クインテットの日常   作:戦竜

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人妻れな子!?

卒業後、異国の地で真唯と紫陽花さんと三人で結婚したわたし。

愛の形は人それぞれ。周囲の人たちにも理解され、平和な日々を送っていた。

 

真唯はスーパーモデルとして世界を飛び回る稼ぎ頭。

紫陽花さんは裁縫のパートをしていて、丁寧な仕事ぶりが近所でも評判だ。

そして、わたしは――家事専門。

 

三人で暮らしている家は、少し広すぎるくらいの豪華な家だった。

海外の住宅らしく、天井が高く窓も大きい。

最初に見たときは「ホテルみたい」と思ったほどだ。

 

そんな家で、三人暮らし。

 

そして今日も――

 

いつも通りの朝が始まる。

朝は、だいたいわたしがいちばん早い。

目覚ましが鳴るより少し前に、自然と目が覚める。

昔は朝なんて苦手だったのに、人って変わるものだなあ、と毎朝ちょっと思う。

 

まず最初に感じるのは、柔らかい温もりだった。

右側からは真唯の体温。

左側からは紫陽花さんの体温。

わたしたちが眠っているベッドは、とにかく大きい。

三人で寝ても余裕があるくらいの、でかいトリプルベッドだ。

ふかふかのマットレスに羽毛布団。

最初に見たときは正直びっくりした。

 

「これ、ホテルじゃない?」

 

って思ったくらい大きかった。

でも真唯が即決で買ってしまった。

あの人、モデルの仕事で稼いでいるから金銭感覚がときどきおかしい。

 

……とはいえ。

 

今ではこのベッドが、すっかりわたしたちの生活の中心になっている。

わたしはゆっくり体を起こした。

まだ部屋は少し薄暗い。

カーテンの隙間から、うっすら朝の光が入ってきている。

ちらっと隣を見る。

真唯は、相変わらず寝顔が綺麗だった。

モデルだから当たり前なんだけど、寝ていても顔立ちが整いすぎている。

まつ毛が長くて、髪が枕に広がっていて、なんというか……

 

「絵になる」

 

って言葉がぴったりだ。

 

一方で、反対側。

紫陽花さんは、布団にくるまって丸くなっていた。

完全に「ぬくぬくモード」である。

この人、朝がとにかく弱い。

高校の頃からそうだったけど、大人になってもあまり変わっていない。

むしろ、結婚してからはちょっと甘えが増えた気がする。

 

わたしはベッドから静かに降りた。

床はひんやりしていて、少しだけ気持ちいい。

寝室の鏡の前に立って、軽く髪を整える。

それからクローゼットを開けて、さっと服を着替える。

 

そして――

 

最後に、いつものピンクのエプロンをつけた。

このエプロン、実は紫陽花さんが作ってくれたものだ。

裁縫のパートをしているだけあって、仕立てがすごく丁寧。

ポケットの位置も絶妙で、家事をしていてすごく使いやすい。

エプロンの紐を結びながら、わたしは深呼吸した。

 

よし。

 

人妻れな子、朝の仕事開始である。

 

 

まず向かうのはキッチンだ。

 

この家のキッチンは、日本のそれよりもずっと広い。

海外の住宅はキッチンを大きく作る文化があるらしく、

最初に見たときは正直ちょっと戸惑った。

 

アイランド型の作業台に、大きなオーブンと横幅の広い冷蔵庫。

 

まるで料理番組のスタジオみたいだ、と最初は思ったものだ。

 

でも今では、すっかり慣れた。

 

むしろ作業スペースが広い分、家事はやりやすい。

三人分の食事を作るのにも余裕がある。

 

わたしは冷蔵庫の扉を開けた。

 

中をざっと確認する。

 

海外のスーパーで買った食材と、

日本から持ってきた調味料が混ざって並んでいる。

味噌や醤油はやっぱり日本のものが落ち着く。

 

今日の朝ご飯はもうだいたい決めていた。

昨日の残り物を上手く使う。

これは主婦の基本である。

食材を無駄にしない。

冷蔵庫の中身を把握する。

そして短時間で作る。

結婚してから身についた、わたしの生活スキルだ。

わたしは鍋を取り出して、水を入れる。

コンロの火をつけると、青い炎が静かに揺れた。

 

まずは味噌汁。

朝の味噌汁は、なんというか――

 

「一日が始まる感じ」がして好きだ。

 

