アビドスの美女先生(中身は男)は、今日を生き延びたい 作:気弱
あの日、市民プールの清掃アルバイトで「究極の絶壁美女」という不名誉極まりない(が、正体秘匿という意味では命拾いした)レッテルを貼られた翌日。先生は、昨日の精神的ダメージを色濃く引きずったまま、アビドス高等学校の校門前に立っていた
そこへ、砂塵を豪快に巻き上げて現れたのは、懲りない面々――ヘルメット団の群れだった。
「今日こそは占拠するぞー!」
「まずは指揮官のあの美女を捕まえろー!」
「あの女を捕まえたら私たちにも勝機はあるはずだー!」
先生は深々と溜息をつき、眉間を指先で押さえた。
(……女じゃないし、そもそも捕まったら身体検査とかで色んな意味で人生が終わちゃうよ…)
そこへ、不敵な笑いと仰々しい爆発を合図に「便利屋68」の面々が乱入してくる。
「ふふふ……アビドス対策委員会、ついに年貢の納め時よ!」
リーダーの陸八魔アルが、ハードボイルドを地で行くようにロングコートをなびかせ、愛銃を構える。しかし、彼女の鋭い視線が先生を捉えた瞬間、その流麗な動きが不自然に止まった。
「……えっ? ちょ、ちょっと。何よあの人、聞いてないわよ!」
アルの顔がみるみるうちに沸騰したように赤くなっていく。濡れたスーツ事件以降、先生は少しでも逞しいガタイ(自称)を隠そうと、インナーをさらに厚くし、背筋をピンと伸ばしていた。それがかえって、気高い雰囲気を醸し出す「騎士道精神溢れる男装の麗人」のようなオーラを放ってしまっていたのだ。
「なによ……! あんなにかっこいい女性の先生がいるなんて聞いてないわよ!? 私の美学が狂うじゃない! む、ムツキ! あの人を捕まえるなんて、そんな野蛮な真似、アウトローの誇りにかけてできないわ!!」
「あ、アル様が一目惚れ……!? ゆ、許さない、ドロボー猫は許さないわ……!」
「あはは、アルちゃんまたパニックになってる〜。でも確かに、あの先生かっこいいね。スカウトしちゃう?」
敵陣営すらも一瞬でメロメロにしてしまう、本人の意図とは真逆の「女性(?)としての魅力」に先生は、砂漠の彼方を見つめながら、ただただ深い溜息をつくしかなかった。
戦闘は対策委員会の圧勝で幕を閉じた(アルの集中力が全くなく統率が乱れていたため)。後日、先生は敗走する便利屋68の中でも、特に顔を真っ赤にして「あ、あの! 連絡先を……!」「今度ハードボイルドにお茶でも!?」と詰め寄ってくるアルから文字通り死ぬ気で逃げ回る羽目になった。最終的に半泣きのアルを見かねて連絡先だけは交換したが
ようやく部室に平穏が訪れ、椅子に座ってぐったりとしている先生にシロコが足音もなく忍び寄り静かに覗き込んだ
「……先生、やっぱり元気がない。ん、原因はわかってる。対策は必要」
「えっ、何がですかシロコさん。その無機質な瞳が怖いんですけど」
嫌な予感がした。先生は本能的に椅子の脚を掴んで踏ん張る。
「この前のプール掃除の時、確信した。先生……ブラ、付けてなかったよね。……ん。だから戦闘の時も、揺れを抑えるためのホールドが足りなくて、挙動に迷いが出る」
「ぶっ!!」
「あー、そういえば見えてたもんね〜。スーツの隙間から、無防備な素肌がさ〜」
ホシノの茶化すような追撃にアヤネはお茶を吹き出しセリカは顔を沸騰させて立ち上がった
「ちょっとシロコ先輩! 何を言い出すのよ!?」
「でも、シロコ先輩の言う通りです……先生、あんなにストイックに体を鍛えてるのに女性としての最低限のケアを怠るのは問題です。衛生面でも、精神面でも!」
アヤネが真面目すぎる顔で眼鏡をクイッと上げた
「先生、私たちの予備を貸してあげたいのは山々ですが、先生の『逆凸』した大胸筋に合うサイズは……残念ながら私たちの中には、物理的に存在しません……」
ノノミが悲しげに自分の豊かな胸元に手を当てて深く首を振る。一瞬他のメンバーがジト目になるもすぐに頷いた
「そうよ! あんた、そんなにコンプレックスなら、今すぐ買いに行くわよ! スポーツタイプなら、その……先生のその、無駄に硬そうな胸でも……合うのがあるはずだわ!」
「無駄に硬そうとか言わないで!?」
