アビドスの美女先生(中身は男)は、今日を生き延びたい 作:気弱
「ん、こういう時には戦術的奪取、いわゆる銀行強盗」
シロコのその一言から始まった無謀な計画は、覆面を被り、重武装で銀行を制圧するという、教育者としてはあるまじき事態へと発展していた。先生は複雑な思いで彼女たちの背中を追いそして銀行の最深部で「真実」という名の地獄を突きつけられた
奪取したバッグの中から見つけ出した帳簿。そこには、アビドス対策委員会が血の滲むような思いで食費を削り汗水垂らして返済し続けてきた金が一円の狂いもなく「ヘルメット団」へ横流しされている事実が綴られていた
「私たちが返していたお金、そのままヘルメット団に横流しされてる……カイザーグループが、私たちを襲わせるための軍資金として、私たちの返済金を使っていたなんて……!」
アヤネの声が絶望に震える
「……っ! ふざけないでよ!!」
セリカが叫び、机を叩く
彼女たちの健気な努力は自分たちを苦しめる刃を研ぐための砥石として利用されていたのだ。少女たちの純粋な祈りを踏みにじり地獄の輪廻を完成させていたカイザーのやり口はあまりにも醜悪だった。
(……っ!)
だが、先生の耳には「カイザーグループ」という言葉以降何も入らなかった。そこは、かつて自分が所属しその頭脳と技術だけで「中将」という地位まで這い上がってしまった忌まわしき古巣だったからだ
「ん……元凶を叩く。場所は分かった」
シロコの瞳に冷徹な火が灯る。先生は彼女たちを止めることはできなかった。いや、止める資格などない。かつて自分がその組織の歯車であったという事実が、鉛のように心を押し潰す
一行は砂漠の最果て陽炎の向こうに鎮座するカイザーグループの仮設拠点へと向かう。重厚な防壁に囲まれた展望デッキ。そこには、高価な葉巻を燻らし、下卑た笑みを浮かべる肥え太った男がいた。カイザー理事長。その顔を見た瞬間、先生の心臓が激しく警鐘を鳴らした
(よりによって、今このタイミングでこいつと……!)
「おやおや、アビドスの野良犬たちが何の用かな?」
理事長は銃を向ける対策委員会の面々を鼻で笑う
「ふん。私にそんな真似をして、タダで済むと思っているのか?」
「なっ!?」
代理が手元の端末を操作した直後、アヤネが悲鳴に近い声を上げた。
「……っ! 来月の利息が……返済額が、300倍に書き換えられてます……!!」
「ガハハ! これが『大人』のやり方だ。バカなガキどもが!」
代理の汚い笑い声が砂漠に響く。シロコやセリカの手指が、怒りで銃身を軋ませる
「……みんな、帰ろう」
沈黙を破ったのはホシノだった。先生すらも言葉を失う中彼女は冷静に、これ以上この男の挑発に乗っても被害が増えるだけだと判断したのだ
しかし
「おやおや? そこに居るのはアビドス生徒会の副生徒会長様ではないか。お前のような小娘が、まだ我々に逆らおうなどとは傑作だ!」
理事長はつまらなそうに顎をさするとさらに残酷な言葉を吐き捨てる
「そういえば……あのアホな生徒会長は、砂漠で無様にくたばったらしいな。実力もないバカが大層な夢を見るからだ。ガハハ!!」
「っ!!!」
ホシノの表情が一瞬で凍りつく。守れなかった過去と失った先輩。その一番深い傷跡を汚れた土足で踏みにじる言葉。ホシノが引き金に指をかけ空気が破裂しそうなほど張り詰める。
「…………やめてください」
ようやく、先生の声が出た。自分でもわかるほど震えている。だが、ホシノが後輩を守るために一番触れられたくない傷を抉られても耐えている姿を見て黙っていることはできなかった
「条件を提案しに来ました。これ以上の略奪をやめるなら、私たちも――」
「提案だー? 何時から貴様らごときが……いや、待て。お前のそのツラ、どこかで……」
理事長代は、先生の顔をまじまじと見つめそしてこれまでにないほど下品な哄笑を上げた
「ガハハ!! これは傑作だ! 誰かと思えば、そこに居るのはカイザーPMCの『ナヨナヨ中将ちゃん』じゃないか!」
「っ!!!」
「「「え……?」」」
「せん…せい?」
その言葉に、世界が止まった。セリカは口を押さえ、アヤネは通信機の向こうで息を呑む。シロコも信じられないものを見るような目で先生の横顔を見つめる
