アビドスの美女先生(中身は男)は、今日を生き延びたい 作:気弱
アビドスの焦熱の太陽が容赦なく校舎を焼き付ける午後。遮るもののない青空からは暴力的なまでの陽光が降り注ぎ、空気は熱せられたオーブンのように乾燥していた。そんな中、対策委員会の面々はアヤネが「背に腹は代えられない」と必死の思いで持ち込んできた『市民プールの清掃アルバイト』に勤しんでいた。
「もう……! いくら財政難だからって、この猛暑の中でプール掃除なんて殺す気!? 砂漠で水仕事なんて、贅沢を通り越してただの拷問じゃない!」
セリカが顔を真っ赤にして文句を垂れつつも、デッキブラシを動かす手は意外と早い。隣ではノノミが「まあまあ」と微笑みながら、優雅な手付きでタイルの苔を剥がしていく。
「うへ〜、おじさん暑くてもう干物になっちゃうよ……。お肌がカサカサになっちゃう。あ、ノノミちゃん、冷却用の水鉄砲おかわり。フルチャージで頼むよ〜」
「はい、どうぞ〜♪ ホシノ先輩、あんまりサボるとアヤネちゃんに後で雷を落とされますよ?」
ホシノは日陰に陣取り、クジラの浮き輪を枕にしながら、やる気のない声を上げている。一方、シロコは「ん。清掃は効率が大事。戦術的に排除する」と呟きながら、高圧洗浄機を兵器のような手つきで操り、頑固な汚れを文字通り射抜いていた。
そんな中先生は一人、汗だくになりながらも頑なにスーツ姿で立ち働いていた
「先生、いくらなんでもその格好は暑すぎませんか? 日射病になりますよ、さすがに」
アヤネが心配そうに、そして少し呆れたように声をかける
「……あはは、大丈夫ですよ。こう見えて日焼け対策も兼ねているので。気にしないで掃除を続けましょう」
先生は爽やかな美女の笑顔を崩さない無かったが、その内情は冷や汗と絶望の濁流だった
この数週間、みんなの距離感の近さに怖くなった先生は何度も「私は男だ」とバラそうと試みてきたが…タイミングは常に最悪だった。
着任初日、扉を開けるなり「美女の先生!」と狂喜乱舞したセリカ。
数日前、不運にも更衣室の入り口を間違えて入ってしまい、着替え中の生徒たちと鉢合わせになった際も、「あっ、先生も着替え? 一緒に浴びちゃいます?」とノノミに誘われ、セリカには「もう、先生ったらうっかり屋さんなんだから」と、女性であることを前提とした100%の善意で許されてしまったのである
その時、先生は悟る
(今さら『実は男です』なんて言えないよ……!? そんなこと言ったら、あの時の覗きは確信犯だと思われるし、最悪の場合、アビドス中央広場に逆さ吊りにされちゃう……!)
もはや引っ込みがつかなくなった先生にとってこの厚手のインナーとスーツの二枚抜きこそが唯一にして最後の砦である
そんな先生の必死の形相を「真面目に働いている」と勘違いした生徒たちの遊び心に火をつけてしまう
「ねえ、シロコちゃん〜 こっちに水かけて〜 限界まで熱いよ〜」
「ん。一斉掃射開始。ターゲット確認」
「ちょっと、私にかかってじゃない! この馬鹿先輩! 狙いが雑なのよ!」
「きゃあ、冷たくて気持ちいいですね〜♪ まるでスコールのようです〜」
最初は真面目に掃除をしていたはずが、いつの間にかホースとバケツ、水鉄砲が飛び交う「全面水戦争」へと変貌していく。ホシノもいつの間にか戦線に復帰し、シロコの背後からバケツの水をぶちまけて大笑いしていた
「うへへ〜、青春だねぇ……これぞアビドスの夏。そうだ、先生にも極上の涼をお裾分けしてあげなきゃ」
「えっ、ホシノさん、待っ――」
先生が振り返った瞬間、ホシノが満面の笑みで、なみなみと水の入ったバケツを勢いよく振り抜いた。
「先生、冷却〜!」
バッシャァァァァァァン!!