鍋が温まるまでの間、わたしは次の作業に取りかかる。

炊飯器のフタを開ける。

昨日のご飯がまだ少し残っている。

三人暮らしだと、こういう調整が大事だ。

多すぎても余るし、少なすぎても困る。

 

今日はちょうどいい量だった。

わたしはしゃもじで軽くご飯をほぐし、温め直しのスイッチを入れる。

その間に野菜室を開けた。

きゅうりとナス。

これは昨日作っておいた漬物だ。

 

海外生活をしていて思うのは、

日本の「漬物」という文化は本当に便利だということだ。

日持ちもするし、食卓に一皿あるだけでなんとなく安心する。

 

わたしは小皿を取り出して、きゅうりとナスを並べた。

色合いもいい。

朝の食卓は、見た目も少し大事だと思っている。

 

次はメイン。

魚だ。

フライパンを取り出して、軽く火をつける。

今日はムニエル。

海外でも手に入りやすい白身魚を使うことが多い。

バターを落とす。

じゅわっと溶ける。

すぐに、香ばしい匂いがキッチンに広がった。

わたしは魚に軽く小麦粉をまぶして、フライパンに置く。

ジュウ……という音が静かな朝に響いた。

 

この音も、なんだか好きだ。

料理をしている実感があるからだ。

魚が焼ける間、わたしは味噌汁の鍋に戻った。

 

お湯がふつふつと沸いている。

乾燥わかめを入れる。

すぐにふわっと広がる。

そこに味噌を溶く。

お玉の中で味噌を崩しながら、ゆっくり混ぜる。

湯気がふわっと立ち上がった。

その匂いを吸い込むと、なんだかほっとする。

 

ここは異国の地だけど。

この匂いだけは、日本の朝だ。

わたしは軽く味見をした。

 

「……うん」

 

ちょうどいい。

魚の方もいい焼き色がついていた。

裏返す。

バターの香りがさらに広がる。

この家は広いから、匂いがリビングまでふわっと流れていく。

 

きっともうすぐ、真唯が起きてくる。

食事の匂いに反応するタイプなのだ。

わたしは皿を並べていった。

 

ごはん。

わかめの味噌汁。

きゅうりとナスの漬物。

魚のムニエル。

 

テーブルの上に並べると、ちゃんとした朝ご飯になる。

三人分の食卓。

なんとなく、その光景を見るのが好きだ。

昔のわたしは、こういう生活をするなんて想像していなかった。

 

結婚して。

しかも三人で。

異国で暮らして。

家事をして。

朝ご飯を作っている。

 

……人生って、本当にわからない。

 

その時だった。

寝室のドアが、ゆっくり開いた。

 

「……れな子、おはよう」

 

低い声。

 

振り向かなくてもわかる。

真唯だ。

わたしは軽く笑った。

 

「おはよ、真唯」

 

振り向くと、真唯はまだ少し寝起きの顔をしていた。

髪がほんの少し乱れている。

でも、それでもやっぱり整っている。

モデルという職業は不思議なもので、

寝起きですら普通の人より絵になってしまう。

 

「いい匂いがする」

 

真唯はキッチンの方を見た。

魚の焼ける匂いと、味噌汁の香りが混ざっている。

 

「朝ご飯できてるよ」

「早いな」

 

真唯はゆっくりテーブルに近づいた。

椅子を引いて座る。

背筋が伸びていて、姿勢がとても綺麗だ。

なんというか、普通に座っているだけなのに

雑誌の撮影みたいな雰囲気になる。

 

「いただきます」

 

静かに箸を取る。

まずムニエルを一口。

少し咀嚼してから、短く言った。

 

「……今日も美味しい」

 

真唯は基本的に言葉が少ない。

でも、この一言が出るときは大体成功だ。

わたしはほっとして笑った。

 

「よかった」

 

その間に、次の仕事。

洗濯である。

朝の家事は、流れが大事だ。

料理を出して、食べている間に洗濯。

時間を無駄にしない。

わたしは洗濯カゴを持ってきた。

中には二人の服が入っている。

 

真唯のシャツ。

紫陽花さんのブラウス。

 

わたしは一枚ずつ手に取った。

その時。

ふと手が止まる。

 

……なんとなく。

 

真唯のシャツを持ち上げて、少しだけ匂いを嗅いでみる。

洗剤の匂い。

それに、ほんの少し残っている香水の香り。

 

それと――

 

真唯らしい、落ち着いた匂い。

 

「……えへへ」

 

思わず笑ってしまう。

なんだか、それだけで幸せな気分になる。

 

次に、紫陽花さんのブラウス。

 

