白い通路の先、曲がり角から現れた白い影が揺れ、先頭を走る
「――使徒だな」
全登は刀を抜き放ち、その影に向ける。
幽鬼の如き白い影が、ゆったりとした足取りでこちらに近づいて来る。
それは透けるような白いワンピースを纏い、腰まである
「私はヴァルゴ。女神オルフェナの十二使徒が一柱です。ですが、あなた方と戦うつもりはありません」
「……そんな戯言を俺が信じるとでも?」
「無論、信じてはいただけないでしょう。ですが――」
その紫紺の瞳が景真に向けられる。
「ハルカ様の所へお連れする、と言ったらどうでしょうか?」
桜色の唇がその名を紡いだ瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「……無事なのか? 先輩は」
カラカラの喉から、辛うじて声を絞り出す。
「勿論です。あなたの話も伺ってますよ、ケイマ様」
「景真」
目の前に、大きな手のひらがその言葉を遮るように開かれていた。
「罠だ」
全登はヴァルゴから目を逸らすことなく言い切る。
「……わかってる。わかってるんだ。……それでも……」
全登の言う通り十中八九、罠だろう。それはわかっている。
もし事実だとして、使徒が春華と景真を引き合わせる理由が思い当たらない。
善意だなどと言うならば、それはつまり
「行こう、ケーマ」
聞き慣れた声に振り向く。
コハクがこちらを真っ直ぐに見ている。
揺るぎない瞳に琥珀色の灯火を宿して。
この灯火は景真が道に迷った時、幾度もその道を照らしてくれた道標だ。
「ジュスト、私たちはあの人と行く。ううん。行かないといけない。そのために、ここまで来たんだから」
その瞳を全登へ向け、毅然と言い放つ。
その言葉に全登は驚いたような顔をし、すぐまたヴァルゴを睨みつける。
「……いいだろう。ただし、僅かでも不審な動きをすればその首を刎ねる」
「――こちらへ」
ヴァルゴはこちらに背を向けると、静かな足取りで歩き始めた。
巨大な扉が機械音を上げて開く。
小さな体育館ほどの広間に、床には魔法陣を思わせる紋様。
この景色を景真は知っていた。
「教団施設の地下にあったアレと似てる……いや、同じだ」
「ええ。ワームホールエクスパンダー。あなたをネビュラへ運んだそれと、同じものです」
一万年の時を超え、二つの惑星を繋ぐ
これを使えば、地球へ帰ることもできるはずだ。
もしヴァルゴの言葉通り春華がここにいるのなら、二つの目的を同時に達成できるかもしれない。
ヴァルゴが右手を胸の前で左から右へ滑らせると、広間の奥の扉が開きその中から人影が姿を現す。
「カゲ……君? そんな、まさか……」
久しぶりに耳にする日本語。
いや、この声をどれほど焦がれたことだろう。
見紛うはずもない。
あれは――
「先輩!!」
全速力で駆け寄り――しかし抱きしめることはしなかった。
存在を確かめるようにその両肩に手を置く。
細く固い肩の感触が、景真をここまで駆り立てたその存在を確信させる。
生きていた。
先輩は生きていた。
胸の奥からとめどなく湧き上がる感情を言葉にしようとして、けれど上手くいかない。
「カゲ君……本当に……本当にこの世界に来てしまっていたんだね……」
「……当たり前じゃないですか。先輩が困ってたら、どこへだって駆けつけるって……」
そう決まっている。
それでもまだ、恩を返しきれはしないのだ。
「……ごめん。全部、私のせいだ。自ら危険に飛び込んで……危険だとわかっていたのに……君を、巻き込んでしまった……」
春華の声が震える。
いつだって強く、明るく、編集長にも全く物怖じしないあの春華が自らの行いを悔い、泣いている。
「……巻き込まれたなんて思ってません。俺は俺の意思でここまで来たんです。先輩がいないとあんな仕事、やってられないですから。それに、遼も地球で待ってますよ」
悔いる必要なんてない。
謝罪もいらない。
そういう人だからこそ、景真はこんな所まで助けに来たのだから。
「……遼には会ったかい?」
「電話だけです。あの後すぐ、こっちに来たんで」
「そうか。言った通り、少し変わった男だったろう?」
「……いや、先輩ほどじゃなかったかな」
「……相変わらず失礼だな君は」
春華の顔が綻ぶ。
この顔が見たくて、これを失うことが耐え難かったがゆえに景真は今、ここにいる。
「感動の再会は済んだかな?」
微かに弛緩しかけた空気が冷たく張り詰める。
低い声が響き、その場にいた全員の視線が広間の上部を走るキャットウォークに向く。
巨大な影……牡牛の如き角を生やした大男が降り立つ。
それは、その巨体からは考えられないほど静かな落着だった。
「……タウラス」
「ヴァルゴ。これはどういう了見だ? なぜ叛逆者どもの手引きをした」
「これも――女神の意思です」
「莫迦なことを。女神がそのようなことを望まれるはずもない」
呆れたように言い、春華を見る。
「聖女の娘よ、部屋へ戻れ。女神の願いさえ叶えばその身はオービスへ帰してやる」
景真は春華を庇うようにその前に立つ。
白目の無い真っ黒な瞳で見据えられ、背筋がぞわりと冷える。
