マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第15話 「始まりの一歩目」

オルレアンの広場。その中心で魔女と騎士が正面からぶつかっている。

ジャンヌ・オルタが旗を振るい、剣を閃かせるたびに黒炎と呪いを帯びた熱が石畳を舐めて広がり、その直後へ斬撃が滑り込む。遠くから焼き払うだけではない。間合いへ入れば、そのまま首を刈り取るつもりで武器を振るう。荒々しいようでいて攻め筋には無駄がない。

 

だがマシュはその全てを防ぎきっていた。盾が必要な位置へ差し込まれ、黒炎が噛みつこうと剣が食い込もうとも一つとして通さない。押されているようには見えない。

 

ジャンヌ(ルーラー)もマシュと並んでジャンヌ・オルタと対峙していた。

二人のサーヴァントによって竜の魔女はその力を押さえ込まれ続け、決定打を打てずにいた。

 

藤丸は二人のすぐ後ろにいる。喉は極度の緊張と熱波でとうに乾いていた。背を向けたい衝動がないわけではない。それでもここで目を逸らすわけにはいかにと目をそらすことはない。己を鼓舞するために啖呵を切ったのだ。覚悟はもう出来ている。

 

 

「しぶといのね、本当に……!」

 

ジャンヌ・オルタが旗を薙げば黒炎が波のように押し寄せ、その熱に紛れて剣が踏み込み、マシュの盾てぶつかり行き場を失った炎が爆散した。

 

「先輩、そのまま前を見ていてください。ここはわたしが受けます。目の前の光景を見ていてくださればそれで十分です」

 

ジャンヌ(ルーラー)が宝具によって炎の流れを切る。

 

「マシュ、あなたは右を。こちらは私が抑えますから、そのまま押してください。藤丸、今は下がらないで。こちらがいつでも手が届く位置にいてください」

 

「分かってる!」

 

 

そう返したその直後。別角度から一条の矢。

熱の揺らぎと黒煙の隙間を縫い、ちょうど藤丸の喉元へ落ちる角度。

見えてからでは遅い。避ける間も、声を上げる間もない。

 

だが届くことはなかった。甲高い音を立てて矢が弾かれて石畳へ突き立つ。

 

「危ないところでしたね、マスター。ですが、もう大丈夫です。マシュさんの活躍を見届けられるようお守りしましょう」

 

ジャンヌ(ランサー)が槍を下ろしながら言った。

その視線の先には崩れた建物の高所、それまで建物の陰に紛れていたアタランテがもう次の矢を番えている。藤丸の防御がどうしても薄くなるこの瞬間を狙っての狙撃の予兆は今も確かに。

 

「ジャンヌ、頼む。今度は逃がしたくない。ここで止めてほしい。前はああ言ったけど今は任せたい。出来る?」

 

その言葉にはわずかに目を細めた。........ほんの僅かな喜色を浮かべて。

 

「ええ、承知しました。では今回はきちんと終わらせてまいります。どうかご安心ください。・・・・そのお言葉をお待ちしていましたよ。心から」

 

 

ぐにゃりと空間が解けるように歪んだ瞬間、アタランテは目の前に現れた存在に驚き後退しながら矢を放つ。

狙撃から切り替えたその攻撃は迎撃としても距離を取るための牽制射撃としても申し分ない。だが、ジャンヌ(ランサー)は止まらない。矢を弾き、踏み込み一つで距離を潰してそのままアタランテの腕を掴む。

 

「少し場所を変えましょうか。ここではマスターの目がありますもの。ええ、ええ、あなたにも少しだけ付き合っていただきます。・・・・・・・・・マスターのご厚意で何度も何度も見逃して差し上げましたのに、それでもまだマスターへ矢を向けるのですね。成る程分かりました。でしたら今回はもう逃がしませんとも。今回はマスタのお許しもありますからね」

 

景色が再び歪み、二人の姿が広場の風景から消えさる。

藤丸がそれを視界の端で捉えたのは一瞬だけ。

任せた以上今はジャンヌ・オルタから目を逸らせない。ジャンヌ(ランサー)が引き受けたならこちらは目の前のことに集中するべきだと。

 

 

広場の別側ではまだ乱戦が続いている。カーミラが赤い残光を引いて間合いを詰めれば、サンソンが静かに刃を差し込む。マリーがスキルで支援を行い、清姫の炎が退路を焼けばモーツァルトの妨害が注意を刈り取る。そうした積み重ねの果てに処刑人の刃が首を落とすことに成功した。

