マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第14話 「魔女」

 

黒く焼けた石畳の上には、爆ぜたような抉れと剣戟の傷がいくつも走り、半ば崩れた門の残骸には黒旗と杭、鎖が幾重にも渡されている。

人の営みを守るための防衛設備だったはずのものは、今やここから先が生きた人間の場所ではないと見せつけるためだけの境界に変わり果てていて、風に巻かれる灰と焦げた匂いが、その嫌な確信をいやでも強くした。

門の向こうに広がる市街は熱気と煙に濁って輪郭を失い、遠くに見える建物の骨組みだけが、焼け落ちた都市の末路をかろうじて示している。

 

広場へ並ぶ兵の列もまた、まともな軍勢には見えない。

槍を持ち、鎧を着込み、隊列らしきものを作ってはいる。だがその歩き方は人の兵士のものではなく、兜の隙間や甲冑の継ぎ目から覗く肉は不自然に膨れ、裂けた箇所の奥では鈍い鱗が生々しく光っていた。兵士の死体へワイバーンの要素を混ぜ込み、死した後も兵として使い潰すために作られた竜化兵――ジル・ド・レェが聖杯の力で生み出した、兵と竜の出来損ない。喉の奥から漏れるのは人の呼吸ではなく、獣の咆哮を無理やり人型へ押し込めたような濁音で、数の脅威以前に存在そのものが冒涜だった。

 

 

その異形の列の中央に、三つの気配。

旗を携えたジャンヌ・オルタ。その傍らで目を細めるジル・ド・レェ。

加えて、ただ破壊だけを前へ押し出したような黒騎士――バーサーカー、ランスロット。

 

燃え残る支柱を背にしてジャンヌ・オルタはゆっくりと笑った。

 

「ようやく来たのね。ここまで辿り着いたことくらいは褒めてあげてもいいけれど、だからって何かが変わるわけじゃないわ。この国はもう、人の祈りや都合で取り戻せる場所じゃない。この国の未来の姿ってワケ」

 

その言葉へ応じるようにジャンヌ(ルーラー)が一歩前へ出る。

 

「ええ、だからこそ止めに来ました。あなたが怒りを抱くことも、悲しみを抱くことも否定はしません。・・・私なのですから。ですが、その先に人々を焼くことだけは許しません。ここから先を憎しみのための炎にしてしまうわけにはいかないんです」

 

黒の聖女は鼻で笑い、旗の石突きで石畳を軽く鳴らした。

 

「本当に気持ち悪いくらい聖女なのね。許さない、止める、守る。そうやって立派な言葉を並べていれば、自分が何を踏み潰してるか考えなくて済むんだもの。……まあいいわ。それなら綺麗なまま焼けてくれた方が、鬱憤も晴れるものです」

 

「おお、我が聖女・・・・! なんと美しく、なんと正しい憤怒でしょう。ええ、その通りですとも、今こそこの穢れた世界を――」

 

「黙っていてください、ジル」

 

 

 

視線すら向けないまま告げられたその一言でに口を閉ざした。藤丸はそのやり取りを見ながら、短く息を吸う。

なら、やるべきことをを間違えられない。

 

「みんな、聞いてほしい」

 

藤丸が声を張ると、熱と灰に濁った広場の中でも、仲間たちの視線が自然に集まった。ここまで来る間に自分がどれだけ多くの者へ戦いを背負わせてきたかくらいはもう嫌でも分かっている。それでも今はその重さを抱えたまま決めるしかない。

 

「ここから先は乱戦になる。でも、乱戦だからこそ誰がどこを止めるかははっきりさせたい。一度に全部を抱え込むことはきっと出来ない。まだ倒してない敵だっているんだ。だから分けよう。ゲオルギウスたちは竜化兵を抑えて、こっちへ流れ込ませないでほしい。こっちはこっちで、目の前のことに対応する」

 

広場の別側には、すでに仲間たちが散っている気配があった。竜化兵の波をこちらへ寄せず、中央へ余計な圧を流し込ませないための別戦線。今この場で藤丸が見失ってはならないのは目の前だけ。

 

「ジャンヌ」

 

呼ばれたランサーの聖女はすぐ傍らで穏やかに微笑んだ。

 

