放課後。
学校から少し離れたカラオケボックスの前で、わたしは深呼吸を三回していた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
何が大丈夫なのかは自分でもよく分からない。
ただ、目の前にあるこの建物――ネオンがぎらぎらして、ガラス張りで、
中の様子がちょっと見えてしまうこの場所は、
元陰キャのわたしにとっては完全に異世界だった。
カラオケ。
それは陽キャたちが肩を組み、タンバリンを鳴らし、
よく分からない合いの手を入れながら盛り上がる、眩しすぎる空間。
「れなちゃん、入らないの?」
紫陽花さんが、振り返ってやさしく声をかけてくれる。
その笑顔が柔らかくて、余計に緊張する。
「は、入る!入ります!」
返事だけは元気よくして、わたしは一歩踏み出した。
今日のメンバーは、
わたし、れな子。
真唯。
紫陽花さん。
紗月さん。
香穂ちゃん。
いつものクインテットの5人――ムリだろ、このメンツ。
今さら逃げられないけど。
部屋に通されると、ソファはふかふか、
テーブルにはドリンクバーの案内、モニターはやたら大きい。
マイクが二本、堂々と置かれている。
「じゃあ最初は軽く、ウォーミングアップといこっかにゃ!」
香穂ちゃんが元気よく言って、紫陽花さんと顔を見合わせる。
「えへへ、じゃあ……これにしよっか」
「うん、それがいいね」
二人が選んだ曲名を見て、わたしは心の中で小さく悲鳴を上げた。
『可愛くてごめん』
……いや、選曲がもう優勝なんよ。
イントロが流れた瞬間、部屋の空気が一気に明るくなる。
紫陽花さんは少し控えめに、でも確実に音を外さず、柔らかい声で歌う。
香穂ちゃんはもう全力。表情も振りも完璧で、画面のキャラより本人の方が可愛い。
「「可愛くてご・め・ん♪」」
二人の声が重なった瞬間、鳥肌が立った。
「うわ……すご」
「やるわね……」
わたしと紗月さんが、ほぼ同時に呟いていた。
サビでは自然と手拍子が起きて、真唯ですら小さく頷きながら聴いている。
曲が終わり、画面に表示された点数は――
97点。
「えっ、すごくない!?」
「やったね!イエーイ!」
「いえーい!」
二人がハイタッチするのを見て、わたしは思わず拍手していた。
完全に、観客側になっていた。
「じゃあ次、私が行くわ」
そう言って立ち上がったのは、紗月さんだった。
選曲は――『天城越え』
「……カラオケで?放課後に?」
わたしの小声のツッコミをよそに、前奏が流れる。
紗月さんは、マイクを持った瞬間、雰囲気が変わった。
姿勢がまっすぐで、目線がぶれない。
声は低く、芯があって、まるで舞台の上に立っているみたいだった。
♪ 隠しきれない 移り香が――
一音一音が、重い。
感情が詰まっている。
「(……あ、これ)」
わたしは気づいた。
これはただ歌っているんじゃない。
「(真唯に勝つって、言ってたもんな……)」
次のテスト。
その意気込みが、歌に全部乗っている。
最後のロングトーンが決まった瞬間、部屋が静まり返って――
すぐに拍手が起きた。
点数は、
98点。
「さすが紗月さん!」
「本気すぎる……」
紗月さんは少しだけ満足そうに、でもすぐ席に戻る。
その横顔は、やっぱり美人でかっこよかった。
「じゃあ、次は私だね」
真唯が立ち上がる。
何を歌うのかと思ったら、
『ジュピター』
「(あっ……なるほど……)」
選曲が、もうグローバル。
前奏から、空気が変わる。
真唯の声は、伸びる。
まっすぐで、透明で、広がっていく。
歌詞の意味を噛みしめるように、でも感情に溺れすぎず、完璧なバランス。
「(……世界的スーパーモデルって、こういうことか……)」
技術も表現も、全部が高い。
結果は――
99点。
「うわ……」
「すご……!」
拍手の音が、一段大きくなった。
そして。
「次はれな子の番だね」
わたしの番だった。
一気に、心臓が跳ねる。
さっきまで観客だったのに、急に舞台に引きずり出された感じ。
「(ムリ……ムリムリ……)」
でも、選曲はもう決めていた。
『ムリムリ進化論』
明るくて、元気で、ちょっとドタバタしてて。
今のわたしに一番近い曲。
前奏が流れる。
「(よし……!)」
わたしは深呼吸して、歌い出した。
最初は少し声が震えた。
リズムも、完璧じゃない。
でも、途中から――なんだか、楽しくなってきた。
「(あ、これ……)」
無理して上手く歌わなくていい。
かっこつけなくていい。
今のわたしを、そのまま出せばいい。
サビでは、思い切り声を出した。
少し走ったところもあったけど、気にしない。
歌い終わって、画面を見つめる。
画面に表示された点数は、82点。
「……あ」
思ったより、低い。
さっきまでが出来すぎていた分、余計にそう感じた。
「ごめん……やっぱり、アニソンは点数出にくいよね……」
そう言い訳しようとした、その時だった。
部屋の空気が――
さっきまでの盛り上がりとは、違う静けさに包まれていることに気づく。
拍手が、すぐに来ない。
拍手が来ない。
――あ、もしかして、滑った?