 

ファントムの歌は崩れた建物の影から広場へ濁りを流し込もうとしたがエリザの張り上げる声がそれを叩き潰していた。

ゲオルギウスとジークフリートが逃げ道を狭め、最後はエリザの一撃が細身の影を貫いた。

 

別戦線においても各人が役割を果たして敵を落としている。

だが、この特異点における中心の戦場は魔女との戦いである。

 

 

 

守りを突破すべくジャンヌ・オルタが剣を振るう。

炎の圧と剣の鋭さが正面から間髪入れずにシールダーとルーラーへ押し寄せる。マシュの防御を削り、ルーラーの支えを乱し、その後ろの藤丸まで届かせるための暴力の嵐。

だがマシュはほとんど傷らしい傷を負っていない。剣を受け、炎を止め、そのたびに一歩分だけ前へ出るための位置を積んでいる。

ジャンヌ・オルタの口元が歪む。

 

「そう・・・・。そういう顔をするのね。こっちを逃がさないって顔。だったら見せてあげる。盾も祈りも、何もかもまとめて焼き潰すやり方を!」

 

旗が高く掲げられる。広場の熱が、そこで一段跳ね上がった。

炎が凝縮されていき、彼女自身の魔力も全てが身体に、そして剣へと収束してただ一撃のためだけに形を取っていく。

 

 英霊の切り札たる宝具の発動。藤丸の背筋に冷たいものが走る。けれどマシュは動じない。

 

「先輩、そのままで構いません。防ぎますから、私に信頼を預けてください」

 

「――希望築く人理の盾(ロード・カルデアス)!!」

 

 

吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)――!」

 

破壊を込めた炎の奔流が広場ごと抉り取る勢いで叩きつけられた。

石畳がめくれ上がり、瓦礫が跳ね、半壊した石造りの建物へ新たな亀裂が走る。広場に残っていた熱の全てが乗ったような一撃だった。

吹きすさぶ熱波と衝撃波が黒煙をまき散らす。

 

 

 

だが、煙が晴れた後にはそよ風を受けた岸壁のように以前健在の防壁。

魔力と怒りを込めた炎は一切通ることは叶わなかった。

 

 

「・・・・・・・は?」

 

信じられないものを見る顔だった。思わず困惑が声に出るほどに。

 

「次はこちらの番です!」

 

その瞬間、マシュは盾を手放した。

ほんの一拍、盾をその場へ置いたまま尋常ではない速度で跳ぶ。地を蹴ったと認識した時には、もうその身体はジャンヌ・オルタの懐へ届いていた。

 

両拳を前へ揃え、そのまま全身の勢いを乗せて突き出す。ジャンヌ・オルタが反射的に突き出した刃は粉々に散った。

剣を砕いた双拳の直撃を受けたジャンヌ・オルタの身体が炎の余波を引き連れ、砕ける鎧をまき散らしながら後方へ猛烈な勢いで吹き飛ぶ。石畳を砕き、瓦礫を巻き込み、倒壊しかけた石造りの建物へ激突して貫通。そのままさらに向こうの家屋を倒壊させてようやく止まった。

 

血反吐を吐き出し、激痛と揺れる視界に耐えながら咳き込み、先ほどまでの一連の流れを思い返す。まともにやって勝てる相手ではない。防御を破れず、最大火力ですら無効化される。挙げ句に膂力が半端ではない。

だがジャンヌ・オルタは立ち上がる。血を流し、旗を石畳へ突き立てながらそれでも前を睨む。

 

「・・・・ふざけないで。こんな、こんなところで・・・!」

 

炎が再び燃えあがる。そこへ影が潜りこんだ。

藤丸のアサシン。その名をジャック・ザ・リッパー。

 

虚を突かれたジャンヌ・オルタが武器を構えるより早く、彼女の姿は炎の死角へ溶け込けこんだ。

次の瞬間にはもうジャンヌ・オルタの懐。

 

「『生者解体(フェイスレス・リーパーズ)』」

 

短刀が閃く。

 

一撃目が胸へ深く入る。

 二撃目が腹を裂く。

  三撃目、四撃目、五撃目。胸と腹へ休みなく何十もの刺突が叩き込まれる。そのどれもが致命傷となるもの。

 

