クインテットの日常   作:戦竜

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悪役令嬢れな子

休日の朝は、どうしてこうも落ち着かないんだろう。

 

目覚ましは鳴っていないのに、いつもより早く目が覚めてしまった。

布団の中で一度だけ寝返りを打って、天井を見つめる。

 

今日は――

香穂ちゃんの家で、コスプレをする日。

 

久しぶりだからめちゃくちゃ楽しみで、胸の奥がふわふわして、

でも、楽しみな理由はそれだけじゃなかった。

 

最初は、わたしだけの予定だった。

 

香穂ちゃんが「れなちんに似合いそうなのがあるんだよ~!」と

やたら自信満々だったから、

深く考えずに「いいよ」と答えただけ。

 

それで。

 

「ねえ、アーちゃんも一緒にやろ?」

 

その一言で、全部が変わった。

1000億倍世界が色鮮やかになった。

 

香穂ちゃんは本気だった。

文字通り、手を合わせて、身を乗り出して。

 

「二人並んだら絶対かわいいもん!お願い!一生のお願い!」

「一生のお願い、もう何回目~?」

 

紫陽花さんはそう言いながらも、困ったように微笑っていた。

 

「……れなちゃんがいいなら」

 

その一言で、わたしの中のブレーキは完全に外れた。

 

「い、いいよ……!一緒にやろ……!」

 

勢いでそう答えてた。

心臓はその瞬間からずっと忙しかった!

 

 

香穂ちゃんの家に着くと、いつもの明るいリビングを通り抜けて、奥の部屋へ。

 

「こっちこっち!」

 

扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 

「……わ」

 

思わず声が漏れる。

 

そこは、香穂ちゃんの衣装部屋だった。

 

壁一面のハンガーラック。

ぎっしり詰まった服。

フリル、レース、制服、コスチューム。

 

見た目だけなら、完全にプロの領域。

 

「……前より増えてない?」

「当然!お金は全てこれに費やしてるからねっ!」

 

香穂ちゃんは当然のように言う。

さすがは超絶人気コスプレイヤーなぎぽ!

 

紫陽花さんは目を輝かせて、ゆっくり部屋を見渡していた。

 

「すごい……一着一着、ちゃんと大事にされてる感じ」

「でしょ?全部、好きで集めたやつだから」

 

その会話を聞きながら、わたしは改めて安心した。

 

――ここは、ただの変身ごっこじゃない。

ちゃんと、好きなものを大事にする場所なんだ。

 

「じゃあ、れなちんからね!」

 

香穂ちゃんが差し出したのは、ずしりと重みのあるドレス。

 

「……重っ」

「豪奢だから!」

 

黒を基調にした深い色。

胸元と裾にたっぷりの装飾。

 

「これはね、悪役令嬢用」

「……あ、悪役……」

 

その言葉を聞いた瞬間、なぜか、少しだけ胸がざわついた。

 

わたし、誰かを見下したり、強く当たったりするのは苦手なんだけど……。

 

「大丈夫だって。真唯ほどじゃないけど、れなちんもお嬢様感あるし!」

「……ほんと?」

「ほんとほんと!」

 

逃げ場は、なかった。

 

一方で、紫陽花さんと香穂ちゃんはメイド服。

 

「アーちゃんは、この前れなちんが着たやつね。サイズ合うと思う」

 

紫陽花さんは少しだけ目を丸くして、でもすぐ、柔らかく笑った。

 

「……れなちゃんが着てたなら、安心かな」

 

その言い方が、もう反則だった!

 

そして着替え終えて、鏡の前。

 

見慣れない自分が、そこにいた。

 

姿勢が自然と伸びる。

視線も、少し強くなる。

 

「……わたし、こんな顔できるんだ」

 

ぽつりと呟くと、後ろから紫陽花さんの声。

 

「れなちゃん……すごく、綺麗」

 

振り返る。

 

メイド服の紫陽花さん。

 

布のラインに沿って、いつもより大人っぽく見える。

あまりの天使さに胸がもうドキドキ!ドキがムネムネ!