そしてホシノは――自分が信じようとした「大人」が、かつての最大最悪の敵であり最愛の先輩を侮辱した組織の頂点にいたという事実に悲しみと憎悪の混じった瞳を向けていた
「それは過去の話だ。今は関係ない」
先生の声が、低く鋭くなる。無意識に保っていた敬語は剥がれ落ちそこには純粋な殺意が宿る
「聞いたぞ? 軍から逃げ出し、惨めに夜逃げしたと。まさかそんな臆病者が、こんな掃き溜めでガキの先生ごっこをしていたとはな! そのツラは何だ? 趣味の女装が昂じて、本当に女になったのか?」
「……っ!」
「なんだ、その反抗的な目は?……あぁ、思い出したぞ。お前が逃げ出した本当の原因は、信じていた部下たちに裏切られ、袋叩きに遭って――」
「黙れ!!!!」
先生は普段の彼からは想像もつかない、獣のような咆哮で言葉を遮る
「あー、そうか! やはりあれがトラウマか! ならばお似合いだ。お前らがあくまで抗うなら、徹底的に叩き潰して、そのガキ共々水商売にでも売り飛ばしてやろう。お前もその得意な女装で客でも取ったらどうだ? ガハハハ!」
ブツン。
自分だけではない。目の前の少女たちの未来すらも汚泥に沈めようとする男の言葉に先生の中で理性の枷が弾け飛ぶ
「」
「っ!? せ、先生……!?」
先生は隣にいたホシノの手から何も言わずに愛銃をひったくり代理に向ける
「ほう? お前は接近戦の……ナイフ専門だと思っていたが、その小娘の反動がデカい銃を扱えるのか?」
「黙れ」
「貴様のような、腕力もねえナヨナヨした『オス』には無理だろうな!!」
「黙れっ!!!」
(バン!)
引き金が引かれ、激しい銃声が鼓膜を震わせる。しかし、弾丸は理事長を貫くことなく、遥か上空へと消えていった。
先生が撃つ直前シロコが強引に体当たりをしてその照準をズラしたからだ
「先生、落ち着いて…!」
「先生、ここは一旦逃げないとダメよ!!」
倒れ込んだまま理事長を睨みつける先生に、セリカが必死に縋り付いて止める。
「ふん、興が削げたわ……ではお客様、来月の支払いを楽しみにしておりますよ?」
代理は最後まで全員を嘲笑いながら、要塞の中へと消えていった。一行は死体を引きずるような重苦しい空気を抱えたままアビドス高校へと引き返すしかなかった
放課後の教室
西日が差し込む空間は、かつてないほど重苦しい沈黙に支配されていた。誰も言葉を発しない。ただ、砂時計の砂が落ちるような、残酷な時間だけが過ぎていく。
先生は、窓際で背を向けて立ち尽くすホシノの姿を見つめた。その小さな背中が、今はあまりにも遠く、壊れやすく見えた
「……ホシノさん」
先生は震える声を振り絞り彼女の肩へ手を伸ばす
「私……は……」
――パシッ。
乾いた音が教室に響く。差し出された手を、ホシノが激しく振り払った音だった
「……触らないで」
その声には怒りや憎しみ、そしてそれら全てが枯れ果てた後のような底冷えする虚無が宿っていた
シロコたちも普段のホシノとは決定的に違うその気配に言葉を失う。ホシノはゆっくりと振り返る。その瞳には大人への信頼など一片すらも残っていなかった
「……信じてたのに。先生のことだけは……大人なんて、みんな自分のことしか考えてないって、分かってたはずなのに……」
「ホシノさん、それは……!」
「先生は、いい大人だって……他の汚い大人たちとは違うって、そう思ってたのに!!」
叫びとともに、ホシノの瞳から大粒の涙が溢れ出す。自分たちを苦しめてきた「カイザー」という名の悪魔。その中心にいた人物をあろうことか「先生」と呼び、懐いていた自分。その事実が、彼女を何よりも傷つけていた。
「……っ、もういい。顔も見たくない!」
「ま、待ってください、ホシノ先輩!」
「ホシノ先輩!」
飛び出していったホシノを追い、シロコたちが教室を去っていく。
一人取り残された先生は、振り払われた右手を呆然と見つめていた。
自分の手は、いつの間にか、彼女たちが最も憎むべき「カイザー」の色に染まっていた。
どれだけ家事で尽くしてもどれだけ優しく微笑みかけても過去という名の醜い鎖が、今この瞬間救いたかった少女たちの心を粉々に打ち砕いてしまったのだ
「……あ」
声にならない呻きが、夕闇に沈みゆく教室に、空虚に響き渡った