マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第2話 「聖女の軍勢、王妃の声」

夜明けは静かに訪れなかった。

 

森の縁に移した即席の野営地では、空が白むより前から人の気配が動いていた。焚き火の灰を掻き起こす音、鍋に水を張る音、眠り足りない兵士の咳払い、夜通し警戒についていた者が交代する小さな声。誰もが生き延びるために動いている。そこに“朝の穏やかさ”のようなものはない。ただ、夜を越えた者たちが、次の脅威が来る前に少しでも整えようとしているだけだった。

 

マシュは目を開ける前に、まず周囲の気配を確かめた。

藤丸は近くにいる。

それだけで、胸の奥の緊張が少し和らぐ。

 

身体を起こす。薄い毛布から抜け出した瞬間、朝の冷気が頬を打った。フランスの朝は冷える。とりわけ森際は湿気がまとわりつき、火のそばを離れるとすぐに指先から熱が奪われる。

 

少し離れたところで、藤丸はすでに立っていた。

寝起きの顔ではあるが、もう周囲の兵士たちに声をかけ、負傷者の状態を確認している。

 

あの人は、こういう時に動き出しが早い。

英雄のように前へ出るわけではない。指揮官として大仰に振る舞うわけでもない。けれど誰より先に立って、誰より先に現場を見る。その積み重ねで人がついてくる。

 

マシュが近づくと、藤丸はすぐに気づいて振り返った。

 

「おはよう、マシュ。少しは休めた?」

 

「はい。完全ではありませんが、問題ありません。先輩こそ、あまり眠れていないのでは」

 

「まあ、そうだね。でも今日は動けるうちに動きたい。昨日の話からすると、ここも長くは安全じゃないだろうし」

 

その言い方には焦りがない。ただ現実をそのまま受け止めている声だった。マシュは周囲を見回した。昨夜より少しだけ落ち着いたように見える兵士たちも、表情はまだ固い。避難民の中には、夜中に泣き出した子どもをようやく寝かしつけたばかりというような母親もいる。眠れた者など、ほとんどいないだろう。その中で、一際まっすぐに立っている人影があった。

 

ジャンヌ・ダルク。青いマントを背に流し、白旗を傍らに置いた彼女は、朝の薄光の中で祈りを終えたところだった。祈りの仕草が板についているという表現は軽すぎる。彼女にとって祈りは習慣ではなく、呼吸に近い。疲れていても、傷ついていても、それを手放さない。

藤丸が歩み寄ると、ジャンヌは目を開けて穏やかに微笑んだ。

 

「おはようございます、藤丸。マシュも」

 

「おはようございます、ジャンヌさん」

 

「昨夜は何事もなく朝を迎えられました。それだけでも、今の状況では十分に幸運と言えるのでしょう」

 

彼女の言葉は悲観ではなかった。事実の確認だ。

生き延びたことを、きちんと価値として数える人なのだとマシュは思う。

 

 藤丸が本題に入る。

 

「今日の予定を確認したい。マリーを探すんだよね?」

 

「はい。マリー・アントワネットは現在、避難民の保護と集落間の移送を優先して動いているはずです。

 直接的な戦力としてだけでなく、民心の維持という意味でも、彼女と合流できる意義は大きいでしょう」

 

 少しの間を置いて、ジャンヌは続けた。

 

「私が旗で兵を支えることは出来ます。けれど、怯えた民を安心させるという点において王妃には特別な力があります。あの方は、そういう人です」

 

王妃という肩書きの重み。それがこの状況で、単なる身分の高さではなく“人に安心を思い出させる象徴”として働くのだろう。

 

「居場所の目処は立っているのですか?」

 

「断定は出来ませんが、南西の街道沿いにある小村のいずれか、あるいはその周辺を巡っている可能性が高いと見ています。昨日までに届いた伝令では彼女は焼けた集落から生存者を拾い、移動可能な者をより大きな避難群へ繋げている、と」

 

「それって・・・かなり危険な動き方ですよね。狙われるんじゃ?」

 

「ええ」

 

ジャンヌはまっすぐに頷いた。

 

