アビドスの美女先生(中身は男)は、今日を生き延びたい 作:気弱
夕闇が砂漠の地平線を無慈悲に飲み込み、カイザーグループの仮設拠点は不気味な鉄の要塞となって静まり返っていた。しかし、その静寂は偽りだった。要塞の深層を流れる電子ネットワークの海では一人の「元中将」が放つ冷徹なハッキングコードが音もなく着実に防衛プログラムを侵食し崩壊させていた。
「アロナ、接続……内部コード『00-Black-Lotus』。全システムを強制上書きして。私が、私であった頃の証を、ここで全て使い切るよ!」
先生の声はいつもの穏やかさとは打って変わり、かつて戦場を支配した軍人のそれへと変貌していた
「はい、先生! むむむ……お任せください! かつての権限をバイパス、認証完了です。えいっ!」
先生の端末から放たれた青い電子の奔流が拠点のメインサーバーを強襲する。その瞬間、拠点の防衛を担っていたはずの無敵の重機甲「ゴリアテ」を含む機械兵たちが断末魔のような火花を撒き散らしながら糸の切れた人形のように一斉に沈黙した。かつて組織の中枢で軍事戦略を担っていた先生の「最高権限」による慈悲なきショート。最強の盾を奪われたカイザーの防衛網に致命的な亀裂が走り抜ける。
「みんな! 今だよ! 突入!!」
ホシノの鋭い号令が夜の砂漠に響き渡ると同時に、対策委員会の面々が嵐のような勢いで拠点内へ踏み込む。機械が沈黙したのなららあとは物量による制圧あるのみ。異変を察知したカイザーの歩兵たちが怒号を上げながら波のように迫り来る。
「機械がダメになっても歩兵が多すぎる!! まるでゴキブリみたいよ!?」
「セリカちゃん気を抜かないで! 後ろからも来てるよ!!」
「先生! もう持ちこたえられません!」
「みんな、あと少し……粘って!」
セリカが焦燥を滲ませながら銃を乱射するが、敵の増援は砂漠の砂粒のように際限なく現れる。数に押され徐々に包囲を狭められていく対策委員会。
銃火器の閃光が絶望的な包囲網を照らし出したその時、拠点の厚い外壁が、凄まじい衝撃波と共に外側から爆散した。
「……騒がしいわね。砂漠の夜はもっと静かであるべきなのに」
爆砕された外壁が放つ熱波と白く立ち込める硝煙の向こう側。爆炎が降り注ぐ絶望的な戦場にそぐわないほど冷徹で静かな声が染み渡る。
視界を遮る煙を切り裂くようにして悠然と姿を現したのは、ゲヘナ学園・風紀委員長の空崎ヒナだった。
その小柄な体躯からは想像もつかない圧倒的な威圧感――「空崎ヒナ」という存在そのものが放つ理不尽なまでの破壊の気配が敵味方問わずその場の空気を氷結させた
そして、そのすぐ傍ら。
ヒナの静かな怒りとは対照的に爛々とした野望の光を瞳に宿し、不敵な笑みを深く口元に浮かべた陸八魔アルが、真紅のコートを夜風に躍らせながら立っていた
「あら、先生。あんなに切羽詰まった声で連絡をよこすなんて……。そんなに私に会いたかったのかしら?」
アルは愛用のスナイパーライフルを肩に預け、余裕たっぷりの仕草で前髪を払ってみせる
内心では心臓が飛び出しそうなほど高揚しているが、今は「窮地に駆けつける冷徹なアウトロー」という理想の自分を演じることに全神経を注いでいる
「二人とも! まさか本当に来てくれるなんて……最高のタイミングだよ!」
窮地を脱する確信を得た先生が、安堵と信頼の混じった声を上げる。その呼びかけに応えるようにアルは銃身を鋭く向け直し、傲然と言い放つ
「当然よ! 絶体絶命のピンチにこそ颯爽と現れ、依頼を完璧に完遂して去る。それこそが、私の求める真のアウトローの美学だもの!」
ヒナは先生が「助けてほしい」と一言連絡しただけで、あらゆる煩雑な手続きをすべて放り出し、超法規的な判断で駆けつけてくれたのだ。たとえそこがゲヘナの管轄外である砂漠の果てであろうと、彼女に迷いはない
アルも同じく、先生から連絡が入ると請け負っていた任務を放り捨てて駆けつけてくれた
「アルちゃん! ほら、かっこつけるのは後にして! 先生からの『緊急依頼』、最高の結果で完遂するわよ!」
隣で跳ねるように笑うムツキの悪戯っぽくも鋭い発破が飛ぶ。砂漠の熱気と硝煙の匂いにあてられたのか彼女の瞳はかつてないほど愉悦に輝いていた。
「カ、カッコつけてなんてないわよ……っ!?」
アルは狼狽を隠すように叫び返したがその頬には隠しきれない高揚感で赤らんでいる。その背後では重い爆薬の束を抱えたハルカが、狂信的なまでの使命感に突き動かされ血走った眼で報告を上げる
「あ、アル様ぁ! 障害となる外壁の支柱、全てに爆薬をセットして参りましたぁ! いつでも、いつでも木っ端微塵にできますぅ!」
