マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第6話 「狩人の矢」

夜明け前というのは、不思議な時間だ。

 

夜の冷たさがまだ地面に残っているのに、空のどこかではもう朝の気配が始まっている。暗闇は完全には引いていない。けれど、これ以上深くもならない。

生き物も、人間も、戦場でさえも、一瞬だけ呼吸を整える。そんな時間。

礼拝堂跡では、焚き火が灰に変わりつつあった。見張りの兵士が交代し、眠れた者と眠れなかった者がぼんやりと目を覚まし始める。子どもたちの中には、まだ夢の続きにしがみつくように毛布へ顔を埋めている者もいたし、逆に夜の間ずっと怯えていたせいで、空が白み始めるとようやく眠りに落ちる者もいた。マシュは、目を覚ました瞬間に自分がどこにいるかをはっきり思い出した。

 

第一特異点オルレアン。

現在地は礼拝堂跡。

味方はジャンヌ、マリー、モーツァルト。敵は竜の魔女とその配下。そして三騎のビーストサーヴァント。

 

身体を起こし、反射的に藤丸の姿を探す。少し離れた場所、崩れた壁の近くに彼はいた。夜明け前の薄い光の中で兵士と二、三言葉を交わしている。見張りの報告を受けているのだろう。

昨夜、自分は「止めてほしい」と言った。先輩は「お互い様だ」と笑った。その会話が、まだ胸の奥に静かに残っている。

マシュは立ち上がり、軽く外套を整えてからそちらへ向かった。

 

「おはようございます、先輩」

 

「おはよう、マシュ。起こしたか?」

 

「いいえ。もう起きるつもりでした」

 

兵士が一礼して離れていく。藤丸はその背中を見送ってから、小さく息を吐いた。

 

「夜のうちは大きな動きなし。ただ、南西の林で何度か気配があったらしい。兵士たちの感じ方だけじゃ断定は出来ないけど野生動物って雰囲気でもない」

 

マシュはすぐに理解した。敵だ。ただし、まだ襲撃には踏み切っていない。

 

「様子見、でしょうか」

 

「たぶん。それか、こっちが夜明けと同時に動くかどうかを見てる」

 

先輩の言い方は落ち着いていたが、目は鋭い。昨日までの接触で相手もこちらも「ただの偶発戦闘では済まない」と理解している。なら次に来るのは、もっと意図的な揺さぶりだ。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「アタランテの可能性が高いと思います」

 

「・・・・モーツァルトの話から?」

 

「はい。弓兵、森、夜明け前の索敵。条件だけを見ればもっとも自然です」

 

マシュはそう言ってから、自分の内心がわずかに強張るのを感じた。アタランテ、子供に思いがある英雄。

だからこそ、ジャックとの相性が悪い。最悪と言ってもいい。子どもであり同時に人を殺すための刃でもある存在。アタランテがそれをどう見てジャックがその視線をどう受け取るか。

 

「ジャックはどう反応すると思う?」

 

マシュは少し言い淀んだ。だが、誤魔化しても仕方がない。

 

「嫌うと思います。あの子は、“守られるべき子ども”として扱われることを喜ぶ時もありますが自分を否定するような守り方には敏感です。特に愛情の名目で存在を切り捨てられることには、強く反発するはずです」

 

「やっぱりか」

 

それだけで同じ危惧を抱いていたことが分かる。その時、後ろから明るい声がした。

 

「二人とも、ずいぶん朝が早いのね」

 

振り返ると、マリーが薄い外套を羽織って歩いてくるところだった。髪は少し乱れているし、ドレスの裾には昨日の泥が残っている。だがその姿勢は相変わらず綺麗だ。疲れていないわけではないのに弱って見せることを意識的に避けているような立ち方だった。

 

「マリーさん。眠れましたか?」

 

マシュの問いに、マリーは困ったように笑う。

 