さらに刃は両手、両足へも走る。血が瓦礫へ紋様を生み出し、旗が手から滑り落ちる。

 

「・・・・っ、あ、ぁ・・・・・ッ!」

 

ジャンヌ・オルタの口から怒声ではない掠れた声が漏れた。

そこへ迫ってきていたマシュが前へ出る。

 

「終わりです。あなたが何を抱えていたとしても、もう、終わりにしましょう」

 

藤丸は右手を伸ばす。令呪の熱が甲から一気に走った。

 

「マシュ!」

 

「はい!」

 

確実に勝つための最後のダメ押し。

マシュが正面から踏み込み、振りかざされた一撃が防御を取れない身体へ打ち込まれる。ジャンヌ・オルタの身体が地面ごとたたき潰され、そのまま砕けた石畳へ沈む。

 

それでもなお彼女は藤丸を睨んでいた。

 

「・・・どうして、そんな顔してるのよ。怖いでしょう。痛いでしょう。見たくないでしょう。だったら、最初から全部捨ててしまえばよかったのに。何、そんなに憐れみでもかけたいわけ? 倒したなら喜びなさいよ・・・・」

 

藤丸は息を整えながら答える。

 

「そうかもしれない。俺は強くないし、怖いし、見たくないものもたくさんある。でも、それでもここで手を抜いたらたぶん後悔する。全部は分からなくても、見過ごせないと思ったから、俺がやらないといけないからここにいるんだ」

 

ジャンヌ・オルタはしばらく黙り、それからほんの僅かに笑った。

 

「・・・・本当に、普通のことしか言わないのね。大義だの救済だの。誓いもなくてただ見過ごせないからだなんて。そんな覚悟でここまで来たなんてね・・・・、本当に・・・・・・、気に入らない」

 

次の瞬間、黒の聖女の霊基が崩れていく。

 

炎は白煙となり、憎しみの形をしていた魔力の膜が剥がれ、旗も灰へほどけていく。ジャンヌ(ルーラー)は目を逸らさなかった。マシュもジャックも藤丸も。ただその終わりを見届ける。

 

ジャンヌ・オルタは最後まで気に入らないものを見るような目つきのまま、しかしどこか満足したように静かに消えた。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□□

 

 

ジャンヌ・オルタが敗れる少し前に時間は遡る。

 

広場からかなり離れた街区ではアタランテが息を切らしていた。

街路は静まり返っている。崩れた礼拝堂の尖塔、焼けた外壁、風に舞う灰。ここには広場のような喧噪はない。

そこへ連れ去ったのはジャンヌ(ランサー)。

 

アタランテはここへ連れ込まれてから必死に戦った。高低差を活かしての機動戦。遮蔽物を活かしての狙撃。一度は成立したこともある接近戦も試みた。

その全てがまるで意味が無いかのようにあしらわれた。

 

原因は単純な性能差。

速度、耐久力、出力、反応....その全てが上を行かれている。アタランテが弓兵としてどれだけ正しく立ち回っても、埋めようのない力の差が

抵抗を許さなかった。なんなら離脱のために脚力を活かして動き回っているのに、行く先行く先へ姿を現してくる。まるで好きな場所へ移動できるかのように。槍の攻撃も最小限でこれまでと違って殺意が薄い。

 

「どうして・・・・・!」

 

「追っているわけではありませんよ? 少しだけお話しする時間をいただきたいだけです。何しろあなたには以前からずいぶん手を焼かされていましたから」

 

言葉と共にもたらされた次の一撃は槍ではなかった。アタランテが屋根の端を蹴って跳んだその着地へ先回りしたジャンヌ(ランサー)の拳が、真正面から腹へめり込む。息が潰れたところへ膝が顎を跳ね上げ、そのまま外壁へ叩きつけられる。石壁へ叩きつけられた背中が鈍い音を立てた。

 

「あなたが逃げるたび、そこへ先に行っているだけです。ええ、それだけのことです」

 

アタランテはすぐに立ち上がろうとする。だがその前に蹴りが肩口へ落ちる。石畳へ押し倒され、起き上がりかけた頭を踏みつけられた。殺すためならここで喉でも胸でも貫けば終わるはずだ。なのにジャンヌ(ランサー)はそうしない。ただ立ち上がろうとするたびに殴り、蹴り、叩き潰す。

 

「まだ動けるのですね。流石です。・・・・あなたには少し不満が溜まっていたんです」

 

