アビドスの美女先生(中身は男)は、今日を生き延びたい 作:気弱
チクタク、と規則正しい時計の針の音だけが、深夜の先生の自室に虚しく響き渡る。机に肘をつき、顔を覆うように頭を抱える先生の姿があった
事の発端は一昨日のこと
いつものように完璧な「美女の先生」を演じきり、正体は露呈しなかったという安堵感。それと同時にいつまで教え子たちを騙し続けなければならないのかという罪悪感が頭の中で激しくせめぎ合っていた時、デスクに置いた端末が「ピロン」と無機質な通知音を鳴らす
「ん……モモトーク? これ確か、アビドスのみんなが作っているグループチャットだったよね」
画面を覗き込むとそこにはアヤネの名前が表示されている。添えられたメッセージには「先生、今お時間ありますか?」という、至極真面目な相談を予感させるものだった
幸いシャーレの山積みの仕事も一段落し、ようやく一息ついているところだったため先生はすぐに返信を打ち込んだ
(どうしたの?)
(あ、今日はお疲れ様です! 実はですね……先ほどシャーレの方から連絡がありまして、先生の健康診断の話が出たんです)
先生は思わず首を傾げる
(なんでアヤネに……?)
(私が健康管理を担当しているので、一番伝えやすいからだと……。連邦生徒会の方からも念を押されました)
そこへ、まるで待機していたかのようにホシノが割り込んでくる
(おやおやー? 先生、大事な連絡を放置しちゃダメだよー? おじさん、めっ、だよ)
(ホシノ先輩がそれを言いますか!? 自分の出席日数を棚に上げて!)
文字越しにもアビドス対策委員会の仲睦まじい光景が伝わってきて思わず口角が緩む先生だったが、ふと我に返り「私って連絡事項に関して、そこまで信用がないのか……」と、少しばかりの寂しさを感じてしまう
(それで明日、もしお時間があればシャーレの方へ来てほしいとのことでした)
(ありがとう、アヤネさん。明日、向かうことにするよ)
これでやり取りは終わった。そう思って端末を置こうとした瞬間追い打ちをかけるような通知が飛んできた
(先生の筋肉、気になる。一緒に行って、数値を確認してもいい? ――シロコ)
その一文を目にした瞬間先生の全身が石像のように凍りつく
シロコの突拍子もない発言には慣れているつもりだったが、今回ばかりは話が違う
「数値」という主観の入り込む余地のない残酷な事実を突きつけられるのだ。なんとか穏便に断る術はないかと脳細胞をフル回転させて言い訳を探す。しかし、アヤネから無慈悲な提案が届いた
(あっ! それでしたら、アビドス高校で私が測りますよ! 幸い、機材も借りられるみたいですし、先生も移動の手間が省けるでしょう?)
その後の記憶は曖昧だ。シロコの執念にも似た眼差しとセリカの「健康診断くらい受けなさいよ!」という剣幕に圧され気がつけば逃げ場を失っていた。唯一の救いは、生年月日や本籍などの個人情報はアヤネが「プライバシー保護」として伏せてくれることだったが最大の問題は別にあった。
「さ、最近、熱心に筋トレに励んでいたから……数値でバレてしまうかもしれない……」
深夜、自室で振り返ればそこには愛用のプロテイン、そして20kgのダンベルが鎮座している。最初は片手で持ち上げることすら苦労した重量だが今では外まで運び出せるほどに馴染んでいる。これだけ成長したのだ、肉体もきっと「男らしく」造り変えられているに違いない。
翌日、ここで逃げ出せばシロコのことだ、家まで乗り込んでくるに違いないと先生は重い足取りを引きずりながら決戦の地である学校へと向かった
アビドス高校に到着するとそこには急ごしらえの「身体測定会場」が設置されていた。アヤネが連邦生徒会から借りてきたという最新鋭の医療機器が砂塵の舞う校舎裏で不気味なほどの清潔感を放っていた。
「あっ、先生! 準備完了していますよ!」
「遅いわよ、先生! シャキッとしなさい!」
「おはよ〜。さては寝坊したかなー?」
「おはようございます先生♪ 疲れたら、私がいくらでも癒やしてあげますからね〜」
四人から一斉に挨拶が飛ぶ。シロコは無言のままだがその瞳には青い炎が宿っていた。おそらく、先生の「絶壁」を克服させるためのトレーニングプランを、今この瞬間も脳内で組み立てているのだろう。
セリカとシロコに背中を押されるようにして会場の奥へ行き、測定のために服を脱ぐのを躊躇っているとセリカが痺れを切らしたように叫ぶ
「この後みんなで遊びに行くんだから、さっさと脱いで終わらせるわよ!」
「せ、セリカさん!?」
半ば強引に「鉄壁のスーツ」という名の殻を剥がされ先生は予備の薄いスポーツブラタイプのウェア姿になった。その瞬間、部室にいた面々から「おお……」と感嘆の溜息が漏れる。
「ん……先生、やっぱり無駄がない。彫刻のように美しいライン。ずっと見ていられる」
「うへ〜、おじさんびっくりだよ。先生、お腹の縦線が芸術的だねぇ。でもやっぱり……」
「そ、そんなにジロジロ見ないでよ!?」
ホシノが先生の胸元をジト目で見つめる。その執拗な視線に耐えかね、無意識に手で胸を隠してしまった自分に先生は「徐々に女性的な仕草が染み付いているのか」と別の恐怖で頭を悩ませる
(……っ、これは大胸筋だ! 鍛えすぎて脂肪が燃焼し尽くされただけなんだ……!)