「ですが、危険だからこそ、やれる者がやらなければならない。私は前線に残り、彼女は人々を繋ぐ。役割分担としては理に適っています」

 

その言い方に、マシュは少しだけ引っかかりを覚えた。あまりにも自然に、自分を危険な場所へ置く物言いだったからだ。

 

この人はいつもそうだ。自分が傷つくことを判断材料から外しやすい。守るべきものが先にあって、自分はその後ろへ追いやられている。

 

 だからこそ、強い。

 だからこそ、痛々しい。

 

その空気を少しだけ和らげるようにエレナが近づいてきた。帽子のつばを軽く押さえ、眠たげでもありどこか楽しそうでもある顔。

 

「ずいぶん朝から真面目ねえ。でも嫌いじゃないわ、そういうの。特にやることがはっきりしてる時は」

 

彼女は魔導書を抱えたまま、森の先へ視線を向ける。

 

「周辺の魔力の流れを見る限り、この付近に大規模な敵部隊はいないわ。ワイバーンの哨戒はあるけれど、昨日ほど近くない。移動するなら今がいいと思うわ」

 

「助かる」

 

藤丸が短く礼を言う。エレナは肩を竦めた。

 

「礼は後でいいのよ。その代わり、何か面倒なことが起きたら、ちゃんと私を頼ってちょうだい。黙って勝手に無茶をされる方が困るもの」

 

その言い回しにマシュは少しだけ意外さを覚えた。エレナは基本的に先回りし、説明抜きで処理してしまうことが多い。だが今の言葉は少なくとも“相談しろ”という形を取っている。

藤丸も同じことを感じたのか、小さく笑った。

 

「珍しいね。今回は事前申告あり?」

 

「いつもしてるつもりなのだけど?」

 

「してない」

 

「まあ、ひどい」

 

軽口めいたやり取りだった。けれどそれだけで、少しだけ空気が柔らかくなる。

そこへ、ジャンヌ(ランサー)が現れた。夜明け前から外周の確認でもしていたのか、槍の穂先には露が薄く残っている。彼女は藤丸の前で静かに一礼した。

 

「マスター、移動準備は整っています。護衛対象の人数、移送速度、接敵時の退避導線についても概ね整理できました」

 

「ありがとう。避難民はそのままジャンヌたちの野営地に残る?」

 

「はい。移動可能な者だけを小分けにして街道沿いの安全圏へ送る案もありますが、現時点では集団が分散しすぎる方が危険と判断しました」

 

彼女は淡々と、まるで経験豊富な騎士のように報告する。実際、能力だけ見ればそうなのだろう。

ただ、その有能さに“人間らしい迷い”がほとんど見えないことが、マシュには時折薄ら寒く感じられた。

ジャンヌ(ルーラー)が、そんな彼女へ静かに問いかけた。

 

「あなたは、兵を率いた経験が?」

 

「率いた、というほどではありません」

 

ジャンヌ(ランサー)は穏やかに答える。

 

「ただ、守るべき相手を生かすために必要な手順を学んでいるだけです。

 誰を先に動かし、誰を残し、どこへ逃がすべきか。そういうことは、知っていて損にはなりませんから。・・・それ、私が私に聞くことですか?」

 

 その言葉には嘘がない。

 だが、ジャンヌ(ルーラー)はやはり少しだけ困ったように目を伏せた。

 

「……そうですね。知識や経験があること自体は、ありがたいことです」

 

短いやり取りの間にも、二人の間にある決定的な違いが見える。

片方は神へ手を伸ばして旗を掲げた聖女。片方は、ただ一人のマスターへ収束した愛を抱えて槍を取る存在。

 

似ているのは顔だけだ。にもかかわらず、似ている顔であること自体が互いにとってやっかいな意味を持っている。

マシュはそれ以上そこへ目を向けないようにして、支度へ戻った。出発した一行は多くなかった。

 

藤丸、マシュ、ジャンヌ(ルーラー)、(ランサー)、エレナ、ジャック。加えて道案内と周辺確認のため、フランス兵が三名。

だが今、野営地から大勢を動かす余裕はないし、マリーの捜索が主目的である以上、機動力を残す必要もある。

 