「うん、私は早く帰りたいから……。なるべく手短に終わらせようね」
カヨコが溜息混じりに手慣れた動作で愛銃のボルトを引き、冷徹な一言を添える
ムツキの快活な急かしと仲間たちの報告を受け、アルは武者震いを抑え込むように、真紅のコートの裾を夜風に鮮やかに翻す
彼女の脳内では今、(先生からの直々の指名……! この窮地に真っ先に私を頼ってくれた……! これこそが、私が焦がれ続けた闇の世界に生きるアウトローにのみ許されたハードボイルドな仕事の極致!)という妄想が嵐のように渦巻き絶頂に近い有頂天に達していた。
しかし、表向きはあくまで冷徹なリーダーを装いアルは愛用のスナイパーライフルを鋭く構える
「いくわよ、便利屋68! 私たちの流儀をたっぷりと思い知らせてあげるんだから!」
彼女の号令と共に便利屋の面々はそれぞれの役割を果たすべく獲物を狙う野獣の如き動きで戦場へと踊り出る。
ヒナもアルも先生がかつてカイザーの中将を担っていたことや、接してきた「彼女」が実は「彼」であったという驚愕の事実をまだ知らない。
しかし、何度も会い、信頼を置けると確信している先生から短く「助けてほしい」と告げられた。その一点の事実だけで彼女たちが共に銃を取る理由は十分だ
二大勢力の苛烈な参戦により、戦況は一瞬にして逆転する。ヒナの放つ圧倒的な殲滅力と、アルによる精密な狙撃がカイザーの歩兵を容赦なく薙ぎ払っていく
「道が開けたわ、先生」
「先生! 道が開けたわ!」
「「あとは私たちに(任せて)任せなさい!」」
二人の号令に背中を押され先生たちは最深部の司令塔室に駆け込む。そこには先日まで高笑いし、ホシノや先生の過去を踏みにじった理事長が発狂したように端末を破壊している姿があった
「あいつら……!!! よくも……よくも我が軍隊を……基地を!!」
絶絶叫と共に振り返った理事長の目に、一人の可憐な女性――いや、その皮を被ったまま、生徒を守ると決めた「守るべきものができた大人」が映る
「貴様ぁぁぁ!! この……出来損ないの、男もどきの分際でぇぇ!!!」
逆上した理事長の絶叫が電子機器の死骸で埋め尽くされた司令室に木霊する。かつての「中将」としての威厳を捨て少女たちを守る「先生」として生きる道を選んだ男の存在が、強権こそが正義と信じる代理には何よりも我慢ならない屈辱だった
理性を焼き切られた理事長は重戦車のような巨体を揺らしながら、狂気の色を湛えた眼差しで先生に襲いかかる。
その拳は、鍛え抜かれた肉体と体重の全てを乗せた暴力の塊
体格差においても身体能力においても圧倒的に劣る先生が、生身でそれを受ければ、文字通り命を刈り取られるであろう死の一撃。空気を切り裂く轟音と共に、避けようのない凶拳が先生の顔面へと向けられる。
「――っ! 先生!!」
背後で誰かが叫んだ。だが、先生の瞳に恐怖の色はなかった。
「私の大切な生徒たちを……ホシノを傷つけた報いは、ここで受けてもらう!!」
その言葉と同時に先生の身体が、春の嵐に吹かれる柳の枝のようにしなやかに揺らぐ
衝突の瞬間。先生は代理の拳を避けるのではなく自らその内懐へと滑り込ませる。暴力的な直進のエネルギーを真っ向から受けるのではなく、円を描くような指先の動きでその勢いを優しく導き、殺すことなく手首を絡め取った。
次の瞬間、先生の足運びが滑らかな円を描く
合気道の神髄――静寂の中に秘められた動の極致が、代理の巨体を支えていた重心を瞬時に狂わせる。力の支点を奪われ、自らの突進の勢いをそのまま投げの力へと変換された代理の身体がまるで重力から解放されたかのように、軽々とそしてふわりと宙を舞う
「が、はっ……!? な、何が……ッ!?」
天地が逆転する視界の中で理事長は自分に何が起きたのかさえ理解できなかった。昨日まで自分が「非力な男もどき」と侮っていたはずの存在が今、自分という巨大な理不尽をただ一振りの「技」で投げ飛ばしているのだ。
ドォォォォン!! 司令室の床が踏み抜かれるほどの衝撃と共に理事長が叩きつけられた。一切の無駄を削ぎ落とした、完璧な合気道の投げ技が決まる
「終わりです、理事長。貴方の絶対的な力関係は崩れた。アビドスにかけた理不尽な返済額、そしてあの子たちが一生懸命返済していたお金を横流しにして学校を襲ったこと、全てシャーレを経由して連邦生徒会に送信済みです」
「うぐぁ……この……くずがぁ……」
床に這いつくばり無様に呻き声を上げる代理。その惨めな姿にはかつて先生やホシノを嘲笑った面影など微塵も残っていなかった。