セリカが「先生の尊厳を守るわ!」と言わんばかりの使命感に燃えていが先生は喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない気持ちになった
「いや、本当に大丈夫です! 私は、そういうの苦手で! 本当に、これっぽっちも必要ないんです!」
先生は必死に拒絶し出口に向かって脱兎のごとくダッシュするが…そこにはすでに先読みしたシロコが仁王立ちしていた
「ん。逃がさない。これは大人としての嗜み、教育の一環……確保」
「わあああ! 離して! シロコさん、指の力が強すぎる! ホシノさん、助けて!」
「うへへ〜、先生。おじさんも協力するよ。これは未来の『完璧な美女先生』をプロデュースするための強化合宿みたいなもんだからね〜」
ホシノに足を持たれ、シロコに脇を固められ、先生はまるで大捕物で連行される罪人のように部室から引きずり出されていく
「やめて! ショッピングモールなんて行ったら、試着とか! 専門の店員さんによるフィッティングとかさせられるでしょ!? 私の社会的な死が確定するうぅぅ!!」
「何を言ってるのよ、試着しないで買うなんて愚の骨頂よ! ほら、さっさと行くわよ!」
夕暮れのアビドス。引きずられていく「絶世の美女(中身は必死に雄のプライドを守る男)」と、それを善意100%で追いかける少女たち。先生は、自分の分厚い胸板(自称)を思い出し、これから訪れるであろう店員さんとの気まずすぎる対面を想像して、砂漠のど真ん中で絶叫した
ショッピングモールの下着売り場。それは先生にとって地獄の業火に焼かれるよりも過酷な場所だった
「ほら、先生! これなんてどうかしら、スポーティで先生の……その、極限まで平坦な胸にもフィットしそうじゃない!」
「ん。こっちのパット増量タイプも捨てがたい。先生の絶壁を、文明の利器――科学の力で偽装する。偽りのボリューム」
「あはは、先生、顔が土気色ですよ? ほら、さっさとこの最新モデルを持って試着室に入ってください!」
セリカに背中を押され、シロコに逃げ道を塞がれ、ノノミに華やかなカーテンを閉められる。狭い個室に一人取り残された先生は手渡された「繊細なレース付きの最新スポーツブラ」を手に、絶望の淵で小刻みに震えていた。
(……無理だ。これを付けた瞬間、私の中の『男』としての魂が完全に死滅する。というか、店員さんに『サイズお測りしますね』なんて言われでもしたら、その瞬間に正体がバレて人生が終わる……!)
極限状態に置かれた先生はこれまで鍛え上げた隠密技術をフル稼働させた。音を立てずに試着室の隙間から這い出し、対策委員会のメンバーが鏡の前でワイワイとカタログを選んでいる隙を突き、忍者さながらの身のこなしで売り場から脱出に成功した
「 私は……私は人間としての矜持を持って、生きてここから出るんだ!」
人混みを掻き分け、必死の形相でショッピングモールの喧騒を逃れる先生。しかし、曲がり角で勢い余って、小柄な少女と正面衝突しそうになる
「きゃっ……!?」
「おっと、すみません……!」
先生が咄嗟にその少女の肩を、力強くも優しく支える。そこにいたのは、ゲヘナ学園の風紀委員長、空崎ヒナだった。
「……あなた。……アビドスの、先生?」
ヒナは驚きに目を見開く。彼女の視界に映るのは、肩をがっしりと掴んでくる、息を切らした「凛々しすぎる美女」。乱れた髪と、焦燥感に満ちた熱い瞳。そして、自分を支える綺麗な手
「空崎……ヒナさん。あはは、こんなところで会うなんて奇遇ですねぇ」
先生は冷や汗を滝のように流しながら、引き攣った微笑みを浮かべる。一方のヒナは、自分より少し背の高い「女性」に至近距離で見つめられ、その謎の「かっこよさ」と「可愛さ」に、心臓が爆発しそうなほど高鳴るのを感じていた
「な、何をしているの。そんなに急いで……。ゲヘナの風紀を乱すような、そんな……凄みのある顔をして……」
「いや、その、ちょっとした……宇宙的規模の死活問題でして」
その時、背後から聞き慣れた「処刑宣告」が響く
「あー! 見つけた! 先生、試着室から逃げ出すなんて、大人として卑怯よ!」
「ん。……ターゲット捕捉。逃亡ルート封鎖。次は、逃がさない」
(やばい、処刑執行人が追いついてきた!!)
