……やってしまった。
洗面所の鏡の前で、わたしはハサミを握ったまま固まっていた。
切りすぎた。
どう見ても、切りすぎた。
前髪が、明らかに、予定より短い。
しかも左右の長さが微妙に違う。
なんなら、ちょっと斜めっている。
「……うそでしょ……」
声が震えた。
ほんの少しだけ整えるつもりだった。
伸びてきて目にかかるのが嫌で、ちょっとだけ、
ほんとにちょっとだけ切るつもりだったのに。
人間、欲を出すとダメだ。
「もう少し切ったほうが可愛いかも」
「ここも揃えたほうがいいよね」
その結果が、これだ。
短い。
思ってたより、だいぶ短い。
「このままじゃ……学校……行けない……」
明日。
この前髪で。
クラスのみんなの前に出る?
ムリだ!
絶対にムリ!
わたしはその場にしゃがみ込み、洗面所の床に額をつけた。
「人生、終わった……」
そのとき。
「……はぁ」
後ろから、ため息が聞こえた。
「またやったの?」
振り返ると、そこには妹の遥奈がいた。
腕を組んで、呆れた顔でわたしを見下ろしている。
「は、遥奈……!助けて……!前髪が……!」
「凄惨だね」
バッサリだった。
情け容赦のない一言に、胸がぐさっと刺さる。
「だって……ちょっと切るだけのつもりだったんだよ……?」
「それを自分でやるからこうなるんでしょ」
遥奈はやれやれ、と肩をすくめてから、
わたしの前髪を指でつまんで確認した。
「うーん……確かに短いね」
「でしょ!?でしょ!?もうムリだよ!明日恥ずかしくて学校行けない!」
「大げさ」
「大げさじゃない!高校生活はビジュアルが命なの!」
「いや、命まではいかないでしょ」
冷静なツッコミが痛い。
わたしは涙目で遥奈を見上げた。
「どうすればいいの……」
「んー……」
遥奈は少し考えてから、ぽん、と手を打った。
「じゃあさ、あえて前髪上げてみれば?」
「……は?」
「オデコ出すやつ」
その瞬間、わたしの脳内がフリーズした。
「……前髪を……上げる……?」
「そう」
「いやいやいやいやムリムリムリ~!わたし、前髪上げたことないし!」
「だから?」
「だから怖いの!」
前髪はわたしの最後の砦だ。
顔の余白を隠す大事な存在だ。
それを、上げる?
「無理だよ……わたし、絶対変だって……」
すると遥奈は、ふっと鼻で笑った。
「何言ってんの。お姉ちゃん、顔は別に悪くないじゃん」
「え」
思わず声が漏れた。
「素材はそこそこいいんだから、オデコ出しても全然アリだと思うけど」
「そ、そこそこ……?」
「そこそこ」
褒めてるのか、微妙なのか判断に困る。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと。ほら、座って」
遥奈はわたしを椅子に座らせ、櫛を手に取った。
「せっかくだし、セットしてあげる」
「……お願い、します……」
わたしは運命を妹に委ねた。
櫛が前髪に通されるたび、髪がさらりと音を立てる。
「……お姉ちゃん、髪質いいね」
「そ、そう?」
「サラサラだし、枝毛もほとんどないし」
遥奈は少し意外そうに言った。
「ちゃんとケアしてるでしょ?」
「……まぁ、トリートメントくらいで」
「それだけなのにこれなの、普通に強いでしょ」
「へ、へへへ……そうかな」
思わず、頬がゆるんだ。
褒められると、すぐに嬉しくなる。
わたしは本当に単純だ。
「なにニヤけてんの」
「だって、髪キレイって言われたの、ちょっと嬉しいし……」
「はいはい。動かないで」
遥奈は呆れつつも、どこか優しい手つきで続ける。
遥奈の指は意外と器用で、迷いがなかった。
前髪を軽く分けて、ドライヤーを当てて、ワックスをほんの少し。
「はい、完成」
「……こわい……」
わたしはそっと、鏡を見る。
――。
「……おぉ」
思わず声が出た。
「え、なにこれ……」
オデコが出ている。
なのに、思ってたほど変じゃない。
むしろ。
「……結構、イケてない?」
なんか、明るい。
雰囲気がいつもより軽い。
「陽キャっぽさ、倍増してない!?」
「調子に乗るな」
遥奈は即座にツッコんだ。
「でもまあ、悪くはないでしょ」
「ありがとう遥奈!!」
わたしは思わず妹に抱きついた。
「明日これで行ける!自信出てきた!」
「はいはい」
「ほんとありがとう!」
「じゃあお礼は、駅前のケーキ屋のケーキでいいよ」
「抜かりない……」
そう思いつつも、わたしは満足だった。
自信満々で布団に入り、
明日はちょっと新しい自分で学校に行こう、なんて思いながら、眠りについた。
――そして、翌朝。
「……」
鏡を見た瞬間、わたしは固まった。
「……うそ……」
オデコの、ど真ん中。
赤くて、主張の激しいニキビ。
「なんで!?なんで今日なの!?」
昨日までなかったじゃん!
よりによって!
オデコ出しスタイルの日に!
「遥奈ーーーーーー!!」
わたしは再び妹の部屋に駆け込んだ。
「どうしようどうしよう!?オデコにニキビできてる!」
「……あー」
遥奈は一瞬見て、すぐに視線を逸らした。
「それは……どうしようもないね」
「そんなあっさり!?」
「策を考える時間もないし」
「助けてよ!」
「無理なものは無理」
非情だった。
結局、わたしは前髪を下ろすことにした。
しかし、短い前髪は言うことをきかない。
寝癖で変なカーブまでついている。
「……最悪……」
不揃いで、ちょっと短くて、微妙に曲がった前髪。
これで登校するしかなかった。
不運は続くものだ。
――そして学校。
「……れなちゃん?」
最初に気づいたのは、紫陽花さんだった。
「前髪切った?」
「う、うん……」
わたしは内心ビクビクしていた。
すると紫陽花さんは、ふわっと笑った。
「可愛いと思うよ」
「……え」
「ちょっと幼く見えるけど、それがいい感じ」
その一言で、胸が一気に軽くなる。
さらに。
「それ、わざとだろう?」
真唯まで参戦してきた。
「真唯?」
「作り込んでいないのに、全体のバランスがいい」
「い、いや、偶然で……」
「とてもよく似合っているよ」
真唯は満足そうに頷いた。
――あれ?
思ってたより、悪くない?
恥ずかしくて死ぬと思ってたのに。
「……まあ、いっか」
わたしはちょっとだけ胸を張った。
こうしてフォローされると、すぐ調子に乗る。
そう、わたしはチョロい!
でも。
今日くらいは、それでいい気がした。
前髪は失敗したけど。
気持ちは、意外と悪くなかった。
――次は、絶対、美容院に行こう。
そう心に誓いながら、わたしは今日も、少しだけ前を向いて歩くのだった。
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