マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第8話 「野望と願いと…?」

焼けた補給車が解体され、再利用可能な金具だけが黙々と剥ぎ取られていく。

焦げた麦袋は新たな荷馬車へ。湿った矢束は風通しの良い日陰へ。負傷兵たちが後方へと送られる傍らで、合流したばかりの兵たちは隊ごとに整列していた。

名簿との照合。出身地から引いてきた馬の数。持ち込まれた武器の刃こぼれに至るまで、執拗なまでの確認が続く。

 

その煩雑な手順の隙間を縫うように、モルガンの術式が介入した。

地を這う光の線が、兵たちの影を冷徹に撫で上げる。

荷札。封蝋。馬具のわずかな隙間。そこに潜む暗殺用の刃を、魔術の光が容赦なく暴き立てる。

 

張り詰める空気に兵たちは身体を強張らせた。中には露骨に顔を歪める者もいる。

だが、誰も声を上げない。

夜襲で灰と化した補給庫と、密偵によって内側から開け放たれた凄惨な防柵の記憶が、彼らの口を固く閉ざさせていた。

 

ネロはその厳重な検閲の様子を黙って見つめている。

味方を疑うことは、彼女としても本意ではない。だが、ここで確認を怠れば、次はさらに多くの命が散るかもしれない。将たちは彼女の張り詰めた横顔を窺い、兵站担当はただ震える手で書類を差し出し続けた。

 

夜襲によって奪われた数日間の空白。

それはローマ軍の機構を根本から作り変えるための時間だった。

脆弱な陸路の補給線は切り捨てられ、地中海側からの海上ルートへと即座に繋ぎ直される。

ネロの印璽が押された書簡が、各地の港湾都市や沿岸貴族のもとへ飛んだ。

ピサエから、黄金色の麦と飼葉。ルナから、鋭利な矢束と乾燥肉。ゲヌアの巨大な倉庫からは、揚げたばかりの油と布が濁流のように運び出される。

海路という不安定な足場も、ひとたび流れが整えば、巨大な軍の胃袋を満たす圧倒的な物量輸送へと変貌する。地中海に広がる帝国の血脈が、うねりを上げて脈打ち始めていた。

 

 

数日の再編を経て、ネロ率いるローマ軍は前進を再開する。

初動こそ慎重に足並みを揃えた行軍も、進むにつれて精密機械のような精度を取り戻していった。

水源のある宿駅の事前制圧。馬の換装ポイントの時間管理。補給車の間隔をあえて広げ、どこかが襲撃されても軍全体の足が止まらないよう徹底したリスク分散を敷く。

 

道中、母后派の兵たちが執拗に姿を現した。

街道の曲がり角、橋、井戸、古びた倉庫。局所的な拠点に小出しの兵を伏せ、嫌がらせのように補給を断ち切ろうと迫る。

 

だが、今のローマ軍に死角はない。

街道を襲った騎兵は、完璧に統率された槍兵の壁に正面からすり潰される。

補給路を焼こうとした隠密部隊は、地元の協力者からの密告により夜明け前に包囲され、無力化。

ゲヌア近郊で火を放った部隊は、港湾警備隊とローマ本軍の見事な挟撃に遭い、逃げ場を失って瓦解した。

 

サーヴァントが前に出れば、戦闘は瞬く間に終わる。

しかし、彼らの出番は確実に減っていた。

盾を並べる兵。槍を構える兵。火を消す者。重い荷を背負う者。仲間を救護し、泥に塗れて街道を調べる斥候たち。

『ローマ軍』そのものが、ネロという皇帝の意志を核として、一つの巨大な生物のように真の形を取り戻していく。

 

その厳然たる事実は、見えない波となって敵陣営にも届くことになる。

 

 

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「皇帝ネロは逃げてなどいない」

「ネロは今、自ら戦場に立ち、勝ち続けている」

「母后側の怪物たちは悉く打ち破られた」

 

その報せはいかなる法令よりも速く街道を駆け抜けた。

 

ローマ市内。母后派に傾きかけていた貴族たちが、露骨に返書を遅らせ始めたのもその影響あってのものだろう。

昨日まで新皇帝への誓約を熱心に協議していた者が、突如として病床に伏して使者を引き止める露骨な対応。

都市評議会では、議員たちの震える声が議場に反響していた。

「勝ち続けている真の皇帝を、これ以上無視してよいのか……!」

 

