川の流れは戦場の外にある光景のようだった。
水は変わらず石を洗い、陽光を受けて白く揺れて岸辺の草を静かに撫でていく。遠くで村が焼かれようと人が死のうと、流れそのものは変わらない。変わらない景色というのは時に無情さを際立たせる。
少なくとも今この瞬間、一行はその流れのそばで呼吸を整えられている。
それだけでも第一特異点での彼らにとっては十分な価値があった。
崩れかけた石橋の手前で列を止めて荷車の車輪を確かめ、馬の鼻先を撫で、水筒を満たす。子どもたちは母親に手を引かれながらも川面を覗き込み、兵士たちは周囲を警戒しつつ短い休息を取る。
その中で、橋の向こうから現れた新たな英霊――ゲオルギウスは場の空気を不思議なほど静かに変えていた。
彼はよく通る声を持っていた。
怒鳴らず、誇示せず、ただ自然に耳へ入ってくる声だ。
「こうして対面できたことをまずは神へ感謝しましょう。この地では出会うべき相手と出会うことすらひとつの奇跡に近い。ですから私はあなた方とここで会えたこと自体を良い兆しと考えたい」
そう言って改めてジャンヌ(ルーラー)へ一礼し、藤丸へ視線を向ける。
「そして、あなたがカルデアのマスターで合っていますね? 噂は耳にしています。あなたがこの一団を率いているのですね。疲労の中にあってなお列が崩れていない。避難民と兵士と英霊が同じ方向を向いている。それだけであなたがただの“そこにいる少年”ではないと分かります」
藤丸は少しだけ困ったように笑った。
「率いてる、って言えるほど立派なことをしてる自覚はないです。ただ、止まれないから前に進んでるだけで。それでも協力してもらえるなら本当に助かります」
「それで十分です。指揮官というものは最初から全てを知っている必要はない。今この場で何を優先するかを見失わず、他者の力を正しく借りることこそが大切なのですから」
マシュはその言葉に少しだけ胸が軽くなるのを感じた。
ここへ来てからずっと先輩は判断を続けている。止まる、進む、守る、追わない。誰を中央へ置いてどこまで戦い、どこで撤退と見なすか。その一つ一つに答えを出し続けている。それを外から来た英霊が正面から肯定してくれたことは素直に嬉しかった。
途中までこちらを眺めていたジャンヌ(ルーラー)がゲオルギウスへ向き直る。
「あなたの助力は本当に心強いです。今この国では竜の魔女がワイバーンを率いて各地を焼いています。村々は焼け落ちて街道は寸断。逃げる人々は行く先々で更に追い詰められている。だからこそ、竜に対して明確な優位を持つあなたの存在はそれだけで希望になります」
「希望、ですか。そう言われると少し気恥ずかしいものがありますね。ですが竜を討つという役割において、私は確かに人並み以上の働きが出来るでしょう。もしこの特異点が“竜を旗印にした戦争”であるなら、その牙を折るのが私の務めです」
モーツァルトが面白いものを見たと言いたげな顔をして会話へ混じってくる。もちろんマリーも伴って。
「結構。こういう時、役割をはっきり言い切ってくれる人間は助かる。それだけで戦場は少しだけ整理されるからね」
「ええ、本当に。しかもあなたの言葉は安心します。強い方は大勢いらっしゃいますけれど、強さをそのまま“安心”として受け取れる方は案外少ないのですもの」
「そう言っていただけるのなら聖人としての面目は保てそうです。もっとも、安心というものは武力だけでは作れません。この列がまだ歩けているのは私のような後から来た者の力ではなく、ここまで守り抜いてきたあなた方の積み重ねでしょう」
その言葉にマリーは少しだけ肩を揺らして笑い、ジャンヌ(ルーラー)は真面目な顔のまま「ありがとうございます」と返した。
そのやり取りをジャンヌ〔ランサー〕は少し離れた位置から静かに見ていた。槍を携えたまま、姿勢は美しく、表情は穏やか。
けれどその穏やかさの奥には、場の空気へ完全には溶け込まないものがある。
藤丸が皆の視線を地図へ戻すように言った。
「じゃあ、状況を整理しよう。今の俺たちに必要なのは竜への対処を強くすることと、敵サーヴァントの配置をもっとはっきりさせることだと思う。ゲオルギウスさんが加わったなら、少なくともワイバーン対策は一段上がる。その分、敵の主力――ジャンヌ・オルタとサーヴァントへの対応を考えたい」
川辺の平らな石へ兵士が急いで地図を広げる。完全な地図ではない。ところどころは記憶頼りで、焼けた村や通れなくなった道はその都度書き足されている。それでも今の彼らにとっては命綱。
ジャンヌ(ルーラー)が地図の一点を指した。
