放課後。
校舎を出た瞬間、いつもと同じはずの空気が、少しだけ違って感じられた。
理由は分かっている。
今日は――真唯とデートだからだ。
「デート……」
小さく呟いただけで、胸の奥がそわっと揺れる。
別に、初めてじゃない。
これまでだって、真唯と二人で過ごした時間は何度もある。
それなのに、今日は特別な日だと、体が勝手に判断している。
だって今日は。
いつも忙しくて、時間に追われている真唯が、
「今日はオフなんだ」と、わたしのために時間を空けてくれたのだから。
待ち合わせ場所で、スマホの画面を何度も確認する。
時刻は、まだ約束の10分前。
早すぎる。分かってる。
でも、じっとしていられなかった。
「れな子、待たせたかな?」
その声を聞いた瞬間、心臓が一拍、余計に跳ねた。
振り向くと、そこに立っていたのは真唯だった。
夕方の光を受けて、髪がほんのりと輝いて見える。
いつも見慣れてる制服姿なのに、デートってだけで大人っぽく見えて、
今日はオフなんだという言葉の意味を、視覚的に突きつけられた気がした。
「オフだというのに日直がかぶるのは不運だった」
「ううん!全然だいじょうぶだよ!」
声が裏返らなかっただけ、今日は上出来だと思う。
本当は、30分前からここにいて、
人が通るたびに「今の人じゃないよね」「まだかな」「スマホ見るふりしよ」
そんなことを延々と繰り返していたくせに。
「そう?ならよかった」
真唯はそう言って、少し安心したように微笑んだ。
その表情だけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
……だめだ。
今日は、最初からこんな調子だと、心臓がもたない。
「それで、今日はどこに行くんだい?」
歩き出しながら、真唯が自然なトーンで聞いてくる。
デートという単語を、あえて使わない優しさが、逆に意識させる。
「えっと……わたしの希望なんだけど」
一瞬、言葉を探してから、意を決して言う。
「ゲームセンターに行きたい」
言い終わった直後、内心で身構えた。
子どもっぽいって思われないかな。
疲れちゃうって言われないかな。
でも。
「いいね。れな子が行きたい場所に行こう。今日はそのための時間なんだから」
即答だった。
「最近、全然行ってなかったから。懐かしい」
拍子抜けするくらい、あっさり。
それと同時に、胸の奥に溜まっていた不安が、すっと溶けた。
「真唯、ゲーセン行くイメージ、あんまりないよね」
「そうかい?」
首をかしげる仕草が、少し幼く見える。
「子どもの頃は、結構行ってたよ」
その言葉に、少しだけ意外さを感じる。
「誰と?」
訊いてから、しまった、と思った。
でも、真唯は気にした様子もなく、
「友達とね」
と、あっさり答えた。
胸の奥が、きゅっと鳴る。
あえて名前を出さない。わたしに気を使ってくれた。
恋人の前で他の人の話をするのはタブーだからだ。
でも、真唯の積み重ねてきた時間の中に、
当然のように自分がいないことを、改めて実感してしまう。
「……そうなんだ」
それ以上、言葉が続かなかった。
でも、真唯は歩きながら、少しだけ懐かしそうに笑っていた。
「……そういえば」
ふと、思い出したように言葉を続ける。
「れな子と初めてデートした時のこと、覚えてるかな?」
「え?」
思考が一瞬、止まる。
「VRのアトラクション。二人で行っただろう」
――あ。
思い出した瞬間、顔が熱くなる。
あの時も確かにデートだったけれど、初めてゆえ緊張もしていて
ゴーグルの中の映像より、隣に立つ真唯の存在ばかり気になっていた。
「覚えてるよ」
声が、少しだけ小さくなる。
「あの時すごく楽しかったんだ」
その言葉は、軽い回想みたいに言われたのに、
わたしの中では、重たい意味を持って響いた。
「楽しかった」。
それを、今になって、改めて言ってくれることが。
◯
ゲームセンターの入口が見えてくる。
自動ドアが開いた瞬間、電子音、光、歓声が一気に流れ込んできた。
