曇らせ好きの転生師匠が弟子に殺される話 作:卵の黄身だけちゅるりんと
私の師匠は大陸いちばんの剣の達人であり、そんな師匠から剣技の修行をつけてもらいたい人はたくさんいる。かくいう私も、その有象無象のうちの一人だった。
幸い、私には抜きん出た剣の才能があった。師匠には遠く及ばないものの、それでも少なからず功績を上げて、この大陸において剣一つで名を馳せた。それこそ、師匠にも私の名が知られるくらいには。
お互い初対面のときに、いきなり私の名を呼ばれた際の驚愕は、長い歳月が経った今でも忘れられない。
それが理由かは分からないが、ともかく私は師匠とお会いする機会に恵まれた。
師匠と初めてお会いしたとき、私はなりふり構わず首を垂れて「どうか私に剣を教えて下さい」と頼み込んだのだ。
私は何としても、もっと強くなりたかったから。
「構いませんよ。ただ、私が貴方に剣を教授するには、一つ条件があります。それさえ呑んでいただけるのなら、私は貴方に剣をお教えしましょう」
師匠はずいぶん腰が低くて、そして優しい人だった。
若輩者である私にも丁寧な敬語を使い、朗らかな笑みを常に絶やさず浮かべているのだ。私は師匠と実際にお会いするまでは、すごく怖い人だと思っていた。この世界の強者は心が荒んでいる。自分には強い力があって、自分以外の弱者が溢れている世界だから、自分に酔って傲慢になるのも必定であった。だから、この世界の猛者たちの中でも最高峰に位置する師匠を恐懼するのは、今でも仕方ないことだったと思う。
なにせ今までの功績が異常すぎた。
『最高難度の迷宮を単体で踏破した』『氾濫を起こし、迷宮から殺到する魔物を尽く斬り伏せた』『近隣諸国の大戦を一人で終わらせた』『最強最悪と謳われた魔人を単独で討伐した』———など、下手をすれば与太話だと笑い飛ばされるような伝説を、いくつも作っていたから。
思えば、これらすべてが、誰かのために剣を振るった結果なのだろう。でも当時の私は、まだそれには気づいていなかった。
だから私は、師匠のことを強くて怖い人だと思っていた。
私の身の回りにいる強者は、みんな精神的に追い詰められていて、ずっと殺伐としていたから。誰も彼もが、強さや地位にしがみついて生きているのだ。
私は何としても強くなりたかった。ゆえに師匠から指南されることを強く渇望していたし、そのためなら何だってする覚悟があった。
しかし、いざ邂逅してみると、今まで勝手に抱いていた仰々しいイメージは一気に吹き飛んでしまった。
数多の逸話を打ち立てた生ける伝説は、絶世の美しさを持った少女だったのだ。
艶やかな純白の長髪。まるで陶器のような白い肌。すべてを見透かすような透き通った瞳睛。抱けば折れてしまうのではないかと心配になるほど細く愛らしい体躯———そのすべてが、聞き及んでいた伝説とは違いすぎて、だから私は呆気に取られた。
しかし、呆然としたのも一瞬。すぐに私は我に帰った。
それは、師匠の現実離れした異質の風格———それを機敏に感じ取ったからだ。
殺気とは違う。剣気とも似つかない。ただ静謐に、そして歴然たる実力の差———それを直感的に理解した。
私も一端の剣士だ。だからこそ、師匠が剣の怪物であることを明敏に察することができた。
そこからは、先ほど述べたとおりだ。
私は土下座するような勢いで「弟子にして下さい」と頼み込んだ。そして師匠は、私の必死の懇願に対して、朗らかな笑みを浮かべながら条件を言い渡した。
「これから毎日、修行を始める前と終わったあとに、私とハグをしてもらいます。この条件が呑めるなら、私のすべてを教えて差し上げますよ」
当時、私の頭はその言葉の意味を上手く呑み込めなかった。
どこまで考えても、どれだけ言葉の裏を読もうとしても、私は言葉通りの意味しか見出せなかったから。
そんなことで———と思った。もっと何か要求されるものだと思っていたし、要求された条件の内容が意味不明すぎて不気味だったが、断るという選択肢は端から存在せず、私が条件を呑むという旨を伝えると、師匠は花の咲いたような笑顔で「では、これより貴方は私の弟子です」と言ったのだ。
それから、私にとって地獄のような鍛錬の日々が始まった。それでも、その地獄の居心地は悪くなかった。
一日ずつ、少しずつ、着実に強くなっていった。私一人では、とうてい辿り着けなかった剣の極地に至り、それでもなお私の成長は止まらなかった。
強くなっていく実感。それでも師匠の背中は未だ遠く、私が強くなるごとに、師匠と私の実力の差異が明確かつ正確に理解できるようになった。それは余りにも遠く、そして大きな壁であった。