港湾都市は母后派からの徴発令を恭しく受け取りつつ、裏ではネロ軍へ物資を横流しする口実を必死に探り合う。

最前線で血に塗れ、勝鬨を上げる真の皇帝へ。民衆の熱狂は確実に傾き始めていた。

 

 

想定外の敗北。勝てたはずの奇襲の失敗。

対するアグリッピナ陣営は、禁断の焦土作戦へと舵を切る。

補給路沿いの豊かな農園が黒焦げに焼かれ、小規模な倉庫が次々と打ち壊される。アルビンガウヌムへ続く街道の宿駅では、井戸に泥と死体が投げ込まれて水源が腐敗した。

だが、その程度でネロの軍靴は止まらない。

 

陸路の欠損は海路からの圧倒的な物資が即座に補填し、焼かれた農園の代わりにネロを支持する別の港が黄金の麦を惜しみなく吐き出し続けることで物資はむしろ潤沢である。

飢えと渇きで斃れるはずの軍勢が何食わぬ顔で進撃を続ける。その不気味なまでの行軍速度が、母后陣営の足元を激しく揺さぶっていた。

 

 

そしてネロの陣幕に届けられる、密偵からの報告書。

そこに記されていたのは敵内部に走った深刻な亀裂の数々。

焦土を命じる冷酷な軍務官と、税収基盤を灰にされた属州官の対立。

兵の供出を叫ぶ新皇帝派と、己の権益を死守しようとする都市評議会。

彼らは同じ母后派の印章を掲げながら、互いに責任をなすりつけ合い、血走った目で報告書を突き返し合っているらしい。

 

城門を開くか否かで街が真っ二つに割れ、保証されなくなった利権を巡って血生臭い会議が続く。

 

ローマはあまりにも大きすぎる。

一度入った亀裂はもはや一つの戦場に留まることなく、広大な帝国の隅々にまで深く、決定的に拡がる。その亀裂を埋める方法はただ一つ。

 

誰であれ、皇帝が勝利を成し遂げること。

 

 

これが夜襲から現在までに至るまで、ネロ達とカルデア陣営が前線に立ち続ける間に各地で起こった出来事である。

 

 

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行軍中の宿泊中のある朝。

窓の外は白み始めた朝靄に包まれていた。

 

意識の電源が唐突に落ち、強制的に再起動されたような無機質な目覚め。

身体は鉛のように重い。だが、動く。肩の傷はとっくに綺麗に塞がり、疲労の芯は居座ったままだが、末端の筋肉だけは戦うための最適解を維持している。

 

胸の奥で力強く異物が脈打つ。…ような気がする。

 

――ORT。

 

不自然なほど精密に整えられた魔力の流れ。摩耗し、壊れかけた精神の一部が切り離され、強制的に修復された生々しい感覚。

死の淵から引き戻された肉体は休息をとったわけではない。戦い続けるための予備パーツとして、強引に組み直されただけなんじゃないか? そんな不安が走る。大丈夫なのかこれ。

 

「……ありがたいんだけどな。これじゃまるで」

「先輩。体調はいかがですか? 顔色は……あまり良くありませんが」

「良くはないかな。でも、動けるよ。指示も戦闘も問題ない」

「……『無理はできる状態』ということですね」

 

マシュの瞳が厳しさを帯びる。

 

「限界という現実を無理やり塗りつぶして誤魔化しているだけです。そこを履き違えれば、いざというときに一気に瓦解しますからね?」

「分かってるよ」

「本当に……分かっていますか?」

「分かってるさ。たぶん、マシュが心配してくれてる以上にね」

 

息を呑み、さらに何かを言い募ろうとしたマシュの声を出発を告げる野太い号令が遮った。兵たちが一斉に動き出す。軍という巨大な生き物が、今日の行路へと身を震わせた。

 

古い見張り台の跡地と半壊した石壁を利用したアルビンガウヌム近郊の急造拠点。

崩れた壁の内側で補給車が整然と並び、兵たちが引き締まった表情で革袋を背負い直している。海から吹き抜ける湿った風が、火薬と汗と獣の匂いを撫でていく。

 

