曇らせ好きの転生師匠が弟子に殺される話   作:卵の黄身だけちゅるりんと

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後編

 深夜の暗澹の中で、激しく荒い喘鳴が二つ、縹渺たる荒野の地平に木霊する。もう、お互いに満身創痍だった。刹那のうちに行われる濃密な命のやりとり。それによって摩滅していく精神。幾千幾万もの剣戟の応酬。四肢の痙攣すら省みず、無我夢中で剣と剣の激突を繰り返した。

 互いの肌には痛々しい創傷がいたるところに散見され、とめどなく鮮明な赤が零れ落ちている。

 

 師匠のボロボロの姿を見て、私は思わず叫ぶ。

 「いったい何なのです! なぜ、そう傷ついてまで、己の死を———私に殺されることを望むのです!」

 

 「……貴方にそれを打ち明けられたのなら、どれほど救われるでしょうか……」

 

 師匠は消え入るような声で言う。

 

 「ならッ……なら言ってください! 教えてください! 言ってくれないと、分からないじゃないですか!」

 

 「だから……だから!———言えないんですよ! 悩んで、悩んで、やっと答えを決めたのに———今になった私を惑わせないで!」

 

 「……ッ」

 

 師匠が鋭利な視線で私を射抜き、鬼もかくやの剣幕で絶叫する。

 

 なぜ私は、こんなに無力なのだろう。

 あんなにも師匠が苦悶しているのに、私は何の役にも立たない。もどかしい。自分が腹立たしい。こんなに与えてもらったのに、私が師匠に返しているものは何だ。ただの裂傷だ。師匠の体を傷つけて、心も傷つけて、それでもなお何も分からないでいる。

 

 「——— 天之不尽(あまのふじん)

 

 師匠が大きく腰を落とし、必殺の祝詞を唱えた。

 さながら余命宣告のようなそれが、私の鼓膜を震わせる。それによって自責に囚われていた思考が再び動き出した。

 

———師匠は、これで決める気だ。

 

 師匠が有する奥義の中でも、滅多に使用することのない最強の秘奥。

 私は、この秘奥を目で捉えたことがない。何度も私に教授してもらい、幾度も実演してもらった。しかし、未だに剣の軌跡を微かに補足するのでやっとなのだ。

 

 私は対抗するように、師匠の真似をして大きく腰を落とす。

 

 「——— 天之不尽(あまのふじん)

 

 天之不尽———相手への死の刻限であり、そして死後の安寧を祈る祝詞。

 それを私も唱える。でも殺す気はない。単純に、この技で応対しなければ、私は確実に斬り伏せられるから。

 

 私はたしかに、師匠の切り札を習得していた。

 しかし、師匠と同様の練度で放てるかと問われれば、それは不可能だと言わざるおえない。

 それほどの絶技なのだ。さらに師匠の斬撃は九連。私のは八連。速度の桁も違う。私が放つものを超高速とするなら、師匠が振るうのは神速だ。

 

 それでも、やるしかない。

 このまま何も知らずに、師匠を置いて死ぬわけにはいかいから。

 

 私たちの声が重なる。

 何度も唱えた。何度も教わった。その言の葉が、互いの必殺を謳って紡がれる。

 

 「「———絶の理の剣(ぜつのことわりのけん)ッ!!」」

 

 互いの姿が世界から消える。

 音も、光も、時間も、思い出すら置き去りにして———今、命運を別つ刀は振るわれた。

 

 「がっ……ごふっ」

 

 私の体は、赤い血潮に塗れていた。

 濃厚な鉄の匂いが鼻腔を突き刺す。それが私の鮮血ではなかったから、私は思わず瞠目してしまう。

 

 私の眼下には、左肩から右脇腹にかけて大きく切り裂かれ、血溜まりに沈み、その血溜まりをさらに大きくする師匠がいる。

 

 「……は? な、なんで……」

 

 私は目の前の現実を理解できず———否、理解することを放棄して、ただ唖然と呟いた。

 

 私はこの土壇場にて、初めて九連———否、原点(師匠)をも超えた十連の斬撃に成功した。しかし、それでも師匠の剣のほうが早かったはずだ。私はたしかに、自分の敗北と死を確信していた。

 師匠の振るう剣がひどく緩慢に見えたのだ。これが走馬灯なのかと思った。結局、師匠の苦痛を取り除くことはできず、師匠の願いを叶えることなく、このまま無念を抱えて死ぬのかと、諦観と悔悟に思考が浸潤していたはずだ。

 

 ———なぜ?