「現在地はここ。南西から北西へかけて、竜の出現頻度が高い。これは単なる偶然ではなく何らかの拠点か、あるいは巡回経路があると見て良いでしょう。加えて、これまで接触した敵サーヴァントの動きからすると、彼らは単独行動ではなく、ある程度の役割分担を持って散開しています」
モーツァルトがその言葉を受けてこれまでの旅路を補足する。
「デオンはこちらのの強度確認。カーミラは王妃への圧力。アタランテは隊列の揺さぶり。ファントムは精神的な攪乱。実に嫌らしい。竜の魔女自身が全部を抱えているのではなく、各サーヴァントの性質を上手く戦術へ組み込んでいる。少なくとも敵方には誰か“戦争を理解している頭”がいると見た方がいい」
ジャンヌ(ルーラー)の表情が少しだけ沈む。
「ジル・・・でしょうね。彼は私を“聖女”と呼び続けながら、最も醜い形でその名を汚している。もしジャンヌ・オルタがこの戦争の炎なら、ジルはそれに薪をくべ続ける役目を喜んで引き受けるでしょう」
そこでジャンヌ(ランサー)が、やや冷えた声で口を挟む。その目には苛立ちよりも侮蔑の感情が浮かんでいるようにも見える。
「復讐と狂信。確かに分かりやすい組み合わせですね。ですが私としてはそこまで気にかける価値を感じません」
マシュは反射的にそちらを見る。予想していた通りの反応だったがこうして会議の場ではっきり言葉にされるとやはり場の空気が少し変わる。
それでもゲオルギウスは穏やかに尋ねた。
「それは何故でしょうか? 敵の中心を成す感情を知ることは戦いにおいて無駄ではないと思いますが」
「無駄とまでは言いませんよ。ただ“価値が低い”のです。ジャンヌ・オルタが何に怒り、何を憎み、何を燃料にしているか? それは彼女自身の物語としては重要なのでしょう。ですが、私にとって重要なのはあくまでマスターへ危害が及ぶかどうかだけです。世界へ向けた怒りだの、祖国への復讐だのという話はその意味では二の次です」
ジャンヌ(ルーラー)が静かに目を上げる。
「あなたは・・・・・、彼女を理解する必要がない、と? 自分と瓜二つの存在が・・・命を奪い続けているというのに?」
「はい。私はああいう感情を軽いとは思いません。むしろ世界を焼くには十分な質量を持っているのでしょう。ですが、“誰かを愛した結果として壊れる”のと“世界に怒って壊れる”のとでは優先順位が違います。後者は正直なところ私にはどうでもいいのです。何の意味が?」
その言い方は極めて穏やかで感情的な見下しではない。だから余計に冷たい。
マリーが少しだけ考え込むように唇へ指先を当てた。
「つまり、あなたにとっては“誰か一人を中心にしているかどうか”が大きいのね?」
「ええ、その通りです。私はマスターを中心に在ります。ですから世界へ向けた怒りや理念で自分を保っている相手には、あまり興味が湧きません。悪い言い方をすれば、“まだ余裕がある”ように見えるのです」
あまりにもあまりな言葉にモーツァルトが乾いた笑いを漏らす。呆れを通り越して乾いた笑いが浮かんでいる。
「これはまた実に豪胆な切り方だ。竜の魔女本人が聞いたら、火力が二倍くらいに上がりそうだね」
藤丸はというと、やや困ったように頭を掻いた。
「そこまで言わなくてもいいだろ……」
「失礼しました。ですが私は本心を述べただけです。そしてマスターがそう望まれないなら、これ以上この件に深入りはしません」
藤丸は軽く息を吐いて話を戻した。なんで自分のサーヴァントの「あっ、こいつやばいな」みたいな話題に広がりかけているのか。なぜか情けない気持ちが湧き出てきて悲しい....。
「気持ちは分かった。でも今は敵の中心がジャンヌ・オルタだってことだけ押さえれば十分だと思う。大事なのは、そこへ行くまでに今の勢いを潰さないこと。ゲオルギウスさん、ワイバーンへの基本方針をもう少し詳しく教えてほしい」
ゲオルギウスは、待っていたかのように剣の柄へ手を置いた。
「呼び捨てで構いませんよ。ワイバーンへの対策ですね? 承知しました。まずワイバーンは“竜種”に連なる存在ではありますが、真なる竜ほど完全ではありません。鱗は硬い。しかし、首、眼、翼の付け根といった部位には明確な弱点がある。また、人の隊列を襲う際には恐怖で散らすことを優先するため、突入前に一度高度を下げる傾向があります。その瞬間を狙えば、槍でも矢でも届く」
ジャンヌ(ルーラー)がすぐに応じる。
「つまり、私たちはむやみに追い払おうとするより、低く降りてきた瞬間に迎撃位置を合わせるべきなのですね。兵士たちへもその前提で隊列の組み方を伝えた方が良さそうです」
