カルデアの所長たるオルガマリー・アニムスフィア。
彼女の机には今すぐ消えてほしいものが三つある。
一つ目は仕事。
二つ目は冷めかけた紅茶。
そしてマシュ・キリエライトの提出した報告書。
オルガマリー・アニムスフィアはその三つ目を睨んでいた。
【「ファーストサーヴァントは譲れない」正典 第一特異点オルレアン】
「・・・・題名だけなら、まぁまぁありそうなのよね」
そこは認める。
最近は表紙を見た瞬間に頭痛が始まる資料もあった。思い出したくもないが。
そういう意味でこちらは非常に模範的だ。少なくとも何の話かは分かる。静養中に提出されたことに目を瞑ればだが。
第一特異点 邪竜百年戦争オルレアン。
カルデアのデータベースにも当然記録が残っている人理修復最初の本格的な戦場だ。ジャンヌ・ダルク、マリー・アントワネット、モーツァルト、竜の魔女、ジル・ド・レェ。
そこに何がいてどういう流れであったかは大枠なら把握している。
つまり今回は少なくとも比較対象がある。
「そうよ。今回はちゃんと知ってる話なんだから、読み比べればいいだけなのよ。毎回毎回、素手で正体不明の怪文章に挑んでるわけじゃないんだから」
自分で言っていて、ちょっと泣きそうになった。
泣いてはいけない。所長だから。
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「何で?」
オルガマリーは報告書から顔を上げた。
所長室にいるのは自分一人。当然返事は返ってこない。だから自分で続きを言うしかない。
「何・・・?この、何?」
見間違いではない。ちゃんと書いてある。
なんか獣成分強めで血なまぐささがある。獣臭いとはこういうことを言うのだろうか。そんなわけがない。
「いや、待ちなさい。そこはまだいいわ。何もよく無いけれど、冬木の話で情報はあったじゃない。そうよ、何がビースト。恐るるに足らず」
自分で言ってなんか悲しくなってきた。どうして自分を鼓舞しながら文章に思いを馳せなければならないのか。
だが、ここで机をひっくり返しても何も進まない。
オルガマリーは椅子へ座り直し、深呼吸して続きを読むことにした。
「違うのよね。なんか色々と」
第一特異点オルレアン。
そこは間違っていない。現地で味方サーヴァントと出会い、竜の魔女陣営とぶつかりながら特異点解決を目指す。それも間違ってない。
なのに、読んでいて頭に浮かぶ景色なんか違う。
相違点をまとめてみよう。
①開幕時点の同行戦力がまったく違う。もっとこう、戦力不足を現地で補っていく旅だったはず。
②敵サーヴァントが狂化されてない気がする。そのせいでなんか相手側の空気悪いじゃん?
③陰惨な猟奇事件が複数発生している。
④損耗がほぼない。
⑤避難民とか知らん、何それ・・・・・。
⑥なんか後輩強くね?
「なんなのよこの邪悪な間違い探し! 第一特異点ってこんなに避難行軍みたいな話だったかしら・・・・?」
カルデアのデータベースにある第一特異点では、敵サーヴァントは狂化を施されている前提だ。だからもっと荒く、もっと分かりやすい脅威として聞き及んでいた。ところがこの報告書だと違う。
弱気者達を、懸命に努力する人々を、悪意に滾る者達が踏みにじる。
「なんか普通に性格が悪いのよ。やるんならもっと真正面から来なさいよ。何でそんな、いちいちこっちの嫌なところにちょっかいかけてきてるのよ。現地にいなくてよかったわ・・・・」
小さく呟いてからオルガマリーは別のページへ移った。そこでさらに頭を抱える。
「いやホントにあなたも何なのよ」
もちろん相手は報告書の中のマシュ。
「冬木の時点で普通じゃなかったのは分かってるわ。本当かどうかはともかく書いてあったし。でも第一特異点の段階で、どうしてそんなに前に出てるの? 頑張る後輩じゃなくて、これじゃもう普通に主力でしょうが」
そしてそれに加えてのランサー、アサシン、キャスター。
索敵に迎撃。独自行動も出来て必要ならば対サーヴァント戦もそつなくこなす。
「ジョーカーは1枚でいいのよ。なんで何枚もあるのよ。 ・・・・・一人で読んでても埒が明かないわね」
敵が違う。
特異点での流れが違う。
カルデアの戦力が違う。
こんなものは提出者本人にしゃべらせた方が早い。
気は進まないがオルガマリーは内線を押した。
「マシュ・キリエライトを呼んでちょうだい。今すぐ。あと紅茶も新しいのをお願い」
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「失礼します、所長」
入ってきたのは見慣れた人物。
