お昼休みって、どうしてこう「ちょうどいい騒がしさ」を維持できるんだろう。
うるさすぎると落ち着かないし、静かすぎると逆に居心地が悪い。
だけど昼休みの教室は、お弁当の箸の音と、椅子を引く音と、
あちこちの笑い声が混ざって、ひとつの音の毛布みたいになる。
わたしたち五人がいつもの窓際の席に陣取るのも、
そういう毛布に包まれたいから……って言うと、
なんか詩人っぽいけど、要するに「落ち着くから」だ。
「れなちゃん、今日はサラダ多いね」
紫陽花さんがわたしのお弁当を見て、ふわっと笑う。
笑うだけで場の空気が柔らかくなるの、ほんとマジ天使。
「え、だって昨日夜にコンビニで暴れたし……」
「暴れたって何……?」
「唐揚げ棒とポテチとアイスで、胃袋に三段攻撃した」
香穂ちゃんが「うわ、分かる」と頷き、
真唯が「自制心……」みたいな顔をする。
その横で、紗月さんだけは、相変わらず姿勢がいい。
背筋がスッと伸びていて、箸の持ち方も綺麗で、食べ方に一切の無駄がない。
「私は揚げ物に逃げないわ」
「言い方ァ!」
わたしがツッコむと、紗月さんは「事実を述べただけよ」と涼しい顔で、
最後の一口を口に運ぶ。あ、食べ終わった。さすが早い。
しかも、きちんと丁寧に片付けてる。こういうところが琴紗月って感じだ。
食べ終わった紗月さんが、バッグの中を探って、何かを取り出した。
それは――銀色と派手な色が混ざった、見るからに「でかい」チョコ。
「出た」
「出たね」
「出ました~!サーちゃんの十八番!」
わたしと紫陽花さんと香穂ちゃんの声が、妙に揃った。
「……なに、その反応」
紗月さんが、軽く眉を寄せる。
だけど手は止めない。包装を器用に破り、現れたのは、
板チョコというより建材に近いサイズ感のチョコだった。
「スーパーBIGチョコ」
「それ、美味しいよねぇ……」
「食べ応えが正義」
香穂ちゃんが頬杖をつきながら、うっとり言う。
紫陽花さんも「懐かしい、私も子供の頃よく食べてた」と微笑む。
真唯も「小さい頃から紗月はそれが好きだったね」と懐かしんでいる。
わたしも分かる。あれは、ただのチョコじゃない。
噛むと、人生の疲れがちょっとだけ減るやつだ。
紗月さんがチョコを一口かじる。パキッ、という小気味いい音がした。
その瞬間、真唯が「久しぶりに食べたくなった」と言って身を乗り出した。
「……一口もらってもいいかな?」
「嫌よ」
間髪入れず拒否。
真唯は一瞬きょとんとして、すぐに「そっか」と素直に引き下が――
らなかった。
「じゃあ、交換条件を提示する」
「昼食で交渉始めるのやめて」
わたしが止めるより早く、真唯は自分のバッグから細長い箱を取り出した。
赤い、あの、誰もが知ってるやつ。
「ポッキー」
それを机の上に、スッと置く。
紗月さんの視線が、チョコからポッキーへ移った。
ほんの一瞬だけ。ほんの一瞬だけど、わたしは見逃さない。
琴紗月は、甘いものに関しては完全に理性の人ではない。
「……だから?」
「一口、交換で。ポッキーは一箱、紗月にあげる」
「……」
紗月さんが沈黙する。
紫陽花さんが「真唯ちゃん、交渉上手」と小声で笑い、
香穂ちゃんは「うわ、これは強い」とニヤける。
わたしはというと、嫌な予感で喉がキュッとなった。
こういう交換条件が成立する時、だいたいろくな展開にならない。
「……仕方ないわね。一口だけよ」
紗月さんが、しぶしぶと言いながら、スーパーBIGチョコを真唯の方に傾けた。
真唯は「ありがとう」と言って、丁寧に受け取る。
そして――
「どうせなら、あーんをしてくれないか?」
真唯が、澄ました顔で言った。
「は?」
「え?」
「ほう?」
「えぇ……?」
わたしたちの声が、また揃った。
「真唯、何言って――」
「一口だけと言われた。ならば最も効率的に一口を得る方法を――」
「効率であーんを正当化しないで!」
わたしが叫ぶ。香穂が腹を抱えて笑い、
紫陽花さんは頬に手を当てて「ふふ」と上品に笑う。
紗月さんは、呆れたようにため息をついた。
肩がほんの少し落ちる。
あ、これは――怒ってるというより面倒くさいの方だ。
「……勝手にしなさい」
紗月さんは、スーパーBIGチョコを真唯に差し出した。
もはや投げやりに近い。真唯が「では遠慮なく」と頷く。
そして真唯は、チョコを口元へ。
――その時。
パキィン。
乾いた音が、教室のざわめきの中でも妙に目立った。
真唯がチョコに歯を立てた瞬間、
スーパーBIGチョコの先端ではなく、かなり根元寄りが折れたのだ。
折れたというより、持っている部分を残して、
食べる部分が大量に分離したと言った方が正しい。
目測、七割。
七割が、真唯の手の中。
残り三割が、紗月さんの手元に……あるはずだったのに、
折れた勢いで微妙に角度が変わり、紗月さんの指先が空を掴んだ。
時間が止まった。
教室の音はある。周りは動いてる。
だけど、わたしたち五人のテーブルだけ、
透明な氷で固められたみたいに静止した。
「…………」
紗月さんの目が、真唯の手の中の七割を見ている。
真唯の目も、七割を見ている。
紫陽花さんと香穂ちゃんとわたしは、七割を見ている。
七割、強い。
わたしの脳内で、やけに冷静な実況が走る。
――これは事故だ。事故だけど、事故の被害総額がでかい。
――返すのも違う。けど、食べるのも違う。
――でも、真唯は今、七割を持っている。
真唯は、一瞬だけ固まった後、ゆっくり息を吐いた。
そして、なぜか、ものすごく美味しそうに七割を食べ始めた。
こういう時ほど変に落ち着くんだよね!?