「半分くらいかしら。王妃というのは、案外ぐっすり眠るのが下手なものなの。特に、自分の周りに心細い人がたくさんいる時はなおさらね。でも、眠れないからといって不機嫌でいるのも格好がつかないでしょう?」

 

「その理屈で平然としていられるの、すごいよな・・・・」

 

藤丸が半ば呆れたように言う。マリーは肩を揺らして笑った。

 

「まあ、褒め言葉として受け取っておきます。それで? 朝から二人で難しい顔をしているということは、あまり良い報告ではなさそうね」

 

藤丸は簡単に説明した。夜の気配、南西の林、敵がこちらの動きを窺っている可能性。

マリーは話を聞き終えると、少しだけ目を細めた。

 

「追い立てるつもりというより、歩かせながら疲れさせるつもりかもしれないわね。恐怖というのははっきり見える敵より、“どこから来るか分からない敵”の方が長く心を削るもの」

 

その言葉に、マシュは少し驚いた。感覚で言っているのではない。マリーもまた、恐怖が人へどう作用するかを理解しているのだ。

 

「・・・その意見は王妃として、ですか?」

 

「ええ。それもあるけれどもっと単純に人として見てきた数が多いのよ。宮廷でも街でも人はね、殴られた痛みより“また殴られるかもしれない”という不安の方に長く弱ることがあるの。今の竜の魔女はたぶんそれをよく知っている。厭なやり方だと思うわ。でも厭だからこそ、効くのでしょうね」

 

そこへ、ジャンヌ(ルーラー)とモーツァルトもやってきた。

どうやら皆、同じように完全な休息は取れなかったらしい。だが疲労を表に出す余裕もないのだろう。ジャンヌは朝の祈りを終えたばかりらしく、まだ冷気をまとったような清潔な空気を纏っていたし、モーツァルトは眠そうな目をしながらも口元だけはいつものように皮肉げだった。

 

「おや。朝から会議かな?」

 

「そういうことになりますね」

 

ジャンヌが答える。

 

「夜の間、南西の林に気配があったそうです。今のところ、こちらへ踏み込んではきていませんが――」

 

「しかし、いると」

 

 モーツァルトは会話を引き継ぎ、顎へ指を当てた。

 

「なら、敵は次の一手に迷っているのではなく、こちらに“先に選ばせる”つもりだろうね。進むか、留まるか。列を優先するか、迎撃のために広げるか。そういう判断をさせた上で一番脆いところへ矢を打ち込む。うん、実に弓兵らしい。あまり趣味のいいやり方ではないが効果的ではある」

 

 藤丸がうなずく。

 

「だったら、こっちも分かりやすくするしかない。全員をまとめたまま進む。隊列を崩さない。敵が来たら迎撃するけど追いかけて分散はしない」

 

ジャンヌがその判断を吟味するように考え込んだ。

 

「・・・・はい。危険を承知で申し上げれば、味方探索の効率だけなら、やはり別働隊を出した方が上がります。ですが今、敵がこちらを測っている段階でそれを行えば分断された側から食われる可能性が高い。でしたら、まずは“崩れない構成”を作る方が正しいでしょう」

 

 モーツァルトが肩をすくめる。

 

「結構。優雅ではないが、美しくはある。今の君たちにはそのくらい骨太な判断の方が似合うよ」

 

その時、少し離れた位置で薪を足していたエレナがこちらを見ずに言った。

 

「話がまとまったならついでに伝えておくわ。南西の気配、まだ残っている。完全に消えていない。こちらが動き始めるのを待っている感じ」

 

 藤丸が振り返る。

 

「弓兵?」

 

「たぶんね。隠れ方が上手いのなんの。雑に姿を晒すようなタイプじゃないわ」

 

そこでジャックがふっと影から現れた。音もなく、何の前触れもなく。藤丸の斜め後ろへ立ち林の方を見たまま言う。

 

「いるよ。ずっと見てる。でも、まだ撃ってこないと思う」

 