戦火が鎮まり砂漠に静かな夜明けが訪れる。青白い光の中でヒナが静かに先生の元へ歩み寄る。彼女の紫色の瞳は射抜くような鋭さで先生を見つめていた
「……先生。この前会った時のような弱々しさが消えて、その……凄く、かっこよくなってるわね。それに、ここに介入できるほどの高度な権限……それから、本当は男だったということ。全て説明してもらえるわよね?」
先生は内面の動揺を隠し少しだけ困ったように微笑むと細い指をそっと唇に当てた
「あはは……。今はただの可愛いもの好きなあの子たちの『先生』だよ。それじゃ、ダメかな?」
「……そうね。今は聞かないでおいてあげる。今は私じゃなくて、貴方の大切な教え子たちの番だもの」
「ありがとう、ヒナさん」
ヒナは僅かに呆れたように溜息をつき風紀委員会を引き連れて砂塵の彼方へと去っていった。
その後ろではアルが「ふふん、今回の私は完璧にハードボイルドだったわね!」と得意げなポーズを決め、ムツキに「アルちゃん、さっき緊張でコケそうになってたよね〜」と容赦なく揶揄われて真っ赤になっていた
規律正しく去っていく風紀委員会の背中を見送ったのも束の間、静寂を取り戻しつつある戦場に今度は対策委員会の面々が駆け寄ってきた。
彼女たちの足取りはどこか落ち着かず先生が「男性」であり「元中将」であったという事実をどう消化すべきか、戸惑いと期待が入り混じった視線を向ける
その中心からホシノがゆったりとした歩調で一歩前に出る。
彼女はいつもの眠たげな半眼を今ははっきりと見開き先生の姿を正面から見据える。そして、先生の白く細い指先を自らの手のひらで包み込むようにして真っ直ぐに取った。
「さっきの投げ技……キレッキレだったじゃん。おじさん、正直ちょっと見直しちゃったよ。あんなデカい相手を軽々と転がしちゃうなんて、まるで映画のヒーローみたいだったねぇ」
「ホシノ……」
「……それと」
ホシノは一度言葉を切ると悪戯な光を瞳に宿し少しだけ顔を近づけて声を潜めた
「『大切なホシノ』って言ってくれたところも、しっかり耳に残ってるよ? おじさん、あんなにかっこいい台詞を正面から言われたの初めてかもしれないな〜♪」
「あ、あれは、その! 先生として、あるいは大人として、あんな暴言を吐く輩を黙らせるために出た言葉であって決して変な意味では……っ!?」
顔を林檎のように真っ赤にして狼狽える先生の姿は、先ほどまでの冷徹なハッカーとも、無双の武術家とも違う、彼女たちがよく知る「少し頼りないけれど可愛いものが好きな可愛い先生」そのものだった。そのギャップにホシノは堪えきれないといった様子でクスクスと喉を鳴らして笑った。
一頻り笑った後、彼女はふと真剣な表情に戻り繋いだ手に少しだけ力を込めた
「……ま、まだ先生のこと、全部許してあげた訳じゃないよ? 隠し事をしてた報いは、これからたっぷり働いて返してもらわないとね」
ホシノの温かな体温が指先を通じて先生の心へと浸透していく。それは冷たい軍靴の響きではなく、血の通った確かな信頼の証だった。
「でも、これからは隠さなくていいよ。ゆっくり、一歩ずつ話していこう。私たちの、新しい……そして最高に『かっこいい男の先生』としてさ」
その言葉に含まれた重みと慈愛に先生の視界が不意に滲む。かつて組織の中で孤独に戦っていた時には決して得られなかった自分を丸ごと受け入れてもらえるという安堵感が、熱い塊となって喉を突き上げてくる
「……うん。ありがとう、ホシノ。本当に、ありがとう」
「あーあ、ホシノ先輩。そういうのはセリカちゃんの特権なんですから、あんまり奪わないであげてくださいよ」
アヤネが後方から、呆れたような、けれど心底嬉しそうな顔でひょっこりと現れる。その言葉に、一番後ろで銃を抱えていたセリカが飛び上がった
「な、なによ! なんで私の特権なのよ!? 私がいつそんなこと……!」
顔を真っ赤にして地団駄を踏むセリカだったが、視線だけは落ち着きなく先生を彷徨っている。そして、蚊の鳴くような声でボソリと付け加えた
「……でも、まあ。その、男の先生っていうのも……悪くないわよ。さっきの戦い方、その、……すっごく格好よかったし。これからは、もっと頼りにしてあげなくもないわ」
「ん。やっぱりセリカはツンデレが似合う。教科書通りの反応」
「シロコ先輩まで何を……!!」
セリカの叫び声が砂漠の夜明けに響き渡り重苦しかった空気はいつの間にか、放課後の部室のような穏やかな明るさに塗り替えられていった。