森を抜け、街道へ出る。

朝日が完全に昇りきる前の薄い光の中、焼けた跡があちこちに残っていた。

倒れた荷車。炭になった柵。地面にこびりついた黒い染み。人の手で始末したのだろう、粗末に積み上げられた灰の山。

戦場は勝敗が決まる場所ではなく、人の生活が削られていく場所だと、この特異点は嫌でも思い出させてくる。

 

 前を歩いていた兵士の一人が、ぼそりと呟いた。

 

「本当に・・・・・あの王妃様が、まだご無事なんだな」

 

声には驚きと、すがるような気配が混じっていた。

隣の兵士が苦く笑う。

 

「生きてるどころか、俺たちよりよほど元気らしいぜ。避難民を慰めて、子どもを抱いて、あちこち駆け回ってるって話だ」

 

「すごい方だ・・・・・」

 

その会話に、ジャンヌ(ルーラー)が少しだけ表情を和らげた。

 

「マリーは、ああいう方なのです。困っている人を前にすると、ご自身の立場や危険を二の次にしてしまう。良くも悪くも」

 

「ジャンヌさんが言うと、あまり人のことじゃない気がする」

 

藤丸が半ば冗談めかして言う。ジャンヌ(ルーラー)は目を瞬かせ、それから困ったように笑った。

 

「・・・そうかもしれません。ですがあの方と私は、少し違います。私は神の声を信じて進みました。自分の役目に従っていただけです。けれど彼女は違う。王妃としての義務だけでなく、人として目の前で泣いている者を放っておけないのです」

 

そして藤丸の方へ向き直る。

 

「国を治める立場にある方がそれを当然のように行うのはとても難しいことです。民から見ればそれだけで希望になります。だから私は彼女と合流したい。戦力としてだけでなく、彼女が居ることで救われる人が必ずいるから」

 

長めの言葉だった。そこには、ジャンヌがマリーへ寄せる敬意がきちんとあった。

藤丸も真剣に頷く。

 

「わかった。だったらなおさら急ごう。俺たちが着くまで無事ならいいけど」

 

「ええ。私もそう願っています」

 

会話の温度が少しだけ上がったところで、エレナが横から口を挟む。

 

「ふふ。こういう話を聞くとやっぱり人理って面白いわね。国や立場があって、その中でなお人であろうとする。そういう積み重ねがあるから、たった一度の異常でも世界はこんなふうにひび割く」

 

「感心してる場合じゃないだろ」

 

「感心くらいするわよ。だって、そのひび割きを埋めに来たのが私たちなんだから」

 

「その“私たち”に、どこまで含まれてる?」

 

「もちろん全員。私もあなたも、マシュも――そこの可愛いジャックもね」

 

突然名前を呼ばれ、ジャックが藤丸の影から顔を覗かせる。

 

「・・・わたし、かわいい?」

 

「ええ、とっても。ただし、油断するとすぐ人を刻みに行くあたりが少々困りものだけれど」

 

「困らないよ。マスターがいいって言ったら、ちゃんとするもん」

 

それは“いい子にする”の意味ではない。“刻むことを許可されたらその通りにする”という意味だ。フランス兵の一人が、その会話を聞いて一瞬だけ強張る。

当然だろう。目の前の白髪の少女が何者なのか、彼らには分からない。分からないが、少なくとも普通の子どもではないことだけは伝わってしまう。

 

シュはさりげなく兵士とジャックの間へ位置をずらした。

隠すつもりはない。ただ、無用に恐怖を煽らせたくもなかった。その微かな動きをジャックは気づいていたらしい。少しだけ唇を尖らせる。

 

「マシュ、わたしのこと、こわい?」

 

「怖くはありません。ただあなたはとても強いので。周りの人がすぐに慣れるのは難しい、それだけです」

 

「ふうん・・・・・・」

 

ジャックは納得したような、していないような顔をしたが、それ以上は言わなかった。

代わりに、藤丸がそっと言う。

 

「ジャック。今は、守るのが優先だ」

 

「うん。マスターがそう言うなら、守る」

 

