルウェが額に三本の指を当てて目を閉じる。これは彼が思考する時の癖だった。

「いや、公国騎士団は奴らがあの穴ぐらを出たこの機に乗じ方舟を強襲する」

「それでは聖堂騎士団を見殺しに? 大司教殿が納得されますまい」

 恐らく聖堂騎士団は既に潰走している。だが、ギルノールはそれをあえてイシルウェには告げなかった。

「大陸最強と名高き聖堂騎士団がそうおいそれとは敗れはすまいよ」

「将軍」

 イシルウェの目が開き、松明に照らされるギルノールの顔を注視する。

「――何か、隠しておいでですな」

 その言葉にギルノールはため息をつく。

「お前に虚言は通じんな。そうだ。聖堂騎士団は恐らくもう壊滅している。使徒が現れ大司教が死に、騎士団長も生死不明だ」

「使徒が……」

 イシルウェが再び目を閉じ、額に指を当てる。

「山中に散った聖堂騎士団を使徒らが追撃していると仮定し、その間隙を突く。そういうお考えですな。ふむ……」

 目を閉じたまま天幕の中をぐるぐると回る。

 やがてピタリと足を止め、机の上に広げられた地図に色分けされた駒を並べていく。

「ならば我が軍は一度盆地へ降り、西へ向かうが良いでしょう」

 現在地から南へ、そこから西へ青い駒を滑らせる。

「西へ?」

「はい。使徒らは依然、聖堂騎士団の残党と交戦中のはずです。盆地を西へ移動すれば奴らの退路を断つ形になります。そしてその間に」

 北東に置かれた小さな青い駒を、地図の中央へ寄せる。

「――アゲントの部隊が敵の本丸を攻める、と」

「左様にございます。その間に(それがし)は数騎を連れ山中から西へ向かいます。聖堂騎士団の残兵をまとめ、異端者の背後を突きましょう。何より――」

 西に動かした青い駒を、聖堂騎士団本陣に置いた赤い駒に向けて滑らせる。

 カチリ、と音がして二つの駒がぶつかった。

 イシルウェの指が駒から離れ、顔を上げる。

「将軍は使徒リブラとの決戦をお望みでしょう?」

 ギルノールは一瞬沈黙するが、即断する。

「……いいだろう。伝令を天幕へ!」

「はっ!」

 その言葉に、天幕の外で騎士が応える。

 

 「西の友軍が夜襲を受けた! 救援のため全軍打って出る! すぐに支度せよ!」

 天幕を出て声を上げると、地鳴りのような雄叫びが冷ややかな夜の空気を揺らす。

 

 公国軍が、一枚の刃へと研ぎ澄まされていく。

 

 

 戦いが終わり宵闇が辺りを包んでもなお、全登は変わらず盆地を睨み続けていた。

 

 時折り黒装束がどこからともなく現れては全登に何やら耳打ちをして去って行くが、それを聞いては地図に何かを書き込むばかりでこれと言って動く様子はなかった。

 

 景真とコハクはかれこれ数時間、息を殺すようにして全登と方舟の様子を交互に眺めていた。

 

 「(あるじ)

 コハクと残っていた最後の羊羹を分け合って食べていると、しばらく姿を見せなかったメノウが全登の元に現れた。

 これまで報告に来た黒装束たちと比べると、その顔には明らかな焦りの色か見える。

「皆に聞こえるよう報告しろ」

 メノウがその耳元に顔を寄せると、それを遮るように全登が言った。

 何時間も黙ったまま報告を聞くのみだった全登の声に、メノウは一瞬たじろいだが、深く呼吸をしてから声を上げた。

「……聖堂騎士団本陣に使徒が出現。聖堂騎士団は壊滅しました」

 空気が張り詰めて行くのが肌でわかる。

 

 日中の戦いでは異端者を圧倒していたあの聖堂騎士団が壊滅?