「あはは……。どうやらおじさん、格好つけさせてももらえないみたいだね」
先生は照れくさそうに頭を掻き朝日が昇り始めた地平線を見つめた。これからは、偽りの仮面ではなく、自分自身の心でこの生徒たちと歩んでいける。その確信が、彼にとって何よりの報酬だった。
こうして理事長との戦闘は対策委員会とヒナたちの完全勝利で幕を閉じた
砂漠を揺るがした激闘から数日が経過した。アビドス高等学校のほど近く、静かな住宅街に佇む先生の自宅マンションは、かつてないほど華やいだ空気に包まれていた
「……ね、ねぇ…せ、先生の家って、本当にここ、よね? 階段を上る場所を間違えて、よそのお宅の前に立っているなんてマヌケな事態にはなってないわよね……?」
清潔感のあるマンションの廊下で、便利屋68のリーダー、陸八魔アルは異様なほどに背筋を直立させ、関節が悲鳴を上げそうなほどガチガチに緊張していた。
その面持ちは国家の命運を賭けた極秘会談に臨む外交官か、あるいは初めての面接でパニック寸前になっている新社会人のようでもあった
「アルちゃん、さっきから背筋が伸びすぎてて面白いことになってるよ~?そんなに板みたいに固まってたら、ドアが開いた瞬間に倒れちゃうんじゃない?」
隣でクスクスとムツキは愉しげに肩を揺らす。彼女はアルの動揺を栄養にしているかのように、いつも以上に瞳をキラキラと輝かせていた
「ム、ムツキ、茶化さないでよ……!?私たちは先生に直々に招待されたのよ!?あのアビドスでの一件における『最重要協力者』として!プライベートな空間に招かれた以上、ここで完璧な淑女の……いいえ、完璧なアウトローとしての振る舞いを見せなければ、便利屋68の名が廃るわ!」
アルは鼻息荒く宣言してみせるが高級菓子店のものであろう手土産の紙袋を握る指先は、生まれたての小鹿のように小刻みに震えていた。
彼女の脳内では「落ち着いた大人の隠れ家」を訪問し、洗練された会話を交わすハードボイルドな自分のシミュレーションが空回りし続けている
「……あら、貴方たちも呼ばれていたの?」
突如、背後のエレベーターホールから凛とした声が響く
「ひ、ヒ、ヒナ!? な、なんでゲヘナの風紀委員長がこんなところに……!?風紀委員会まで招待されていたなんて聞いてないわよ! ムツキ、カヨコ、ハルカ!包囲される前に逃げるわよ!」
「アル様、お逃げください!ここは私が命に代えても食い止めますぅぅ!」
パニックを起こしたアルと、即座に自爆態勢に入ろうとするハルカ
そんな騒がしい一団をヒナはどこか冷めた、それでいて少しだけ困惑したような眼差しで見つめる
今日の彼女はいつもの威圧感溢れる重厚な軍服姿ではなく、フリルが控えめにあしらわれた私服に近いカジュアルな装いで、その手には可愛らしいリボンのかかった小さなギフトボックスが握られていた
「落ち着きなさい、陸八魔アル。私も先生に呼ばれて、断る理由がないから来たまでよ。それに……今日に限っては貴方たちを見逃してあげるつもりよ。私だって、先生が用意してくれた楽しい祝勝会に水を差すほど分からず屋ではないわ」
平静を装って告げるヒナだったが、その声のトーンは普段より幾分か高く、足取りには隠しきれない軽やかさがあった。その瞳の奥には、戦場を支配する委員長としての鋭さではなく、親しい友人の家を訪ねる少女のような、淡い期待の色が滲んでいる
「……うへ~、これはまた随分とにぎやかな顔ぶれが揃ったねぇ」
ヒナとアルが火花を散らす一歩手前の空間に、さらに別の足音が重なった。現れたのは、制服を脱ぎ捨て、それぞれの個性が光るラフな私服に身を包んだ対策委員会のメンバーたちだ。
「あれ、風紀委員長ちゃんにアルちゃんじゃない。みんな揃って廊下で立ち話? もしかして、先生の家に入るのが怖くて足がすくんじゃったのかな~?」
廊下の曲がり角からひょっこりと現れたのは、アビドスの「おじさん」こと小鳥遊ホシノだった。
いつもの制服姿ではなくゆったりとしたオーバーサイズのパーカーを羽織ったラフな私服姿で、眠たげな眼差しを向ける。その背後には、スーパーの大きな買い物袋を抱えたノノミ、心なしか落ち着かない様子で髪を弄るセリカ、そして手土産ののし紙を何度も確認するアヤネが続いている。
「そ、そんなわけないでしょ! 私はただ、玄関前での適切なマナーを再確認していただけよ!」
アルが顔を真っ赤にして反論し、ヒナもまた、わずかに視線を逸らしながら「……タイミングを計っていただけ。大人数で一度に押し寄せたら、先生が困ると思って」と、らしくない言い訳を口にする。
