今日は、ほんっとうに暑い。
暑いという言葉では足りないくらい、暑い。
教室の窓から差し込む光は、もう完全に真夏のそれで、
カーテン越しでも容赦なく肌を焼いてくる。
エアコンは一応動いているはずなのに、体感的には「気休め」レベルだった。
「はぁ……」
思わず、机に突っ伏したまま、ため息が漏れる。
手に持っているのは、使い古した下敷き。
パタパタ、パタパタと仰いでみるけど、動くのは熱い空気だけで、
ちっとも涼しくならない。
「今年は稀に見る猛暑、だってさ……」
誰に言うでもなく呟くと、隣の席の紫陽花さんが、ふっと小さく頷いた。
「うん……ニュースでも言ってたね。
制汗剤、今日は朝から二回目使っちゃった」
そう言って、カバンの中を指で示す紫陽花さんは、
いつもより少しだけ元気がない。
頬もほんのり赤くて、髪も首元に張りついている。
「紫陽花さんまでぐったりしてるなんて……相当だよ、この暑さ」
「れなちゃんも、顔赤いよ?」
「え、ほんと?」
慌てて頬に手を当てると、
確かに、自分でもわかるくらい熱を持っている。
夏は嫌いじゃない。
でも、こういう何もしてなくても体力を奪ってくる夏は、さすがにしんどい。
そんな空気の中。
「――放課後、かき氷を食べに行かないか?」
後ろから、いつも通り落ち着いた声がした。
振り返ると、そこにいたのは真唯だった。
腕を組んで、少しだけ顎に手を当てながら、
「どうだ?」とでも言うような視線を向けてくる。
「か、かき氷!?」
わたしは、反射的に立ち上がっていた。
「行く!行きます!ぜひ連れてって!!」
自分でも驚くくらい、声が大きかったと思う。
でも、それくらい、今のわたしの心には刺さった。
冷たい。
甘い。
頭がキーンってなるやつ。
完璧じゃない?
紫陽花さんも、ぱっと表情を明るくした。
「いいね……!暑い日は、やっぱりかき氷だよね」
さっきまでの元気のなさはどこへやら。
声も少し高くて、目もきらきらしている。
「ふふ、二人ともわかりやすいな」
真唯はそう言いながらも、どこか満足そうだった。
――こうして、放課後。
わたしたちは、寄り道もせず、一直線にかき氷屋さんへ向かった。
……はずだった。
「……え?」
店の前に立った瞬間、わたしの口から、間抜けな声が漏れた。
シャッター。
閉まってる。
しかも、張り紙つき。
《本日、臨時休業》
「……そ、そんな……」
がくっと、膝から力が抜ける。
さっきまで頭の中で完成していたかき氷プランが、音を立てて崩れていく。
「うそ……」
紫陽花さんも、目に見えてしょんぼりしていた。
肩が落ちて、さっきのきらきらが一気に消えてしまう。
暑い。
遠い。
期待した分、ダメージがでかい。
「今日は……ついてない日かも……」
思わず、そんな弱音が出そうになった、その時。
「ふむ」
真唯が、一つ頷いた。
「では、アイスに変更しよう」
「……アイス?」
一瞬、思考が止まってから。
「アイス!?」
「それ、全然ありだよ真唯ちゃん!」
わたしと紫陽花さんの声が、綺麗に重なった。
「さすが真唯!!」
「ナイス判断だよ!」
二人して一気に元気を取り戻すと、真唯は少しだけ苦笑して言った。
「その笑顔なら、提案した甲斐があるな」
そこからの道のりは、正直、少し長かった。
途中で通りかかった家の犬に吠えられて、
わたしが「ご、ごめんなさい!何もしてません!」って無駄に謝ったり。
重そうな荷物を持っていたおばあちゃんを見つけて、
三人で「持ちますよ!」って声をかけて、なぜか遠回りになったり。
でも、不思議と、嫌じゃなかった。
汗はかくし、足もだるいけど、
二人と一緒なら、それすら夏の思い出みたいに感じる。
そして、ようやく。
「……着いた!」
アイスクリーム屋さんの看板を見た瞬間、わたしは思わず拳を握った。
冷房の効いた店内。
ショーケースの中に並ぶ、色とりどりのアイス。
「生き返る……」
わたしは、迷わずキャラメルリボンを選んだ。
紫陽花さんはストロベリースペシャルタイム。
真唯は、堂々のサーティワンオールスターズ。
三人で並んで座って、スプーンを入れる。
ひんやり、甘くて、舌の上で溶けていく。
「……おいし……」
気づけば、顔が緩んでいた。
きっと、ものすごく間抜けな笑顔をしていたと思う。
――その瞬間だった。
「れな子」
「れなちゃん」
左右、ほぼ同時に名前を呼ばれて、わたしは反射的に顔を上げた。
「え?」
問い返すより早く、距離が一気に詰まる。
近い。
近すぎる。
「……あ」
言葉になる前に、頬に、温かい感触が触れた。
スプーンでも、指でもない。
もっと柔らかくて、湿った――
「っ!?」
思考が止まる。
左から、ぺろり。
右からも、ぺろり。
ほんの一瞬なのに、やけに長く感じた。
温度と、感触と、
「頬を舐められた」という事実だけが、遅れて頭に流れ込んでくる。
「な、なに……?」
声が震える。
真唯が、すぐ目の前で微笑んでいた。
いつも通り落ち着いた顔なのに、どこか楽しそうで。
「頬に、クリームがついていた」
そう言って、親指で自分の唇をなぞる。
「れな子クリームは甘いな♡」
「……っ!」
反対側では、紫陽花さん。
わたしの方を見上げるようにして、ぺろっと舌を出してみせる。
「れなちゃん、気づかないんだもん」
「ほら、まだちょっと……」
指で、わたしの頬の端を軽くなぞってから、そのまま――。
「……っ、ちょ、まっ……!」
言い終わる前に、また、舌先が触れた。
今度は、さっきよりゆっくり。
アイスの冷たさが、頬に移って、
そのあと、じわっと温度が残る。
「……おいしい」
紫陽花さんは、そう呟いて、にこっと笑った。
「れなちゃんの美味しいところ、頂いちゃった♡」
ウインク付き。
――もうムリ!