重力と遠心力を味方につけた大量の水が、容赦なく先生の全身を叩いた。
あまりの衝撃に視界が白く染まり、足元をふらつかせながら、先生はその場に両膝をつく。
「あはは! 先生、見事なびしょ濡れ! ……って、うわ。これ、ちょっとやりすぎたかな? おじさん特製の冷水、効きすぎ?」
ホシノが舌を出して駆け寄る。次の瞬間、現場の空気が一瞬で凍りついた
びしょ濡れになった薄い素材のシャツ。そして水の重みで鉛のように体に張り付いた黒のスーツ
それはこれまで鉄壁の防御を誇っていた先生の「肉体の真実」を、あまりにも残酷なまでに浮き彫りにしていた
(終わった……今度こそ、詰んだ……!)
先生は絶望に目を閉じ、天を仰ぐ
水を吸った布地は真空パックのように肌に密着して、女性にしては膨らみがなさ過ぎる胸板。そして、一切の余分な脂肪を削ぎ落とした、ウエスト。濡れた白シャツの下からは、女性が身につけるべき下着のストラップすら見当たらない
アヤネが顔を真っ赤にして固まり、手に持っていたクリップボードを落とす。セリカは「……へ?」と呆けた声を出し、その場に固執した。ノノミの目も、獲物の急所を見定めたハンターのような鋭い光に変わる。
「先生……あの……そのお体………」
「い、いや! これは、その! 毎日スクワットと腕立て伏せを千回ずつこなしているというか、アビドスの過酷な環境に適応した、いわば特殊な……!」
先生が必死に、震える腕で己の胸元を隠そうとした、その時。
じっと先生の濡れた胸板を見つめていたシロコが、一切の感情を排した声でポツリと呟いた。
「ん。……先生。やっぱり、ホシノ先輩より絶壁」
「……え?」
その場の全員の動きがピタリと止まった。
シロコは真面目な顔のまま歩み寄り、あろうことか先生の胸元を人差し指でツンと突いた。指先に伝わるのは、柔らかさなど微塵もない、岩のような大胸筋の弾力。
「ふくらみが一切ない。……ん。先生の女子力、ホシノ先輩やセリカの胸より低いかもしれない。もはや、概念としてしか女性じゃない」
「ちょっと!?」
「シロコちゃん!?」
その言葉が、凍りついたみんなの思考を無理やり再起動させた。
「あ、ああ……そうですよね。先生、モデルみたいに細いっていうか……もはや骨格からしてストイックすぎるんですね」
アヤネが安堵と混乱の混ざった溜息を漏らす。彼女の目には、眼前の逞しい胸板が「究極にダイエットを極めた女性の末路」として変換されていた。
「シロコ先輩には後で文句は言うけど…なーんだ、スーツを着てるからなにか隠してるのかと思ったけど、ただの『薄い人』だったのね……。ごめん先生、デリカシーのないこと言って! 私が悪かったわ!」
セリカが納得したように、そして先生を憐れむように大きく頷く。彼女の中では、「先生=美女」という絶対公理が、いかなる物理的証拠よりも優先されていた。これほど胸が平坦であっても、「極限まで成長がなかった女子」という解釈で完結してしまったのだ。
(……助かった……の? この理不尽なまでの思い込みの強さに……!)
先生は震えながらよろよろと立ち上がる
「モデル体系」という言葉の魔法によって、今の先生は「美人でカワイイ系だけど胸が残念」という歪な解釈に無理やり変換された。
「ふふ〜、でも先生のその薄いライン、おじさん嫌いじゃないよ? まぁ、おじさんの方がまだ『女性としての矜持』があるけどね! うへへ、勝った!」
ホシノが自分の控えめな胸元を強調しながら、勝ち誇ったように笑う。
「ん。先生、次はもっとプロテインを飲ませて、肉体改造させる。……とりあえず、今は風邪を引かないように、部室で着替え。私が手伝う。……全部脱がせて、乾かす」
「それは断固拒否します!! 自力で、音速で帰りますから!!」
先生は全力のダッシュで更衣室へと逃げ込んだ。
背後から聞こえる「先生、同じ女子同士なんですから隠さなくていいのに〜♪」というノノミの楽しげな追い込みを背に、彼は濡れたスーツを乱暴に剥ぎ取り、鏡の前で天を仰ぐ
(シロコ……ありがとう。君の残酷なまでの毒舌が、今日、俺の破滅を土際で防いだ……)
だが、鏡に映る自分はどう見てもどこに出しても恥ずかしくない、完成された「男」の肉体…のはず。
この狂気じみた嘘の綱渡りがいつまで続くのか、先生は砂漠の熱気とは別の意味で、背筋に走る冷や汗を止めることができなかった。