こういう時の返事だけを聞けば素直な少女と変わらない。

だが、その“守る”の解釈がいつも周囲と一致するとは限らないことをマシュは察していた。

 

正午前、一行は焼け跡の濃い村へ辿り着いた。いや、村だった場所と言うべきかもしれない。

家々は半ば崩れ、井戸は瓦礫で塞がれ、道の端には運びきれなかった荷物が散乱している。布地、木箱、食器、靴。人が急いで逃げた痕跡だ。

 

だが完全な廃墟ではなかった。

人の声がする。礫をどける音。泣く子どもをあやす声。鍋をかき混ぜる音。そして、その中心に、ひどく場違いなほど華やかな声が響いていた。

 

「はい、あなたはこちらへ。だいじょうぶ、慌てなくていいのよ。熱いお湯はまだ少し時間がかかるけれど、その間に毛布を持ってきますからね。あら、そんな顔をしないで。王妃がいるのですもの、少なくとも今日の朝くらいは胸を張って迎えましょう?」

 

マシュたちが広場へ足を踏み入れる。

そこにいたのは、まるで焼け跡に咲いた花のような人だった。長い銀髪を柔らかく巻き、淡い色のドレスをまとい、頭には帽子。

その姿だけを切り取れば舞踏会か宮廷にこそ相応しい。なのに、その人は泥のついた地面の上に立ち、袖を少し持ち上げて、避難民のために自ら走り回っていた。

 

 マリー・アントワネット。

 

彼女は振り向くなり、ぱっと顔を明るくした。

 

「あら!ジャンヌ! 本当にあなたなのね。よかった、無事で――あら、その方たちは?」

 

ジャンヌ(ルーラー)が微笑む。

 

「新たな協力者です。藤丸立香さん、そしてマシュ・キリエライトさん。カルデアから来た方々です」

 

「カルデア?」

マリーは首を傾げた。だが、分からないからといって不安げになることはない。彼女は不明点をひとまず保留し、人を見る。

 

「よく分からないけれど、ジャンヌが味方だと言うなら、きっとそうなのでしょうね。初めまして、藤丸さん、マシュさん。私はマリー・アントワネット。今は王妃というより、皆さんの案内係みたいなものだけれど」

 

その声音は明るく、柔らかく、聞いているだけで呼吸が少し楽になる。なるほど、とマシュは思う。たしかにこの人には場の空気を和らげる力がある。

藤丸が一礼する。

 

「初めまして。助けに来ました・・・・って言いたいところなんですけど、むしろこちらが助けてもらうことになるかもしれません」

 

「あら、それは素敵」

 

マリーは本当に嬉しそうに笑った。

 

「困っている時に“助けます”と言われるのも嬉しいけれど、“一緒にやりましょう”と言ってもらえるのもとても好きよ。だってその方が少しだけ対等でしょう?」

 

その返しは、単なる愛想では出ない。相手を安心させるための言葉選びが、自然に出来る人なのだ。

そして彼女の視線が、藤丸の後ろへ向く。

 

 ランサーのジャンヌ。

 エレナ。

 最後に、ジャック。

 

白髪の少女は、少し離れた位置からじっとマリーを見ていた。ナイフは今はしまっている。だが、その雰囲気だけで、避難民たちは一瞬ざわついた。

マリーはその視線を正面から受け止めると、すっと屈み込んでジャックと目線を合わせた。

 

「こんにちは」

 

驚くほど自然な挨拶だった。恐れを押し隠した感じもない。もちろん、警戒がゼロではないだろう。だが、それを先に出さないのだ。

ジャックは少し目を丸くする。

 

「・・・・・こんにちは」

 

「あなた、お名前は?」

 

「ジャック」

 

「そう。いいお名前ね、ジャック。あなたも戦っているの?」

 

 ジャックは小さく頷いた。

 

「うん。マスターのために」

 

マリーの微笑みが、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「まあ。とても立派ね。でも立派だからこそ、無理をしすぎてはいけないわ。子どもは守られる側でいていいのですもの」

 

 ジャックが首を傾げる。

 

「・・・・・こわくないの?」

 

