休日の朝は、どうしてこうも落ち着かないんだろう。
目覚ましは鳴っていないのに、いつもより早く目が覚めてしまった。
布団の中で一度だけ寝返りを打って、天井を見つめる。
今日は――
香穂ちゃんの家で、コスプレをする日。
久しぶりだからめちゃくちゃ楽しみで、胸の奥がふわふわして、
でも、楽しみな理由はそれだけじゃなかった。
最初は、わたしだけの予定だった。
香穂ちゃんが「れなちんに似合いそうなのがあるんだよ~!」と
やたら自信満々だったから、
深く考えずに「いいよ」と答えただけ。
それで。
「ねえ、アーちゃんも一緒にやろ?」
その一言で、全部が変わった。
1000億倍世界が色鮮やかになった。
香穂ちゃんは本気だった。
文字通り、手を合わせて、身を乗り出して。
「二人並んだら絶対かわいいもん!お願い!一生のお願い!」
「一生のお願い、もう何回目~?」
紫陽花さんはそう言いながらも、困ったように微笑っていた。
「……れなちゃんがいいなら」
その一言で、わたしの中のブレーキは完全に外れた。
「い、いいよ……!一緒にやろ……!」
勢いでそう答えてた。
心臓はその瞬間からずっと忙しかった!
◯
香穂ちゃんの家に着くと、いつもの明るいリビングを通り抜けて、奥の部屋へ。
「こっちこっち!」
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
「……わ」
思わず声が漏れる。
そこは、香穂ちゃんの衣装部屋だった。
壁一面のハンガーラック。
ぎっしり詰まった服。
フリル、レース、制服、コスチューム。
見た目だけなら、完全にプロの領域。
「……前より増えてない?」
「当然!お金は全てこれに費やしてるからねっ!」
香穂ちゃんは当然のように言う。
さすがは超絶人気コスプレイヤーなぎぽ!
紫陽花さんは目を輝かせて、ゆっくり部屋を見渡していた。
「すごい……一着一着、ちゃんと大事にされてる感じ」
「でしょ?全部、好きで集めたやつだから」
その会話を聞きながら、わたしは改めて安心した。
――ここは、ただの変身ごっこじゃない。
ちゃんと、好きなものを大事にする場所なんだ。
「じゃあ、れなちんからね!」
香穂ちゃんが差し出したのは、ずしりと重みのあるドレス。
「……重っ」
「豪奢だから!」
黒を基調にした深い色。
胸元と裾にたっぷりの装飾。
「これはね、悪役令嬢用」
「……あ、悪役……」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか、少しだけ胸がざわついた。
わたし、誰かを見下したり、強く当たったりするのは苦手なんだけど……。
「大丈夫だって。真唯ほどじゃないけど、れなちんもお嬢様感あるし!」
「……ほんと?」
「ほんとほんと!」
逃げ場は、なかった。
一方で、紫陽花さんと香穂ちゃんはメイド服。
「アーちゃんは、この前れなちんが着たやつね。サイズ合うと思う」
紫陽花さんは少しだけ目を丸くして、でもすぐ、柔らかく笑った。
「……れなちゃんが着てたなら、安心かな」
その言い方が、もう反則だった!
そして着替え終えて、鏡の前。
見慣れない自分が、そこにいた。
姿勢が自然と伸びる。
視線も、少し強くなる。
「……わたし、こんな顔できるんだ」
ぽつりと呟くと、後ろから紫陽花さんの声。
「れなちゃん……すごく、綺麗」
振り返る。
メイド服の紫陽花さん。
布のラインに沿って、いつもより大人っぽく見える。
あまりの天使さに胸がもうドキドキ!ドキがムネムネ!