言葉と共に落ちてきた踵もそこから振り上げられる足にも容赦はない。肩へ、背へ、脇腹へ。一撃ごとに骨と筋肉が軋み、身体の芯がずれていくような感覚。アタランテは地を転がりながら距離を取ろうとし、ようやく弓を拾い上げる。だが指をかけるより早く、槍の穂先が手首を裂いた。

 

それでもアタランテは弓を離さなかった。

外壁へ叩きつけられ、石畳へ転がり、呼吸を乱しながらもなお次の矢を番えようとする。だがそれでも追いつかれる。逃げ切れない。

 

「そう、不満が溜まっていたんです。あぁもちろん、マスターにではありませんよ? あの方に不満なんてあろうはずもありません。あなたです。何度も何度もマスターのご指示で見逃して差し上げたのに、そのたび懲りずに遠くから矢を向けてくるのですもの。ええ、さすがに少しだけ思うところはあります」

 

さらに拳が頬へ叩き込まれ、脳が揺れて視界の端が白く飛ぶ。よろめいた身体に追いかけるように膝が胸を打ち、次の蹴りが腿を払う。立てない。構えられない。逃げるための初動を作ることもできない。

 

 拳が腹へ深く沈む。

 膝が首に打ち込まれる。

 槍の柄が関節を打ちつける。

 蹴りが脇腹へめり込む。

 

「どうして・・・・すぐに、殺さない・・・!」

 

やっと絞り出した声にジャンヌ(ランサー)は小さく首を傾げた。

 

「何度も見逃してきたものですから」

 

槍の柄が肩へ叩きつけられ嫌な音がした。

 

「少しくらいは・・・・、お話しする時間と・・・・、あなたが自分の愚かさを味わう機会があってもよろしいでしょう?」

 

アタランテはなおも足を動かす。崩れた壁面を蹴り、建物の影へ転がり、呼吸を整えるより先にまた逃げを打つ。けれどそのたびにジャンヌ(ランサー)はそこにいる。拳が鳩尾へ沈み、肘がこめかみを打ち、蹴りが膝を砕くように入る。槍は要所だけを裂き、深く刺すことはない。致命傷は与えない。与えられるのに与えない。

 

だが彼女もまた英霊。やられるだけではない。

 

「・・・・・私が逃げるだけだと思ったか? これならどうだ! ____二大神に奉る!! 訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)!!」

 

ジャンヌから飛び退き、必死に耐えて溜め続けた魔力を空高くへと撃ち放つ。

空が瞬き、矢の豪雨が街区へ降りそそぎ、家屋を射貫き地面にいくつもの穴を開ける。一極集中の力ではなくとも、ある程度コントロールし異形へ一撃でも多く矢を射かけた。

 

 

 

やがて矢の豪雨が降り止み、大小様々な破片から身を守るべく飛び込んだ家屋の中で大きく息を吐く。

 

「はぁ.....はぁ......。なんだったんだ。あいつは・・・・。妙な移動能力だがあれが奴の宝具か? ここまでの範囲攻撃ならあるいは・・・」

 

 

 

 

「あるいは、なんです?」

 

「!!!」

 

反射的に顔を上げれば首を片手で掴み上げられる。

その力はとんでもなく、ギリギリと締め上げられて息が止まりかける。

 

「話さなくていいですよ? その目が語って下さっています。なぜ生きている、と顔に書いてあります。それは___」

 

言い切る前にアタランテがジャンヌの横腹を蹴り、脱出に成功する。が、飛び退いた壁ごと蹴り飛ばされて街路の反対側の壁に叩きつけられて苦痛に呻く。

 

「話を戻しますね? 単純ですよ、理由は。私はかなりの数を被弾しましたがはっきり言ってこの程度効きません。あなたの矢はこれまでに何度も捌いてきましたし、掴んだこともあります。だからこそ言います。鎧なしで当たっても損傷にはなり得ません。速度も威力もなんら脅威ではなりません」

 

「っ・・・・、だったらなんだ。堅さ自慢か?」

 

「あなたの抵抗が無意味であると遠回しに指摘しているだけです。マスターのランサーとして造られたのです。相応しい働きには、それに見合ったものが必要です。そして私以外にもまだ二騎が健在。あなた方には最初から勝機はありません。マスターの慈悲に従い、速やかな自決を推奨します」

 

一方的な言葉の数々。だがアタランテは不敵に笑う。それどころか憐れみすら込めた目でジャンヌへ視線を向ける。

 

