その朝、世界は静かに終わった。
正確に言うと、
ファイくん(プレイステーション5)が、床に転がっていた。
「………………」
わたしは、ベッドの上で仰向けのまま、天井を見つめていた。
いつもと変わらない、見慣れた白い天井。
なのに今日は、やけに遠い。
視界の端に入る白。
耳に残る、嫌な沈黙。
部屋の中は静かすぎて、
逆に「音がない」という音が、頭の奥で鳴っている。
そして――
床から、微妙に漂ってくる「取り返しのつかなさ」。
説明できない。
でも確実にそこにある。
「やっちゃった感」という名の、重たい空気。
ゆっくり、本当に、ありえないくらいゆっくり、首だけを横に動かす。
――見えた。
ベッドの下。
そこに、横たわるファイくん。
「…………あ」
声にならない声が漏れた。
喉の奥で、音になりそこねた何か。
見間違いであってほしかった。
夢であってほしかった。
せめて、昨日の続きを見ている途中であってほしかった。
でも、どう見ても、そこにいるのは――
ファイくんだった。
昨夜の記憶が、なぜかスローモーションで再生される。
いつものように、わたしはファイくんを抱きしめて眠りについた。
夜更かしして、「もうちょっとだけ……」って言いながら、
結局いいところでセーブして。
腕の中の温もり(※実際は冷たい)。
でも不思議と、心は温かい。
重み(※実際はそこそこ重い)。
安心感がある。
存在感(※めちゃくちゃある)。
圧倒的。
「一緒に寝よ……♡」
そう呟いて、
ファイくんを胸に抱き寄せて――
そのまま、わたしは眠った。
問題は、わたしの寝相だった。
わたしは知っている。
自分が寝ると、どうなるかを。
寝返り。
寝返り。
さらに寝返り。
なぜか一回ひっくり返る。
謎のローリング。
布団キック。
布団剥ぎ。
最終的には「ここはどこ?」状態。
朝起きたら、
布団が逆向き。
枕が床。
わたしが布団。
つまり。
――落ちる未来は、決まっていた。
「……ファイ……くん……?」
恐る恐る、ベッドから降りる。
膝が、ちょっと笑っている。
嫌な予感は、確信に変わりつつある。
ファイくんを持ち上げる。
思ったより、重い。
いや、重いというより――
責任が、重い。
電源、入らない。
「…………………………」
頭が真っ白になった。
次の瞬間、
膝から崩れ落ちた。
「い、いや……ちが……これは……」
違う。
まだ、確定じゃない。
一時的なものかもしれない。
再起動すれば……。
電源ケーブルを確認。
もう一回、差し直す。
ボタン連打。
長押し。
短押し。
連打。
沈黙。
「……あ……ああ……」
世界が、色を失った。
ファイくん。
わたしの彼氏。
わたしの相棒。
わたしの休日。
わたしの癒やし。
わたしの夜更かし。
わたしの人生の三分の一。
「わたしが……殺した……?」
違う。
違うはず。
でも――
違わない。
「……ごめん……ごめんね……」
抱きしめる。
反応はない。
当たり前だけど、それが辛い。
その日、わたしは何も手につかなかった。
ご飯も喉を通らない。
スマホを見ても、虚無。
通知が来ても、虚無。
テレビをつけても、虚無。
学校でみんなと一緒にいても、虚無。
会話はしてる。
笑ってもいる。
でも心は、ずっと空席。
ファイくんがいない世界は、こんなにも、味気なかった。
――そして2週間後。
ファイくんが修理から帰還した日の夜。
わたしは、ベッドに座り、決意した。
「……次は、失敗しない」
同じ過ちは、二度と繰り返さない。
わたしは学習する女だ。
そうだ。
問題は、落ちる環境だった。
ならば。
落ちない環境を作ればいい。
理論は、完璧。
わたしは、立ち上がった。
まず、家中を回る。
リビングのクッション。
座布団。
ソファ用のやつ。
来客用のやつ。
なぜか余ってるやつ。
よく分からないやつ。
全部、わたしの部屋へ。
「よし!」
ベッドの周囲に、
クッション、
座布団、
クッション、
座布団。
ガチガチに敷き詰める。
床、見えない。
安全。
完全防御。
「これで完璧!」
さらに、わたしは武装を進める。
もこもこのパジャマ。
ふわふわ。
柔らかい。
衝撃吸収率、高そう。
見た目は完全に雪だるま。