姿勢よし、返事よし、表情よし。少なくとも見た目だけなら第一特異点の報告確認に呼ばれた職員として完璧である。中身は知らない。
「そこへ座りなさい」
マシュは素直に腰を下ろす。
オルガマリーはその様子を見ながら、少しだけ呼吸を整えた。今回は全体像の確認だ。細部から突っつくとろくなことにならない。
「まず確認するわね。これはあなたが提出した第一特異点オルレアンの報告書で間違いない。そうよね?」
「はい。私がまとめたものです。内容についても私の認識では問題ありません」
「でしょうね。あなたが問題があると思って出してくる性格なら、今頃私はもう少し穏やかな人生を送れていたでしょうし」
「恐縮です」
「褒めてないのよ。褒めてないのよ。本当に褒めてないのよ」
「で、率直に聞くけれど。これ、本当に第一特異点なのよね?」
「はい。第一特異点オルレアンで間違いありません」
「カルデアのデータベースにある記録とかなり違うのだけれど」
「そうですね。私も所長が言う資料を見ましたがなんか違いますね。ですが私が多分正しいです。逆転は認めません」
「あなたは何と戦ってるの? どうするのよこれ」
「・・・・? 申し訳ありません?」
「本当にそう思ってる?」
「三割くらいは」
「微妙に低いのよ」
オルガマリーは紅茶を一口飲んだ。めっっっっっちゃ熱い。冷え切る心への救いである。誰が入れたのよこれ。
「いい? 私は今、戦闘の順番を一個ずつ聞いてるんじゃないの。全体像の話をしてるのよ。あなたの報告書だと第一特異点がずっと避難民込みの護送と継戦の話になってる。そこがまず、私の知るオルレアンと違う」
「はい。かなり移動と維持の比重が大きかったです」
「そう、それ」
ようやく通じた感じがしてオルガマリーは報告書を叩いた。
「ジャンヌと合流して、マリーとモーツァルトがいて、竜の魔女陣営と戦いながらオルレアンへ向かう。要所要所だけ見ると大体あってるの。なのに読んでるとずっと、あれ?なんか違うな?、ってチラチラ頭によぎるのよね」
「ですが文字に起こすと大体そうなります・・・!」
「いやその理屈はおかしい」
オルガマリーは自分が差異について纏めた資料をマシュへ見せつける。
マシュは資料を眺めてため息を一つ。メガネのずれを直し、オルガマリーへ向き直る。
「確かに読んでいて楽しい内容ではないですね」
「・・・そうね。・・・・・いやそうじゃなくて! そうなんだけどそうじゃなくて!!」
「心優しい先輩が傷つく無辜の人々に向ける思いの美しさを隣で見れたのはこのマシュ・キリエライト。一生の思い出です」
「視点がブレすぎているわ、一度眼科へ行きなさい」
オルガマリーは予想の斜め上にレイプルーフするマシュに対して上がり続ける気持ちのボルテージを抑えるために深呼吸。
そこで少し肩の力を抜いた。
「あと敵よ。ここも違うわ。カルデアのデータベースの方では竜の魔女側のサーヴァントは狂化されてるでしょう? だからもっと精神に歪みが現れているはず。なのにあなたの報告書だと全員が割と元の性格というか、人間らしさがあるのよ。これについては?」
「はい。本来の精神構造がかなり残っていたと思います。あと、大変言いにくいんですが。そもそもなんですけど、一ついいですか?」
「何?」
「私にとっての第一特異点での旅は申し上げているとおりなので『なんで狂化されてないの?』と伺われてもなんのことだかサッパリで・・・。そうなっていたからそうとしか。やはり所長もお疲れなのでは?」
「・・・・っ!!」
前提を覆すというか、反論の余地をなくしている行動。
ハイパー無敵だというのだろうか。
それならば、とオルガマリーはそこで報告書の別の箇所を開いた。
「じゃあ藤丸の三騎。ジャンヌ(ランサー)、エレナ、ジャック。ここが私の胃に悪いわ。なんなのこれ。冗談とかの類いだと思ってたけど、本当にいたとでも言うの? ・・・今カルデアはビーストの影響で歪んだ時間軸に存在しています。だからこそこれに関してはしっかりと問いましょう」
「ここまで違うなら、もう第一特異点だけの問題じゃないでしょう? 冬木の時点でもう違っていた。・・・・触れたくないけど例のパンの一件も。なら、あなたが辿ってきた旅路そのものが、私の知るカルデアの記録と別物なんじゃないの?」
マシュは静かにこちらを見続けている。
「どこから違ったの。何を通って、どういう順番でここへ来たの? 第一特異点の差異を聞いてるつもりだったけど、ここまで来たら旅路全体を聞かないと整理がつかないわ。・・・・あなたの書く謎の書籍ではなく、直接あなた自身の言葉でね」
そこでマシュは押し黙る。答えに詰まった、という感じではない。