その“まだ”が不気味だった。モーツァルトが眉を上げる。

 

「ほう。君は見えるのかい?」

 

「見えるっていうか、分かる。見てる目って、いやだから」

 

ジャックは少しだけ唇を尖らせた。その仕草は子どもっぽいのに、言っていることは暗殺者の感覚そのものだ。

マリーが、そんなジャックへ柔らかく声をかける。

 

「それは怖いわね。ずっと見られているというのは、誰だって嫌なもの」

 

ジャックはマリーを見上げて言葉を紡ぐ。多少慣れたようで最初ほどの警戒感はない。

 

「・・・・うん。でも、マスターがいるから平気」

 

それを聞いた瞬間モーツァルトがほんの僅かに目を細めた。

理解できない違和感を言語化せず、軽く笑って受け流す。

 

「頼もしい限りだ。マスター冥利に尽きるね、藤丸くん」

 

「プレッシャーが増えた気しかしないけど」

 

「それは気のせいじゃないだろう。甲斐性を見せたまえ」

 

軽口に見えるやり取りの裏で、空気はむしろ張っていった。敵はいるしこちらを見ている。まだ撃たない。なら撃つのは“列が最も嫌がる瞬間”を選ぶはずだ。

 

「出発しましょう」

 

ジャンヌ(ルーラー)が決める。

 

「敵がこちらの動きを待っているなら、こちらも待ち続ける理由はありません。止まれば止まるほど避難民の不安は膨らみ、敵に時間を与えるだけです」

 

マリーもすぐに頷いた。

 

「ええ。むしろ、こちらがいつまでも同じ場所に固まっている方が都合がいいでしょうし。歩けるうちに歩いた方がいいわ」

 

藤丸は全員を見渡し、最後にうなずく。

 

「じゃあ動こう。隊列は昨日と同じ。ただし前方と左右の警戒を少し厚くする。ジャックは索敵を頼む。エレナは敵の位置が動いたらすぐ知らせてくれ。マシュ、ジャンヌ、マリーの近くを頼む」

 

やることが決まれば準備にかかるのも早いもの。

それはこの二日で礼拝堂跡にいる誰もがもう理解していた。躊躇っている時間は敵へ差し出す余白にしかならない。

出発してから最初の一刻ほどは、何事も起こらなかった。それが余計に嫌だった。

人は危険がはっきり見えている時より、“今は静かだが、この静けさがいつ破れるか分からない”という時間にこそ神経を削られる。足音は次第に重くなり、誰かの咳払いにさえ皆が反応するようになる。

モーツァルトが荷車の側を歩きながら、低く言った。

 

「見事なまでに“待たせる”ね。こちらに先に音を上げさせようとしている。敵ながらなかなか分かっているじゃないか」

 

藤丸が前を見たまま答える。

 

「どこが一番狙い目だと思う?」

 

「子どもだろうね。次が老人か荷車の車輪だ。直接人を殺さずとも列の一部を止めれば混乱が生まれる。混乱が生まれればそちらへ矢を増やせばいい。実に性格の悪い話だが、だからこそ上手い」

 

マシュは荷車の位置を確認しながら、アタランテの像を頭の中へ重ねた。

子どもを守る英雄。だが、敵として現れた時、その善性はどう働くのだろう。

守るために矢を放つのか。あるいは、自分なりの正義を押し通すために、こちらの列を乱すのか。

 

その時ジャックが前方から戻ってきた。足音もなく藤丸の横へ並び、小さく言う。

 

「マスター。今度は近い。木の上。でもまだ出てこない」

 

次の瞬間だった。風を裂く音。

マシュの身体が先に動き、盾を振り上げれば金属音が鳴り、矢が弾かれた。

 

「接敵!」

 