こっちはまた全然違う匂いだった。

柔らかい柔軟剤の香りに、ほんのり甘い匂い。

紫陽花さんの雰囲気そのままの、優しい匂い。

わたしは軽く深呼吸してしまった。

朝からなんだか、すごく満たされた気分になる。

 

……って。

 

何やってるんだろうわたし。

 

人妻になってから、こういう変な癖がついた気がする。

慌ててわたしは二人の服を洗濯機に入れた。

 

その時だった。

 

「……何をしているんだい?れな子」

 

後ろから声がした。

わたしは一瞬固まる。

振り向くと、真唯がこちらを見ていた。

 

「な、なにもしてない!」

 

慌てて洗濯機のフタを閉める。

真唯は少し目を細めニヤニヤしてた。

どう考えてもバレている。

 

「ふふ……そうか」

 

でも、それ以上は何も言わなかった。

 

わたしは気まずさをごまかすように、洗濯機のスイッチを押した。

ウィーンという音が静かに回り始める。

 

その時だった。

寝室の方から、もぞもぞという音がした。

わたしはすぐにわかった。

紫陽花さんだ。

わたしは寝室へ向かった。

ベッドを見る。

布団の塊が一つ。

完全に丸くなっている。

 

「紫陽花さーん」

 

声をかける。

反応なし。

もう一回。

 

「紫陽花さーん、朝だよー」

 

もぞ。

布団が動く。

そして、少しだけ顔が出た。

寝ぼけた目。

 

「……れな子おねえちゃ~ん……」

 

甘えた声。

来た。

このパターンだ。

 

「……もうちょっと一緒に寝よ~……」

 

腕が伸びてくる。

布団の中に引き込もうとしている。

危ない。

これは危ない。

 

正直――

めちゃくちゃ嬉しい。

でも。

わたしは理性で踏みとどまった。

 

「だめだよ紫陽花さん、朝だよ!」

「う~……」

 

布団の中でごろごろしている。

完全に起きる気がない。

でも、この人も仕事がある。

わたしは布団を少しめくった。

 

「朝ご飯できてるよ」

 

その一言で。

紫陽花さんの目が少し開いた。

 

「……れなちゃんのお味噌汁?」

「うん」

「……起きる」

 

単純である。

数分後。

紫陽花さんは、まだ少し眠そうな顔でリビングに来た。

真唯は食事を終えると、静かに立ち上がった。

 

モデルの仕事はとにかく忙しい。

撮影場所も日によって違うし、移動時間も長い。

朝の準備は自然と早くなる。

 

真唯はコートを羽織り、バッグを肩にかけた。

その動作も、なんというか無駄がない。

普通に身支度をしているだけなのに、

雑誌の撮影のワンシーンみたいに見えるのは、

やっぱり職業病みたいなものなのかもしれない。

 

わたしは慣れた足取りで玄関までついていった。

この家の玄関も広い。

海外の家らしく、日本のような「段差」はなく、

そのまま外へ出られる作りになっている。

 

真唯はドアの前で靴を履く。

背が高いから、少しかがむ姿勢になる。

長い髪が肩から流れて、さらっと揺れる。

 

わたしはその横に立って、なんとなくその様子を見ていた。

慌ただしい朝の中で、ほんの数十秒だけ、二人きりになる時間。

 

真唯は靴を履き終えると、立ち上がった。

そしてわたしを見る。

 

「れな子」

 

名前を呼ばれる。

わたしは少しだけ背筋を伸ばした。

真唯は一歩近づいた。

距離がぐっと近くなる。

この瞬間、毎回ちょっとだけ緊張する。

結婚してから何度もしているのに、なぜか慣れない。

 

真唯はわたしの肩に軽く手を置いた。

指先が、エプロンの肩紐のあたりに触れる。

そして少し顔を近づけてくる。

わたしは思わず目を閉じた。

 

ちゅ。

 

ほんの一瞬。

軽いキス。

唇が触れる時間は短い。

でも、その感触ははっきり残る。

バターの匂いがまだ少し残っているキッチンの空気と、

真唯の香水の香りが混ざる。

朝のキスは「今日も一日が始まる」って感じがする。

真唯はゆっくり離れた。

その表情はいつも通り落ち着いている。

でも、ほんの少しだけ優しい。

 

「では、行ってくるよ」

 

短い言葉。

わたしは小さく頷いた。

 

「うん。いってらっしゃい」

 

……その時だった。

なんとなく視線を感じた。

横を見る。

リビングの入口。

 