「これなら、平気でしょ」
ファイくんを、そっと抱き上げる。
「一緒に、寝ようね♡」
布団に入り、ファイくんを胸に抱く。
ああ。
この感覚。
「プレイしてる時も、寝る時も、ずっと一緒……」
わたしは、うっとりと目を閉じる。
「一生一緒だよ♡」
そして、自然と、言葉がこぼれた。
「……わたし、ファイくんと……結婚す――」
「ちょっと!!」
ドアが勢いよく開いた。
「お姉ちゃん!!」
妹の遥奈だった。
寝巻き姿なのに目だけが完全に戦闘態勢。
あの子、たぶん寝起きでも怒れるタイプだ。
「私の部屋のクッション、勝手に持ってったでしょ!!」
「え、あ」
「え、あじゃない!!何個あると思ってんの!?」
遥奈は床を指差した。
床一面、クッションの海。
その上にわたしの完全防御寝具陣が構築されている。
「なんで私の抱き枕まであるの!?」
「……安全地帯……」
「なに?」
「ベッド周りの……」
「はあ?」
遥奈は、部屋を見回した。
床一面のクッション。
異様な光景。
そしてベッドの上で、雪だるまみたいなもこもこパジャマのわたしが、
ファイくんを抱きしめている。
「……なにしてんの?」
「ファイくんと……」
「ファイくんって何!?」
「人生……」
「意味わかんない!!」
遥奈のツッコミが真っ直ぐすぎて、わたしはちょっとだけ正気に戻った。
でも、正気に戻ってしまったら最後――この愛が揺らぐ気がする。
「ちがうの、遥奈。これはね」
「何がちがうの」
「落下防止」
「何を?」
「ファイくんを」
「何から?」
「わたしの寝相から」
「……自分が一番危険って自覚あるんだ」
遥奈の目が、「お姉ちゃん、ついにそこまで来たか」って感じで細くなる。
やめて。そんな目で見ないで。
わたしはただ、愛を守りたいだけなのに。
「ねえ遥奈……お願い。今日だけ。今日だけこのままにして」
「やだよ!」
即答。
「だってさ、クッションないと私、明日首痛いんだけど!」
「え、首?え?抱き枕なくて?」
「そう!!抱き枕ないと寝返りの着地点がなくて――」
「知らないよそんな理屈!」
遥奈が腕を組み、こめかみを押さえた。
呆れの呼吸が深い。これは重症。
「ていうか、お姉ちゃん……」
「なに……」
「その……ゲーム機、抱いて寝てるの……?」
「……うん」
「人間じゃないんだよ?」
「うん」
「冷たいんだよ?」
「うん(※電源を入れると温かい)」
「重いんだよ?」
「うん(※安心)」
「壊れるんだよ?」
「……ッ」
その言葉は効いた。
効きすぎて、心のHPが一気に削れた。
「だって、だってさぁ!」
わたしは、ファイくんを抱きしめ直す。
抱きしめたからって壊れた経験が消えるわけじゃないのに。
「一回壊したんだよ!?わたしのせいで!!」
「だから普通に棚に置けばいいじゃん!」
「それじゃだめなの!!」
「なんで!!」
「……一緒に寝たいから……」
「重い!!発言が重い!!」
遥奈が後ずさった。
「……お姉ちゃん、それさ、ゲーム好きじゃなくて、依存じゃない?」
「依存じゃないよ!」
「じゃあ何なの!」
「結婚」
「ほら依存!!」
バン!と遥奈がドア枠を叩いた。
すごい。ツッコミで建材を叩く人初めて見た。
そこへ、さらに。
「れな子!!」
母の声。
「なにバカなことしてるの!!」
母、登場。
寝室から飛んできた母は、部屋を見た瞬間、文字通り固まった。
「……なにこれ」
母の声が低い。
これ、ガチ怒りの低さだ。
「家中のクッション持ってきて!元に戻しなさい!!」
「でも……」
「でもじゃない!!」
正論の圧。
反論の余地がない。
わたしはしょぼん、と肩を落とす。
「ファイくんと……」
「ゲーム機と寝るんじゃありません!!」
「……」
母の正論が、胸のど真ん中に突き刺さる。
でも、正論って痛いんだよ。
だって正しいもん。
「それにね、れな子」
母はゆっくりとベッドに近づき、ファイくんを見る。
その視線は、魚を見る猫みたいに冷静。
「この子、修理から帰ってきたばかりでしょう?」
「……うん」
「また落として壊したらどうするの」
「……」
「修理代、いくらだったと思ってるの」
「……」
遥奈が横で「そこだよね」って顔をして頷いた。