「はい、マスター。どうされましたか?」

 

「ランスロットを止めてほしい。ジャンヌ・オルタに集中したいから一緒に相手するのは避けたい。・・・・できれば、短く終わらせたいんだ」

 

その言葉に彼女の微笑みがほんの少しだけ深くなる。表情は柔らかいままなのにそこへ宿る意味だけが静かに尖っていく。

 

「ええ、もちろんです。あなたへ届く前に終わらせますからどうかご安心を。少し騒がしくなるかもしれませんが、すぐ静かになりますよ」

 

柔らかな返答に迷いは一切ない。ジャンヌ(ランサー)にとって、マスターへ届く害意は排除されるべき対象でしかない。善悪ではない。事情でもない。彼へ向いた時点でそれはもう終わるべきものなのだと、彼女は当たり前のように理解している。

藤丸はそのまま視線を横へ移した。

 

「エレナ」

 

「あ、私?もちろんよ。万事お任せあれってね」

 

「俺たちがジャンヌ・オルタに集中してる間にジル・ド・レェを完全に抑えてほしい。支援とかは好きにさせたくない」

 

「ええ、できるわ。少なくとも“あなたたちが戦っている間、向こうに気持ちよく詠唱させない”程度ならね。もっとも、ああいうのってしぶといから少し本気で行くけれど。戦いって、始まる前にどこまで終わらせておけるかが大事なの。真正面から焼いたり壊したりするのも嫌いじゃないけれど、それだけじゃ芸がないでしょう?」

 

エレナは楽しげだった。けれど、その言い方の底には、自分が盤面そのものを握る側であるという絶対的な余裕がある。単に強いのではない。戦場を戦場として組み立てる前提ごと、自分の都合へ引き寄せることに長けているのだ。

最後に藤丸はマシュへ視線を移す。白亜の盾を抱く後輩はすでに迷いなく前を見ていた。

 

「マシュ。ジャンヌ・オルタは俺たちで止めよう。たぶん真正面から来る。・・・・支えてくれ」

 

マシュは盾の縁へ手をかけ直して強く、けれど静かに頷いた。

 

「はい、先輩。ここはわたしが受けます。どれだけ激しくぶつかってきても一歩も退きません。ですから先輩は、どうか目の前だけを見ていてください。そこへ届くものは、全部わたしが止めます」

 

ジャンヌ(ルーラー)も短く息を整え、その隣で告げる。

 

「私も参加いたします。あの人を止めるためにここまで来ました。言葉だけで届かないのならばそれでも構いません。せめてここで終わらせます。あなたが手を伸ばすのなら、その先だけは見失わせません」

 

 

そして、会話が途切れたその時。

黒騎士は地を蹴った。石畳を砕き、熱気を押し退け、進路上のすべてを叩き潰すためだけの突撃。人の形をした騎士は巨大な破壊衝動という甲冑を着て突っ込んできたように見える。

 

「来ます!」

 

マシュが盾を立てて防御を固める。だが、そのさらに半歩前へ出たのはジャンヌ〔ランサー〕だった。

 

「ええ。見えています」

 

 

穂先が下がり、なぎ払われた次の瞬間には彼女の槍がランスロットの胸甲へ届いていた。鈍く重い破砕音が広場へ響き、鎧の破片が散る。

騎士が真正面から吹き飛ばされ、石畳を砕きながら大きく滑る。並のサーヴァント同士なら、それだけで一瞬は体勢を崩すはずの衝突だった。だがバーサーカーは止まらない。踏み止まり、咆哮し、そのまま再度前へ出る。黒い魔力を噴き上げながら振るわれる剣は重く、荒々しい。

狂化によって理性は削がれていても、殺すための術は骨の髄まで焼き付いているのだろう。その斬撃はまともに噛み合えば押し潰されかねない圧を孕んでいた。

 

けれど――ジャンヌ(ランサー)は退かない。

 

「よく耐えますね。ええ、本当に見事です。ですが、マスターへ届かせるわけにはいきませんから」

 