マシュの声が響くと同時に、子どもたちの悲鳴が上がる。

だが矢はそれだけでは終わらない。二矢、三矢、四矢。どれも急所ではない。だが足元、荷車、兵士の肩口、進行方向の少し先。列を止めるための矢だ。

モーツァルトが即座に叫んだ。

 

「中央を詰めるな!広がったまま動け! 荷車だけ守ろうとすると、逆に詰まる!」

 

その声が驚くほどよく通る。兵士たちが反射的に従い、列が潰れずに持ち堪える。

林の高所からようやく姿が現れ、声が届く程度の距離まで近づいてくる。

 

緑の髪。獣じみた俊敏さ。弓を構える狩人。

 

 アタランテ。

 

彼女は枝の上へ立ったまま、こちらを見下ろしていた。

その目は冷たくない。だが、優しくもない。狩りの最中の動物が持つような、張り詰めた静けさがあった。

 

「列を守りながら前へ進むつもりか。判断としては間違っていない。だが、その形では守れるものにも限界がある」

 

 ジャンヌ(ルーラー)が旗を構える。

 

「アーチャー・・・・!」

 

アタランテの視線が、ゆっくりとこちらを巡る。ジャンヌ。マリー。マシュ。藤丸。そして最後に、ジャック。

 

その瞬間だけ、彼女の目に明確な揺れが生まれた。

 

「・・・・子ども」

 

ジャックが逆にその視線を見返す。静かな対峙だが、周囲の誰もがその意味を直感していた。

ここはただの弓兵戦では終わらない。アタランテは矢を番えたまま、低く言う。

 

「お前は、何だ。何故そんな姿で刃を持っている」

 

ジャックは少し首を傾げた。

 

「私はジャックだよ。マスターのためにいるの」

 

「答えになっていない」

 

「じゃあ、そっちが変なんじゃない?」

 

子どもの声音のまま、ジャックは言った。

 

「見て子どもだって分かるくせに最初に言うのが“何だ”なんだ。へんなの」

 

その言葉にアタランテの眉が動く。痛いところを突かれたような揺れだった。

藤丸が一歩前へ出た。

 

「アタランテ。ここは通さない。避難民を狙うなら止める」

 

「避難民を狙っているわけではない。だがそちらが子どもを武器として前線へ置くなら話は別だ。サーヴァントといえど、いい気分はしない」

 

その言葉に、ジャックが明確に顔をしかめる。

 

「武器って、へん。私はマスターの味方だよ」

 

「それが問題だと言っている。子どもが“味方だから戦う”と言わされるような戦場そのものが間違っている。守るべきはお前を前へ立たせることじゃない。お前をそこから降ろすことだ」

 

ジャックの目が、少しだけ細くなる。怒っている。

マシュには分かった。

 

「・・・・マスターは言わないよ。マスターと一緒にいるって決めたの。私だもん」

 

その答えは幼くだが芯だけは硬い。誰かに言わされたのではないく、自身の判断でそこに居ようとしている。

それが余計にアタランテには厄介なのだろう。

アタランテは息を吐き、矢先を少しだけ下げた。

 

「ならばなおさらお前を放ってはおけない。子どもが自分から死地へ立つことを誇るようになった時、誰かがそれを止めなければならない」

 

ジャンヌ(ランサー)がその会話を聞きながら槍を持ち直した。彼女の顔には興味よりも冷えた無関心に近いものがある。

 

「くだらないですね、その執着」

 

「何だと?」

 

 ジャンヌ(ランサー)は穏やかな表情のまま続けた。

 

「あなたは子どもを守りたいのですね? それはそれで結構ですが、今この場であなたが向けているのは相手を守るための言葉ではありません。自分が納得したいだけの正しさです。そんなものにいちいち付き合う必要は感じません。自分の気持ちのかわいさでちょっかいをかけてくるなら早めに退去して下さい」

 

空気が張り詰める。アタランテの目が細くなる。

怒りというより警戒と不快感がにじみ出している。

 

「貴様・・・・!」

 