いや、落ち着くというか、
「一度起きたことは起きたこととして処理する」タイプの落ち着き。
すごい。でも今は違う。今は、その冷静さが罪。
パキ、パキ、と七割が減っていく。
紗月さんの顔色が、みるみる変わる。
口元が引きつり、目が揺れ、肩が微妙に震え――
いや、これは震えてるというより、感情が身体の内側で暴れている。
「……っ」
声にならない声。
絶望って、こういう表情なんだ……。
香穂ちゃんが小声で「これは……事件だね」と言い、
紫陽花さんは「紗月ちゃん……」と心配そうに眉を下げた。
わたしは「真唯!その食べ方、追い討ち!」と言いたかったけど、
言ったら言ったで火に油を注ぐ気がして言えなかった。
やがて真唯は、七割を完食した。
完食した後、きちんと手についたチョコをハンカチで拭き、
何事もなかったように頷いた。
「美味しかった」
「……そう」
紗月さんの声が、地底から出てきたみたいに低い。
真唯は、次にポッキーの箱を持ち上げると、紗月さんの方へ差し出した。
「約束通り、ポッキーだ。受け取ってほしい」
「……」
紗月さんは、受け取る。
受け取るけど、表情が……勝った者の顔ではない。奪われた者の顔だ。
この空気、まずい。
わたしは慌てて、話題転換を試みる。
「え、えっとさ、真唯、今のは……その……」
「事故だ。私は悪意はない」
「悪意がないのが逆に怖い!」
香穂ちゃんがニヤニヤしながら身を乗り出す。
「ねえねえ、せっかくだしさ。ポッキーゲーム、やってみたらどうかにゃあ?」
わたしは凍りついた。
「待って香穂ちゃん!余計なことを!」
「余計じゃないでしょ、今この空気、甘いイベントで中和しないと」
「中和の方向性が危険!」
でも、真唯は――
「面白そうだね」
乗った。
秒で乗った。
真唯がそう言った瞬間、空気が変わった。
さっきまで「事故現場」だったのが、
「なんか変な祭りの前」みたいなざわつきになった。
紗月さんが、キッと香穂を見る。
「……香穂。あとで覚えておきなさい」
「え、怖!でもやるんだ?」
「……やるわよ」
紗月さんの目が、真唯に向く。
そこにあるのは、明確な闘志だった。
「勝って、泣き顔を見せてもらう」
「泣き顔……?」
「七割食べた罰よ」
「合理的な罰ではないが、きみが望むなら受けよう」
合理的な罰って何!?
紫陽花さんが「ふふ……」と笑ってる。
笑ってるけど、目がちょっとキラキラしてる。
見たいんだ。みんな見たいんだ、この二人の謎勝負。
わたしの心の中の警報が、ビービー鳴る。
やめとけ!やめとけ!