家族の連携が強すぎる。
「それと」
母がさらに追い打ちをかける。
「あなたが夜中、結婚する――って言ったところ、廊下で聞こえたからね」
「えっ」
「えっじゃない」
わたしの魂が一瞬抜けた。
やばい。
やばい。
やばい。
「……聞こえて、たの……?」
「聞こえるわよ。家よここは」
遥奈が、腹を抱えて笑い始めた。
「やっば!お姉ちゃん!お母さんにプロポーズ聞かれてるじゃん!」
「笑うな!!」
「しかも相手がプレステ!!」
「や、やめろぉ!!」
母は、こほん、と咳払いして、話を締めに入った。
「とにかく、元に戻しなさい。今すぐ。家のものを勝手に使わない。以上」
「……はーい……」
言い返せなかった。
悔しいけど、正しい。
遥奈が腕を組み直す。
「で、まず私の抱き枕返して」
「……うん……」
「それと、クッションは借りるじゃなくて盗むだからね」
「盗んでない……!」
「持ち去った時点で盗み!」
「言い方ァ!」
わたしは、クッションを一つずつ持ち上げ、元の場所へ戻していく。
ふわふわが、どんどん消えていく。
安全地帯が、解体されていく。
床が、見える。
現実が、見える。
最初は「これだけなら……」と思っていた。
でも、クッションが減るほど、心の防御も剥がれていく。
「……ねえ、ファイくん」
手元のファイくんを見つめる。
棚の上に置こうとすると、手が止まる。
「……今日だけでも……」
「だめ」
遥奈が即答。
「だめ」
母も即答。
「……家族の絆、強すぎ……」
わたしはファイくんを、そっと棚の上に置いた。
距離ができる。
胸が、すうっと冷える。
ベッドの上には、わたしだけ。
「一緒に、寝れなかった……」
布団に潜り込み、わたしは、小さくすすり泣いた。
「……しくしく……」
遥奈が部屋を出る前に、振り返って言った。
「お姉ちゃんさ」
「……なに……」
「ゲーム機は……普通、床や棚に置くもんだよ」
「……」
胸に、刺さった。
正論って、刺さる。
母も最後に一言。
「それと、寝る前にちゃんと戸締りして。
『ファイくんと結婚♡』みたいな声が外に漏れたら、恥ずかしいのはこっちです」
母は去っていった。
残されたわたしは、布団の中で丸くなる。
ファイくんは、棚の上で、何も言わない。
当然だ。ゲーム機だから。
でも。
棚の上で、静かに、そこにいた。
「また今度ね……」
わたしは、そう呟いて、目を閉じた。
――ファイくんと一緒に寝る夢は、今日も叶わなかった。
でも明日はプレイしてあげるからね。
しくしくれな子なのであった。
◯
翌日。
わたしは放課後、家に帰るなり、カバンを投げた。
そして、一直線に棚へ。
「ファイくん……!」
棚の上のファイくんを抱きしめようとして、手前で止まる。
「(だめだ……抱きしめたら……また『結婚♡』が漏れる……)」
わたしは咳払いをして、あくまで冷静な顔を作った。
「……ただいま。今日は、ちゃんとプレイするからね」
電源を入れる。
起動音。
画面が点く。
――生きてる。
ファイくん、生きてる。
その瞬間、昨日の涙が全部どうでもよくなった。
わたしの情緒、単純すぎる。
「よーし!今日は一緒に冒険だぞ!」
そこへ、遥奈が部屋の前を通りがかり、ちらっと覗いて言った。
「お姉ちゃん」
「なに」
「そのテンション、昨日のしくしくどこ行ったの」
「昨日は昨日!今日は今日!」
「便利な頭してるね」
母の声も廊下から飛んできた。
「れな子ー!夕飯できたら呼ぶから、それまでに手、洗っといてねー!」
「はーい!」
わたしはコントローラーを握りしめる。
画面の中で、冒険が始まる。
「(……寝る時は一緒じゃなくても、起きてる時は、一緒だもんね)」
わたしは小さく笑って、キャラを動かした。
――そして夜、寝る前。
棚の上のファイくんに、そっと毛布をかける。
「……おやすみ」
ファイくんは、何も言わない。
でも、そこにいる。
わたしは、少しだけ満たされた気持ちで、布団に入った。
「(結婚は……また、いつか……)」
しくしくれな子、今日は、にこにこで眠りにつくのであった。
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