マシュが展開したホログラムの簡易地図が空中に浮かび上がる。

 

「現在地はローマ市から見て北西。ピサエ、ルナ、ゲヌアを経由し、現在はアルビンガウヌム。目的地であるガリア新帝都、ルグドゥヌムへの全体の中間地点を少し越えたあたりです」

「……随分、遠くまで来たな」

「はい。行軍速度は劇的に回復しました。ですが、ここから先は南ガリアへの前哨圏。敵の抵抗はさらに激化します」

 

地図上のローマはすでに遠い。しかし目的地も未だ遠い。中間地点を越えたという事実以上に、「まだ終わらない」という圧迫感が胃の奥に重く沈み込む。

 

「海から物資が入る限り、軍は止まりませんからね。陸路の泥濘に足を取られるよりずっと健全で合理的です」

 

ドレイクが補給車の列を満足げに見回す。

 

「つまり、ここからが敵の本命か」

 

街道の先を睨むリチャードの瞳が獲物を狙う猛獣のように細められた。

 

「『本命』に近づいた、と見るべきでしょうね」

 

モルガンは地図を見ない。その視線はもっと形のない深淵――戦闘の後に必ず残る、あの黒い影と歪んだ霊基の澱みに向けられていた。

 

遅れて、ネロが姿を現す。

磨き上げられた武装。毅然と風にたなびく深紅の外套。無敵の皇帝としての完璧な立ち振る舞い。だが、藤丸の目には、歩幅が以前よりもほんのわずかに狭くなっているように見えた。

 

民の支持も補給も盤石だ。にもかかわらず、ネロの顔には濃い疲労の影がこびりついている。

実の娘とローマを本気で焼き尽くそうとする母の狂気。英霊を無機質な部品としてすり潰し、取り返しのつかない奈落へと足を踏み入れている現実が、彼女の肩に重くのしかかっていた。

 

拠点の中央。急造の作戦卓に広げられた地図の上には、撃破した敵サーヴァントの名が刻まれた蝋板が並んでいる。

ロムルス。カエサル。カリギュラ。ダレイオス三世。呂布奉先。

 

「現状の整理です。敵サーヴァントは計五騎。すべて撃破、あるいは消滅を確認しました」

「あの黒い影……。ロムルス、カエサル、カリギュラの時までは確実に出ていた。ダレイオスと呂布の時は?」

「処理があまりに迅速だったため、十全な観測は叶いませんでした。ですが類似の反応が一瞬だけ発生した痕跡はあります」

 

マシュの報告にモルガンが冷徹な事実を重ねる。

 

「敵サーヴァントが消滅した直後に発生する黒い反応。偶然と片付けるには無理があります」

「正体はまだ分からないのか?」

「ええ。霊基の回収、残滓の再利用、あるいは別の巨大な術式への接続。可能性は多岐にわたりますが、確かなのは一つ。あれはサーヴァント本人の持ち物ではありません」

「……母上がその、英霊とやらを操り、余を戦場へとおびき出し、このローマすべてを何かの材料にしようとしているとでも言いたいのか? 理解の及ばない存在が相手に居る以上……そう考えれば、一応筋は通るか」

 

ネロの静かな声。

煮えたぎる感情を心の底へ無理やり押し込めたような、危うい静寂。だが、モルガンは安易に首を縦に振らない。

 

「アグリッピナを主犯とする仮説は論理的には成り立ちます。ですが……成り立ちすぎるのです」

 

ネロが息を呑む。

 

「あの影の反応は、アグリッピナという人物の性質とは噛み合わない。あなたの話を伺う限りでは、もしも謀略に長けていればここまで杜撰な使い方をしないはず。それに、彼女の支配下にある術式なら、もう少し所有者の癖や欲望が滲み出るはず。……彼女自身が使っているつもりで、その実、別のもっと巨大な構造に利用されている可能性さえあります」

 

推測の域を出ない。だが、その背筋が凍るような仮説に、ネロは強く拳を握りしめた。

 

「……いずれにせよ。母上が止まらねば、この不条理な戦いは終わらぬのだな」

「今の俺たちに見える一番確実なことは、アグリッピナを止めることだ。その先に何があろうと、まずは彼女に追いついて確かめるしかない」

「……そなたは。いつだって、残酷なほど簡単に言うのだな」

「簡単じゃないから、みんなで一緒に行くんだ」

 