しかし、私は辛いとも悔しいとも思えなかった。むしろ師匠に対する尊敬の念が深まるばかりだ。
———そして、いちばん幸せだったのは、毎日行われる師匠との抱擁だった。
私のほうが身長が高くて、必然的に私が上から抱きしめて、師匠が下から私の背に手を回す———そんな構図になってしまう。でも、実際に包まれていたのは私のほうだった。
師匠に抱擁され、師匠を抱擁していると、すうっと心が満ち足りる感覚がある。当初の私は、それに困惑していた。生まれて初めての感覚だったから。
「ふふっ、暖かいですね」
私の腕の中で笑う師匠が、余りにも美しくて。私は赤面を悟られたくなくて、自分の胸に師匠の顔を押し付けるように、さらに強く抱きしめる———すると、また師匠の控えめな笑い声が聞こえて、また顔を赤くする。その繰り返しだった。いつまでも生娘のような反応をする私を、師匠は楽しそうに見ているのだ。それでも私は、それを恥ずかしいとは思っても、嫌だと感じたことはなかった。
自然と、師匠とのハグの回数は増えていった。
弟子になるための条件だった修行の前と後だけの抱擁は、もう数え切れないくらいになった。
そんな日々の中で、私は漠然と思うのだ。
私は今、すごく幸せだなあ———と。
私は幼いとき、魔物によって家族を失った。それも私の目の前でだ。それからは狂ったように強さを求めた。飢えた獣のような獰猛さで、自分の過去の悲劇を否定したくて、クソったれの魔物に復讐したくて、前後不覚のまま死に急ぐように驀進していた。
きっとあのまま進んでいたら、私は近いうちに命を落としていただろう。おそらく師匠は、そんな私の状況を見かねて、今まで一度たりとも取らなかった弟子を取ったのだ。師匠はとても優しい人だから。
「いつか、貴方は私を超えるでしょう。それも遠い未来の話ではありません。師匠として、弟子に超えられることは冥利に尽きることですよ」
師匠はよく、そんなことを言っていた。
私は威勢よく「むろん、超えてみせます」と息巻いたが、その実、どこかで『そんなことはありえない』と思っていた。
だって師匠は最強だ。誰にも負けない。苦戦すらしない。ひとたび戦闘を行えば、それは一方的な蹂躙となる。それは私が相手でも例外ではない。
そのときの私は、もはや強さなどどうでもよくなっていた———のだ思う。表向きは強さを望むように振る舞いながら、それでも無意識のうちに『師匠との生活』に甘えていたのだ。
だから私は、師匠を超えることに執着していなかった。『無理だろう』と端から諦めていた。
師匠とともに生きていけるなら、それだけで十分だったのだ。
師匠と一緒に起きる朝が好きだ。師匠と一緒に食べる食事が好きだ。師匠と一緒に戦うのが好きだ。師匠に剣を教えてもらうのが好きだ。師匠と一緒に寝るのが好きだ。師匠の笑った顔が好きだ。師匠の慈しむような表情が好きだ。師匠の一挙手一投足のすべてが好きだ。
私は師匠という存在が、狂わしいほどに大好きだ。
私は一度、幼い頃に復讐と強さへの執着に狂った。そして二度目は、他でもない師匠に狂わされたのだ。
この生活が、これからも続くものだと思っていた。それ以外の可能性を考えなかった。ずっと師匠の甘美な優しさに耽溺して、師匠から自立しようとは思っていなかった。
だからこそ———
「貴方には、私を殺してもらいます」
ある日、突然そう告げられたとき、私の頭の中はあまりの衝撃で真っ白になった。
「期限は今日から数えて三日間。もし仕損じれば、私は周辺国家の人間を鏖殺し尽くします。また、この三日間は貴方と言葉を交わす気もありません」
混乱から抜け出せないでいる私を置き去りにして、師匠は淡々と説明を進めていく。
「最初の二日は、こちらから手を出すことはしません。反撃はしますが、私のほうから戦端を開くことはないと考えてください。また最終日までに私を殺せなかった場合、そのときは私が貴方を殺します。私がこんなことをしている理由は話せませんが、これは師匠からの試練であり、そして懇願であると理解してください」
それだけ言うと、師匠は私に背を向けて座り込んでしまった。
私がどれだけ声をかけても、師匠は固く目を閉ざして、ついぞ応答してくれることはなかった。
そのとき、私は確信してしまった。
———師匠は、本気だ。
それから、私は一日を無駄にした。
錯綜する思考。筆舌に尽くしがたい倦怠感。それでいて身を焦がすような焦燥感。私はずっと血の気が引いていて、身の悶えるような吐き気に苛まれていた。
結局、何の考えもまとまることなく、時間だけが過ぎていく。
その間も師匠は、一度も動こうとしない。ただ同じ場所に座して待っている。眠りもしなければ、食事も取らない。その事実が、私を感情を余計に駆り立てる。
