正直に言うと、最初にその話題を振ってきたのは、やっぱり真唯だった。
「れな子と紫陽花は、背が同じくらいだから……キスする時も楽そうでいいな」
放課後の教室。
窓から差し込む夕方の光が、机の上をオレンジ色に染めている中で、
真唯はいつもの落ち着いた声で、そんなことを言った。
――何を、さらっと。
「ちょ、ちょっと真唯……急に何言ってるの?」
思わず声が裏返る。
心の準備というものがあるでしょう、心の。
わたしの動揺をよそに、
紫陽花さんは一瞬きょとんとしたあと、ふわっと柔らかく笑った。
「……確かに、れなちゃんと私は身長、ほぼ同じだもんね」
「だろう?」
真唯はうんうん、と満足そうに頷く。
どうやら、完全に納得しているらしい。
いや、そこ納得するとこなの?
「でもさ」
わたしは一度咳払いをしてから、少しだけ真面目な顔で続けた。
「背が高い人に、ちょっと背伸びしてキスするのも……
ロマンチックだと思うんだけど」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
自分で言うと、破壊力がある。
「うん。私もそう思うよ」
紫陽花さんが、穏やかな声で同意する。
横顔が夕焼けに照らされていて、綺麗すぎて、
見てはいけないものを見た気分になる。
……でも、目の保養になるなぁ。
すると真唯は、顎に指を当てて「ふむ……」と考え込んだ。
「なるほど。つまり――高さの問題、というわけだね」
「え?」
「え?」
わたしと紫陽花さんが、ほぼ同時に声を出した。
その瞬間にはもう、真唯の中では結論が出ていたらしい。
「放課後、二人とも少し時間をもらえるかな?」
にこり。
その完璧な笑みを見た瞬間、背筋に嫌な予感が走った。
絶対、ろくなことにならない。
◯
連れて行かれたのは、街中でもひときわ高級感のある靴屋だった。
ガラス張りの外観に、落ち着いた照明。
一歩足を踏み入れただけで、空気が違う。
「……ここ、真唯の家の系列店?」
「そうだよ。ちょうどいいだろう?」
ちょうどいいって、何が。
店内には、磨き上げられた床と、ずらりと並ぶハイヒール。
ヒール、ヒール、ヒール。
値札は見ない。見ないと決めた。
「(どうせ真唯が払うんだろうけど……それが逆に落ち着かないんだよ……)」
「さあ。二人とも、好きなものを選んでくれ」
「えええ……」
声が自然と小さくなる。
こんな細くて、見るからに高そうな靴、人生でほとんど縁がなかった。
転びそうだし、足痛そうだし、何より――わたしには分不相応だ。
一方で、紫陽花さんはというと。
「……どれも綺麗。迷っちゃうね」
棚を見つめる目が、きらきらしている。
さすがというか、似合いそうな未来しか見えない。
「余裕だなぁ……」
わたしは結局、一番無難そうな白のヒールを、ほぼ消去法で選んだ。
高すぎない、細すぎない、主張しない。
――わたしらしい選択だと思う。
紫陽花さんは少し悩んだ末、淡い色合いのヒールを手に取った。
「それ、紫陽花さんにすごく似合いそう」
「ありがとう。れなちゃんのも、可愛いと思うよ」
可愛い、のかな……。
試着室でヒールを履いてみると、ぐらっと視界が揺れた。
「うわ……世界が違う……」
床が、ちょっと遠い。
「ふふ」
紫陽花さんが楽しそうに笑う。
外に出ると、真唯と目線が、ほぼ同じ高さだった。
「……おお」
思わず、間抜けな声が出た。
「これで、条件は同じだね」
真唯はそう言って、静かに一歩近づいてくる。
距離が、近い。
いつもより、ずっと。
「……いいかな?」
改めて訊かれると、心臓が跳ねる。
でも――
わたしは、こくりと頷いた。
そっと、触れるだけのキス。
ヒールの不安定さもあって、体に余計な力が入る。
真唯の香水の匂いが、いつもより近くて。
息が、混ざる。
――心臓が、うるさい。
「……どう、かな?」
「……ちょっと、変な感じ。でも……悪くない」
正直な感想だった。
次は紫陽花さん。
同じようにヒールを履いたまま、真唯と向き合う。
二人のシルエットは、不思議なくらい綺麗で――
胸の奥が、ほんの少しだけ、きゅっとする。
それからわたしは、一度ヒールを脱いだ。
「今度は……紫陽花さんと、ね」
「うん……」
ヒールを履いた紫陽花さんに、少しだけ顔を上げる。
背伸び。
いつもと逆の感覚に、くすぐったい気持ちになる。
唇が触れた瞬間、思った。
「(……あ、これ)」
新鮮だ。
同じ人なのに、距離と高さが変わるだけで、こんなにも印象が違う。
紫陽花さんの息遣いが、近い。
自然と、笑ってしまった。
「……結構、いいかも」
「そう?私も好き、かも」
紫陽花さんが、柔らかく微笑む。
真唯は、その様子を満足そうに眺めていた。
「つまりは、だね」
楽しげに、彼女は言う。
「高さが違っても、同じでも――どれも、私たちの関係ということだ」
「……真唯らしい結論」
わたしは苦笑しながらも、二人の手を握った。
真唯と紫陽花さん。
どちらか一人だったら、きっとここまで楽しめなかった。
ハイヒールなんて、慣れないし、ちょっと疲れる。
足も、そのうち痛くなると思う。
でも――
こういう小さな違いを、三人で面白がれるのは。
三人で笑えるのは。
わたしたちが、三人恋人だからだ。
そう思うと、胸の奥が、じんわりあたたかくなった。
「(……結構、新鮮で、良いかも)」
本当に、そう思ったのだった。
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