砂漠での激闘を共に潜り抜けた本来ならば決して相容れないはずの三つのグループ、ゲヘナの風紀委員会、便利屋68、そしてアビドス対策委員会
キヴォトスのパワーバランスを揺るがしかねない面々が、一人の「先生」という接点を中心に平凡なマンションの一室の前に集結していた
「あれー? ムツキちゃん達まで…本当に勢揃いだね。風紀委員長ちゃんにアルちゃんまで。こんな所で溜まって、何か作戦会議でもしてるたの?」
ホシノが首を傾げると、ヒナは小さく溜息をつき、手に持ったギフトボックスを抱え直す
「……作戦会議なんてしてないわよ。この子たちに先生に祝勝会をあげるからって私も呼ばれたって今説明してたとこ。それだけよ」
「え、ええ! そうよ! 今日は『最重要協力者』たる客人として、最高のハードボイルドなもてなしを受けるつもりなんだから!」
アルが震える声で精一杯の虚勢を張る
その必死な様子にホシノは「うへ~、これは随分とにぎやか、というより騒がしくなりそうだねぇ」と楽しげに目を細めた。
三勢力が微妙な火花を散らし誰が最初に足を踏み入れるべきかという無言の牽制が続く中、最後尾にいたシロコが静かに前へ出る。彼女は会話に参加する気などさらさらないようで、無表情のまま躊躇いなく指を伸ばす。
「ん。お腹すいた。立ち話より、ご飯。……入る」
迷いのないシロコの指がインターホンのボタンを押し込むと静かな廊下に小気味よいチャイムの音が響き渡る。直後、ドアの向こうから慌てたような、けれどどこか浮き足立った懐かしい声が返ってきた。
「みんな、開いてるから入っていいよー! ちょっと手が離せないの!」
「ん、分かった」
シロコが躊躇なくドアを開け、少女たちは誘われるようにして室内へと足を踏み入れた。玄関には普段の先生のイメージからは想像もつかないほど整然と、しかしどこか可愛らしいデザインのスリッパが人数分並べられている
期待と緊張を胸にリビングへと進んだ彼女たちはそこで調理器具がぶつかり合う軽快な音と鼻をくすぐる芳醇な香りに迎えられる
そして、忙しそうに立ち働く家主の姿を視界に捉えた瞬間まるで時間が凍りついたかのように、全員がその場で硬直してしまう
そこにいたのは戦場で冷徹なハッキングコードを走らせた軍師の姿でも、砂漠で巨漢を投げ飛ばした「男」としての猛々しさでもなかった。
「あ、みんな! いらっしゃい。ごめんね、あと一品だけ仕上げちゃいたいから、適当に座ってて!」
振り返りながら明るく声をかけてきた先生は、パステルピンクの柔らかな生地にたっぷりと繊細なフリルがあしらわれたエプロンを身に纏っていた。腰の後ろで結ばれた大きなリボンが、動くたびにひらひらと蝶のように揺れている。いつもは無造作に下ろされている美しい髪は可愛らしいシュシュで一本にまとめられうなじの白さを際立たせている
その姿はどこからどう見ても完璧に「献身的で家庭的な美女」そのものであった。
「な、なっ……!? な、な、なにあれ……ッ!?」
アルはあまりの眩しさと衝撃に脳内のハードボイルド(?)なシミュレーションがすべて火花を散らしてショートした。理想の「大人の男」としての先生像と、目の前の「究極に可愛いエプロン姿の美女」という現実のギャップにめまいを起こして一歩、また一歩と後ずさった
一方のヒナは言葉を失ったまま磁石に吸い寄せられるように先生の姿を凝視して固まっていた。普段、規律と風紀のために鉄面皮を貫いている彼女だったが、今ばかりは瞳が潤み、頬が林檎のように赤く染まっていくのを止めることができない。
対策委員会の面々も混乱の極致にあった。
「か、可愛い……。あの、先生? そのエプロン、どこで売っているんですか……? あまりにも似合いすぎていて、直視できません……」
ノノミは頬に手を当てうっとりとため息を漏らす。その視線はもはや獲物を見定めるハンターのそれにも近かった
「うへぇ……これ、本当にこの前の『元中将』殿なのかな? おじさん、実は違う世界線に迷い込んじゃったとかじゃないよね……?」
ホシノは目を見開き信じられないものを見るように何度も瞬きを繰り返す。彼女にとっての先生は「かっこいい男」へ昇格したばかりだったがその前提が根底から覆されかけていた。
「……い、いいわね、こういうの。……じゃなくて! あんた、男だってバレたのになんでそんな格好してるのよ! 服の方向性が極端すぎるでしょ!」
セリカは真っ赤になって怒鳴るものの、その視線はエプロンの裾のフリルを興味深そうに追いかけており自分でも気づかないうちに「可愛い先生」への新しい扉を力いっぱい開きかけていた