また一日が無為に経過した。今日の深夜、今日と明日の境界を踏み越えたら、私は師匠に殺される。
それなのに、私はまだ師匠の傍らにいた。
何も分からない。理由を知りたい。話をしたい。そんな切実な思いが、師匠の側に私を縛り付ける。
そもそも師匠を殺すなんて、どだい無理な話だ。
まず実力が違う。雲泥の差という言葉では足りないほど、私と師匠の間には隔絶した差がある。
むろん、心情的にも不可能だ。
私がどれだけ師匠を愛しているか、たぶん師匠は知らない。自分でもよく分かっていないが、それでも師匠が死ぬなんて想像もしたくないくらいには、強く想っている。
ふと、師匠に視線を向ける。
今日も変わらず、瞑目して静かに座っていた。こうして眺めているだけでも、胸の奥がズキズキと痛みを訴えてくる。
「———」
そのとき、一切の微動も見せなかった師匠が揺らいだ。
ひどく深い咳をしたのだ。口からは鮮やかな赤が溢れ出ている———喀血しているのだ。
「は? え、あ……しっ、師匠!」
一瞬、唖然として動けなかった。それでも何とか現実を認めて、ひどく狼狽しながら、それでも師匠のところへ駆け寄ろうとして———
「っ! 来るな!」
師匠が剣を抜いた。剣先は、真っ直ぐ私を指している。
「そっ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
それでも私が進もうとすると、師匠は今までに聞いたことがないほどの怒号で私を拒絶する。
「貴方が私に近づいていいのは! 私を斬る覚悟が決まったときだけです!」
「そんなこと、できるわけがない! 私がどれほど師匠を慕っているとお思いですか!」
「ッ!……それなら、なおさら———」
———私を殺してよ……
師匠は表情を歪ませて、目尻に涙を溜めながら、懇願するように小さく言葉を零した。
そんな弱々しい師匠の表情は初めて見た。見たくなかった。ずっと笑っていてほしいかったのに。
私は一呼吸を置いて、腰に佩刀していた剣をゆっくりと抜刀する。
私が剣を抜いたことを認めると、師匠は歪に口角を吊り上げる。
「……血を吐いている状態の師匠に、あまり激しい動きをさせたくはありませんが……しかし、これ以外に手段が思いつかない。師匠、お覚悟を。傷をつけてしまうかもしれません」
「……この期に及んで、まだそんなことを
師匠の小さな体躯から噴出する、小柄な体に見合わぬ巨大な殺気———それを初めて直に浴びた私は、思わず足を竦ませる。
勝てるわけがない。でも、負けるわけにはいかない。
私の勝利条件は単純明快。師匠を殺さず、極力傷つけることもせず、戦闘不能に追い込むこと。
「ははっ」
思わず笑う。笑ってしまう。なんて無理難題なのだろうか。
しかし、やるしか———「いつまで呆けているのですか」
「———ッ!」
重く大きい金属音と、小さく散る火花。
卒然と師匠の姿がブレたかと思えば、次の瞬間には凄まじい勢いで振り下ろされる刀が視界に飛び込んできた。
反射的に刀を合わせて防ぐものの、今度はガラ空きになった脇腹に鋭い蹴りを入れられる。
「かはっ!」
抗うすべもなく、私は吹き飛ばされる。
私はその勢いを利用して、あえて大きく距離を離した。
「ハァ……ぐぅ」
何とか立ち上がるが、この一瞬の戦闘で嫌でも理解してしまう。
私と師匠の、圧倒的な実力差を。
「貴方なら勝てるはずです。私くらい、どうとでもなるでしょう」
先ほど盛大に啖呵を切ったのに、私の心は折れそうだった。
そんな私の心境を見透かしてか、師匠が声をかけてくる。
「今まで、この私に師事したのですよ。私にできて、貴方にできないことはない。そして私なら、私を殺せるはずです。何より、貴方の血反吐を吐くような努力を、私はよく知っていますから。だからこそ、ここで膝をつくことは許しません」
そう言いながら、腰を落として剣を構える師匠。
相変わらず隙のない立ち姿だが、それでも平素と比べると不完全に思えた。
「さあ、早く来なさい。あまり師匠を待たせるものではありません」
「———っ、師匠! あなたはなぜ、そこまでして———」
「二度は、言いませんよ? 酷なことを言っている自覚はありますが、ここまで焦らされると、さすがに腹が立ってきました。だから、さっさと覚悟を決めなさい」
「…………分かりました。本気で行きます。どうか、死なないで」
「ふははっ。まったく、誰が誰の心配をしてるんですか」
ここまで言われても覚悟を決めきれない私は、縮地を応用した歩法術で師匠に吶喊する。
師匠から教わった技で、師匠を斬るために。
まだ続きます。