「……紫陽花さんも、すごく似合ってる!」
香穂ちゃんはすでにカメラを構えていた。
「よし!撮るよー!」
最初は、普通の写真。
並んで立って。
微笑んで。
でも香穂ちゃんは満足しない。
「れなちん、もっと悪役っぽく!」
「えぇ……?」
「アーちゃんをいじめる感じで!」
いじめる……。
その言葉に、一瞬だけ躊躇した。
過去のトラウマが一瞬だけフラッシュバックしたから。
紫陽花さんを見ると、彼女は少しだけ目を見開いて、でもすぐ笑った。
「大丈夫だよ、れなちゃん。役だから」
「……う、うん」
深呼吸して、スイッチを入れる。
「……ふふ。あなた、その程度の仕事しかできないの?」
声が、少しだけ低くなる。
自分でも驚くくらい、ちゃんとそれっぽい。
「いい!最高っ!」
シャッター音が止まらない。
わたしの演技に対して紫陽花さんは、ちゃんと困った顔をしてくれる。
「おぉ!紫陽花さん上手!」
「そんなに褒めても、笑顔しか出ないよ~♡」
「ありがたや!ありがたや!」
わたしも思わず拝んでしまって、香穂ちゃんが爆笑する。
「れなちん、なりきれなさすぎ!」
胸の奥が、ちくっとした。
「(でも、紫陽花さんに、こんなこと言うの……)」
役だと分かっていても、罪悪感が消えない。
撮影は、終わったと思ったところからが本番だった。
「はい、次は――悪役令嬢がお気に入りのメイドを呼びつけるシーン!」
「……呼びつける?」
嫌な予感しかしない。
香穂ちゃんは楽しそうに小道具の椅子を持ってきて、部屋の中央に置いた。
「れなちん、そこ座って。アーちゃんは立ち位置ここね」
言われるがまま、わたしは椅子に腰を下ろす。
ドレスのスカートが広がり、自然と姿勢が正される。
……これ、思ったより役に引っ張られる!
視線の位置が変わるだけで、世界の見え方が変わる。
紫陽花さんは、わたしの少し前に立った。
メイド服のエプロンを指先で軽く押さえて、控えめに背筋を伸ばしている。
近い!
紫陽花さんのご尊顔が、近すぎる……!
「じゃ、れなちん。見下ろす感じで、ひとこと」
「ひ、ひとこと……」
喉が鳴る。
でも、ここで逃げたら、香穂ちゃんは絶対許してくれない。
わたしは意を決して、少しだけ顎を上げた。
「……遅いわね。あなた、わたしを待たせるつもり?」
声が、思ったより落ち着いていた。
自分で驚く。
紫陽花さんが、目を瞬かせる。
「……申し訳、ありません」
それは台詞だった。
分かっているのに。
その声音が、胸の奥を、きゅっと掴んだ。
「いいよいいよ!最高!」
香穂ちゃんのシャッター音が響く。
わたしは次の言葉を探す。
「(……ここで、もっと意地悪を言うんだよね)」
頭では分かっている。
でも、言葉が出てこない。
代わりに、紫陽花さんの表情ばかり見てしまう。
伏せられた目。
少しだけ上がった口角。
……楽しそう。
「れなちゃん?」
小さく呼ばれて、はっとする。
「……っ」
ここだ。
役に、戻らないと。
「……ふふ。その顔、嫌いじゃないわ」
言ってしまってから、心臓が跳ねた。
「(あ、今の……)」
悪役令嬢というより、ただの褒め言葉だ。
香穂ちゃんは笑い転げている。
「だめだめ!れなちん、優しさ滲みすぎ!」
「む、ムリだよ……!」
わたしは思わず顔を覆った。
「紫陽花さんにそんなこと、言えない……!」
「役!役だから!」
「役でもムリなものはムリ……!」
そう言いながらも、どこか楽しくて。
次のシーンでは、少しだけ攻めてみた。
紫陽花さんの顎に、そっと指先を添えるふり。
触れていないのに、距離が近すぎて、息がかかる。
「……顔、上げなさい」
声が、震えないように。
紫陽花さんが、ゆっくり顔を上げる。
視線が合った瞬間、世界が、止まった。
――だめだ。
これは、いじめじゃない。
ただ、近いだけだ。
わたしはすぐに指を引っ込めた。
「……カット!れなちん、照れすぎ!」
香穂ちゃんは大満足そうだったけど、わたしはもう限界!