振り下ろされた剣へ槍が正面から噛み合った。受け流すではなく受け止めてそのまま押し返した。

膂力、速度、体幹、踏み込み、そのどれか一つではない。戦闘という結果へ必要な全てが最初からランスロットを上回っている。性能差が鍔迫り合いでもくっきりと出ている。

黒騎士の剣筋がわずかに逸れ、その一拍で石突が膝を打ち、返しの穂先が肩口を裂き、さらに踏み込みの勢いをそのまま乗せた一撃が再び胸甲を深く穿つ。

 

ジャンヌ(ランサー)の強さは技巧の妙ではない。圧倒的な出力を圧倒的な精度で当然のように使いこなしていることにある。

だから相手が全力であるほど、その差は露骨に現れる。狂戦士の乱打を上から折ったと思えば重心をずらさせて膝を付かせる。立て直そうとした瞬間にはもう次の一撃が振り払われ抵抗の余地が乏しい。

戦うことは許されず、害意は最短で処理され続けていた。

 

 

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そしてその一方では別の邪悪が広場へ滲み始める。

 

「おお、我が聖女! ご安心くださいませ、今こそこの広場そのものを祭壇へ変え、あの者どもの息の根を――」

 

ジル・ド・レェが本を掲げれば石畳の継ぎ目へ黒い泥のような魔力が走り、焼けた空気へ歪な文字列が浮かび上がった。広場全体を儀式場へ変え、こちらの足場も視界も呼吸もまとめて汚染するつもりなのだろう。放っておけば厄介どころの話では済まない。

 

しかしその術式が完成することはない。

 

「いいわね! 舞台ぜんぶを自分色に塗りつぶす趣味は私も嫌いじゃないのだけれど。残念ね。今回は先に席を取っているのが私なの。イス取りゲームは苦手かしら?」

 

エレナが放った幾何学模様の光が走れば、丹精込めて描いた術式がごっそりずれる。

たったそれだけで広場全体へ広げられたはずの儀式は完成寸前で機能不全に陥る。

 

「な、何をした・・・・!? 私の陣が、どこで……!」

 

「教えてあげないわよ。あなたねぇ、仕事が普通に遅いわ。大きい式を描けば格好はつくけれど、そのぶん因果の固定が甘くなるの。因があって果なんだから、仕事はきっちりこなしなさいな。あなたの魔術ってこっちから指を入れる隙が多いのよね。もう少し慎重に組めば、私だってここまで簡単には崩せなかったかも知れないわね? ・・・・・もしかして素人?」

 

軽く笑いながら、エレナは本をひらひらと見せびらかす。「魔本がないとまともに戦えないんでしょ?」という盛大な煽りを込めて。

抵抗のためにジルが短い呪詛へ切り替えてもその効力は果たされない。

拘束を飛ばしても瞬間に弾かれる。広い広場で彼だけが抜け出せない泥沼へ沈んでいく。

 

「き、貴様ァ……!」

 

「戦いって始まる前にどこまで終わらせておけるかが大事なの。もちろん真正面から焼いたり切ったりするのも嫌いじゃないけれど、それだけじゃ芸がないでしょう? あなたは舞台を作るつもりだったみたいだけれど今回は悪いわね。その舞台装置ごと借りるわね」

 

ジルが広場へ伸ばすはずだった手はエレナがその上から握り潰している。

この魔女め!

 

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再びランスロットとランサーの戦いでは、狂戦士はなお前へ出ようとしている。剣を振り、咆哮し、目の前の槍兵を押し通ろうとする。だがジャンヌ(ランサー)の前にはそのすべてが届かない。

 

「まだ立てるのですね。ええ、本当に強い方です。ですが、それでも――もう十分です」

 

槍が閃く。剣が振り上がるより早く胸へ入り、踏み込みが地を噛むより先に重心を砕く。黒騎士の巨体がぐらりと揺れた。次に立て直そうとするその動きへさらに一撃が重なる。正面から、ただひたすら正面から、上回り続ける。その光景は常の英霊戦の延長ではない。

相手の全力を受けた上でなお余裕が残っている。戦闘用に最適化された獣冠英霊としての異常さがそこではっきり形を取っていた。

穴だらけの騎士と無傷の聖女。どちらが優位に立っているかは明らかである。

 

 