 

 最初に生まれた感想は、それだった。

 疑問が脳内を埋め尽くす。その疑問を押し除けて、一つの言葉が這い出てくる。

 

 ———お前が殺した。

 

 「———あ」

 

 思わず剣を落とした。師匠はよく言っていた。戦場で剣を手放すな———と。

 そんな師匠の教えすらも零れ落ちる。何の力もない赤子のように、ただ慟哭しながら覚束ない足取りで師匠の側に駆け寄った。

 割れ物を扱うように、慎重な手つきで師匠を抱き起こす。私の衣服が———師匠と一緒に選んで買った宝物が、他ならぬ師匠の紅血で赤く染まっていく。

 

 「……まったく、酷い顔です。ようやく師匠である私を超えたのに」

 

 師匠は笑っていた。その笑みが空蝉のように空虚なもので、自分の行いを正しく再認識する。

 

 「一応、明言しておきますが……手は抜きませんでしたよ」

 

 「な、ならなぜ!? 師匠の剣のほうが早かったのに!」

 

 「ははっ、単純なことです。一つは、貴方の技量が私を上回ったから。そして、もう一つは———」

 

 ———自分の愛弟子を殺すなんて、私にはできませんから。

 

 そう言って私の頬を撫でる師匠。その手は冷たかった。

 頭から血の気がさっと引くのを感じる。目の前の情景が———師匠の姿が、己の涙で歪んでいく。

 

 「ま、って。師匠……」

 

 いやだ。いやだ。師匠が死ぬ。私が殺した。どうしよう。

 

 「ばか」

 

 後悔と自責の渦に囚われていた私の思考を打ち切るように、師匠が私の頭を叩いた。その殴打があまりに弱くて、また私は大粒の涙を零す。

 

 「私は、なるべくして、こうなったのです。むしろ、私の浅はかな願望を叶えたことを、誇りに思ってほしい」

 

 「わ、私は……」

 

 「自分を責めるなと言っても、貴方は攻め続けるのでしょうね。……今の私に、多くを伝える時間は残されていません。だから、私の懐にある手紙を……読んでみてください。辛いようなら、読まなくても結構。あれは私の未練と、ささやかな呪いですから。ただ、もし読む場合は、私の絶命を確認してからにしてくださいね」

 

 「そ、そんな……嫌です師匠。私を、置いて……」

 

 「……ごめんなさい。貴方には、ずいぶん酷な役回りをさせて、しまいましたね」

 

 「……し、師匠」

 

 「あははっ、こんなに泣いて……何だか子供みたい、ですね。……最後に、名前を呼んでもらっても、よろしいですか……?」

 

 私は嗚咽しながら、何とか絞り出すようにして師匠の名を口にする。

 

 「く、クルミさん……クルミ」

 

 「……ふふっ、幸せでしたよ。アイリス、この世の誰よりも、愛して、います……」

 

 師匠は眩しそうに目を細めて、笑いながら私の名を呼んだ。

 その瞳孔には光がなく、その言葉には何の力もなかった。それでも、私の脳裏に、胸中に、心に———一生消えない傷を残した。

 

 「ああ……あ゛あ゛あ゛ああああッ!!!」

 

 この日、伝説の剣豪が息絶えた。

 その亡骸を抱えながら、新たな剣豪が慟哭する。

 

 

◇◇◇

 

 

 私の手に握られている一つの手紙。それは絶命した師匠の懐にあったものだ。多少の血が滲んでいるが、幸い読めないことはない。

 

 師匠の遺体は、丁重に埋めた。

 師匠がどんな弔いを望むか分からなかった。咄嗟に思いついたのは土葬だった。私は師匠のことを知らなかったんだなと、そう思った。師匠が眠っている場所には、師匠の剣を突き刺しておいた。私には持っていく資格などないから。

 

 師匠が残した手紙———遺書とも表現できるそれを、重い手つきで開いた。

 

 

〈アイリスへ〉

 まず、再三になると思いますが、辛いことをやらせてしまい、申し訳ありません。

 私がこうなった経緯について、貴方が知りたがるかもしれないと思ったので、ここに残しておきます。

 

 かつて私は、一人の魔人と戦いました。

 その魔人は無事に討伐できましたが、そのとき、私は呪われてしまったようなのです。知ってのとおり、私は魔法や呪術ことは詳しくなくて、気づいたときには手遅れになっていました。

 この呪いは、他者に伝染します。その契機は、私から口伝や手紙などで呪いの存在を知ること。ああ、安心してください。この手紙は、私が無事に死んだときにしか、渡すつもりがなかったものです。つまり、私が死んだあとなら、何も問題はないということです。

 

 この呪いの主な機能は、私を衰弱死させることです。そして、私がこの呪いによって死亡した場合、私を次の魔人の素体として、かつての魔人が復活するというものでした。自殺はできませんでした。また、私の脅威になるものには、なぜか全力で抵抗してしまうようです。

 私を殺せる存在を、私は知らなかった。だから育てようと思いました。あのとき偶然を装って、名を馳せていた貴方を騙すように接触したのです。ひどい人だと、罵られても何の申し開きもできませんね。

 