「っふ、ははは・・・・・。造られた、だと? なんだ。こっちの聖女の別側面かと思ってたが、なんだ。ただの人形だったのか。人形を並べて戦うマスターに頭を垂れるのか。英霊などではないな。低俗な人形劇で子供には見せられん。何がマスターのためだ.....、当の本人の前では猫を被って大人しくするだけの凶器風情が偉そうに語るな!」

 

 

瞬間。穏やかな微笑みを携えていたジャンヌから表情が消え、それまでと桁違いの威力の殴打がアタランテへ注がれる。

殺意すらなく、ただ壊すために。

 

立とうとするたび殴られた。跳ぼうとするたび蹴り落とされた。弓を引くたび槍が腕や太ももを裂いた。殺すつもりならどこででも殺せたはずだ。なのにジャンヌ(ランサー)はそうしない。徹底的に痛めつけ、一方的に力の差だけを押しつけてくる。

 

「何度も見逃して差し上げましたのに」

 

槍の柄が足首へ叩きつけられ、手からこぼれた弓がジャンヌの手で原形を留めないほどに破壊される。繰り出した拳は握りつぶされ、槍が薙ぎ払われて胸が横一文字に切り傷を残す。

 

「もう本当に。あなたは救いようがない方です。マスターから向けられた慈悲に頭を垂れることもなければ、感謝もないとは」

 

発動したスキル、「異端裁判」の圧も重なる。アタランテの後悔、怒り、不信。そして守れなかったものの記憶。押し込めていた感情が輪郭を持って浮かび上がり、痛みで乱れた呼吸へさらに重くのしかかる。身体だけでなく心まで逃げ場を失う。アタランテは膝をつき、それでも顔を上げようとした。

直後、ジャンヌ(ランサー)の蹴りが横顔を打ち抜き、身体が石畳の上を滑る。

 

それからも路地には鈍い音が響き続けた。それまであった誰かが走る音は途絶え、ただ金属の鎧を纏った剛力が生身を打ちのめす音が絶えることなく続く。

 

 

 

 

それから暫くして。

アタランテの身体はもう立つ力を失っていた。衣は裂け、肌は血と灰にまみれ、呼吸は喉の奥で掠れ、石畳へ這いつくばる姿は打ち捨てられたボロ布のようにしか見えない。力ない呼吸音とうめき声だけが僅かに漏れる。

 

「もう動けないんですか? 正直まるで物足りませんが、マスターをこんな畜生風情の処理でお待たせするのは良くありませんね。・・・・正直に言うとですね。私が単独顕現であなた方の元へ個別に訪問し、宝具を使えばそれだけでこの特異点は片が付いたのですけれど、優しいマスターですからね。価値ある旅路を共に守ることにしたのです。」

 

ジャンヌ(ランサー)は自分に問うように呟く。

そして頬に手を添えて僅かに考えたあとにしゃがみ込み、アタランテの髪を掴んで身体を持ち上げる。

 

「本当に困った方でした。ですがこれで終わりにしましょう。ええ、ようやくですね。今度こそきちんと終わらせましょう」

 

これまでが嘘のように躊躇いなく槍が穿たれる。

心臓を貫く一撃にアタランテの身体がびくりと跳ねる。折れ曲がった手足を動かして抵抗しても掴んだ手は離れない。それどころか槍から手を放して再び拳が顔面に叩き込まれた。

そして槍を再び手に取り、そのまま宝具が発動した。

 

「いい加減目障りなんですよ。――『神の救いは既に亡く』(カリタス・モルトゥア)

 

 

発動と同時に崩れた壁の隙間に残っていた草が、屋根に止まっていた小鳥が、瓦礫の陰に潜んでいた虫も一斉に動きを止める。派手な破壊はない。ただ、この場にある生命だけが平等に終わっていく。

胸を貫かれたままのアタランテの身体が動きを止めた後に静かに崩れ始めた。

 

指先から、腕から、目の前で念入りに砕かれた弓から、衣から。全部が塵のようにほどけていく。最後まで立ち上がれなかった身体は聖女に髪を掴まれたまま、そのまま光の粒へ変わって消えた。

 

後には満足そうに冷笑を浮かべる聖女だけが残っていた。

 

 

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一方、門前広場の外れにある焼けた礼拝堂の陰ではジル・ド・レェが這っていた。

 