ネロの瞳が微かに揺れた。誇り高き皇帝の仮面がわずかに透け、一人の娘としての切実な揺らぎが覗く。

 

「……余は、母を止める」

 

絞り出すような、ひどく痛みを伴う声。

 

「それがローマを守るためであり、この狂った内戦を正すため……。そして母が二度と戻れぬ『奈落』へ堕ちる前に、余が成すべき最期の責任なのだとしたら。もともと母上には思うところはあった。だが、こんな、こんなことをするなど――」

 

ネロは言葉を切った。

勝てば勝つほど、母の積み上げた罪が鮮明な輪郭を持って迫ってくる。

彼女は言葉にならないその重圧を飲み込むように、もう一度、強く拳を握り直した。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

~ガリア新帝都、ルグドゥヌム近郊~

 

 

薄暗い天幕の最奥。

アグリッピナは、手の甲で淡く脈打つ毒々しい紋様を見下ろしていた。

 

「……まだ。まだ、足りない」

 

甘く、鼻の奥に鋭くひっかかる香の匂いが充満している。

ロクスタが残した薬瓶はすでに無い。だが、彼女の遺した呪いのような言葉はアグリッピナの魂に深く根を下ろしていた。

 

――七基。七つの高貴な魂。

それらを消耗させ、最後の一騎へと至らせれば、あらゆる願いは形を成すのだと。

 

英霊は単なる兵器ではない。王、将、神話。一つの時代を動かした『力』そのもの。

七つの魂を使い、凝縮された神秘を掴み取れば失ったはずの、望みながら届かなかった光へ手が届くのだと。

彼女はそれを信じている。いや、信じる以外のすべての道を、自ら焼き捨ててきたのだ。

 

ネロが己の理想を拒絶し、不遜にも皇帝として立ち続けているのなら、別の皇帝を立てればいい。

別のローマを描き、私自身が正しい秩序を組み直す。

 

「英霊達はうまく使った。戦場は移ろっている……ネロも、近づいている」

 

紋様に熱が宿る。

ロムルスが倒れ、カエサルが敗れ、夜襲に送り込んだ三騎が潰えた。そのたびに得体の知れない力が逆流するように流れ込んでくる。それは彼女にとって、己のローマへと至る福音に他ならない。

 

「けれど。なぜ、未だになんの形も成さない……!?」

 

苛立ちの吐息。中央の作戦卓に立ち、地図を睨みつける。

黒い石で印をつけられた地点は、次々とネロの軍勢によって塗り替えられていた。

 

カルデアなる異邦人の一団も、この紋様の真の役割も、今の彼女には関係ない。

七つの神秘をすり潰し、自分が描いた完璧なローマを手に入れる。その妄信だけが、彼女を前へ突き動かしているのだから。

 

 

 

「アグリッピナ様」

 

鈴を転がすような声。

天幕の入り口から、ヘリオガバルスが滑らかな足取りで姿を見せた。華麗な衣。指先で繊細な装飾を弄ぶその姿が、血生臭い空気を一変させる。

 

「ネロは着実にこちらへ進んでいます。アルビンガウヌム近郊まで到達したという報告が、味方の間でも広がり始めていますよ」

「……知っています。だからこそ、あと少し。あの子は必ずここへ来る。――『ローマ』の名を呼ばれれば、決して背を向けることはできない」

「ええ。皇帝というものは、自分の名を呼ぶ戦場を無視できない悲しい生き物ですからね」

 

ヘリオガバルスは穏やかに頷く。

 

「貴女の望むローマは、きっともうすぐ形になるでしょう」

「……分かっていますね、ヘリオガバルス。貴方は新しい皇帝。ネロが壊した秩序を正し、私の描くローマの中心に座す者です」

「はい、アグリッピナ様。……僕はそのためにここにいるのですから」

 

 

従順な微笑。

 

――そう答えれば、貴女は満足する。僕はもう、それを知っている。

 