ジャンヌ・オルタはランスロットが押され、ジルの支援が叶わず、想定よりも押されていく様を眺めていた。憎悪を煮詰めたような瞳が次第に楽しげな色を失い、代わりに別種の熱を帯び始める。

 

マシュがそれに気づき、盾をほんの少しだけ上げる。

 

「先輩・・・来ます。今度はあの人自身が前へ出るつもりです。様子見は終わりということでしょう」

 

藤丸は頷く。怖くないわけではない。だがここで目を逸らしたならば、たぶんもう二度と前へは進めない。

 

「分かってる。マシュ、頼む」

 

「はい。ここは通しません。大船に乗ったつもりでお任せください」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□□

 

 

黒の聖女が旗を持ち上げたその瞬間。

広場に満ちていた熱が、一段深く沈んだように感じられる。

温度が上がったというだけではない。空気そのものが憎悪を燃料にして粘度を増したかのような重さを帯び、呼吸のたびに喉へざらついた痛みが残った。ジャンヌ・オルタは何も叫ばない。ただ黒旗を掲げ、その先をこちらへ向けるだけで広場全体へ“ここからは私が焼く”という意志を叩きつけてくる。

 

 

だが、その前にまだ一つ片づいていないものがあった。

ランスロット。黒騎士はなお立つ。胸甲を穿たれ、体勢を崩され、立ち上がるたびに次の一撃を叩き込まれているというのにそれでもなお前へ出ようとする。狂化が痛みも恐怖も剥ぎ取り、ただ破壊だけを行動原理として残しているのだろう。剣を振るう腕は鈍らず、咆哮は衰えず、その体は壊れながらもなお突進の形を取ろうとする。

 

ジャンヌ(ランサー)は息も乱さず立ち、構えも隙が無い。彼女にとってこの圧殺は決死の押し合いではなく、マスターへ向かう害意を途中で摘み取るための当然の工程にすぎない。

 

「まだ立てるのですね。本当に見事です。これほど打ちのめされてもなお前へ出るのですから、きっとあなたは強い方なのでしょう」

 

槍が一度、静かに引かれる。

 

「ですがそれでもここまでです。マスターへ届かせる理由はどこにもありませんので。____________肩慣らしはこの程度でいいでしょう」

 

ランスロットが咆哮した。最後の突撃とばかりに全身の黒い魔力を噴き上げて踏み込んでくる。

狂戦士としての膂力を極限まで叩きつけたその一撃はゲオルギウス達であれば犠牲は避けられなかっただろう。

 

 けれど。

 

ジャンヌ(ランサー)の槍は正面で迷いなく迎え撃った。

 

激突ではない。一瞬で終わる力比べでもない。黒騎士の全力を受け止め、その上からさらに押し返すための動き。

剣と槍が噛み合った瞬間、ランスロットの体勢が一拍だけ押し返される。その一拍は彼にとって致命の隙に等しい。

 

石突が脛を砕くように打ち据えられ、返しの穂先が脇腹へ潜り込み、踏み込みの勢いそのものを乗せた最後の一撃が今度こそ胸の奥深くへ届いた。黒騎士の巨体が止まる。いや、止められたのではない。完全に押し負けて貫かれたまま掲げられる。狂戦士としての全力を叩きつけた上で、それでもなお、正面から上回られた。

 

穂先がわずかに押し込まれたその瞬間、ランスロットの霊基が内側から砕けた。

黒い粒子が体の輪郭を侵食し、甲冑も、剣も、咆哮も、すべてがほどけるように崩れていく。広場へ落ちたのは歓声ではなく、ほんの一瞬だけ訪れた静寂だった。敵の前衛を担っていた最大級の暴力があまりにも一方的な形で削り取られたのだと誰もが理解するための一拍。

 

その静寂を最初に踏み潰したのは、ジル・ド・レェの悲鳴混じりの怒声だった。

 

「な、何という……! 何という冒涜、我が聖女の剣たる騎士を、あのように、あのように・・・・!」

 

彼は広場へさらに魔力を流し込もうとする。崩れかけた術式の残滓を無理やり繋ぎ、広域の儀式ではなく、目先の妨害と呪詛へ切り替えてでもこちらを乱そうとする執念だけは大したものだった。黒い文字列が再び石畳の上を這い、焼けた大気へ毒のような揺らぎが滲み出す。