胸が、いっぱいで。
悪役令嬢は、やっぱり、わたしには難しすぎる。
というか、向いてないのは最初から分かってた。
◯
キッチンに移動した時、わたしはほっと息をついた。
正直、慣れないことをしたせいでどっと疲れたけど。
ドレスのままなのに、この空間は不思議と落ち着く。
「もう今日はムリ~……」
「え~?もうちょっと悪役令嬢いけたよー?」
香穂ちゃんは名残惜しそうだけど、わたしの心臓はすでに限界だった。
「ムリムリ……紫陽花さん相手にいじめ続行は精神がもたない……」
「れなちゃん、顔赤いよ?」
「赤くなるに決まってるよ~……!」
そんなやり取りをしながらキッチンへ移動。
香穂ちゃんがフライパンを構えた瞬間、空気が一気に家庭に戻った。
「はいはーい!今日のメニューは~?」
「オムライス!」
「いえーい!」
テンションが、完全に部活後のノリ!
卵を焼く音。
ケチャップの匂い。
さっきまでの悪役令嬢ドレスが、完全に浮いている。
「れなちん、まだドレスのままで大丈夫?」
「もうここまで来たら着替えるタイミング逃した……」
そして、問題の提案が飛び出した。
「じゃあさ」
香穂ちゃんが、にやっと笑う。
「アーちゃん、やってあげて」
「……やるって?」
「おいしくな~れ萌え萌えキュン」
一瞬の沈黙。
「……え?」
「メイド服だよ?今やらなくていつやるの?」
「そ、そういうものなの……?」
紫陽花さんは真剣に悩んでいる。
真面目に悩んでいるのが一番危険だと、わたしは知っている。
「ちょ、ちょっと待って香穂ちゃん!それは心の準備が――」
「はい、オムライス完成!」
待ってくれなかった!
テーブルに置かれたオムライス。
完璧な見た目。
なのに、前振りが不穏すぎる。
「アーちゃん、どうぞ」
スプーンを渡される紫陽花さん。
「……じゃあ……」
すぅ、と息を吸う。
「おいしくな~れ……」
わたしは身構えた。
「萌え萌え……」
香穂ちゃんが前のめりになる。
「きゅうんっ♡」
「うおおおおおおおお!!」
香穂ちゃん、ガッツポーズ。
わたしも、渾身のガッツポーズ!
「成功!成功だよこれは!!」
「紫陽花さんが本気でやると破壊力高すぎる……!」
香穂ちゃんが爆笑する。
「れなちん、感動して泣いてない?」
「泣いてない!けど危なかった!」
さらに追撃。
「じゃあ次は――」
「まだ何かあるの!?」
「あーん、でしょ」
「でしょ、じゃない!」
逃げようとしたわたしの左右に、スプーンを持った二人が並ぶ。
「え、ちょ……なにこの包囲網……」
「どっちからいく?」
「同時、かな?」
「同時!?」
なんでそうなるの!?
「……あ、あーん……」
口を開けた瞬間、左右からスプーンが侵入。
「もぐっ……!」
情報量が多い!
味覚より先に、精神が追いつかない。
「ど、どう?」
「……おいしい……」
それは本心だった。
でもその次。
「じゃあもう一口!」
「まだ来るの!?」
「おかわり!」
「待って!設定!設定思い出して!」
わたしは慌ててドレスの裾を掴み、咳払いをする。
「……こ、こほん」
二人がぴたりと止まる。
わたしは、悪役令嬢。
最後まで、いじめ抜く設定。
「……あなたたち。このわたしに、そんな態度を取っていいと思って?」
キメ顔。
……のつもりだった。
香穂ちゃんは一拍置いて、にやり。
「はいはい。じゃあお嬢様、次はどっちにあーんさせます?」
「……え?」
紫陽花さんも首を傾げる。
「命令、してくれないの?」
「……」
完全に、詰んだ。
「……じゃ、じゃあ……」
わたしは観念して言った。
「……二人とも、わたしに食べさせなさい……」
「了解でーす!」
「かしこまりました、お嬢様♡」
結局。
最後まで、いじめる側にはなれなかった。
でも。
笑って、ツッコんで、お腹いっぱいになって。
最高に楽しい休日だったことだけは、
悪役令嬢になれなかったわたしでも、胸を張って言える。
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