クインテットの日常   作:戦竜

9 / 33
紗月さんと猫カフェ

今日は、特別な日だ。

 

朝起きた瞬間から、胸の奥がそわそわして落ち着かなかった。

目覚ましより少し早く目が覚めて、布団の中で何度も寝返りを打つ。

 

理由は、分かりきっている。

 

今日は――

紗月さんと、二人でデートをする日だから。

 

事の発端は、数日前だった。

 

「猫カフェの無料チケット、二人分もらったの」

 

そう言って、紗月さんはいつも通り淡々とした口調で、

紙のチケットをひらりと見せた。

 

「バイト先の同僚がね。使わないからって」

「へ、へぇ……」

「それで」

 

ちらり、とこちらを見る視線。

 

「一緒に行く相手、空いてる?」

 

その言い方が、あまりにも自然で。

まるで「今日の夕飯何にする?」くらいの軽さで。

 

でも、わたしの心臓はその瞬間、確実に跳ねた。

 

「あ、あいてます!」

 

即答だった。

 

「そう。じゃあ決まりね」

 

それだけ言って、紗月さんはまた本を読みに戻ったけれど――

わたしはその日一日、ずっと浮かれていたと思う。

 

そして迎えた当日。

 

クローゼットの前で、わたしは三回悩んだ。

 

可愛すぎるのは違う気がするし、ラフすぎるのも、今日じゃない。

 

「……これ、かな」

 

最終的に選んだのは、淡い色のトップスに、動きやすいスカート。

猫カフェだから、汚れても大丈夫なように、素材もちゃんと考えた。

 

鏡の前でくるっと一回転して、髪を整えて、深呼吸。

 

「よしっ!」

 

気合いを入れて家を出た。

 

 

待ち合わせは、駅前の定番スポット。

人通りの多い場所で、少しだけ落ち着かない。

 

でも――

 

「あ」

 

すぐに見つけた。

 

柱の横で、本を片手に立っている人。

変わらない姿勢、変わらない表情。

白シャツにデニムの大人びたスタイル。

 

紗月さんだ。

 

時計を見ると、約束の時間ぴったり。

遅刻はしていない。

 

少し胸を張って、わたしは声をかけた。

 

「お待たせ!……待った?」

 

定番の一言。

 

すると紗月さんは、顔も上げずに言った。

 

「ええ。待ったわ」

 

やっぱりか、と思った次の瞬間。

 

「……待ちくたびれたわ」

「えっ」

 

思わず声が裏返る。

 

慌てて時計を見るけど、どう考えても時間通りだ。

 

「じょ、冗談だよね?」

「さあ?」

 

ようやく顔を上げて、紗月さんは口の端をわずかに上げた。

 

――ほんの少しだけ。

 

それを見た瞬間、胸の奥がふわっと温かくなる。

 

「(あ……)」

 

きっと。

本当に待ちくたびれたわけじゃない。

ただ、それだけ楽しみにして、早く来てくれていたんだ。

 

そう思うと、自然と頬が緩んだ。

 

猫カフェは、駅から少し歩いたところにあった。

扉を開けた瞬間、ふわっとした空気と、柔らかな鳴き声。

 

「わぁ~……猫がいっぱい!」

 

思わず声が漏れる。

 

床を歩く小さな足音。

ソファの上で丸くなる猫たち。

あちこちに置かれたクッション。

 

――天国だ!

 

「好きそうね」

 

横で紗月さんが言う。

 

「うん!動物、大好きだから!」

 

靴を脱いで、手を洗って、

店員さんの説明を聞くのもそこそこに、わたしはもう猫に夢中だった。

 

「こんにちは~……おいでおいで」

 

そっとしゃがんで手を伸ばすと、

茶色の猫が警戒しながら近づいてくる。

 

鼻先をくん、と寄せて――

次の瞬間、すりっと頬を擦りつけられた。

 

「っ……!」

 

心臓が、ぎゅっと掴まれたみたいになる。

 

「か、可愛い~っ!」

 

撫でると、喉を鳴らしてくれる。

その振動が、指先から伝わってきて、幸せでいっぱいになる。

 

一方。

 

「……」

 

少し離れたところで、紗月さんは苦戦していた。

猫じゃらしを振っても、視線すら向けてもらえない。

餌を差し出しても、ぷいっと顔を背けられる。

 

挙句の果てには。

 

ぺしっ。

 

「……!」

 

小さな猫パンチ。

 

「拒否されたわ……」

 

ぽつり、と落ち込んだ声。

 

その背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。

 

「(どうしよう……)」

 

猫が嫌いなわけじゃないはず。

でも、どうにも距離が縮まらない。

 

じっと観察して、わたしは気づいた。

たぶん。紗月さんの、あのクールな表情。

無意識の圧が、猫には強いのかもしれない。

 

「さ、紗月さん」

「なに?」

「ちょっと、にっこり笑ってみない?」

「……は?」

 

怪訝そうな顔。

 

「猫、怖がっちゃうんだよ、たぶん」

「……笑えと?」

「そう!スマイルスマイル!」

 

しばらく沈黙。

 

そして。

 

「……こう?」

 

引きつった、不自然な笑顔。

 