だがその努力が実を結ぶことはない。

 

「まだやるの? しぶといのは結構だけれど、こうなるともう感心より先に面倒くささが勝つわ。戦いって始まる前にどこまで終わらせておけるかが大事なの。さっき言ったでしょう? 残念ね。もうこの広場、ぜんぶ私のものなのよ」

 

「き、貴様ごときに……! 私の術式が、私の祭壇が、そんな、そんな軽薄な――」

 

「軽薄で結構。深刻そうな顔をしている人ほど足元を見ないで転ぶものだもの。あなた、術式の規模ばかり大きくて、肝心の噛み合わせが甘いのよ。ほら、ここ。ここも、ここも。少し指を入れられただけで、こんなに崩れてしまうじゃない」

 

彼女が空中へ指先で円を描くと、ジルの足元に走っていた紋様の一部が、まるで最初からそこへ描かれていなかったかのようにほどけた。ひとつではない。ふたつ、みっつ。広場へ伸ばしたはずの魔力の通り道が、順番に切れていく。

 

視界を鈍らせるはずの呪いは熱の揺らぎへ呑まれ、拘束の呪文は狙うべき位置を見失い、新たな兵の召喚へ繋がるはずだった魔力の流れは空間そのものに逸らされる。エレナ・ブラヴァツキーというキャスターは、真正面から空を焼き払うような分かりやすい暴れ方こそしない。

だが戦場全体の前提条件へ指をかけ、敵にだけ“思った通りに進めない”状況を押しつけるそのやり方は派手な火力よりよほど始末が悪い。

しかも彼女はそれを平然とやってのけるのだから。

 

 

「さて、それじゃあもう少しだけ整理しましょうか。あなたが焦って短い技へ逃げるのは正しい判断だけれど残念。もう手遅れよ。欲張りさんにはお仕置きよね」

 

エレナの放つ光点が一斉に脈打ち毒々しく変色する。

副規則な軌道を描きながらそれらはジルに叩きつけられ、爆発の連鎖がその身を包み込む。

 

「が、ひ……っ、なぜ、だ。なぜ、私の、私の祈りが……!」

 

「祈りねえ」

 

エレナの笑みは明るいままだったが、その目だけが少し冷えた。

 

「それを祈りって呼ぶのは、さすがに厚かましいと思うわよ? 神秘っていうのはね、積み木みたいに重ねれば何でも届くわけじゃないの。まして自分の都合だけで塗りつぶしたいならなおさらね。・・・・はい、もうおしまい」

 

軽く鳴らした指先の音と共にジルの足元に残っていた紋様が今度こそ完全に掻き消えた。広場の中央から彼の祭壇としての機能が剥がれ落ちる。

 

 

つまりこれで敵の外殻がまた一枚消えた。そしてそうなれば残るのは当然言うまでもない。

ジャンヌ・オルタが藤丸達へゆっくりと前へ出る

旗を肩へ担ぐその姿にはもはや余裕めいた戯れも、ジルへ任せて眺めているだけの気安さも残っていなかった。彼女の背後で揺れる炎の密度が変わる。熱だけではない。呪いと怨嗟と憎悪が、焔の形を借りて空気へ満ちていく。その一歩ごとに石畳の焦げ跡がさらに黒く深まり、周囲の温度が狂ったように上がる。

 

「・・・・本当に、好き勝手やってくれたわね」

 

その声音は怒鳴っていない。むしろ低く、抑え込まれている。だからこそ危うい。

 

「前衛を潰して、ジルの手も折ってここまで。そう。そこまでやるならもういいわ。余計な前座なんていらない。ここからは私が直々に焼き払ってあげる」

 

旗が振り下ろさればその軌道を追うようにして炎が空間ごとこちらへ噛みついてくる。直線で貫く熱ではなく、触れた場所から広がりながら呑み込む類の焔。まともに通せば味方も、広場も、何もかもまとめて焼き潰すつもりの一撃。

 

だがその正面へマシュが一歩踏み出した。

 

「先輩は下がらないでください。ここはわたしが止めます!」

 