「少しは、怖いわ」

 

マリーはあっさり認めた。その上で、言葉を続ける。

 

「でも怖いからといって、あなたを最初から拒む理由にはならないでしょう?だって、あなたは今ここで、私たちの味方なのだもの」

 

マシュはそのやり取りを見て、胸の奥が静かに揺れた。この人は、怖れを知らないわけではない。

怖れた上で、それを相手を突き放す理由にしないのだ。ジャックはしばらく黙っていた。

やがて、ぽつりと呟く。

 

「・・・・へんな人」

 

「ふふ。よく言われるわ」

 

マリーは楽しそうに笑った。藤丸がその様子を見て苦笑する。

 

「強いな・・・・」

 

「王妃ですもの」

 

マリーは冗談めかしてスカートの端を摘む。

 

「皆が不安な時に、私まで怯えてしまったら、少し寂しいでしょう?だから、せめて笑っていなくては」

 

その言葉に、ジャンヌ(ルーラー)が静かに頷いた。

 

「やはり、あなたはそういう方ですね」

 

「もちろん。それに、あなたが来てくれたのなら、少しは泣き言も言えると思ったのだけれど」

 

「それはいくらでも聞きます」

 

「本当に? では後でたくさん聞いてもらおうかしら。昨日だけでわがままな子が五人と、怪我を隠して働こうとする大人が七人、それから“自分は大丈夫だから先に他を助けてくれ”と言う人が数え切れないくらいいたのよ。もう大変」

 

軽やかに言いながらもその裏に現場の疲労が見える。この人もまた、自分を後回しにする側の人間なのだ。

藤丸が周囲を見回した。

 

「避難民の数、思っていたより多いですね」

 

「ええ。この村だけじゃないの。近くの集落から逃げてきた人たちも混ざっているわ。焼かれた家から何も持ち出せなかった人もいるし、家族とはぐれた子もいる。兵隊さんたちが一生懸命支えてくれているけれど、どうしても手が足りないの。正直に言うと、私一人では全部を守りきれないわ。だから、あなたたちが来てくれたのは本当にありがたいの」

 

その“ありがたい”が、おためごかしではないことは、聞けば分かる。

本当に手が足りていないのだ。

 

「じゃあ手分けしましょう。俺たちは人手としても戦力としても使える。必要なことを言ってください」

 

「まあ、頼もしい」

 

マリーが笑みを深めた、その瞬間だった。広場の外れから、甲高い悲鳴が響いた。全員の視線がそちらへ向く。

 

焼け残った建物の陰から、黒い影が滑るように現れた。女。長い手足。血のように赤い瞳。黒と深紅を基調にした、貴婦人めいた装い。

その周囲だけ空気が冷えたように感じられる。

 

 カーミラ。

 

彼女は瓦礫の上へ優雅に立ち、広場を見渡して、くすりと笑った。

 

「ようやく見つけましたわ、王妃様。これだけ探させておいて、随分と楽しそうにお過ごしなのですね」

 

避難民たちが息を呑み兵士が剣を抜く。ジャンヌ(ルーラー)が旗を握り直し、マシュは反射的に藤丸の前へ半歩出た。

マリーだけが、数拍遅れて静かに振り向いた。

 

「・・・・・あなたは」

 

「ええ。残念ながら、歓迎の客ではありませんの。でも、こういう時代にわざわざ王妃を探して差し上げるのですもの、少しくらい感謝していただきたいところですわ」

 

その声音には、ねじれた愉悦があった。苦痛や恐怖を前にした時ほど、よく響く種類の笑い。

藤丸が低く言う。

 

「マシュ、避難民を下げて。ジャンヌ、マリーさんを中心に防衛線を」

 

「はい!」

 

「承知しました!」

 

答えが重なる。だが、その直後、カーミラが細い指を一振りした。

鋼の擦れるような不快な音。次の瞬間、路地裏や崩れた壁の向こうから、鎖と杭を持った敵影がいくつも姿を見せる。ワイバーンではない。だが人間でもない。禍々しい気配を帯びた、彼女の配下だ。

 