 使徒というのは、それほどまでに強いと言うのだろうか。

 景真には受け入れがたい話だったが、全登は眉ひとつ動かさない。

 

 「現れた使徒は何人だ?」

 全登はメノウを見ることなく問う。

「確認できたのは一人。()()だけです」

 それを聞き、また黙考する。

 

 続いて現れた黒装束が言う。顔は見えないが、こちらは若い男の声だ。

「間もなく公国軍が動く。本隊は西へ、アゲントの騎馬隊は中央へ」

 全登は何も返さず、腰に差した刀の柄を人差し指でトントンと叩いている。

 

 その視線は、ひたすらに眼下へと注がれていた。

 柄を叩く音が時を刻むように響く。

 その様子は盤面を睨む棋士のように、景真の目に映った。

 

 人差し指の動きが止まる。

 「全軍を集めろ」

 そう告げてから全登が立ち上がった。

「これより方舟へ向かう」

 

 その言葉に周囲にいた者たちがざわめく。

「使徒は一人しか確認できてないのだろう? 天秤がまだ西に留まっていたとしても……」

「無謀なんじゃないか……」

「まだその機ではないのでは……」

 

 「すでに賽は振られた。その目が定まらぬこの一時(いっとき)こそが唯一の勝機だ」

 厳然と、全登が告げる。

 決して大声ではない。しかし、その言葉で辺りはしんと静まり返った。

「景真、コハク。覚悟はできているな」

 握った手のひらにじわりと汗が滲む。

「……ああ、できてる」

 

 そう答えたが、本当のところは自分でもわからなかった。

 間違いなく言えるのは、覚悟できていなかったとしてこの戦争は待ってなどくれないだろうということだ。

 

 もはや是非もない。

 この点より後には引けず、留まることもできない。

 前にしか道は無いのに、その道は深い霧に覆われている。

 

 言いようのない不安に駆られて横に立つコハクを見ると、彼女もまた顔を強張らせていた。

 

 やはり未来は視えないままなのだろう。

 この先に待つのは世界の分岐点だ。

 その岐路にあって、答えなど視えるはずもない。

 

 「行こう、コハク。……君を守るなんてカッコいいことは俺には言えないけど、最後まで隣にいるから」

「……うん。私も、ケーマの隣にいる。最後まで」

 未来は視えずとも、その言葉だけは信じられた。

 

 “第三の翼”は景真たちを中心に菱形の陣形を組んで斜面を駆け降りる。

 その菱形の四つの頂点にはそれぞれ術師が配され、敵の眼と攻撃を阻害する力場のようなものを展開しているようだ。

 

 斜面を降り平地に入るが、敵陣に動きは見られない。

 方舟の周囲に広がる家々からは小さな灯りが漏れるばかりで、不気味なほどに静まり返っている。

 

 しかし、集落まであと半分、という距離まで進んだ所で陣形前方の黒マントが声を上げた。

「攻撃が来る!! ()の出力を最大にしろ!!」

 その声で一斉に前進を止め、周囲のアニマがその密度を増す。

 隊の前方に張られた青白い壁が、景真でも目視できるほど厚く、濃くなっていく。

 

 閃光。

 

 前方から放たれた白い光が直線を描き、陣形の右翼に突き刺さった。

 アニマで形作られた壁には丸い穴が穿たれている。

 

 矢だ。

 

 放たれたと認識した時には既に、その術師を的確に射抜いていた。

 いや、射抜いたなどという生やさしいものではない。

 術師は上半身を丸ごと消し飛ばされていたのだから。

 

 ――キィン。

 

 耳鳴りのような音が遅れて鼓膜を襲い、景真は思わず両手で耳を抑える。

 

 皆が呆然と右翼を見やる。

 が、全登と十二剣はただ前を見ていた。

 「止まるな!! 進め!! 右翼の術師を交代!! 前方に盾を集めろ!!」

 全登の声が闇夜を切り裂く。

 その声で隊は我に帰ったように前進を再開した。

 