でも、止められない。止めたら止めたで、こっちが悪者になる。
教室の片隅で始まるポッキー裁判を、わたしはただ見守るしかなかった。
二人は一本のポッキーを両端からくわえた。
最初は、笑いが勝っていた。
香穂ちゃんが「サーちゃん、マイマイいけいけー!」と囃し、
紫陽花さんが「ほどほどにね」と柔らかく抑え、
わたしも「ほどほどにして!」と必死に訴える。
真唯が一口。
紗月さんが一口。
ポリ、ポリ、と軽い音。
でも、二口目あたりから、雰囲気が変わった。
紗月さんの目が、真剣になる。
真唯の目も、変に真っ直ぐになる。
――あ、これ、勝負だ。
本気の勝負だ。
紗月さんは、絶対に引かない。プライドの人だから。
真唯も、変なところで負けず嫌いだ。
しかも理屈で勝つタイプだから、ここで引くという選択肢がそもそもない。
ポッキーが、短くなる。
わたしの胃が、キュッとなる。
紫陽花さんが、口元を押さえる。
香穂ちゃんも「やば、これ……」と声を落とす。
ポッキーの残りが、目に見えて少なくなる。
二人の距離が、近づく。
唇の形が、分かるくらい近い。
「ストップ!ストップ!もう勝ち負け決め――」
「黙って見ていなさい、甘織」
「紗月さんが怖い!」
わたしが止める間もなく、二人はさらに一口、同時に進める。
――そして。
ちゅっ。
ポッキーが折れる音ではない。
接触の音。
唇と唇が、触れた。
一瞬。
ほんの一瞬。
でも、その一瞬で、世界が爆発したみたいにわたしの頭が真っ白になった。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
わたしと紫陽花さんと香穂ちゃんの「えっ」が、三重奏になった。
……いや、正確には、わたしの「えっ」は悲鳴に近い。
紗月さんが、目を見開いて固まる。
真唯も、さすがに固まる。
二人とも、頬が一気に赤くなった。
赤くなるの、遅いよ!
いや、遅いというか、今まで勝負に集中しすぎて
そういう状況を脳が認識してなかったんだ。
今、遅れて一気に現実が押し寄せてきた。
紗月さんは、口元を手で押さえたまま、視線を泳がせる。
真唯は、珍しく眉が上がって、目が揺れている。
「……想定外だった」
「……当然よ」
「君が引かないからだ」
「あなたも引かなかったでしょう」
二人の会話が、妙に冷静で、逆に破壊力がある。
紫陽花さんは、頬を赤らめつつ「ふふ……」と笑ってしまっているし、
香穂ちゃんは「最高の昼休み」と小声で言ってる。
わたしはというと、両手で顔を覆いたかった。
覆いたかったけど、覆ったら覆ったで見逃す気がして、
指の隙間から見てしまう自分が最悪だ。
「ね、ねえ……大丈夫?二人とも……」
わたしがようやく絞り出すと、紗月さんは咳払いを一つした。
「……問題ないわ。これは、事故よ」
「先ほどのチョコと同じか?」
「同じにしないで」
紗月さんの声が、少しだけ震えてる。
真唯も、珍しく言葉を探している感じがした。
「……しかし、君の反応を見ると、感情的には事故では済まないらしい」
「うるさい」
紗月さんが睨む。
睨むけど、赤い。
真唯は、ポッキーの箱を持ったまま、少しだけ口元を緩めた。
「……面白い」
「面白がらないで」
「面白い、というのは……興味深い、という意味だ。
君が、そんな顔をするのは珍しい」
紗月さんが、言葉を失う。
香穂ちゃんが「うわー」と嬉しそうに机を叩き、
紫陽花さんは「二人とも、仲がいいね」と優しくまとめようとして、
全然まとまってない。
わたしは、心の中で叫んだ。
昼休みって、こんなに濃いイベント起きる!?
高校の昼って、こんなにジェットコースター!?
紗月さんは、最後にもう一度咳払いをして席を立って、足早に去る。
その背中はいつも通り綺麗だけど、耳が赤いのがバレバレだった。
残されたわたしたちは、なんとも言えない沈黙に包まれた。
香穂ちゃんが、勝ち誇ったように言う。
「いやー、ポッキーゲーム提案して正解だったね~」
「正解じゃない!」
「ふふ、大正解」
「紫陽花さんまで!?」
紫陽花さんは、困ったように笑いながらも、否定しなかった。
否定しないんだ……。
真唯は、紗月さんが去った方向を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……紗月は、甘いものに関しては隙がある」
「隙っていうか、さっきのは真唯が作った隙だよ!」
「しかし、嫌ではなかったようだ」
「どこをどう見たらそうなるの!?」
真唯はわたしを見て、真面目な顔で言う。
「れな子、今の観察結果をまとめる」
「やめて、まとめないで」
「紗月は、怒っているが、怒りの成分が恥ずかしさに置換されている」
「分析しないで!本人の尊厳!」
「そして私は――」
「そしてあなたは何」
「次は折らないようにする」
そこ!?
そこに着地するの!?
香穂ちゃんが爆笑し、紫陽花さんもつられて笑い、わたしは頭を抱えた。
でも、頭を抱えながらも、思ってしまう。
――なんだかんだで、五人で昼を食べるの、好きだなって。
騒がしくて、めちゃくちゃで、たまに事件が起きて、
誰かが赤くなって、誰かが笑って。
その全部が、教室の音の毛布の中に溶けていく。
そしてわたしは確信した。
次の昼休みも、絶対に何かが起きる。
紫陽花さんと香穂ちゃんがいる限り。
真唯が乗る限り。
そして――紗月さんが、甘いものに弱い限り。
……お願いだから、次は七割事件みたいな破壊力は控えめで!
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