「私はマスターの槍です。マスターが守ると決めた列を崩そうとするならあなたが何者であれ排除します。子どもだの理想だのはその後で好きなだけ語ればよろしい。生かすつもりは毛頭ありませんが」

 

その言葉には余計な情が一切なかった。アタランテの理念も葛藤も守ろうとしているものもジャンヌ(ランサー)にとっては優先順位の外なのだ。

その事実が逆に場の温度を下げる。

藤丸が低く言う。

 

「ジャンヌ、やり過ぎずにここは迎撃だけでいい」

 

「はい、マスター。承知しました。お任せを」

 

すぐに従うその姿と返答を聞いても、アタランテの表情は少しも緩まなかった。

 

「なるほど。あの女はお前の命令で動く人形だということか」

 

彼女の矢先が藤丸へ向く。その瞬間、空気がさらに鋭くなる。

 

「ならばカルデアとやらのマスター、お前に問う。子どもを刃として扱うこの状況をお前は正しいと思っているのか」

 

「正しい、とは思ってない。でもジャックの意思を無視して、無理やり後ろへ下げるのも違うと思ってる。俺がやるべきなのは戦わなくていいって言うことじゃなくて、必要な時に止めることだ。それにやらないといけないことがあるんだ。」

 

アタランテが一瞬だけ息を詰める。その答えは、肯定でも否定でもない。

綺麗な理想ではなく、泥の中での実務だ。

 

「・・・半端だな」

 

「そうかも。でも、半端でも抱える。全部切り分けてきれいに正しい方だけ選べるほど、俺たちは楽じゃない」

 

その言葉を聞いた時、マシュは少しだけ胸が痛んだ。やっぱり先輩はこういう人だ。

綺麗に割り切れないものを半端だと分かったまま抱えようとする。

 

アタランテはそれ以上言葉を重ねなかった。代わりに、矢を放つ。

今度の矢は速い。まっすぐに藤丸の肩口を狙う。

 

マシュが盾を出すより先にジャックが滑り込みナイフで矢を弾く。

 

「・・・・やっぱり、いや」

 

ジャックが低く言う。

 

「あなたマスターのこと悪いヒトとして見てる。そういうの私、大嫌い。・・・・死んで?」

 

アタランテは枝から飛び降りる。地形を生かし戦いではなく、自身の走力を生かす戦いへ切り替えるために。

 

「なら来い、暗殺者。お前が“子ども”ではなく“刃”であると言うならその証明をしてみせろ」

 

藤丸が即座に動いた。

 

「マシュ、列を維持!ジャンヌはアタランテを前で止める!ジャックは単独で突っ込まずに今は待機で!」

 

命令が飛ぶ。ジャックは一瞬だけ不満そうにしたがすぐに頷いた。

 

「・・・・うん。マスターがそう言うなら」

 

ジャンヌ(ランサー)が槍を構えてアタランテの前へ出る。

森の狩人と、獣の槍。薄暗い道で二人のサーヴァントが対峙した。

その時、モーツァルトが息を吸い込んだ。

 

「皆、耳を貸したまえ。この手の戦いで一番厄介なのは敵が速いことじゃない。速い敵を見てこちらの足が先に乱れることだ。だから歩調を守って荷車を止めるな。視線を敵へ奪われすぎるな。今、列が壊れたら向こうの思う壺だ!」

 

彼の声は演奏の指揮のように場へ通る。兵士たちの呼吸が揃い、荷車が止まりかけたのを持ち直す。

 

アタランテの目が、ほんの僅かにモーツァルトへ向いた。厄介な支援役だと認識したのだろう。

 

だが、次の瞬間にはもう槍と矢がぶつかっていた。戦いの幕が開ける。

 

 

□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

ジャンヌ(ランサー)が槍を構えて迎撃を続ける。周囲には役割を果たせなかった矢が散らばっていた。アタランテは脚力で翻弄し矢を射かければ倒せるとおも言っていた。だが。