「ええ。それとワイバーンは弱そうな獲物を優先します。荷車、子ども、負傷者。そうしたものが隊列の中へ明確に見えるとそこへ角度を付けて降りてくる。ですから、中央へ守るべきものを集めるのは正しいのですが、“見え方”にも気をつけた方がいい。布や盾、旗で視線を切るだけでも狙いはかなり散ります」
サンソンが頷き、自分の考えを口にする。分野は違うがやはり専門家の意見というものには得心がいく箇所があるのだろう。
「視覚的な遮蔽か。なるほど、逃がすより“狙わせない”わけだ。戦場というより、処刑場で観衆の目を切る手法に近い。嫌な知識だが役には立ちそうだ」
マリーも会話に混ざり、柔らかくも実務的な提案をした。
「それなら、子どもたちと負傷者を載せた荷車に布を多めに掛けましょう。見た目は少し息苦しいかもしれませんが、空から真っ先に狙われるよりはいい。それに私やジャンヌが外側で目を引く位置へ立てば竜の意識も多少は散るでしょう」
その発想は自然で強かった。自分を囮と言い換えず、役目として口にするあたりがいかにもマリーらしい。藤丸は即座に首を振る。
「それはやりすぎないようにしたい。マリーもジャンヌも象徴であると同時に戦力だ。狙わせるのを前提にすると、次は敵サーヴァントがそこへ合わせてくる」
マリーは「それもそうね」と素直に頷いたが、表情からは“必要ならやるつもりだった”ことが透けて見えた。
モーツァルトは苦笑しつつもこういうのが彼女だよな~という反応。
「君たちは本当に前へ出ることを躊躇わないね。こちらとしては感心するより先に頭痛がしてくるがまあそれが美点なのだろう。ともかく、竜に対しての方針は見えてきた。なら次は、敵サーヴァントの当たり方をどうするかだ」
その会議は思ったより長く続いた。しかし、その長さは自分たちのこの先に必要なものだった。
誰が何を守りたいのか。
何を優先し何を危険と見なし、どこまで譲る気があるのか。
それを言葉にすることは敵へ付け込まれる弱点を増やすことでもある。だが味方同士が知らないままでいるよりは、ずっとマシなのも事実。
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一方その頃。
竜の魔女陣営では、幾度かの襲撃で得た情報の整理が進んでいた。
崩れた修道院。
かつて祈りの言葉が満ちていた場所は、今や煤と血と魔術陣の匂いで満たされている。ワイバーンの影が上空を横切るたび、割れたステンドグラスの残骸がちりちりと震えた。ジャンヌ・オルタは祭壇だった石段へ腰掛けて頬杖をついている。
その顔にあるのは怒りだけではない。退屈と苛立ちと、そして何かを待っているような気配。
「・・・・それで?」
彼女は足元で恭しく頭を垂れるジル・ド・レェを見下ろした。
「新しい報告はまさか“また失敗しました”だけじゃないでしょうね」
ジルは狂気を帯びた恍惚の笑みを浮かべたまま答える。
「ええ、もちろんでございます。我が聖女よ。カルデアの一行はなおも避難民を連れて移動を続けております。加えて、新たな英霊と合流した模様。竜を討った聖人、ゲオルギウス」
「竜殺しか。面倒ね」
「はい。ワイバーンの優位がそのままでは通じなくなる可能性がございます。もっとも、我らにはまだ多くの手札がある。焦る必要はございません」
カーミラが壁にもたれたままくすくすと笑った。
「本当に厄介な列ですこと。王妃がいて、聖女がいて、音楽家がいて、今度は竜殺しまで加わる。まるでこちらが丁寧に“物語の登場人物”を揃えて差し上げているみたいね」
「気持ち悪いことを言わないで。あいつらは“主人公ごっこ”をしているだけよ。綺麗事を並べて、守るだの救うだの言っていられるうちはまだ本気で潰されていないというだけ」
その時、修道院の入口に気配が一つ。
戻ってきたアタランテだ。彼女は弓を掴んだまま、一礼もせずただ簡潔に言う。
「見てきた。あの連中はまだ折れない」
「でしょうね。折れるなら、もうとっくに折れてる。だから面倒なのよ」
「だが、弱いわけではない。ただし――綺麗には戦えない。特にあのマスターは“誰も切り捨てたくない”という顔を隠していない。そこは揺れるだろう」
「やっぱりね。そういう顔、一番嫌いなのよ。何も失わないまま勝てると思ってる顔じゃないだけまだマシだけど。でも結局は“自分が全部背負います”って顔でしょう? そういうの見てると焼きたくなる」
「私はそこまで単純には見えなかった。あれは全部を救えると信じている顔ではない。むしろ救えないことを知りながらも、それでも手を離さない顔だ」