彼女は自分の言葉を肯定する鏡を求めているだけだ。

正しいローマ、正しい秩序。絵空事に頷きさえすれば、アグリッピナは自分の狂気が正気であると信じられる。

だが、彼が頷いたのは彼女の狂気に対してではない。

見据えているのはただ一点。『自分が座る玉座』。

 

 

衣装を着せられ、大人が決めた神の名で呼ばれる。

窮屈な役割には覚えがある。周囲が自分に何を求めているかなど、息をするより容易く読み取れた。アグリッピナは自分をネロの代わりの器として見ている。自分もまたサーヴァント。他の六騎と同じ使い捨ての駒だろう。

それでいい。今はそう見せておけばいい。

けれど、ただ置かれるだけの彫像になるつもりは微塵もない。

 

『皇帝になるなら、僕が自分で選びたい』

 

誰かが飾り立てた玉座に腰を下ろすのではない。自分の足で近づき、自分の瞳で確かめ、僕が僕のために「ここだ」と決めた場所を手にいれる。

そのためには味方にも、敵にも知らしめる必要がある。

ここに、真なる皇帝が在るのだと。

 

「アグリッピナ様。……少し、僕が直接顔を見せてきましょうか」

「貴方が……?」

「ええ。ネロが前へ出ているのに、僕が天幕の奥で震えているだけでは味方も退屈してしまう。皇帝の健在を示すには、姿を晒すのが一番の特効薬ですよ」

 

アグリッピナの目が細められる。

こちら側の皇帝を晒すリスクと、得られるプロパガンダの効果を冷徹に天秤にかけている。彼女は自分を愛してなどいない。有用な駒として賞味期限を測っているだけだ。

 

「戦う必要はありません。顔を合わせるだけであれば認めましょう」

「勿論です。ネロにも、カルデアにも。……こちら側にも皇帝が在ると、分からせるだけです」

「ネロは貴方を見れば必ず何らかの反応を示します」

「でしょうね」

「――それを利用しなさい」

「はい、アグリッピナ様」

 

 

少年の唇が弧を描く。

彼女は、自分が忠実な操り人形として動くと思っている。

 

違う。

僕は、自分という皇帝を誇示しに行くだけだ。

ネロ、そしてカルデア。怪物たちを従える不思議な少年。見てみたい。僕が座る玉座の前に誰が立ち塞がっているのかを。

 

「……では、支度を」

「皇帝として振る舞いなさい。決して軽率な姿を見せてはなりませんよ」

「分かっています。――軽率に見えることと、軽率であることは違う。……僕も、それくらいは知っていますから」

 

天幕を出る。外の空気は刺すように冷たい。

兵たちが畏まり、官僚が頭を下げ、使者が道を譲る。

すべての視線を浴びながら、少年は無垢で美しい笑みを振りまいていく。胸の奥で、冷徹な野心を静かに燃やしながら。

 

 

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アルビンガウヌム近郊の拠点。

朝靄の中、軍の出発準備が慌ただしく進められていた。

荷をまとめる兵士たち。馬具が締め上げられ、補給車の車輪が軋む。マシュがホログラム端末を弾き、敵前哨圏との距離を再計算する光が薄暗い拠点に明滅した。

 

藤丸は靄の立ち込める街道の先をじっと見つめている。

海から吹き抜ける湿った風が、ローマから続く長い行軍の記憶を撫でていく。

正体不明の黒い影。アグリッピナ。ヘリオガバルス。未だ全容を現さない特異点の真実。

 

思考の底に沈みかけた藤丸の隣にネロが音もなく並び立った。

 

「行くぞ、藤丸」

「……はい」

 

深紅の外套が風に揺れる。

前を見据える横顔は、紛れもなく一国の皇帝のそれだ。

だが、藤丸の目には映っていた。その強固な仮面の裏に張り付いた、深い疲労と微かな迷いが。

だから何も言わず、いつもよりほんの一歩だけ近く、彼女に寄り添うように立つ。

 

ネロの肩がわずかに動き、驚いたような視線がこちらを向く。

言葉はないものの、彼女はその距離感を拒まなかった。

 

重々しい号令が響き渡る。

巨大な軍勢がうねりを上げ、南ガリアへと続く最初の一歩を踏み出した。

 

靄の晴れゆく街道の先。

優雅に、残忍に微笑む新皇帝ヘリオガバルスが待ち受けている。

 

 

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