「王妃様の絶望するお顔、見せていただけるかしら。国を焼かれ、民を奪われ、それでも笑っていられるというのなら――その余裕を、少しずつ剥がしてあげる」

 

マリーの顔から、笑みは消えなかった。消えないまま、彼女は静かに一歩前へ出る。

 

「残念ですけれど。私は、絶望するのがあまり得意ではありませんの。誰かが不安でいっぱいの時に私まで俯いてしまったら、余計に心細いでしょう?」

 

カーミラの笑みが深くなる。

 

「まあ。なんて耳障りの良いお言葉」

 

「ええ、そうでしょうね。でも私は、耳障りの良いことを言うためにここにいるのではありません」

 

 マリーは避難民たちを振り返らず、真っ直ぐ前だけを見た。

 

「王妃として、この国の人たちが泣いているのを見過ごせない。それだけです。もしそれが気に障るのなら、どうぞお好きになさって。ですが――」

 

 そこで一度だけ言葉を切り、はっきりと告げる。

 

「この子たちの前で、好き勝手になさるのは許しません」

 

その一言は、柔らかい声のまま、芯だけが驚くほど強かった。藤丸が深く息を吸う。

 

「・・・・・行くぞ」

 

マシュは盾を構える。ジャンヌ(ルーラー)は旗を高く掲げる。

ジャンヌ(ランサー)が槍の穂先を静かに下ろし、エレナが魔導書を開き、ジャックがふっと気配を薄くした。

 

 焼け跡の村で、戦いが始まる。

 

 

□□□□□□□□□□□□

 

 

空気が変わった。

 

ほんの一瞬前まで、広場には避難民のざわめきがあった。子どもの泣き声、鍋をかき混ぜる音、兵士の小声の会話。それが今、ぴたりと止まっている。恐怖というものは、悲鳴を上げる前の方が静かだ。

 カーミラは瓦礫の上でその沈黙を楽しむように目を細めた。

 

「素敵ね。この空気。血が流れる前の一瞬の静寂・・・・・たまらないわ」

 

彼女の瞳が、ゆっくりと避難民たちをなぞる。人を数えている目だった。

価値を量る目ではない。どこから壊せば一番良い音が出るかを測る目。マシュは盾を握る手に力を込めた。

 

「先輩」

 

「うん」

 

藤丸はすでに状況を見ている。広場の四方。崩れた建物の影。カーミラだけではない。彼女の配下が十、いや十五ほど。

武器は杭や鎖。人間の兵士ではない。サーヴァントの魔力で作られた使い魔の類だ。

 

藤丸は即座に判断する。

 

「マシュ、防衛線を前に出す。ジャンヌさん、避難民の後退誘導を」

 

「了解しました!」

 

「お任せください!」

 

ジャンヌ(ルーラー)が旗を掲げる。その瞬間、兵士たちの表情が少しだけ変わった。

希望というのは奇妙なもので、実際に勝てるかどうかとは別に、人の背筋を伸ばす。ジャンヌの旗は、そういう種類の力を持っていた。

だが、カーミラはそれを見て笑った。

 

「まあ。まだそんな旗を振る余裕があるのね」

 

彼女は軽く指を振る。次の瞬間、影が動いた。使い魔たちが一斉に広場へ飛び出す。杭が振り上げられ、鎖が鳴る。

 

「来ます!」

 

 マシュが盾を構える。最初の一体が突進してきた。振り下ろされた杭を盾で受ける。

 

 鈍い衝撃。だが人間の腕力ではない。サーヴァントの魔力で強化された打撃だ。マシュの足元の土がめり込む。

 

「――っ!」

 

「マシュ!」

 

「大丈夫です!全く問題ありません!」

 

マシュはそのまま盾を押し返した。反動で使い魔の体勢が崩れる。その隙を逃さない。

ジャンヌ(ルーラー)が前へ出た。槍が閃く。

 

速い。速すぎる。

槍の軌道がほとんど見えない。

ただ結果だけが残る。

 

使い魔の喉。胸。腹へと三突き。使い魔は声を上げる暇もなく崩れ落ちた。

 

「マスター。敵数、減少開始。このまま制圧してよろしいですか?」

 