ただ沈黙。言葉を選んでいるのでも、困っているのでもなく、こちらをただじっと眺めてきている。時が止まったかのように。
「・・・・・マシュ?」
返事はない。微動だにせず、呼吸で小さく動く胸元と瞬きをする瞳以外に変化ない。
さっきまでのあの妙に前のめりな熱量がない。
空調音と機器の動く音以外の絶えた沈黙に耐えかねたオルガマリーは椅子から少し身を乗り出す。
「ちょっと、どうしたのよ。急に黙り込んで。具合でも――」
「そこまで知ろうとするのは、少し勇み足ではないかな?」
返ってきた声にオルガマリーの動きが止まった。
一瞬、意味が分からなかった。
声そのものはマシュのもの。抑揚も音の高さも、外から聞けばそう大きく変わっていない。けれど今の一言だけで分かる。
言葉に心がない。
「・・・・は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。マシュはゆっくりとイスへもたれかかる。腕は肘置きに、足は寛ぐように組んでピンと伸びていた姿勢が崩れていく。
表情は先ほどよりも穏やかだ。ただこちらを眺められているだけなのに、オルガマリーは喉の奥がひどく乾くのを感じた。
「三騎の危険性やそこへ至る過程を気にする。うん、実に正しい。知りうる話に知らない事柄が混ざり込んでいる。誰でも気にするだろう。君が所長なら尚更ね。けれど、僕は物事には順番というのがあると思うんだ」
オルガマリーは瞬きをした。今の返答はここまでの会話を踏まえれば分からないでもない指摘。
なんなら圧が強いマシュよりも話が成立している気がする。
「・・・・・何よ、それ」
「何、とは?」
「その喋り方よ! あなた、さっきまでそんな言い方してなかったでしょう。別に新しいキャラなんて今は出さなくていいのよ?」
そこで言葉が詰まる。
眺められているだけなのに背筋を嫌な冷たさが伝い始める。相手が急に一歩引いた場所から、こちらの反応ごと観察し始めたような気味の悪さが張り付いて離れない。
そんな事情を知ってか知らずか、目の前のマシュはわずかに首を傾げた。
「そう捉えられるなら、それはきっと君の感覚が正しいんだろうね」
「……今」
オルガマリーの声がひくりと揺れた。
「今、何て?」
「君の感覚が正しい、と言ったんだよ。抽象的表現で伝わりにくかったかな?」
「・・・・ちょっと待ちなさい」
オルガマリーは自分でも分かるくらい、慎重に声を落とした。
「あなた、本当にマシュなの?」
短い沈黙。マシュはすぐには答えない。
答えるべきかどうかを決める権利が自分にあると当然のように思っている沈黙に見える。
やがて彼女は小さく目を細めつつ、問いへと言葉を返す。
「その問いに今ここで答えても、所長殿が安心することはないだろう。望んだ答えを提供するつもりはないからね。だから勧めない」
そこでオルガマリーははっきりと総毛立った。誰が、誰に向かって何を言っているのだ。
「何なのよ急に・・・・!」
声が少しだけ強くなる。
それでも怒鳴り切れなかったのは、怒りより先に理解の追いつかなさが来ていたからだ。
「さっきまで普通だったでしょうが。何なの、その言い方。その目つき。その・・・・その落ち着き方」
「落ち着いているように見えるかい? それは良かった。会話の基本はキャッチボールだ。互いが互いに受け止めやすいボールを投げ合わねばならないからね。好評のようだ」
「話を進めてるのは私よ!」
ボディランゲージを混ぜて話しかけてくる相手に机を叩きそうになって寸前で止める。目の前の相手はマシュの顔をしている。それが余計にどこまで踏み込んでいいのか分からなくさせる。
「私は第一特異点の話をマシュに聞いていたの! なのに、何で急に・・・・・」
「いやぁ、少し面白そうだったからね。混ぜてもらった。・・・・もしかしたら長いお付き合いになるかも知れないしね。僕個人としては君には何一つとして用はないんだが、僕の目当ての人間がカルデアにいるんだ。義理立てというわけではないが、臭わせくらいはするべきかな~ってね」
「・・・・・・誰なのよ、あなた」
困惑と異質さに気圧されて、肺からは搾り出すような声しか出ない。
マシュの顔をした“それ”は、ほんの少しだけ肩を竦める。
「少なくとも、今はその問いに答える必要はないかな。あぁ、さっきもそんなことを言ったね。おっと、そんなに不満を込めた目をするものじゃない。組織のトップなんだろう? もっと余裕を持ちたまえ。そんなものでは藤丸君に示しがつかない。これは僕のものになるのは確定かな? こうして来た価値があるというものだよ。素晴らしい」