白亜の盾が黒炎の前へ差し込まれる。衝突の衝撃に石畳が軋む。熱が左右へ弾けて広場の空気が震え、焦げた塵が巻き上がる。

それでもマシュは退かなかった。

 

「何よそれ。随分と面倒な盾ね。防ぎきれるとでも?」

 

「面倒で結構です。あなたの怒りを否定するつもりはありません。悲しみも、憎しみも、そこにあるものとして受け止めます。ですが、それを先輩へ通すつもりもありません。ここはわたしが止めます。お好きなだけどうぞ。お得意なのは存じ上げていますので」

 

「受け止める、ですって? 随分と言ってくれるじゃない。だったらその盾ごと焼き切ってあげるわ!」

 

炎がさらに濃くなる。旗の石突きが石畳を叩き、続けざまの接近からの連撃。剣を薙ぎ、熱を押し出し、怨嗟を重ねて一息に押し潰そうとする本気の攻勢だった。

マシュはそのすべてを真正面から受けた。

 

一撃目は盾で止め、二撃目は回避でそもそも当たらない。三撃目は剣の踏み込みの位置を半歩だけずらし、後ろから抜けるはずだった熱を自分の正面へ固定しは弾く。守るべきものの前に必要な厚みの盾を置く――一切の攻撃を通さない、積み上げた経験は伊達では無い。

 

しかもそれだけでは終わらない。

ジャンヌ・オルタの旗が盾へ叩きつけられた、その直後。受け切った反動が広がる前に、マシュは半歩だけ前へ出た。盾打ち。守るために構えていたはずの白亜がそのまま押し返す力へ転じる。重く、短く、だが迷いなく。

 

「……っ!」

 

ジャンヌ・オルタの体勢がわずかに浮く。ほんの少しだけ。

マシュはさらに一歩踏み込んだ。盾を振るわず力を込めて押し返す。相手が攻め込むために選んだ軌道そのものを切り取り、炎の広がり方を殺し、旗の振り抜きで得るはずだった勢いをそこで折る。防御の極致がそのまま攻勢へ転じている。

 

 

 

ジャンヌ・オルタは攻めている。明らかに攻めている。にもかかわらず押し込めない。炎は散らされ、距離を詰めれば今度は白亜の盾そのものが前へ出てくる。

そこではじめて、黒の聖女の目に別の色が混じった。苛立ち。理解したくないものを理解させられた時の冷たい怒り。

 

「……なるほどね。ただ硬いだけじゃないってわけ」

 

「はい。守るだけでは届かない敵がいることはわたしも知っています。・・・・きっとあなた以上に。だから受けるだけでは終わりません。」

 

藤丸はそのやり取りを目の前で見ていた。

怖い。間違いなく怖い。ジャンヌ・オルタの怒りも黒炎の温度も広場へ満ちた憎悪も何一つ軽いものではない。だが、それでも退く気にはなれなかった。

 

「ジャンヌ・オルタ!」

 

藤丸が声を張る。黒の聖女がわずかに視線を寄越した。

 

「まだ何か言う気? 説教なら聞き飽きてるのよ、こっちは」

 

「説教なんてするつもりはない。全部分かった顔もできない。お前が何を抱えてここに立ってるのか、俺にはきっと全部は分からない。それでもだからって見過ごす理由にはならない。ここで止める。止めなきゃ、前に進めないから」

 

「本当に気に入らないわね。分からないくせに止めるだの、否定しないくせに許さないだの……中途半端な優しさで全部どうにかなると思わないで」

 

「思ってない、どうにかならないことくらい分かってる。だから、こうしてやるしかないんだ」

 

その言葉が終わるより早く、ジャンヌ・オルタが再び前へ出る。黒き聖女と白亜の盾が広場の中心で再び衝突した。

ランスロットとジルが無力化される一方、別戦線ではなお竜化兵を抑える戦いが続いているのだろう。遠くで竜の咆哮や火の音が混じる。けれど、今この場所で最も濃い意味を持つ戦場は間違いなくここだ。

 

 

黒の聖女と白亜の騎士。

憎悪で焼き払おうとする者と、それを受け切った上で押し返す者の衝突が木霊する。

 

 

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