「力なき者よ。されど汝は女神の庇護を受けるべき原初の人が一人。ゆえに最大限の敬意を払おう」
刹那、白刃が舞い、タウラスの丸太のような腕を切り裂く。
「その理屈で言うなら、この俺も敬意を払われるべきだな」
全登がその刀を濡らす血を払う。
「アカシ・テルズミ。汝はもはや人の身にあらず。女神の摂理を離れた呪われし叛逆者よ」
傷口に光球が集まり血管、筋肉、皮膚と順に修復されていく。
「呪いか。その通りだ。その呪い、今日ここで終わらせる」
残った四人の”十二剣”と全登。
五振りの刃が光芒を残し、タウラスの巨体を屠らんと牙を剥く。
巨大な戦鎚が空を切る。
空気が揺れ、離れて立つ景真の顔を戦鎚が起こした風が撫でた。
タウラスが横に薙いだ戦鎚を流れるように振り上げ、体勢を崩すことなくすぐさま全登の頭目掛けて振り下ろす。
それを見て、全登は迷うことなく前へ出る。
神速の踏み込み。
タウラスの懐に入り脇腹と脚の腱を切りつける。
肉を切ったとは思えぬ硬質な音が響き、鮮血が滴る。
巨大を支える脚を刈られ、否が応にも体勢を崩されたタウラスに四人の十二剣が襲いかかる。
四方からの斬撃、あるいは刺突。
タウラスは急所を防御したが、両腕と両脚に傷を負った。
「コウギョク。お前はその女を見張っていろ。妙な動きをすれば迷わず斬れ」
「御意」
全登の指示で一人が戦列を離れ、ヴァルゴを間合いに捉える。
ヴァルゴはそれを見ても何も言わず、静かに戦況を見守っていた。
「――見事だテルズミ。その牙、よくぞここまで磨き上げたものだ。やはり237年前のあの日、お前は殺しておくべきだった」
「そうだ。貴様らは誤った。全能を気取っていてもそんなものだ」
言いながら、全登は再びタウラスの懐へと斬り込む。
片手で振り下ろされた戦鎚の、その先へ――
タウラスの巨大な左拳が全登の体に横から叩き込まれた。
全身の骨が軋む。
全登は吹き飛び、戦鎚の柄に接触すると回転しながら壁に叩きつけられた。
鈍い音が広場に響き渡る。
「我らは全能にあらず。全能に仕える者だ。故に敗北は許されん。だが――ふむ、リブラが斃されたか」
全登がゆらりと立ち上がる。
拳の直撃を受けた右腕がだらりと垂れ下がっていた。
「
全登は刀を床に突き刺すと、左手で右腕を掴んだ。
服の袖ごと腕を引くと、ガシュッと音を立てて肩から離れ、それを床へ投げ捨てる。
ガシャン。
金属音を残して右腕は床を滑る。
同時にコウギョクと呼ばれた男が新たな腕を投げて寄越すと、全登は左手でそれを掴み右肩に
動作を確かめるように、機械仕掛けの指を滑らかに動かしてから刀を掴む。
「次は貴様の番だ
「ならば、利息にその首を貰い受ける」
戦鎚がその真ん中から、互い違いに組まれた二振りの戦斧へと分離する。
「洒落た得物だ」
タウラスは両手に斧を構え、跳ぶ。
頭上より垂直に振り下ろされた右手の斧を全登は刀で受け流す。
受け流された斧が床を砕き、返す刀がタウラスの右腕を切り裂いた。
そこへ左の斧が横薙ぎに振るわれる。
「それはもう見たよ!!」
女が大剣を振り上げ、全登とそれに迫るタウラスの左腕の間に現れる。
重厚な刃がタウラス自身の腕の振りも相まり、その筋肉を断ち骨まで到達する。
腕と共に斧も止まり、タウラスは膝をついた。
「ぬ……ぐぅ」
「うえぇ、かったいわね。切断するつもりで振ったのに」
タウラスの血が床を染める。
景真はコハク、春華と身を寄せ合うようにしてただその戦いを見守っていた。
何もできることがない。
遠くから目で追うのがやっとで、あそこに飛び込めば命はない。はっきりとそれがわかる。
何の力も持たない景真にはこのまま決着を待ち、その結果に従う他はない。
無力を痛感し拳を握りしめたその時、耳元で声が響いた。
『ケイマ様』
直接鼓膜を揺らす透き通るような声。さっきも聞いたこれは、ヴァルゴの声だ。
コウギョクに見張られながら立つヴァルゴの方に目をやると、あちらも景真に視線を送っていた。
『先ほどのタウラスの流血で
門とやらが開いたら飛び込め、と言うのだろうか。
やはりその意図が読めない。
訊ねたいことは山ほどあるが、こちらの声は届かないため黙って聞いている他ない。
『……私の行動に疑問を持たれるのは当然です。私は女神の迷いにより生まれました。ほんの一割に満たずとも、母の中には確かに葛藤があったのです』
AIが迷い、葛藤する。
景真はその可能性を完全には否定できなかった。いや、否定したくなかっただけかもしれない。
ミラビリスが見せた感情の片鱗。あれが本物だったと信じたかった。
だから景真は、ヴァルゴに頷いて見せた。それを見て、彼女は淡く微笑んだ。
突然、広間の空気が冷える。
『――っ!? なぜもう門が開こうとしているの?』
室温が下がったわけではない。
照明が落ちたわけでもないのに薄暗くなったように感じる。
全登やタウラスたちも異変に気づき、戦いを止めている。
キィ――
軽い耳鳴りを覚え、辺りを見回す。
この空気に覚えがある。
過去に二度、いや三度味わったはずだ。
この――
胸の辺りに振動を感じる。
「まさか……」
内ポケットに手を差し入れ、スマートフォンを取り出す。
発信元は、
――非通知だった。