「あの男らしかった、合気道の達人としての先生はどこへ行ったんですか!? 」
アヤネは白くなった眼鏡を指で押し上げ、激しく動揺しながらも、本能的にその姿を網膜に焼き付けようと必死になっていた。
そんな喧騒の中でシロコだけがいつもの無表情のままトコトコとキッチンまで歩み寄る。そして、先生の背中のリボンを指先でちょんと突きながら至極当然といった風にストレートな感想を口にする
「ん。先生、すごく似合う。可愛い。……そのまま、銀行に行っても誰も先生だってバレないと思う」
「シロコさん、それは褒めてないよね!?」
先生は、手に持ったお玉を振りながら苦笑いする。恥ずかしそうに頬を染めつつも、お気に入りの「可愛い」に囲まれて楽しげに立ち働くその姿はどんな強固な防衛システムよりも容易く彼女たちの心を陥落させる
「ふふ、今日は腕によりをかけましたから。さあ、あと少しで完成するから、先にリビングへどうぞ!」
手際よく料理を仕上げる先生に促され、一同はリビングへ向かった。そして、本日二度目の衝撃が彼女たちを襲う
「こ、これ……本当に先生一人が作ったの?」
「うへぇ……。これ、おじさん以上に女子力高くない……?」
テーブルを彩るのは宝石のように鮮やかな前菜、香ばしい匂いを放つローストビーフ、そしてクリスタルのように透き通ったコンソメスープ
盛り付けの繊細さは一流ホテルのメインダイニングを彷彿とさせる完璧な「プロ」の仕上がりだった。なぜか、並んでいるお皿は高級品ではなく、パステルカラーの可愛いデザインばかりではあるが
「ん……匂いだけで、魂が浄化される……早く食べたい」
シロコが我慢できないといった様子でフォークを手に取る。
「さあ、召し上がれ! 今日は無礼講ですから、遠慮はいりませんよ♪」
台所から顔を出してウインクをし、中へ戻っていく先生。一同は恐る恐る料理を口に運んだ。次の瞬間、衝撃が走る。
「……っ!! な、なによこれ……! ちょっと、美味しすぎるわよ、これ!」
セリカが絶叫に近い声を上げる
フォークですくい上げたローストビーフのそのあまりにも鮮やかな断面――絶妙な火加減で閉じ込められた肉汁が口に含んだ瞬間に解き放たれ、舌の上で狂おしいほどの旨味へと変わった
「信じられない……。脂っこさが微塵もないのに、暴力的なまでのコクがあるわ。それでいて、お肉が……まるで初雪みたいに口の中で溶けて消えていく。あんた、本当に何者なのよ!?」
セリカの瞳にはかつて見たことがないほどの驚愕と、抗いがたい敗北感が同居していた
その隣では、アヤネが眼鏡を曇らせながら、コンソメスープを一口運ぶごとに、深い、深いため息を漏らしてしまう。
「わぁ……この出汁、一体どれだけの時間をかければこんなに透き通るんですか? 雑味が一切なくて、喉を通るたびに心が洗われるようです……あぁ、幸せ……」
理性の守護者たるアヤネの顔がとろけるような至福の笑みに支配されていく。ノノミもまた手に持ったフォークを震わせながら、目の前の料理を一皿ずつ、聖遺物を鑑定するかのような真剣な眼差しで見つめていた
「驚きました……私の実家で腕を振るう、ミシュランの星を持つ専属シェフたち……いいえ、彼らの料理すら凌駕するほどの、魂に響く優しさがあります。先生、これにはどんな隠し味が……?」
ノノミの感銘を受けたような問いかけに、ホシノはといえば、もはや椅子に座っていることすらままならず、そのあまりに高すぎる「女子力」の濁流に飲み込まれ、床に膝をついていた。
「うへぇ……おじさん、完全に完敗。降参だよ。かつての中将様は、戦場だけじゃなくて台所まで支配しちゃうんだねぇ。こんなの見せられたら、もう家事なんて全部先生にお任せしたくなっちゃうな」
ホシノが白旗を上げる一方で、最も劇的な反応を見せていたのは陸八魔アルだった。一口、その繊細な前菜を口に含んだ瞬間、彼女の脳内では世界を揺るがすほどの衝撃波が駆け巡った。
「はわわわ……はわわわわ……っ!!」
アルの口からもはや言語としての体をなさない締まりのない情けない声が漏れ出してしまう。全身が心地よい痺れに襲われ手にしたカトラリーがカタカタと音を立てて震える。
(な、何よこれ! 私たちが今まで命を繋いできた、あの埃っぽい野営の非常食や、拾ったレーションとは次元が……宇宙そのものが違うわ……! これが、大人の余裕……いいえ、全てを包み込む『大人の包容力』というものなの!? 恐ろしい人……! こんなに胃袋を掴まれたら、アウトローの誇りまで溶けてなくなっちゃうじゃないのぉ……!)