 ……あと、あの弟子にする条件だったハグのことですが。

 私は臆病者です。死ぬのが怖かった。誰にも秘密を打ち明けられず、一人で死ぬのがとても怖かったんです。それに、私は意外と寂しがりなんですよ。日々、自分の体が衰弱していくことを実感すると、急に人肌が恋しくなります。誰かに思いっきり、抱きしめてほしかったんです。だから、こんなふざけた条件を提示して、貴方に毎日抱きしめてもらえるように図ったんです。

 

 最初は、貴方には何も打ち明ける気はなかったんです。

 これは、きっと呪いになる。自分が呪いによって死ぬのに、誰かに呪いを残して死ぬなんて、もっと恐ろしかったから。

 でも私は弱いから、貴方が優しくするから、だから一人で秘密を抱えて走り切るつもりだったのに、私は貴方と生きる道を選択しました。

 

 きっと私は、貴方を全力で殺そうとするでしょう。

 それは呪いの影響だけではありません。私は、貴方が思うほど高潔ではないのです。ただ、格好をつけていただけです。見栄を張って、貴方に失望されたくなかったのです。

 だから、一人で死ぬのが怖い私は、貴方と離れるのが恐ろしい私は、きっと貴方を全力で殺そうとする。簡単に言えば、心中してほしかったんです。貴方は、私が死んだら、まあ悲しんでくれるのでしょう。だけど、そのうち私は過去の存在となって、いずれ忘れられて、貴方は他の誰かと共に生きる道を歩むはずです。貴方の幸福を祈るなら、それは師匠として尊重すべき生き方なのでしょうが、それがどうしても、私には耐えがたかったのです。

 私は我儘なので、こうして書き連ねながらも、『一緒に死にたい』と思う私と、『でも貴方に死んでほしくない』という願いが鬩ぎ合っています。私がこんなにも人でなしだったなんて、知りたくなかったですよ。

 

 これも、貴方のせいです。

 私なんかを愛するから、私なんかに愛されるのです。ええ、愛していますとも。貴方の存在を、今も強く求めています。

 

 ……最後に、こう言い残しておきます。

 本当は対面で伝えられたらいいのですが、どうなるか予想がつかないので。

 

 ———絶対に死ぬな。

 

 こうでも言っておかないと、貴方は私の後を追いかねないですから。

 だって貴方、私のこと大好きですからね。まったく、貴方はいつまで経っても自立することはなかった。まあ、嬉しくないと言ったら嘘になりますが。

 

 あ、そういえば。もう一つ言っておかねば。

 私の剣は、貴方が持っていってください。貴方のことだから、どうせ私を埋めたところにでも刺しているのでしょう。師匠にはお見通しですよ。

これで誰かに盗まれるのも癪ですし、何より貴方には、その資格があります。

 

 さて。それでは、さようなら。

 私の最愛の人。私は、幸せでしたよ。

〈貴方の最愛の師匠、クルミより!〉

 

 

……私が力を欲したのは、もう嫌だったからだ。

 大事なものを失うのは辛い。それを身を以て知った。もう二度と、誰にも奪わせないためだ。

 

 「うぅっ……」

 

 なのに、こうして失った。

 辛い。辛い。いくつもの感情が混雑して、もう何も分からない。

 

 師匠がもういない。師匠は昔から死を覚悟していて、そのために私に接触した。それは嘘ではないのだろう。嘘ではないが、それだけでもない。それくらい、私にも分かる。私より強い人なんて、それこそ掃いて捨てるほど他にいただろうに。

 師匠が私のことを好いてくれていた。愛してくれていた。私も、薄々と感じ取ってはいたが、確かめる勇気がなくて、ずっと見て見ぬふりを続けていたのだ。臆病者は、お互い様だった。

 師匠が、私を殺してまで離れたくないと、それほど強く求めてくれた。私が師匠のことを忘れるなんて、ありえないのに。でも、そうして私を求めてくれたという事実に、少しだけ仄暗い喜びを感じてしまった。そんな師匠は、結局私を殺せずに、一人で死んでいった。私の傍らで、死んでいったのだ。

 

 これは悲劇だろう。

 かつての私と同じような、この世界にありふれていて、そしてどうすることもできない運命の悪戯そのものだ。

 

 なぜ師匠だったのだ。いや、魔人を殺せるのが、師匠しかいなかったことは分かる。だけど、それでも思ってしまう。なぜ師匠が、命を投げ打ってまで魔人を討つ必要があったのか。理不尽だ。世界を救ったのに、最後は弟子に殺される選択をせざるおえないなんて、こんな死に方はあんまりだ。

 

 ふざけるな———私はそう吐き捨てて、師匠———クルミの墓標だった剣を引き抜いた。

 

 私は悲哀と憤怒を以て、もはや何に向ければいいのか分からない激情の数々を持て余したまま、それでも師匠の墓に背を向けて歩き始める。

 

私はこれから、何度もこの墓を振り返るのだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 「あ〜楽しかった! 次は何しようかなぁ」




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