わたし、何かやらかした?
「……」
最初に口を開いたのは、紫陽花さんだった。
「ねえ、れなちゃん」
ゆっくり、確認するみたいな声。
「今の曲……ムリムリ進化論だよね?」
「う、うん……」
わたしが頷くと、紫陽花さんは小さく笑った。
「やっぱり、そうなんだ。不思議だね。
曲が流れた瞬間から、れなちゃんそのものだった」
胸の奥が、少しだけざわつく。
香穂ちゃんが、ソファの背にもたれながら言う。
「正直さ、さっきまでの曲って、上手い歌だったじゃん?
でも、れなちんのは――物語の主題歌って感じがした!」
「……っ」
そんな言い方、ずるい。
真唯は、マイクを置いたまま、モニターを見つめていた。
歌詞の最後のフレーズが、まだ表示されたままになっている。
「偶然にしては、出来すぎだね」
ぽつりと、独り言みたいに。
「無理でも進むしかない、か。……今のれな子が歌うと、説得力がある」
「そ、そんな……えへへ」
照れ隠しで否定しようとしたけど、言葉が続かない。
紗月さんは、腕を組んだまま、わたしを見ていた。
評価する目。
でも、厳しさよりも、どこか納得したような視線。
「……点数が低いのは、むしろ正しいわね」
「え?」
「完成された歌じゃない。
でも、成長の途中にある人間が歌うからこそ意味がある」
少しだけ、口角が上がる。
「主題歌って、そういうものじゃない?」
その瞬間。
胸の奥で、何かがすとんと落ちた。
ムリムリ進化論。
とあるアニメの主題歌。
無理だと思っても、進んでしまう話。
自信がなくて、怖くて、それでも前に出て走ろうとする歌。
「(……それって、わたしじゃん)」
「れなちゃん」
紫陽花さんが、少し距離を詰めて微笑む。
「今の歌ね。この5人の中で、一番意味があったと思うよ」
香穂ちゃんが、すぐに頷いた。
「うんうん。点数じゃなくて、立ち位置が決まった感じ」
真唯が、ちらっとわたしを見る。
「……決して逃げないれな子にピッタリだよ、その選曲」
紗月さんは、短く言った。
「嫌いじゃないわ」
心臓が、少しだけ早くなる。
「……な、なにそれ」
照れ隠しで笑うしかなかったけど、
不思議と、さっきの82点がもう気にならなかった。
むしろ――
「(この曲でよかった)」
そう、心から思えた。
カラオケの点数表は消えて、次の曲選択画面が表示される。
でも、わたしの中ではまだムリムリ進化論が、鳴り続けていた。
胸の奥が、ふわっと軽い。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、ほどけていく。
「(……なんか、今日のわたし、ちょっとだけ――)」
「……いい感じだったのでは?」
そう思った瞬間、自分でも驚くくらい自然に、身体が動いていた。
わたしはマイクを持ったまま、その場で――しゃがんだ。
そして、ゆっくりと、マイクを床に置く。
沈黙。
一秒。
二秒。
「……」
最初に反応したのは、香穂ちゃんだった。
「昭和か!!!」
即ツッコミ!?
紫陽花さんは一瞬きょとんとしたあと、吹き出すように笑った。
「ふふ……れなちゃん、急にどうしたの?引退宣言だなんて」
真唯は、腕を組んだまま、微笑んでいる。
「……でも、意表を突かれたことは確かだよ」
紗月さんは、ため息をつきつつも、口元が少し緩んでいる。
「トップアイドル気取りかしら?」
「あはは!れなちん、調子に乗りすぎにゃあ~」
「ち、ちがっ……!」
一気に顔が熱くなる。
「なんか……!雰囲気で……!やってみたくなっただけでして……!」
「雰囲気で床置きはしないよ普通!」
と爆笑する香穂ちゃん。
「でもさ」
と紫陽花さんが、にこにこしながら言う。
「今のれなちゃん、ちょっと主役だったよ」
「……っ」
もうやめて。
肯定と羞恥が同時に来るの、耐えられない。
結局、私は慌ててマイクを拾い上げて、ソファに転がるように戻った。
「……調子に乗りました。すみませんでした……」
そう呟くと、
「はいはい」
「次は誰が歌う?」
「れな子、もう一曲いくかい?引退は撤回して」
そんな風に、何事もなかったみたいに話が進んでいく。
「(……でも)」
さっきより、少しだけ。
この場所が、この5人だからこそ、怖くなくなっていることに気づく。
カラオケの画面が切り替わる。
次の曲を探しながら、わたしは小さく、マイクを握り直した。
……進化、してるよね。たぶん。
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