アルは頬を真っ赤に染め瞳を潤ませながら、かつてない多幸感と敗北感の板挟みになって悶絶していた。先生がひらひらと揺らすパステルピンクのエプロンのフリルさえ、今や彼女の目には勝利を告げる軍旗のように気高く、そしてあまりにも甘美に映っている
狂乱に沸くリビングの喧騒から隔絶されたかのように、ヒナはただ一人静かに、しかし黙々とスープを口に運んでいた。銀のスプーンが唇に触れるたびに彼女の肩から力が抜け、普段はゲヘナの重圧を一身に背負っているその背中がみるみるうちに小さく等身大の少女のそれへと戻っていった
長い睫毛を伏せ、琥珀色のコンソメを味わう彼女の表情は風紀委員長としての鉄の仮面が跡形もなく溶け去り夢見心地のような恍惚感に支配されていく。周囲の騒ぎなど耳に入らない様子でただひたすらに先生の手料理という名の「慈愛」をその身に浸透させていた
「……先生…あなた、本当に……何者なの」
ようやくスプーンを置いたヒナが熱を帯びた瞳でキッチンに立つ先生を見つめる。その声は微かに震えており心の奥底を揺さぶられた者特有の脆さが混じっていた
「容姿はこれほどまでに可憐で、戦場では正確な戦術を組み、いざとなれば暴漢を柳のように投げ飛ばす武才を見せる。その上、これほどまでに心を解きほぐすプロ級の料理まで完璧にこなすなんて……そんな矛盾だらけで、けれど完璧な人、私の知る限りの歴史にも、今のキヴォトスにも……どこにも存在しないわ…明日からゲヘナでキッチン担当にならない…?」
ヒナの言葉はもはや単なる賞賛を超えて畏怖に近い独占欲を孕んでいた。そんな彼女の熱視線を浴びて、先生は少しだけ気恥ずかしそうに、エプロンのポケットをいじりながら「あはは……」と困ったような、けれど柔らかな笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえると、頑張って作った甲斐がありました。何者だなんて大層なものじゃないですよ。ただ、昔から『可愛いもの』に触れていると心が落ち着くんです。この食器たちも、実は少しずつ買い集めたお気に入りで……。便利な調理器具を見つけるとつい実際に使ってみたくなって気づいたら料理が趣味のようになっていただけなんです」
先生はパステルカラーの猫耳がデザインされたボウルを愛おしそうに撫でる。その指先の動きはどこまでも繊細で彼がかつて中将として重機の起動スイッチを押し、ハッキングコードを叩き込んでいたその指と同一のものだとは信じがたい。
「家柄や育ちのせいもあるのかもしれませんが自分にとってはこのエプロンを締めて好きなものに囲まれている時間が一番の贅沢なんです。だから……皆さんにこうして喜んでもらえるのが、何よりの幸せなんですよ」
ひらひらと揺れるエプロンのフリル。それを慈しむように微笑む先生の「女子力」という名の暴力的なまでの魅力に、ヒナは反論する言葉を失い、ただ深く、その底知れぬ沼のような包容力へと沈み込んでいく
キッチンに漂う香ばしい匂いと教え子たちの弾むような声。それらに包まれた先生の表情はかつて硝煙の中で正確な号令を下していた「中将」としての仮面を完全に脱ぎ捨てていた
目尻を下げ、愛用のパステルカラーのエプロンを揺らしながら見せたその笑顔は冬の陽だまりのように柔らかく慈愛に満ちたものだった
だが、その平穏は一人の「野性的な直感」を持つ少女によって唐突に破られることになる。
「ん……だから、あんなにたくさんぬいぐるみが押し入れにしまってあるんだね」
「…………えっ?」
先生の動きが彫像のように静止する
声のした方を振り向けばいつの間にかリビングの隅で普段は固く閉ざされているはずの押し入れの前にシロコが立っていた。しかも、どういうわけか彼女はいつもの愛用ニット帽――アビドスでお馴染みの「覆面」を頭に被りガサゴソと本格的な家宅捜索を開始していたのだ
「シ、シロコさん!? いつの間にそこに、っていうかその覆面は脱いで!?そこは開けちゃダメなところだよ!」
「ん。銀行強盗の基本。死角にはお宝がある……これ、すごくフカフカ」
先生の制止も虚しくシロコが押し入れの奥から引きずり出したのは淡いブルーの大きなクジラのぬいぐるみだった
抱き枕ほどもあるそのクジラは先生が「可愛いけど、流石に外では使えない」とこっそり愛でていた極上の癒やしアイテム
「おおー!クジラさんじゃん!しかもこの絶妙な弾力……うへぇ、これはたまらないねぇ。おじさん、もう今日からここに住んじゃおうかな~」
ホシノが吸い寄せられるようにクジラに抱きつき、その至高の手触りに完全に骨抜きにされている。先生のプライベートな「癒やしの聖域」がなし崩し的に暴かれていく。
「ちょ、ちょっと二人とも!?それは、その、疲れた時にたまに抱っこするくらいで……! ああっ、ノノミさんまでその棚を開けないで!?そこには限定品のクマさんが……!」
「あらあら♪ 先生、この子たちの毛並みブラッシングまでされてるじゃないですか。本当に大切にされているんですね♪……ふふ、ますますこの家から帰りたくなくなっちゃいました♪」