そこに、紫陽花さんが立っていた。

じーっとこちらを見ている。

 

「……見てた?」

 

わたしが聞くと、紫陽花さんは、にこっと笑った。

 

「見てました」

 

顔がちょっと熱くなる。

恥ずかしい。

真唯はまったく動じていなかった。

むしろ落ち着いた声で言う。

 

「それじゃ行ってくるね」

 

そしてドアを開ける。

外の朝の空気が少し流れ込んだ。

真唯は振り返って微笑み、軽く手を振りながら外へ出ていく。

 

ドアが静かに閉まる。

玄関に残るのは、わたしと紫陽花さん。

そして、少しだけ残った真唯の香りだった。

 

わたしたちはキッチンへ戻る。

今度は紫陽花さんとわたしの朝ご飯だ。

二人分の味噌汁をよそって、テーブルに座る。

 

テレビをつける。

朝のニュース。

紫陽花さんはまだ少し眠そうだ。

でも、味噌汁を一口飲むと、ふっと表情が緩んだ。

 

「……おいしい」

 

それを聞くと、なんだか嬉しくなる。

わたしも味噌汁を飲む。

ほっとする味。

しばらくテレビを見ながら雑談する。

窓の外の光も、さっきよりずっと明るくなっている。

 

紫陽花さんは、まだ少しだけ眠そうな顔をしていたけれど、

それでもさっきよりはだいぶ目が覚めているみたいだった。

味噌汁を飲んでいるときの紫陽花さんは、なんだか安心した顔をする。

その表情を見ると、わたしはちょっと嬉しくなる。

やっぱり朝ご飯って大事だなあ、と改めて思う。

紫陽花さんは湯のみを置くと、小さく息をついた。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

 

わたしも食器を片付ける。

三人暮らしになってから、こういう動きは自然と分担されるようになった。

紫陽花さんはゆっくり立ち上がり、カバンを持った。

裁縫のパートとはいえ、仕事は仕事だ。

出かける時間はきちんと決まっている。

 

わたしは玄関まで一緒についていく。

さっき真唯を見送ったばかりだけれど、今度は紫陽花さんの番だ。

 

紫陽花さんは、靴を履き始めた。

この人は動きがゆっくりしている。

真唯みたいにテキパキというより、

ひとつひとつの動作が丁寧で、少しのんびりしている。

 

わたしはその様子を横で見ていた。

わたしは、やっぱりこういう時間が好きだと今日何度目かの自覚をする。

 

朝ご飯を食べて、玄関まで見送る。

ただそれだけなのに、家族って感じがする。

 

紫陽花さんは靴を履き終えて立ち上がった。

背はわたしとあまり変わらない。

だから、視線の高さもほとんど同じだ。

 

紫陽花さんは、わたしの顔を見て少しだけ笑った。

 

「れなちゃん」

「ん?」

「私には、ないのかな?」

 

一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。

 

「え?」

「キス、です」

 

わたしは少しだけ息を整えた。

 

「……もちろん、あるよ」

 

そう言うと、紫陽花さんは少し嬉しそうに目を細めた。

 

わたしは一歩近づく。

距離が近くなる。

朝の静かな玄関。

家の中には、まだ味噌汁の匂いがほんのり残っている。

紫陽花さんの髪からは、柔らかいシャンプーの匂いがする。

わたしは目を閉じた。

紫陽花さんも、目を閉じて顔を近づけてくる。

 

そして――

 

ちゅ。

 

軽いキス。

 

真唯のときと同じ、ほんの一瞬のキス。

でも紫陽花さんは、少しだけ名残惜しそうに離れた。

 

「……えへへ」

 

小さく笑う。

なんだか満足そうだ。

わたしは少し照れてしまう。

 

「それじゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 

紫陽花さんはドアを開けて一歩外へ出た。

そして少し振り返る。

 

「れなちゃん」

「ん?」

「今日も帰ったら一緒にご飯食べようね」

 

その言い方が、なんだか嬉しかった。

わたしは笑って頷く。

 

「うん、もちろん」

 

紫陽花さんは満足そうに微笑んだ。

そして、そのまま歩いていく。

 

ドアを閉めると、家の中は静かになった。

ついさっきまで三人いたのに。

 

今はわたし一人。

 

広い家が、少しだけ静かに感じる。

わたしは軽く伸びをした。

 

さて。

人妻れな子の一日は、これから始まるのである。

 

今日もきっと、いつも通りの幸せな一日だ。

 




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