「~~~~~~っ!!!」
頭が沸騰する音が、はっきり聞こえた気がした。
耳まで熱い。
頬が、じんじんする。
「な、ななななな……!二人とも、何してるのっ!!」
必死に距離を取ろうとするけど、
椅子に挟まれて逃げ場がない。
「ふふ、動くとまたつくぞ」
「次は反対側も狙っちゃう?」
真唯は冗談みたいに言うし、
紫陽花さんは楽しそうにスプーンをくるくる回している。
「も、もう!心臓が保たないよ!アイス溶けちゃうから……!」
必死の抵抗に、二人はようやく引いてくれた。
「悪いね。れな子があんまり美味しそうに食べるものだから」
「ごめんね、でも可愛かったよ?」
可愛いとか、今は聞きたくない。
……落ち着け、わたし。
深呼吸、深呼吸。
スプーンを持つ手が、まだ少し震えてるけど、
それでも、アイスはちゃんと減っていく。
真唯と紫陽花さんは、もう何事もなかったみたいな顔で、
それぞれのアイスを食べていた。
――ずるい。
あんなことしておいて、平然としてるの、ずるすぎる。
「……」
わたしは、ふと二人の顔を見比べた。
真唯の唇の端。
紫陽花さんの口元。
……ついてる。
ほんのちょっとだけ。
クリーム。
気づいた瞬間、胸の奥で、何かが切り替わった。
「……あ」
わたしは、できるだけ何でもない風を装って言った。
「真唯、紫陽花さん」
「どうした?」
「なに、れなちゃん?」
――今だ。
「二人とも」
わたしは、少しだけ身を乗り出す。
「頬……じゃなくて、口のとこ」
二人が同時に、自分の口元を気にする。
「……ここ?」
「え、ついてる?」
その一瞬の隙。
「――っ!」
わたしは、思い切って距離を詰めた。
まずは、真唯。
驚いた顔をするより早く、わたしは、さっと。
ぺろ。
「……っ!?」
真唯の目が、わずかに見開かれる。
「れ、れな子……?」
「ついてたよ、クリーム」
言い返してやると、胸がドキドキするのに、ちょっとだけスッとした。
「……真唯クリーム美味しい」
さっきの言葉を、そのまま返す。
次。
「紫陽花さんも」
「え、ちょ、待っ……」
待たない。
今度は、ほんの一瞬だけ、でも、さっきより勇気を出して。
ぺろ。
「……!」
紫陽花さんが、一瞬固まってから、みるみる顔を赤くする。
「れ、れなちゃん……!」
「美味しいところ、頂いちゃいました」
ウインクまではできなかったけど、それでも、精一杯の反撃。
静寂。
次の瞬間。
「これは……やられたな」
「……完全に油断してた……」
二人とも、耳まで赤い。
さっきまでの余裕は、どこにもない。
「ど、どうかな……?」
わたしは、まだ心臓バクバクだけど、ちょっとだけ胸を張る。
「……れな子、反撃が大胆すぎる」
「これは……予想外だよ」
紫陽花さんは、手で口元を押さえながら、恥ずかしそうに笑った。
「……れなちゃん、やるね」
「えへへ……」
勝った。
たぶん、これは勝利。
そのあと三人で、何事もなかったようにアイスを食べ続けたけど。
さっきより、空気がちょっとだけ甘くて、ちょっとだけ近い。
甘い。
冷たい。
でも、さっきから、自分の頬がやたら熱い。
「……」
苦労して、遠回りして、臨時休業に打ちのめされて。
それでも。
「アイスで、よかった……」
小さく呟いたわたしの声は、二人にちゃんと聞こえていたらしい。
くすっと、左右から笑い声がした。
「真唯と紫陽花さんと食べれてよかった」
しみじみそう呟くと、二人が、また微笑んだ。
暑い日。
遠回り。
でも、甘くて、幸せな放課後。
たぶん、これも――忘れられない一日なんだと思う。
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