内心で必死に叫ぶが決して口には出さない。他人には「男としての自信」をひけらかさないのが彼の美学…というよりは苦肉の隠蔽工作であったからだ。しかし、ノノミなどは「先生、無理しちゃって……後で私が美味しいお肉を食べさせてあげますからね」と、栄養失調の愛娘を見るような慈愛に満ちた視線を送ってくる。
「……なんというか、こう、平原だね。地平線が見えるよ。この清々しいまでの平らさ、逆にかっこいいまであるね」
ホシノの無慈悲な感嘆を背に、先生は処刑台に登る心境で最新の体組成計に足を乗せた。ピピッ、という無機質な電子音が響き液晶画面に詳細なデータが次々と出力されていく。
結果のプリントを手に取ったアヤネが、眉間に深いシワを寄せた
「…………」
「なんですかアヤネさん! 異常なし、ですよね!?」
「先生……体脂肪率などの数値は、私達から見ても羨ましいほどなのですが……その……筋力値が問題です……」
(ドキッ)と、先生の心臓が跳ねる
ついにきた。女性の筋力値を大幅に超え、生物学的に「男」であると宣告される瞬間が。正体がバレる恐怖が半分、そして自分の鍛錬が認められる嬉しさが半分。複雑な感情を抱え、先生はアヤネの次の言葉を待つ
「その……先生、もう少し筋力をつけた方がいいですよ。平均を大幅に下回っています。これではいつか、悪党に攫われてしまいます……!」
先生は食い入るように診断書を奪い取った。そこにはアヤネの言葉通り、平均「C」とされる筋力値を大幅に下回る、屈辱的な「E」の文字がでかでかと表示されていた。
部室に、重苦しい沈黙が流れる。
先生の心の中で、誇り高き「男」が血を流して絶命した。
(……わ、私の筋肉、男としてどころか……女としても最低ラインだったのか……!?)
「なるほどね〜」と、ホシノが乾いた音で手を叩く
「先生、これからシロコちゃんに特訓してもらった方がいいんじゃないかな? ほら、あそこで期待に目を輝かせているし」
ホシノが指差した先では、無表情ながらも瞳をキラキラと輝かせたシロコがいた。「運動!」という言葉が聞こえてきそうなほど、見えない尻尾を振っているような期待に満ちた表情だ。
「……先生、本当にか弱いのね……」
セリカが、心底哀れむような瞳で先生の肩を叩く、その慈悲の心が先生の最後に残っていた矜持を完膚なきまでにへし折った。
「わ、私のあの、地道に筋肉を付けるための日々はなんだったんだ……」
膝から崩れ落ちた先生の、魂の叫びが会場に虚しく響く。
その、刹那だった。
「今だーっ!」
どこに潜んでいたのか、ヘルメット団の残党三名が、武器を手にホシノたちを無視して先生へと飛びかかってきた。突然の乱入に、対策委員会のメンバーも一瞬反応が遅れる。
「先生、危ない!」
ホシノの叫びが響くが、既にヘルメット団の手は、無防備に膝をつく先生の目鼻の先まで迫っていた。全員の脳裏に、先生が攫われる最悪の光景が過った――その瞬間。
「うべっ!?」
先生を捕らえようと手を伸ばしたヘルメット団が、突如として宙を舞う。投げられた本人すら状況を理解できぬまま、ヘルメット団はコンクリートの地面に盛大に叩きつけられる。
「えっ? 何が起きたの!?」
「ま、まぐれだろ! 関係ねえ、やっちまえー!」
続く二人が怒号を上げて突進するが、先生は流れるような動きでその腕を掴み、最小限の力で地面に組み伏せる。一切の無駄がない、円の動き。
「あ、あれは……合気道!」
アヤネが驚愕に目を見開く。
「おおー……あんなに綺麗に決まるものなの……?」
キヴォトスの神秘を背負うホシノですら、信じられないものを見るように目を見開いていた。
「……私一人ならなんとかなると、銃を使ってこなかったのが敗因ですよ」
先生は小さく手を払い、足元でのたうち回るヘルメット団を冷徹な瞳で射抜いた。ここはキヴォトス。彼女たちはもとより、ヘルメット団のようなゴロツキですら一般人より遥かに力が強い。銃を使われればひとたまりもないが、その巨大な力を「自分自身」に返されれば、いかにヘイローを持つ身とて、その衝撃は計り知れない。
「ふぅ……。みんな、怪我はないかな?」