声音は落ち着いている。だが、その奥に潜むものをマシュは感じ取った。――少しでも許可が出れば、全部殺す。

藤丸は即答しなかった。

 

 広場を見ればそこには避難民。マリー。ジャンヌ。カーミラ。

 

 

「制圧優先。過剰破壊は禁止」

 

「・・・・・承知しました」

 

ジャンヌ(ランサー)は微笑んだ。だがその笑顔はほんの少しだけ物足りなさそうだった。その時、風が揺れた。

 

一瞬。誰も見ていない場所で、影が動いた。ジャックだ。

彼女はすでに敵陣に入り込んでいる。

使い魔の背後。視線の死角。誰にも認識されない位置。

 

ナイフが光れば敵が倒れる。

 また斬る。

  斬る。

 

血が飛び散るものの音はほとんどない。使い魔が気づく頃には、すでに喉が裂けている。

 

「・・・・え?」

 

兵士の一人が呟く。敵が倒れている。だが誰がやったのか見えない。

その背後で、ジャックが小さく呟く。

 

「マスターが守れって言ったから。守る」

 

次の使い魔が崩れ落ちる。カーミラはその光景を見て、ほんの少し眉を上げた。

 

「へえ、小さいのが混ざっているわね。面白い」

 

彼女の視線がジャックへ向く。ジャックはその視線を感じ取った。そして、笑った。

 

 子どもの笑顔。だがそこにあるのは純粋な殺意だ。

 

「・・・・・マスター」

 

 小さく呟く。

 

「この人、斬っていい?」

 

 藤丸は首を振る。

 

「まだ駄目だ」

 

「わかった、またあとで?」

 

 ジャックは少し残念そうだった。

 

その間にも戦況は傾いていた。マシュが前線を押し止め、ジャンヌ(ランサー)が敵を削る。

ジャックが影から数を減らし、エレナが魔術で使い魔の動きを乱す。

 

兵士たちがそれに続く。カーミラの使い魔は次々と倒れていった。そしてついに広場にはカーミラ一人が残る。

彼女はゆっくり拍手した。

 

「素晴らしい。想像以上よ。・・・・・あなたがマスターね」

 

黙ったまま見つめ返す藤丸へカーミラは言葉を投げかける。無言は相打ちとでも受け取ったようだ。

 

「竜の魔女様が興味を持つのも分かります。あなたの周りには、少々面白いものが集まりすぎている。ですが今日はここまでにしておきましょう。王妃様を殺すのは、もっと良い舞台の方が似合いますもの」

 

 彼女の体が霧のように揺らいで消える。

 

「待て!」

 

藤丸が叫ぶ。だが遅い。カーミラは消えた。残されたのは静寂だけ。広場の誰もがしばらく動かなかった。

やがて、マリーが小さく息を吐く。

 

「・・・・ふう。皆さん、お疲れ様でした。どうやら今日もまだ生きていられるみたい」

 

その言葉に、避難民の間から小さな笑いが漏れる。緊張がほどける。

ジャンヌ(ルーラー)が静かに言う。

 

「今のは・・・・敵のサーヴァントですね」

 

「ええ、しかもかなり強そうだった。偵察って感じじゃなかった」

 

エレナが肩をすくめる。

 

「本隊の前触れでしょうね。つまり――本格的な戦争が始まる」

 

マシュは盾を抱き寄せた。この戦いはまだ序盤だ。

だが確実に敵は動いている。そしてその中心にいるのは竜の魔女、ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 

マシュは遠くを見た。この先に何が待っているのか彼女は知っている。

知っているはずなのに、今のこの道は少しずつ違う。

その違いの中心にいるのは、先輩とそしてあの三騎のビーストサーヴァントだ。

 

 

第一特異点は、まだ始まったばかり

 




ジャンヌが三人・・・?
呼び分けるのが大変だぜ。藤丸君も苦労してそう。


フランスで発生した特異点が引き起こした 『邪竜百年戦争オルレアン』から数日。
我が国は、邪ンヌ・ジャンヌ・病ンヌの3つに分かれ、混沌を極めていた……。
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