 

「アーチャー。マスターの元へ向かうならばここで止めます」

 

アタランテは答えない。代わりに弓を持ち直し、指先で弦を軽く弾いた。

ぴん、と短い音が鳴る。

 

その音はただの確認だ。矢を番えなくても弦の張り具合を確かめる癖。長く弓を扱ってきた者の無意識の動き。

 

「・・・・なるほど」

 

やがてアタランテが口を開いた。

 

「確かに、お前は槍兵として優れている。空中のワイバーンを落とす腕前、そして今の構え。少なくともそこに立つ資格はあるのだろう」

 

「ありがとうございます。ですがその評価は必要ありません。私はあなたの賞賛を得るために槍を持っているわけではありませんから」

 

淡々とした言い方だった。礼儀としての言葉だけを返し、心はそこに置いていない。

アタランテはその反応を見てわずかに目を細める。

 

「・・・やはり妙だな」

 

「何がでしょう」

 

「お前の匂いだ。こっちにもそっちにもいる聖女と同じ顔をしているくせに、底にあるものが違う。お前はなんだ? 本当に同じ人物なのか?」

 

だがジャンヌ(ランサー)は表情を変えず声だけで少しうっとうしそうに感情を表現する。

 

「戦場で“匂い”を気にしている暇があるのですか? 狩人というのは鼻がきくようですね」

 

「ある。匂いは誤魔化せない。以外と頼りになるぞ」

 

矢を番える。

 

「獣も、人も、英雄もな」

 

次の瞬間、矢が放たれた。速い。

空気を裂く音が遅れて聞こえるほどの速度。

ジャンヌ(ランサー)は槍を使わず、無防備に受ける。

 

 だが――

 

ジャンヌ(ランサー)は一歩も動いていない。ただ放たれた矢を掴み、そのまま握りつぶした。

 

「正面から試すのはお勧めしません。私はあなたの矢を嫌いではありませんが、当たるほど鈍くもありません」

 

アタランテはそれを見てすぐ次の矢をつがえない。こいつは強い、そう判断して代わりに体を横へ滑らせた。

次の瞬間、林の奥から矢が飛ぶ。

 

別方向。

  別角度。

 

 狙いは――荷車。

 

「来ます!」

 

矢が弾かれてマシュが構えた盾から金属音が響く。

その隙を突くように、さらに二本。今度はマリーの足元へ。ジャンヌ(ルーラー)が旗を振り前へ出る。

 

「下がってください、王妃! こちらの対応は私が!」

 

マリーが慌てずに一歩引く。

 

「ありがとう、ジャンヌ。危なかったわ」

 

モーツァルトが舌を鳴らす。

 

「うん、やはりそちらを狙うか。“急所”をよく理解している。感情に任せて撃つ弓兵ではないね」

 

アタランテは林の影から言った。その姿は列のある位置からはよく見えない。

枝葉に紛れ、木影に身を潜めるその姿はアサシンとも言えるだろう。

 

「当たり前だ。狩人は獲物の足を止めるところから始める」

 

だが、アサシンはこの場に一人ではない。藤丸の側で待機していたジャックが前へ出る。

 

「・・・・・マスター」

 

「ジャック、待って。まだ単独で行くな。ジャンヌ(ランサー)が受け持ってくれてるから」

 

ジャックは少しだけ不満そうに唇を尖らせる。

 

「でも、あの人分かってるよ? こっちをどうしたらいいか」

 

「でも今は列優先だ」

 

そのやり取りを、アタランテは黙って見ていた。やがて大きめの声で藤丸へと呼びかける。

 

「面白いな、カルデアのマスター。お前は“子どもを戦わせない”と言うわけではない。だが“勝手に戦わせる”わけでもない。なんならそこのランサーも積極的に動かさない」

 

藤丸は視線を逸らさない。

 

「俺のサーヴァントだからな」

 