「わ……」
慣れてるはずなのに、思わず声が漏れる。
「相変わらず、賑やかだね」
真唯は、少し目を細めて周囲を見渡していた。
その横顔を見て、
この人と一緒に来てるんだという事実が、じわじわと実感に変わる。
「どれからやる?」
「えっと、あ、あれ!」
わたしが指さしたのは、ガンシューティングの筐体だった。
「その目、もう勝負する気だろう?付き合うよ」
真唯が即答する。
その返事だけで、胸の奥にスイッチが入った。
「(……よし)」
銃を手に取った瞬間、指先の感覚が変わる。
軽いプラスチックの重み。
照準の位置。
画面の端に表示される残弾数。
――これは遊びだけど、勝負だ。
「れな子、こういうのも得意?」
「……うん。結構」
そう答えながら、内心ではもう集中モードに入っていた。
スタート音。
画面に次々と現れるターゲットを、迷いなく撃ち抜いていく。
反動の癖を掴みながら、無駄撃ちはしない。コンボを切らさない。
「(よし、この流れ……)」
隣を見る余裕はない。
でも、真唯の銃声が、一定のリズムで響いてくるのは分かる。
――真唯も、本気だ。
それが分かると、自然と口角が上がった。
ラストのウェーブ。
残り時間、数秒。
最後の一体を撃ち抜いた瞬間、終了音が鳴る。
スコア表示。
「……」
一瞬、呼吸が止まる。
わたしのスコアが、わずかに上だった。
「……やるね」
真唯が、素直にそう言った。
その声に、変な取り繕いは一切ない。
負け惜しみでも、冗談でもない。
ただの事実としての一言。
「へへ……」
思わず、変な笑いが漏れる。
「この手のジャンルはれな子には敵わないな」
「まぁ家でもよくやるし、反射神経にはちょっと自信ある」
そう言うと、真唯は楽しそうに目を細めた。
「なるほど。どうりで迷いがなかった」
その評価が、妙に嬉しい。
すごいねよりも、ちゃんと見てくれてる感じがして。
真唯と一緒にゲームするの、想像以上に楽しい。
勝ったことよりも、本気で並んで戦えたことが、
胸の奥でじんわりと残っていた。
ガンシューティングのあと、自然な流れで次の筐体へ移動する。
「次、あれ行ってみないか?」
真唯が指差したのは、レースゲームだった。
二人並んで座るタイプの筐体。
「受けて立つ!」
シートに腰を下ろすと、距離が一気に縮まる。
肩が、ほんの少しだけ近い。
触れてはいないのに、体温が分かる気がして、落ち着かない。
「れな子はレースゲームもやるのかい?」
「もちろん!家で何度もプレイしてるよ!……多分」
多分、という言葉に自分で不安になる。
でも、ハンドルを握ると、不思議と集中できた。
レースが始まる。
「今のコーナー、ブレーキ早すぎるね」
「えっ、ほんと!?」
「もう一拍、我慢」
指示が的確で、声が落ち着いていて、
助手席でナビしてもらってるみたいだ。
結果は――負け。
普段FPSばかりしてるからか、腕が鈍るジャンルもあるようだ。
「くぅ……!」
「惜しかったね」
そう言って、真唯は軽く手を叩いた。
勝ち負けよりも、一緒に同じ画面を見て、同じ時間を共有している。
その事実が、嬉しかった。
次はダンスゲーム。
「……これは、ちょっと久しぶりだね」
そう言いながらも、真唯の表情に不安はほとんどなかった。
むしろ、どこか余裕がある。
曲が流れ始めた瞬間、その理由はすぐに分かった。
最初の一拍から、動きが違う。
リズムの取り方が正確で、足運びも無駄がなく、
画面の指示より一瞬早く体が反応している。
「……え」
思わず、声が漏れる。
ステップは軽やかで、腕の動きも大きすぎず小さすぎず、
まるで最初から振り付けを知っていたみたいだった。
「(……この人、やっぱり何でもできるんだ……)」
スコアが伸びていくたび、胸の奥が、変なふうにくすぐったくなる。
完璧すぎて遠い、というより、すごいのに自然なのが、ずるい。
曲が終わると、真唯は軽く息を整えてこちらを見る。
「どうだった?」
「……うまい、っていうか……普通にプロみたい」