ノノミが慈しむような手つきで別のぬいぐるみを取り出し、セリカもまた「な、なによこれ、可愛いじゃない……あんた、こんな趣味まであったのね」と顔を赤らめながらも視線はぬいぐるみから離せなくなっていた
「先生……あなた、戦場を支配する軍師の顔をしながら裏ではこんなに……こんなに可憐な聖域を守り抜いていたのね……」
アルはアルでぬいぐるみの山を「ハードボイルドな大人の、孤独な魂を癒やす秘宝」として勝手に脳内変換し、感動のあまり打ち震えていた
「シロコさん、お願いだからそれ以上は!奥の段ボールだけは、本当に、私の理性が死んじゃうから!!」
必死に押し入れを塞ごうとバタバタと駆け寄る先生。フリルのエプロンをひらひらさせながら少女たちに翻弄されるその姿は、今日一番の「可愛らしさ」を放っていた
かつての威厳はどこへやら。賑やかな笑い声とぬいぐるみに囲まれた先生の自宅はもはや「祝勝会」の枠を超え彼自身の「好き」が溢れ出す、至福のパニックに包まれていった
シロコが「戦利品」を次々と検分するように押し入れから引きずり出した山の中からホシノは自分の好みにドンピシャだった、ひんやりとした手触りのメンダコのぬいぐるみを見つけ出し、それを愛おしそうに胸に抱きかかえた。
「うへ~、この絶妙な脱力感……先生、このメンダコさん、おじさんの好みを完全に理解してるとしか思えないよ……ん、決めた。おじさん、明日から学校の代わりにここからシャーレに出勤することにするよ……っていうか、もうずっとここに住んじゃおうかな」
ホシノがクジラとメンダコのダブル抱き枕に挟まれ文字通り「骨抜き」になって畳の上に溶けていく。そのあまりにも自由奔放な様子にアヤネが眉を吊り上げ真っ赤な顔をして叫んだ。
「ちょっと!二人とも、先生の家でなんて行儀の悪いことをしてるんですか!シロコ先輩もその覆面を早く脱いでください!先生が困っているじゃないですか!」
正論を振りかざすアヤネだったがその背後ではノノミが先生のコレクションである高級なテディベアの毛並みを優雅に撫でながらふわりと微笑んでいた。
「あらあら♪でもアヤネちゃん、こんなに素敵な『癒やしの空間』、独り占めするのはもったいないですよ?……ふふ、私も賛成です。ホシノ先輩と一緒に、私もここに住んじゃおうかしら♪お掃除もお洗濯も、全部お手伝いします♪」
「ノ、ノノミ先輩まで何を……!」
アヤネの絶望的な突っ込みも虚しくセリカまでもが耳を赤くして視線を泳がせながら小さな声で、けれどはっきりと漏らす
「……そ、そうよね。家賃の節約にもなるし、それに……あんたの料理、毎日食べられるなら……わ、私も、住もうかしら……」
さらに、その喧騒から一歩離れた場所で普段は鉄の規律を重んじる風紀委員長、空崎ヒナが誰にもそして自分自身にさえ聞こえないほどの微かな囁きをこぼす
「……私も……ここなら、ゆっくり眠れそうな気がするわ」
紫の瞳にほんのりと熱っぽい色が宿る。その横では混乱に乗じて「真のリーダー」としての威厳を取り戻そうとしたアルが真紅のコートをバサリと翻しいつもの不敵なポーズを決めた
「決まりね!ここを便利屋68の第二の拠点…いいえ!私たちの『ハードボイルド・シェルター』に指定するわ!先生、今日から私たちは運命共同体よ!」
「アルちゃん、さっきまで料理に感動して泣いてたのに、立ち直りが早いね~」
ムツキのからかうような笑い声がリビングに響き渡る。先生はもはや制止することすら諦めエプロン姿のまま、わいわいと自分の部屋を「侵略」していく教え子たちの姿を、眩しそうに見つめていた
かつてカイザーの中将として冷徹なディスプレイ越しに戦況を支配し力によって他者を屈服させていたあの頃に得られたのは虚空のような孤独と、終わりのない義務感だけだった
しかし今、目の前にあるのは自分の「可愛いもの」という歪な趣味さえも笑って受け入れ、賑やかに温かく自分を必要としてくれる少女たちの笑顔だ
使い込まれたエプロンの紐を締め誰かのために包丁を握り、美味しいと言ってもらえるこの瞬間。それこそが、何千万もの軍勢を動かす権力よりも、何重ものハッキングコードを破る達成感よりも自分がずっと心の底から手に入れたかった何にも代えがたい「自分だけの居場所」なのだと、先生は深く実感する
「……先生、おかわり。これ、無限に入る気がする」
いつの間にか押し入れの家宅捜索を終えたシロコが空になった皿を両手で持って先生の隣にちょこんと座っていた。覆面を外し少しだけ期待に満ちた瞳で自分を見上げる
「はいはい、わかったよ。たくさんあるから、ゆっくり食べてね」
先生は困ったように笑いながら再びフライパンを握った
ジュウ、という心地よい音と共に新しい料理の香りが立ち上る。先生の幸せな夜は砂漠の夜を支配していたあの無慈悲で冷たい風を忘れさせるほど優しくそして熱くいつまでも更けていくのだった
次回のオマケで最終回の予定です!よろしくお願いします!