先生は乱れた前髪をかき上げ、キリッとした凛々しい表情で微笑んだ。その姿は、先ほど筋肉がないと嘆いていた「か弱い女性」とは到底思えず、アビドス全員の心臓が不規則な鼓動を刻む。
「せ、先生……今のは……?」
「……あ、いや。昔ちょっと、護身術を齧りまして。……力がないので、こういう技に頼るしかないんですよ」
頬を掻きながら苦笑いする先生。だが、それが「ちょっと」で済まされるレベルの技でないことは、誰の目にも明らかだった。
「す、凄いです先生! これなら、いざという時に自分を守れますね!」
「驚いたわ……まさか三人を瞬殺するなんて……」
「あはは……流石に銃で来られたら何もできないよ」
「ん! 私にも、それ、教えて……今すぐ」
「あはは、本当にシロコちゃんは先生に釘付けだねー」
そこには、先程までの「可哀想な少女」を見るような目は微塵もなく、あるのは一人の武芸の達人に対するような深い尊敬と憧れの念
結局、その日も先生が男だとバレることはなかった。しかし、彼女たちの中での評価は「守ってあげたくなる人形のような先生」から「いざという時に頼りになる、凛とした美女先生」へと劇的なランクアップを遂げたのである(本人からしたらそれでも微妙なのだが)
帰宅した先生はいつものように台所に立っていた。慣れた手つきで包丁を振るい食材を刻んでいく
傍目には可憐な美女が素早い手つきで料理を仕上げていく、絵画のような風景にしか見えない
「はぁ……筋力はガッカリだったけど、少しはホシノたちを見返すことができたかな……」
フライパンで「筋肉作り用」のご飯を作りながら、独り言をつぶやく。正体発覚を覚悟して臨んだ健康診断がこんな形で幕を閉じたことを喜んでいいのか悲しんでいいのか自分でも分からなかった。
ふと、机の横に置かれた一枚の写真が目に入る。
自衛隊のような制服を纏い、屈強な男たちと肩を組んでピースサインを作る、短髪の青年の姿。
「こんな所、私のことを昔から知っている人が見たら笑うだろうな……。特にあのデブは『ガハハ! ナヨナヨした男だと思ったが、とうとう女に転職したか!』なんて、下品に笑うに決まっている」
懐かしそうに写真を撫で引き出しの奥から一つの紋章を取り出す。そこにはかつての栄光と忌まわしい過去が刻まれている。
(カイザーPMC 中将)
忌まわしい過去の象徴。力こそが全てだったあの組織で若くして頂点に近い場所にまで昇り詰めた証。だが、今の自分にとってこの肩書きに価値などなかった
ふと、今日の身体測定の後の光景を思い出す。
自分を心配して涙ぐんだセリカや、優しく抱きしめてくれたノノミ、そして誰よりも先生の健康を案じていたアヤネ。何より、あの飄々としたホシノが見せた、信頼の混じった表情。
先生は、その紋章を力強く握りしめた後、引き出しの奥底へと放り込んだ。
「あんな過去も、肩書きも、もうどうでもいいわ……」
たとえ世界中が自分を美女だと誤解しようと、たとえ男としての筋肉が女性平均以下だと数値で証明されようと、構わない。
今の自分には守るべき場所がある。あの温かな部室で自分を「先生」と呼んで笑ってくれる少女たちがいるのだ。
(……彼女たちの笑顔を奪うものは、たとえ過去の因縁だろうと、どんな巨大な悪だろうと……私が、この手で退けてみせる。それが、この姿でここへ来た私の、唯一の使命なのだから)
かつて戦場を支配した冷徹な「中将」としての矜持ではなく一人の「アビドスの先生」としての覚悟
先生はフライパンを火から下ろし出来上がった料理を皿に盛り付ける。その指先にはもはや迷いはなかった
「よし、明日も頑張りましょうか」
美女の微笑みを浮かべながら、先生は一人誰にも言えない秘密と彼女たちを守り抜くという熱い誓いと共に静かな晩餐を始めた
しかしこの時の先生はまだ知る由もなかった。
自分が今、命をかけて守ろうと決意したホシノたちを、借金地獄という絶望の底に突き落とし、苦しめている元凶そのものが――かつて自分が所属していた、あの「カイザーグループ」であるということを
携帯が止まったので一旦書いたものだけを投稿させてもらいます!次回は来月の後半くらいになりそうです