その評価に修道院の空気が少しだけ変わる。
ジルは興味深そうに目を瞬き、カーミラは笑みを深くし、ジャンヌ・オルタだけが不機嫌そうに腕を組んだ。
「余計に気に食わないわね」
「そうか。だが、あの子ども――ジャックとお前と同じ顔をする槍兵は危険だ。あれは単なる暗殺者と戦士ではない。子どもの姿をしているのに、子どもとして守られることだけを望んでいない――――というかその発想すらない者、そして殺すことにまるで躊躇いがない不気味な女。あのマスターに対する執着も強い。連中を倒すならばあれを中心に考えるべきだ」
「へえ。そんなちびっことか私の偽物がね」
「・・・軽く見ない方がいい。アレらは・・・・無理だ。少なくともあのアサシンを“守られる側の子ども”として扱うだけでは間違える。だが、武器として割り切るのも違う。あれはあのマスターの傍にあることで成立している何かだ。槍兵もだ。奴はこちらの動きをまるで何でもないかのように捉えてきた。下手に刺激するのは得策じゃない」
ジャンヌ・オルタはそれを聞いて、僅かに笑う。
「なるほど。つまりマスターを削れば、そこも揺れるわけ?」
アタランテは何も言わなかった。肯定もしない。否定もしない。
その沈黙がむしろ答えになっている。
その時、少し離れた柱の陰に立っていたマルタが静かに口を開いた。
「・・・・嫌な話ね」
全員の視線が彼女へ向く。青い髪を揺らし、十字の杖を携えた聖女は露骨に不快そうだった。
「子どもをどう使うかとか、誰を揺らせば列が崩れるかとか。さっきから聞いていて少しも気分がよくないわ」
カーミラが目元に明らかな気色を伴ってくすりと笑う。
「まあ、聖女様らしい感想ですこと」
「皮肉を言うなら好きになさい。でも私は、本来こういうやり方が好きではないと言っているだけよ。敵であっても、戦うならまだしも人の心を折るのを前提にした話ばかりなのは感心しないわ」
「感心しないならどこかへ行ったら? 私は別に、あなたへいい子でいろなんて頼んでない。でもこの戦争はあなたが嫌がるようなやり方を含めて成立してるの。綺麗な顔だけして立っていたいなら、最初から敵側になんて来なければよかったでしょう」
その言葉はマルタの顔を硬くした。
だが彼女は言い返さない。言い返せないのではない。言い返したところでこの場で何かが好転するとも思っていないのだろう。
「・・・・・・少し外へ出るわ」
それだけ言ってマルタは修道院を後にした。誰も止めない。止める理由がないからだ。
竜の魔女陣営は、味方同士でさえ完全には噛み合っていない。だが、それでも今は“同じ方向に火を向けている”という一点だけで成立している。ジャンヌ・オルタは、マルタの背中を見送りながら小さく呟く。
「聖女って本当に面倒。自分の気持ちを守るために、いちいち正しさを持ち出すんだから」
アタランテがげんなりした顔で疲れを込めた低く声で言う。
「お前が言う台詞か?」
「私だから言えるのよ」
彼女は旗を肩へ担ぎ直した。
「どうせ皆、気に食わないものを抱えたまま戦ってる。だったらその不快さごと利用すればいいだけ。・・・・次はもっと近くまで行くわよ。カルデアのマスターがどこで線を外すか見てやる」
□□□□□□□□□□□□
暫くした頃、修道院を離れたマルタは一人で荒れた道を歩いていた。夕方へ傾き始めた空。風に混じる灰の匂い。
遠くから聞こえるワイバーンの鳴き声。
「まったく・・・・・、どうしてこんな連中と一緒にいるのか自分でも分からなくなってきたわ。敵味方がどうこう以前に、やっていることが気に入らないのよ。復讐だの狂信だのは勝手にすればいいけど、子どもや避難民を揺らして遊ぶみたいな真似まで付き合う義理はないでしょうに」
答える者はいない。
だからこそ、彼女はそのまま独り言を続けた。
「それに話に聞くカルデアの一行。敵なのは敵なんでしょうけど、どうにも妙なのよね。特にあの白髪の子と紫髪の魔術師ともう一人のジャンヌ。うまく言えないけれど、“よく分からない”のよ」
ふと立ち止まり周囲を見回すが誰もいない。少なくともそう見える。
「・・・・・気のせい、よね?」
そう言って歩き出した。だが、その背後――崩れた石垣の影に、白い指先が静かにかかっていた。
今はまだ、そこに“誰かがいた”とさえ断定できない程度の気配。
しかしその気配は確かにマルタの独り言を聞いていた。
藤丸の目が届かない場所で戦場は別の形を取り始めている。そのことを知る者はまだいない。
そう、既に“目の届く戦場”だけでは足りなくなりつつあることを誰も。