 

「……紫陽花さんも、すごく似合ってる!」

 

香穂ちゃんはすでにカメラを構えていた。

 

「よし!撮るよー!」

 

最初は、普通の写真。

 

並んで立って。

微笑んで。

 

でも香穂ちゃんは満足しない。

 

「れなちん、もっと悪役っぽく!」

「えぇ……?」

「アーちゃんをいじめる感じで!」

 

いじめる……。

 

その言葉に、一瞬だけ躊躇した。

過去のトラウマが一瞬だけフラッシュバックしたから。

 

紫陽花さんを見ると、彼女は少しだけ目を見開いて、でもすぐ笑った。

 

「大丈夫だよ、れなちゃん。役だから」

「……う、うん」

 

深呼吸して、スイッチを入れる。

 

「……ふふ。あなた、その程度の仕事しかできないの?」

 

声が、少しだけ低くなる。

自分でも驚くくらい、ちゃんとそれっぽい。

 

「いい!最高っ!」

 

シャッター音が止まらない。

わたしの演技に対して紫陽花さんは、ちゃんと困った顔をしてくれる。

 

「おぉ!紫陽花さん上手!」

「そんなに褒めても、笑顔しか出ないよ~♡」

「ありがたや!ありがたや!」

 

わたしも思わず拝んでしまって、香穂ちゃんが爆笑する。

 

「れなちん、なりきれなさすぎ!」

 

胸の奥が、ちくっとした。

 

「(でも、紫陽花さんに、こんなこと言うの……)」

 

役だと分かっていても、罪悪感が消えない。

 

撮影は、終わったと思ったところからが本番だった。

 

「はい、次は――悪役令嬢がお気に入りのメイドを呼びつけるシーン!」

「……呼びつける?」

 

嫌な予感しかしない。

 

香穂ちゃんは楽しそうに小道具の椅子を持ってきて、部屋の中央に置いた。

 

「れなちん、そこ座って。アーちゃんは立ち位置ここね」

 

言われるがまま、わたしは椅子に腰を下ろす。

ドレスのスカートが広がり、自然と姿勢が正される。

 

……これ、思ったより役に引っ張られる!

 

視線の位置が変わるだけで、世界の見え方が変わる。

 

紫陽花さんは、わたしの少し前に立った。

メイド服のエプロンを指先で軽く押さえて、控えめに背筋を伸ばしている。

 

近い!

 

紫陽花さんのご尊顔が、近すぎる……!

 

「じゃ、れなちん。見下ろす感じで、ひとこと」

「ひ、ひとこと……」

 

喉が鳴る。

 

でも、ここで逃げたら、香穂ちゃんは絶対許してくれない。

 

わたしは意を決して、少しだけ顎を上げた。

 

「……遅いわね。あなた、わたしを待たせるつもり?」

 

声が、思ったより落ち着いていた。

 

自分で驚く。

 

紫陽花さんが、目を瞬かせる。

 

「……申し訳、ありません」

 

それは台詞だった。

分かっているのに。

 

その声音が、胸の奥を、きゅっと掴んだ。

 

「いいよいいよ!最高!」

 

香穂ちゃんのシャッター音が響く。

 

わたしは次の言葉を探す。

 

「(……ここで、もっと意地悪を言うんだよね)」

 

頭では分かっている。

でも、言葉が出てこない。

 

代わりに、紫陽花さんの表情ばかり見てしまう。

 

伏せられた目。

少しだけ上がった口角。

 

……楽しそう。

 

「れなちゃん?」

 

小さく呼ばれて、はっとする。

 

「……っ」

 

ここだ。

 

役に、戻らないと。

 

「……ふふ。その顔、嫌いじゃないわ」

 

言ってしまってから、心臓が跳ねた。

 

「(あ、今の……)」

 

悪役令嬢というより、ただの褒め言葉だ。

 

香穂ちゃんは笑い転げている。

 

「だめだめ!れなちん、優しさ滲みすぎ!」

「む、ムリだよ……!」

 

わたしは思わず顔を覆った。

 

「紫陽花さんにそんなこと、言えない……!」

「役!役だから!」

「役でもムリなものはムリ……!」

 

そう言いながらも、どこか楽しくて。

 

次のシーンでは、少しだけ攻めてみた。

 

紫陽花さんの顎に、そっと指先を添えるふり。

 

触れていないのに、距離が近すぎて、息がかかる。

 

「……顔、上げなさい」

 

声が、震えないように。

 

紫陽花さんが、ゆっくり顔を上げる。

 

視線が合った瞬間、世界が、止まった。

 

――だめだ。

 

これは、いじめじゃない。

 

ただ、近いだけだ。

 

わたしはすぐに指を引っ込めた。

 

「……カット!れなちん、照れすぎ!」

 

香穂ちゃんは大満足そうだったけど、わたしはもう限界!