 再び閃光が突き刺さる。

 今度は先頭に。

 術師が交代し、さらに前へ。

 

 次は左翼に。

 撃たれては交代し、前へ。

 

 ――中央へ。

 閃光が目の前で弾け、青白い盾を穿ち火花のように青い光が散る。

 景真は恐怖を感じる暇すらなく、すぐ目の前に迫る光の矢を見つめていた。

 

 死――

 

 光に包まれながらそれを認識したその時、矢は最も厚い中央の壁に辛うじて阻まれ、景真を貫くことなく止まった。

 

 中心部は守られ、末端は切り捨てられる。

 そして、術師たちはそれを覚悟の上でその身を投げ打っている。

 景真たちをあの方舟に辿り着かせる、ただそれだけのために。

 

 ついに集落の入り口まで辿り着いたところで全登が言う。

「シンシャ、ギョクズイ。お前たちであの()()を止めろ」

「はっ!」

 二人の黒マントが隊列を離れ、人間離れした速度で家々の間を駆けていく。

 

 その姿はすぐに見えなくなったかと思えば、屋根の上に現れるとその上を飛ぶように駆けていく。

 二人は物見櫓から放たれる光の矢をかわしながら距離を詰めていき、やがて視界の端に物見櫓が崩れるのが見えた。

 その後光の矢が隊を襲うことはなかった。

 

 集落に入ると隊は陣形を解き散開した。

 バラバラに現れる異端者たちを斬り伏せながら中央に鎮座する方舟を目指す。

 アゲント騎馬隊の攻撃も受けているからか、この南側は思いの外手薄に感じられた。

 

 嗅ぎ慣れない匂いが鼻をつく。

 血の匂い。

 それに、肉の焦げたような匂い。

 昼間、遠く見た景色を思い出す。

 

 死の匂い。

 

 上から見る景色には伴わなかった実感が、ここには渦巻いていた。

 

 吐き気が込み上げ、それを無理やり抑え込んで足を前へと運ぶ。

 

 「はぁ……はぁ……コハク……大丈夫か?」

 呼吸が苦しいのに、深く吸うと不快な匂いを嫌でも体内へ取り込んでしまう。

「私は大丈夫。ケーマは? 顔が真っ青だよ」

「……平気だ」

 強がりだったが、そうでなければ話にならない。

 まだ方舟に辿り着いてすらいないのだから。

 

 全登と”十二剣”……この場にいるのは十人だが、彼らに護られながら無我夢中で走っていると、徐々にその巨大な船体が近づいてくる。

 

 鏡面のような外壁に大きくその艦の名が刻まれていた。

 

 『VERITAS』

 

 「……本当にこいつは、地球から来たんだな」

 見慣れた文字で書かれたそれを見上げ、ぽつりと呟く。

「あれは……オービスの文字?」

 コハクは初めて見る文字を不思議そうに見上げている。

「ああ。あれがこいつの名前らしい」

 

 ついに辿り着いた。

 この中に、きっと春華がいる。

 

 その外壁のある一点で、全登が足を止めた。

 「……ここだ。景真、左手でこの壁に触れてみろ」

 膝に手をついて呼吸を整えていると全登にそう促され、前へ出る。

 全登が指し示した箇所には目印どころか、継ぎ目すらない。

 ただ鏡のように景真の姿を映し出している。

 

 恐る恐る汗ばんだ左手を差し出し、そっと触れた。

 冷たく、見た目通りつるりとした感触だった。

 壁と手のひらの間で何かが行き交うのを感じる。

 

 『非常用通路のロックを解除。気圧正常。隔壁を解放します』

 無機質な声が響く。

 すると、音もなく壁が動きその先に白く発光する通路が現れた。

 

 「行くぞ」

 全登の声に背を押されるように、景真は息を飲む間もなく真理(ヴェリタス)の中へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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