オルガマリーは息を呑んだ。
意味の分からない情報のダイレクトアタックに耐えかねて職員を呼び出したら、なんか得体の知れない未知との遭遇を経験する羽目になっている。
困惑で言葉が詰まるオルガマリーを眺めていたマシュ(?)は机に両肘を置いて指先を交差させて愉しそうにオルガマリーを眺める。
「君は今、第一特異点そのものよりも“なぜこうなったか”へ興味が移っているね? 三騎のこともその延長で見ているようだ。悪くない流れだ。喜ばしいよ。藤丸君は素晴らしいからね。あんな悪性情報の塊を手放さずに大切にしていたのだから・・・。あぁ、失礼。君の疑問についてだったね? 流れに身を任せることを勧めよう。得意なんだろう? 自分以外の意志で己の人生を浪費するのは」
「何を勝手に決めてるのよ・・・・」
「経験則だよ。人間は自分の認識を越えるものに固有の単語や共有できる正体を見つけたがるし、識別記号を振りたがる。君もそうだ。だから先に、『誰が悪いのか?』『何が原因なのか?』という話へ飛びたくなる。だがしかし、こういう場合の常識で測れない物事にはあるがままを見つめることを推奨する」
オルガマリーは机に置いた指先へ知らないうちに力が入っていることに気づいた。
手汗を隠すように手をギュッと握り、爪を食い込ませて心を保つ。
「・・・・・あなた、さっきからずっと藤丸のことを名前で呼ぶのね」
「呼んでいるね」
「マシュはそんな呼び方をしないでしょう」
「そうかもしれない。想い人こそ固有の単語で呼びたいものだ、君はどう思う?」
「じゃあ、やっぱりマシュじゃ・・・・」
「僕は僕だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「意味が分からないのよ……!」
「だろうね。理解させるつもりなど無いのだから」
「だから、今は分からなくていい。君は第一特異点の差異を見た。その考え自体はかなり正しいし、君が気にしていた三騎は事実として戦場を変えた。そこまではもう掴めている。だったら今日はそれでいいじゃないか」
「よくないでしょうが!」
我慢の限界を迎え、悲鳴に近い声を上げる。
「何もよくないのよ! 私は今、マシュに重要な事柄の確認をしていたはずなの。なのに何で途中から、こんな・・・こんな訳が分からないことになってるのよ!」
唐突に心が抑えきれなくなり、声を荒げて掴みかかりかけたその時。
ふっ、とマシュの目の焦点が揺れた。
本当に一瞬。瞬くような僅かな変化。
「・・・・・所長?」
声は変わらないが今度こそ、その声色はいつものマシュ。
真っ直ぐで、少し心配そうで、さっきまでの不気味さなどどこにもない。
「え……?」
「どうされましたか。急に立ち上がられて・・・・。顔色も優れませんが、本当に大丈夫ですか?」
何事もなかったみたいな顔だった。
演技には見えない。むしろ、深い困惑と心からの心配が透けて見える。
「・・・・・・マシュ、あなたは今まで何を話していたか覚えてる?」
マシュは少しだけ考えそれから首を傾げた。
「第一特異点の全体像についてです。敵サーヴァントの精神構造と、先輩のサーヴァントの存在が本来との差異を生んでいた、という点はかなり大きいかと」
「その後は?」
「その後、ですか? いえ、まだそこについてはこれからだったはずですが」
「…………」
駄目だ、何も掴めない。
オルガマリーはゆっくり椅子へ沈み直した。
最初は“何だよぉおもおおお、またかよぉおぉぉおおおお”だった。けれど今はもう完全に意味が分からない。第一特異点の報告確認をしていただけのはずなのに、途中から会話そのものが別のものへ滑落していった。
「今日は・・・ここまでにしましょう。第一特異点の件も、今の件も、もう少し頭を冷やしてから考えたいの。だからあなたは今日は退室。できれば静かに」
「承知しました」
マシュは一礼して部屋を出ていく。扉が閉まり足音が遠ざかっていく。
一人になった所長室で、オルガマリーはしばらく机の上の報告書を見つめていた。
第一特異点の全体像がカルデアのデータベースと違いすぎる。
そこまではまだいい。いや、良くはないけれど、まだ報告書として処理できる範囲だ。
問題はその確認の途中でマシュが急に黙り、こちらの知るマシュではない何かみたいな口調で話し始め、最後には何事もなかったように戻ったことだった。
「何なのよ、本当に。どうして第一特異点の報告確認をしていただけなのに、途中でマシュが急に僕とか言い出すのよ。解釈違いよ・・・・!!!」
次どうするかは検討中。
忙しすぎて第三特異点書けないよ。
許さないよ、係長