そう言うと、真唯は少しだけ照れたように笑った。
「昔、少しだけ齧ったことがあってね。
体を動かす遊びも、嫌いじゃないんだ」
その言い方もまた、控えめで。
自慢しないところが、余計に真唯らしい。
「(ほんと、万能すぎるよ……)」
そう思いながらも、
画面に映るスコアと、楽しそうな真唯の表情を見て、
わたしの胸は、自然と高鳴っていた。
ひと通り遊って、少しだけ休憩。
「汗をかいた。ちょっとトイレで、メイク直してくる」
そう言って、真唯は席を立つ。
「うん、待ってるよ」
笑顔で返したけれど、
背中が遠ざかるにつれて、胸の奥に、ぽっかりと空白ができた。
……一人だ。
スマホを取り出して、画面を眺める。
通知は、特に何もない。
周囲の音が、さっきよりも大きく感じられる。
笑い声。
硬貨の音。
知らない人たち。
「ねえ」
突然、声をかけられて、肩が跳ねた。
振り向くと、見知らぬ男性が二人。
視線が、じっとこちらを値踏みするみたいで、嫌な感じがした。
「いま一人?」
「い、いえ……待ち合わせです……」
声が、思ったより小さい。
「そんなこと言わないでさ」
距離が詰まる。
逃げようとしても、背後は筐体で塞がれている。
「ちょっと遊ぼうよ」
怖い。
喉が、ひくっと鳴る。
やめて。
そう言いたいのに、声が出ない。
手が伸びてくる。
その瞬間。
「その手、離してもらえないか?」
聞き慣れた声。
でも、今まで聞いたことのない、芯の通った声。
真唯だった。
男の手首を掴む動きは、迷いがなかった。
まるで、最初からこうなると分かっていたみたいに。
「れな子は、私の大切な人だから」
静かな声なのに、はっきりと拒絶している。
「なんだよ、急に!」
逆上した男が、もう片方の手で――
視界が揺れる。
次の瞬間、男が呻き声を上げて床に崩れた。
——何が起きたのか、わたしには分からなかった。
ただ、真唯がそこに立っているという事実だけが、はっきりと分かった。
「っ……!」
関節が、完全に極まっている。
「抵抗しないほうがいい。これ以上はタダではすまなくなる」
淡々とした声。
でも、そこには揺るぎがなかった。
もう一人の男が、真唯の顔を見て、凍りつく。
「お、おい……あんた、王塚真唯……?」
空気が変わる。
二人は、顔色を失い、その場で土下座した。
謝罪の言葉を並べ、そして、逃げるようにぴゅーっと走り去っていった。
わたしは……足が、震えている。
「れな子」
呼ばれて、ようやく現実に戻る。
「大丈夫だった?」
その一言で、張り詰めていたものが切れた。
「こ、こわかったよぉ……!」
涙が溢れて、気づいたら、真唯に抱きついていた。
「……大丈夫」
腕が、しっかりと背中に回る。
「もう、何もない」
胸に顔を埋めると、さっきまでの恐怖が、ゆっくり溶けていく。
「前にね」
真唯が、ハンカチを差し出しながら言う。
「私のことを、れな子が守ってくれたこと、あっただろう?」
初めてのデートの時、
好気な視線を浴びる真唯をわたしが守ると言ったことがある。
あの時のことを、ちゃんと覚えてくれていたんだ。
「今日は、私がれな子を守る側になれて、嬉しかった」
その笑顔が、誇らしくて、優しくて。
「……私もいま凄く嬉しいよ、真唯」
最後にプリクラ機の前。
騒がしいはずのゲームセンターの音が、その時だけ少し遠くに感じられた。
「今日って……」
画面に並びながら、言葉を探す。
「真唯が、守ってくれた、特別な日だね」
「ふふ、そうだね、特別な日……」
シャッターが切られる。
「記念だよ」
笑って言うと、真唯は少し照れたように、でも真っ直ぐに言った。
「……私は、れな子が本当に大好きだ」
帰り道、自然に手をつなぐ。
怖かったはずなのに、今は、胸がいっぱいで、温かい。
――これは、忘れられない放課後。
大切な人に守られた、特別な日の記憶。
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