「う、うーん……」

 

それを見て、逆に猫たちが距離を取る。

 

「むしろ逃げられてるわね」

 

紗月さんは深くため息をついた。

 

「……私、動物に嫌われる体質なのかしら」

 

その言葉が、少しだけ寂しそうで。

 

「(……よし)」

 

わたしは、バッグからそれを取り出した。

 

「紗月さん」

「なによ?」

「これ、付けてみません?」

 

差し出したのは――猫耳カチューシャ。

 

「……」

 

数秒、固まる。

 

「そんなもの、どこで手に入れたの?」

「香穂ちゃんの私物!ささ、どうぞ!」

 

しばらく葛藤したあと、紗月さんは小さく観念したように息を吐いた。

 

「……今日だけよ」

 

そして、そっと装着。

わたしの追撃はまだ続く。

 

「さぁ、紗月さん!にゃあと言ってみよう!こう……手を顔に添えて、にゃあと!」

「……」

 

一瞬の沈黙。

 

「……にゃあ」

 

くあーっ!超絶猫耳美少女サイコー!

 

――その瞬間だった。

 

「にゃあ」

 

低く、落ち着いた鳴き声。

振り向くと、そこには一匹の黒猫。

艶のある毛並み、静かな瞳。

 

「……あ」

 

黒猫は迷いなく、紗月さんの足元へ。

 

すり……。

 

甘えるように、体を擦りつける。

 

「……え?」

 

紗月さんが目を見開く。

 

黒猫はそのまま、膝の上へ跳び乗り、丸くなって喉を鳴らし始めた。

 

「……な、なにこれ……」

 

戸惑いながらも、そっと撫でると――黒猫は満足そうに目を細める。

 

店員さんが微笑んで言った。

 

「その子、ツキちゃんって言うんですよ。人見知りなんですけど……」

「……私に、懐いてる?」

「珍しいですね。仲間だと思ったのかも」

「仲間……」

 

紗月さんの顔が、ぱっと明るくなる。

驚きと、喜びと、感動が混ざった表情。

 

「……やった!やったわ、甘織!」

 

小さく、でも確かに嬉しそうに。

 

黒猫――ツキちゃんと戯れるその姿は、いつものクールさが嘘みたいで。

 

猫耳をつけたまま、柔らかく笑うその顔。

 

「(紗月さん……可愛い)」

 

胸の奥で、そう思った。

 

そして、心の中でそっと呟く。

 

「(よかったね、紗月さん)」

 

今日この日が、紗月さんにとって、少しでも特別な思い出になりますように。

 

――そう願いながら、わたしはまた一匹、猫を撫でた。

 

猫カフェの午後は、ゆっくり、穏やかに流れていった。

 

 

猫カフェを出ると、外の空気が少しだけ冷たく感じた。

ガラス越しの世界から現実に戻ってきた、そんな感覚。

 

時計を見ると、まだ夕方には少し早い。

 

「……」

 

並んで歩きながら、わたしはちらっと紗月さんを見る。

さっきまで猫耳をつけていたとは思えない、いつものクールな横顔。

でも、どこか満足そうで、機嫌がいいのが分かる。

 

「(よかった……)」

 

勇気を出して、声をかけようとした。

 

「えっと、まだ時間あるし……どこか――」

 

そう言って、振り向いた瞬間だった。

視界いっぱいに、紗月さんの顔。

 

近い、と思うより先に――ふわり、と。

 

頬に、柔らかな感触。

 

「……っ!?」

 

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 

遅れて理解した瞬間、熱が一気に顔に集まる。

 

「え、え、え……!?」

 

言葉にならない声が漏れる。

鏡を見なくても分かる。絶対、顔が真っ赤だ。

 

紗月さんは、ほんの一瞬だけわたしから距離を取ると、

人差し指をそっと自分の唇に当てた。

 

「しー」

 

そして、静かに微笑む。

 

「……さっきのお礼よ」

 

心臓が、跳ねる。

 

「ありがとう、甘織」

 

その声は、とても優しくて、猫を撫でていた時よりも、ずっと柔らかかった。

 

「っ……!」

 

頭が、完全に追いつかない。

 

頬が熱い。

胸がうるさい。

息の仕方も、分からない。

 

「な、ななな……なにを……!」

 

必死に言葉を探すわたしを見て、紗月さんは少しだけ楽しそうに目を細めた。

 

「そんな顔、初めて見たわ」

「そ、それは……!」

 

反論しようとして、でも何も出てこない。

 

ただ、さっき触れた場所が、じんわり、ずっと温かいままで。

 

「(……ずるい)」

 

心の中で、そう思った。

わたしは小さく俯いて、蚊の鳴くような声で言った。

 

「……こちらこそ」

 

紗月さんは一瞬きょとんとしてから、ふっと微笑った。

 

「じゃあ、続きは……」

 

わたしの顔を覗き込んで。

 

「甘織が決めなさい」

 

心臓が、また一段大きく鳴った。

 

今日は、きっと。

忘れられない一日になる。

 

そう確信しながら、わたしは真っ赤な顔のまま、次の行き先を考えるのだった。




モチベ維持のために感想・評価をもらえると助かります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。