術式は崩され、衣は焼け、まともに立ち上がることすらできない。それでも腕だけは前へ伸びている。そこにあるのは聖杯。最後まで縋りついた神秘の核へ、みっともなくしがみつこうとしていた。

 

「あ、ああ・・・待て・・・。・・・・それは我が聖女の・・・・・!」

 

その先にエレナが立っていた。

腰に手を当てながら本を眺めるその姿はいつも通りに見える。けれど笑みの温度が違う。魔女らしく口角を僅かに上げた残酷さを宿した微笑み。

 

「本当に最後までみっともないのね。そこまでボロボロになって、まだこれを抱えていたいの? 執着って偉大だわ。別に褒めてはいないけれど」

 

ジルが必死に聖杯へ縋ろうとしたその腕をエレナは容赦なく足で踏みつけた。

悲鳴が上がる。

エレナはそれを当然のように拾い上げた。

 

「ふふ。危ないものは危ない人の手から離しておかないとね。ええ、これで一仕事完了。ちゃんと回収できたわ」

 

聖杯を軽く掲げ、その輝きを確かめる。そこで彼女はほんの少しだけ嬉しそうに目を細めた。

 

「こういう面倒な後始末って、分かりやすい成果が残るとちょっと嬉しいのよ。だって、役に立てたって証明になるでしょう? これならマスターにも胸を張れるわ!」

 

ジルはなお這い寄ろうとする。

 

「返せ・・・・! 返せ、それは・・・・我が聖女の、怒りの証で――」

 

「違うわね。これはもう、あなたの手を離れた時点で持つべき人の物になったのよ。価値あるものは然るべき手が持っていないといけないの。あなたみたいな人に預けておくには少し価値がありすぎるわ。勿体ないのよ」

 

周囲へ小さな光点が浮かび上がる。星のようでもあり、眼球のようでもあるそれらがゆっくりとジルを取り囲む。

 

「や、やめろ・・・・! それは何だ、何なのだ・・・・!」

 

「さあ? 言うわけないでしょう。聞けば何でも教えてもらえるなんて、ずいぶん甘えた考え方をしているのね。知る資格のない人にわざわざ種明かししてあげる義理なんてないでしょう?」

 

光が降る。

ジルの記憶が剥がれ落ちる。何をしようとしていたのか。何へ縋っていたのか。その輪郭だけが順番にほどけていく。それでも執着だけは残る。だから彼は何を失ったのかも分からぬまま、失っていることだけを苦しみとして味わうしかなかった。

 

「さあ、最後はきれいに終わりましょう」

 

エレナの魔力が膨れ上がる。

上空へ円盤状の構造体が現れた。それは幾何学的な動きを繰り返し、ジル・ド・レェの真上へ移動する。

 

『破滅的神秘探求』(アルカナム・プロヒビトゥム)!!」

 

ジルが悲鳴を上げるがもう遅い。身体が宙へ浮き、そのまま光の円へ吸い込まれていく。

 

「い、いやだ・・・・! 聖女、聖女! 我が――」

 

最後まで言い切る前に彼は消えた。

そこがどこなのかは誰にも分からない。知らなくていいこともあると聖杯を抱えたエレナの背中が語っていた。彼女はしばらくその場に立ち尽くし、それから小さく息を吐く。

 

「さて。雑音も消えたし、危ないものも回収したし、これで本当におしまいね。キルスコアは私が最下位かしら? 残念♪ ・・・・・聖杯を回収したのは私だし、マスターに褒めてもらえたりするかしらね?」

 

 

 

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残っていた竜化兵たちもまた、統率を失いカルデアと協力者であるサーヴァントによって散らされていく。

こうして、特異点の中心となっていた黒の聖女は消え、遠方から戦場を乱していた狙撃手も塵と化し、最後まで聖杯へ縋っていた狂信者もまた何一つ残さず処理された。

 

敵サーヴァントはすべて討ち取られ、竜化兵たちも壊滅し焦げた市壁の門前広場にはもう敵と呼べるものは残っていない。

 

聖杯はエレナの手の中に。そして味方は誰一人欠けていなかった。

焼けた石畳の上に立つ藤丸たちの影だけが、夜の終わりへ向かう火の明かりの中に長く伸びる。

 

 

かくして第一特異点オルレアンの戦いは幕を下ろし、人理を取り戻す旅の第一歩が確かに刻まれたのである。

 

 

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