 

胸が、いっぱいで。

 

悪役令嬢は、やっぱり、わたしには難しすぎる。

というか、向いてないのは最初から分かってた。

 

 

キッチンに移動した時、わたしはほっと息をついた。

正直、慣れないことをしたせいでどっと疲れたけど。

 

ドレスのままなのに、この空間は不思議と落ち着く。

 

「もう今日はムリ~……」

「え~?もうちょっと悪役令嬢いけたよー?」

 

香穂ちゃんは名残惜しそうだけど、わたしの心臓はすでに限界だった。

 

「ムリムリ……紫陽花さん相手にいじめ続行は精神がもたない……」

「れなちゃん、顔赤いよ?」

「赤くなるに決まってるよ~……!」

 

そんなやり取りをしながらキッチンへ移動。

 

香穂ちゃんがフライパンを構えた瞬間、空気が一気に家庭に戻った。

 

「はいはーい!今日のメニューは~?」

「オムライス!」

「いえーい!」

 

テンションが、完全に部活後のノリ!

 

卵を焼く音。

ケチャップの匂い。

 

さっきまでの悪役令嬢ドレスが、完全に浮いている。

 

「れなちん、まだドレスのままで大丈夫?」

「もうここまで来たら着替えるタイミング逃した……」

 

そして、問題の提案が飛び出した。

 

「じゃあさ」

 

香穂ちゃんが、にやっと笑う。

 

「アーちゃん、やってあげて」

「……やるって?」

「おいしくな~れ萌え萌えキュン」

 

一瞬の沈黙。

 

「……え?」

「メイド服だよ?今やらなくていつやるの?」

「そ、そういうものなの……?」

 

紫陽花さんは真剣に悩んでいる。

真面目に悩んでいるのが一番危険だと、わたしは知っている。

 

「ちょ、ちょっと待って香穂ちゃん!それは心の準備が――」

「はい、オムライス完成!」

 

待ってくれなかった!

 

テーブルに置かれたオムライス。

完璧な見た目。

なのに、前振りが不穏すぎる。

 

「アーちゃん、どうぞ」

 

スプーンを渡される紫陽花さん。

 

「……じゃあ……」

 

すぅ、と息を吸う。

 

「おいしくな~れ……」

 

わたしは身構えた。

 

「萌え萌え……」

 

香穂ちゃんが前のめりになる。

 

「きゅうんっ♡」

「うおおおおおおおお!!」

 

香穂ちゃん、ガッツポーズ。

わたしも、渾身のガッツポーズ!

 

「成功!成功だよこれは!!」

「紫陽花さんが本気でやると破壊力高すぎる……!」

 

香穂ちゃんが爆笑する。

 

「れなちん、感動して泣いてない?」

「泣いてない!けど危なかった!」

 

さらに追撃。

 

「じゃあ次は――」

「まだ何かあるの!?」

「あーん、でしょ」

「でしょ、じゃない!」

 

逃げようとしたわたしの左右に、スプーンを持った二人が並ぶ。

 

「え、ちょ……なにこの包囲網……」

「どっちからいく?」

「同時、かな?」

「同時!?」

 

なんでそうなるの!?

 

「……あ、あーん……」

 

口を開けた瞬間、左右からスプーンが侵入。

 

「もぐっ……!」

 

情報量が多い!

 

味覚より先に、精神が追いつかない。

 

「ど、どう?」

「……おいしい……」

 

それは本心だった。

 

でもその次。

 

「じゃあもう一口!」

「まだ来るの!?」

「おかわり!」

「待って!設定!設定思い出して!」

 

わたしは慌ててドレスの裾を掴み、咳払いをする。

 

「……こ、こほん」

 

二人がぴたりと止まる。

 

わたしは、悪役令嬢。

 

最後まで、いじめ抜く設定。

 

「……あなたたち。このわたしに、そんな態度を取っていいと思って?」

 

キメ顔。

 

……のつもりだった。

 

香穂ちゃんは一拍置いて、にやり。

 

「はいはい。じゃあお嬢様、次はどっちにあーんさせます?」

 

「……え?」

 

紫陽花さんも首を傾げる。

 

「命令、してくれないの?」

「……」

 

完全に、詰んだ。

 

「……じゃ、じゃあ……」

 

わたしは観念して言った。

 

「……二人とも、わたしに食べさせなさい……」

「了解でーす!」

「かしこまりました、お嬢様♡」

 

結局。

 

最後まで、いじめる側にはなれなかった。

 

でも。

 

笑って、ツッコんで、お腹いっぱいになって。

 

最高に楽しい休日だったことだけは、

悪役令嬢になれなかったわたしでも、胸を張って言える。




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