「そうか。ならば、なおさらだ。お前の考えが正しいかどうか、試してやる」

 

その瞬間。矢が五本同時に放たれた。

 

全てが別方向。

全て別の高さ。

 

 そして全て、急所ではない。

 

 列を乱すための矢が一斉に放たれた。

 

「マシュ!」

 

「はい!」

 

大地を蹴って宙へ舞ったシールダーの盾が回転するように動き、まず二本弾く。

次に一本は地面へ見逃された。陽動の矢をマシュは最初から相手にしていなかった。

 

 残り二本。

 

 それを――

 

槍が叩き落とした。一気に距離を移動していなしきったのはジャンヌ(ランサー)だ。

 

「・・・・なるほど。反応速度だけなら確かに上等だ」

 

次の瞬間、アタランテが林の陰から跳んだ。弓兵の距離を一気に詰める。

拘束接近による格闘戦闘を仕掛けてきたのだ。

 

繰り出された打撃をジャンヌ(ランサー)が槍で受ける。

その衝撃に周囲の草が揺れ、地面がえぐれる。

 

「おや、接近戦もお得意ですか? 間合いに来てくださるなんて親切ですね」

 

「狩人は獲物の懐にも入る。・・・見くびるなよ」

 

鋭利な角度で繰り出された蹴りは槍の柄で受け流され、そして反撃として轟速の槍が突き出される。

だが、アタランテの速度は本物である。ワイバーンを軽々仕留める槍であっても後退して回避____。

 

距離が開けば、互いに間合いを測る。

 

 数秒の沈黙。

 

それを破ったのはジャックだった。

 

「・・・・つまんない」

 

 小さく言う。

 

「なんだと?」

 

アタランテの視線にジャックは首を傾げた。

 

「あなたマスターのこと見てるのに、ジャンヌ(ランサー)とばっかり遊んでる。それ、変だよ。私もいるのに」

 

「私は無意味に子どもを傷つけるつもりはない」

 

「私は子どもじゃないよ。マスターのナイフだから」

 

その言葉に、アタランテの声が低くなる。

 

「さっきはそれが問題だと言ったんだ。子どもが“誰かの刃”として誇るような世界を私は認めないとな」

 

「・・・? でもマスターは言わないよ。刃になれなんて。自分が決めたの」

 

アタランテは沈黙した。それは予想していなかった答えだった。

モーツァルトがその様子を見て、静かに言う。

 

「どうやらこの戦場は“正しさの議論”をしている余裕がないらしい。アーチャー、君が守りたい理屈も理解はするが今この瞬間の現実は少しばかり乱暴だ」

 

アタランテはゆっくり弓を下げた。

 

「・・・そうだな。そうらしい。今日はここまでにしておこう」

 

マシュが驚き、思わずアタランテへ言葉を投げかける。

 

「撤退のつもりですか?」

 

「試す目的は果たした。お前たちを葛野は容易ではないようだ」

 

言葉を続けながらその視線をジャックへ向ける。

 

「だがその在り方が正しいかどうかは、まだ分からない」

 

「マスターが決めるよ。それが正しいから」

 

「・・・厄介な子どもだ」

 

そして林へ跳び、風だけを残して一瞬で姿が消える。

 

「……行きました」

 

マシュの言葉にジャンヌ(ルーラー)が兵士達や市民へ声をかけて安否を確認する。

呼びかけに応じて救護を担当する兵士が答える。

 

「被害は?」

 

「接敵の際の矢で軽傷が二名。致命傷はありません」

 

そうした光景を眺めながらモーツァルトが肩を回す。

 

「やれやれ。これは序曲にしては随分と神経を使うね」

 

マリーが静かに言った。

 

「でも、彼女は本気で殺すつもりではなかったわ。試されたっていう気がするもの」

 

藤丸は林を見る。アタランテはもういない。

特異点を巡る戦いはまだまだ終わっていない。

 

 

 

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