先生は反射的に、目の前のヒナの細い肩をがっしりと掴む
「ヒナさん! すみません、ちょっとだけ……ちょっとだけ、隠れさせてください!」
「えっ!? ちょっ、先生……!? 近い、近すぎるわよ……!」
謎のドキドキ感と圧迫感に混乱するヒナを、先生はまるで「肉の盾」にするように彼女の背後に回り込んだ。先程までの凛々しいカッコ良さはどこへ行ったのか、背後でプルプルと震える情けない先生の気配と、微かに漂うシトラスのいい匂いに、ヒナの脳内はパニックに陥る
(な、なんなの!? さっきまであんなに王子様みたいな人だったのに……それがこんなに小刻みに震えて、私の背中に縋って……な、何かしら、この守ってあげたくなるような……でも圧倒されるような不思議な気持ちは……!)
「あー! ヒナちゃん!? 先生、ゲヘナの最高戦力を人質にするなんて、なかなかの策士だね〜。おじさん一本取られたよ」
ホシノたちが追いつき、ニヤニヤしながら二人を見つめる。
「違うんです、ヒナさん! 彼女たちは私に、私に……あろうことか、下着を買い与えようとしているんです!」
「……? 下着……? 別に、女子として普通のことじゃない……?」
ヒナが顔を真っ赤にしながら蚊の鳴くような震える声で答える。しかし、シロコが非情な追い打ちをかけるように言った。
「先生、自分がホシノ先輩より胸がないからって、自暴自棄になって下着を付けないと言い張ってる。不潔。だから強制連行する」
「…………え?」
ヒナは思わず、自分を背後から抱きしめている先生の胸のあたりを背中の感覚で再確認する。確かに女性にしてはあまりにも平坦すぎる。けれど――。
(絶壁……? 違うわ。これは……絶壁とかそういう問題じゃなくて……)
ヒナは風紀委員長としての鋭い観察眼と、乙女としての直感で気づきかけていた。先程自分を見つめた時のあの「魂を射抜かれるような感覚」、そして今自分を背後から包み込んでいる、安心感。これは、いかなる鍛錬を積んだ女性であっても出せるような種類のものではない。
(……まさか、この先生……いえ、そんなはずはないわ。だって、これほどまで可愛い顔をしてるし……)
「ヒナさん……? 顔がすごく赤いですよ? 熱でもあるんじゃ……」
「っ!?」
先生が心配そうにヒナの肩越しに顔を覗き込む。その至近距離で見せつけられた「小動物のような可愛さをもつ女子」の助けを求める表情に、ヒナの思考回路は完全にショートした。
「も、もういいわ……!! 好きにすればいいじゃない!! アビドスも、先生も……バカァ!!」
ヒナは先生を突き飛ばすと、真っ赤な顔を手で押さえながら脱兎のごとく走り去っていった。
一人取り残された先生は、突き飛ばされた勢いで尻餅をつき、呆然とする。
「……ん。ヒナ委員長まで赤面させて逃走させるなんて。先生、罪な女。天然のジゴロ」
「さあ、お喋りは終わりよ! 今度こそ逃がさないんだから! 試着室へ逆戻りよ、GO!!」
「嫌だあぁぁぁ!! 誰か、誰か助けてくれぇぇぇ!!」
夕暮れのショッピングモールに、悲痛な男(?)の絶叫が虚しく響き渡るのだった。
その後、揉めに揉めた末にたまたま紳士・婦人共通コーナーで売っていた「男性でも女性でも違和感なく着用できる、吸汗速乾性に優れた筋肉ホールド用コンプレッション肌着」を発見し、先生はそれを「これならトレーニングに最適だ!」とアヤネたちにプレゼンすることでなんとかブラジャーの直接着用という社会的死を免れた。
しかし、別れ際にノノミが「次はもっと可愛いお洋服を選びましょうね、先生♪」と耳元で囁いたのを先生は聞き逃さなかった。
(……早く。早くこのアビドスに、私の正体を見破れるまともな感性の奴はいないの…!?)
先生の願いとは裏腹に、アビドス全土に「新任の先生は、モデル体型で超絶イケメンな、でもちょっと胸が残念な美女」という噂が広まっていくのを、彼はまだ知る由もなかった。