マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第11話 「ローマの破壊者」

すでに勝敗の決した宮殿は、巨大な獣の死骸のように静まり返りつつある。

 

絢爛を誇った廊下には引き倒された大理石の彫刻が転がり、豪奢な真紅の絨毯は泥と血、それに焦げ跡で無残に踏み荒らされている。蹴破られたままの執務室の扉からは、羊皮紙や書簡が風に舞って通路へ散乱していた。

遠くからは捕虜となった母后派の官僚たちを連行する兵士の足音や、残党が潜んでいないか扉を打ち破って確認する鈍い音が響いている。組織立った抵抗はすでに瓦解し、この巨大な政権中枢は今まさに解体され、新たな支配者の手へと引き渡されようとしていた。

 

藤丸たちはその制圧戦の痕跡を縫うようにして宮殿のさらに奥、未だ戦火の及んでいない区画へと歩を進めているところである。

通路の脇では、縛り上げられた貴族や軍の指揮官たちが、屈強なローマ兵の手によって次々と外へ引きずり出されていく。中には壁に寄りかかったまま息絶えている者や、手負いの身を震わせてうずくまる者の姿もあった。宮殿全体が、戦場から占領地へとその様相を確実に移行させている。

 

藤丸はそんな光景を横見に流して歩きながら、先ほど別れたばかりの真の皇帝の姿を脳裏に思い返していた。

 

『では藤丸。この者たちとは、こちらで話すことがある。大事を任せるようで悪いが、引き続き頼む。母上を、逃がすわけにはいかんのだ』

 

ネロの瞳には紛れもなく私情が揺れていた。

本心では自分で母を追い、決着をつけたかったはずである。だが、彼女はそれ以上に「皇帝」であることを選んだ。捕らえた有力者たちへの聴取、残存勢力の掌握、そして宮殿全体の速やかなる治安回復。為政者としての責務を放棄することはできないし、ここまで来たのだから最前に立ち続けることを選ぶのは必然でもあった。

 

 

 

「複数人が通った跡がありますね。まだ、それほど時間は経っていないとみるべきかと」

 

床に残された僅かな乱れを見やりながら、ドレイクが静かな声で言った。その手には二丁の銃が握られているが、銃口は油断なく下段へ向けられている。

 

「追うことはできます。ですが、制圧された区画から離れるほど、捨てられた部屋や隠し通路には注意を払うべきでしょうね」

「ああ。アグリッピナ、ヘリオガバルス、それにロクスタの三人。逃がすわけにはいかない」

 

藤丸が短く応じると、先頭を歩くリチャードがどこか楽しげにする。

 

「戦闘の気配はないな。だが、息を潜めている連中がいるかもしれん。これはこれで楽しいな」

「非戦闘員が巻き込まれてるかもしれないし、伏兵にも警戒しないとね」

 

ブーディカが盾を構え直し、周囲の物陰へと鋭い視線を送る。モルガンはといえば、藤丸の斜め後ろを歩きながら一言も発さない。彼女の冷ややかな視線は物理的な痕跡ではなく、虚空に漂う魔力の残滓だけを正確にトレースしていた。

 

そして藤丸のすぐ斜め前にマシュがといえば、いつでも主を庇える位置を完璧に保ちながら歩みを進めている。彼女の足取りに一切の迷いはない。周囲の惨状や血の匂いに対する動揺も皆無。ただ、背後の藤丸立香を護り抜くという一点においてのみ、異常なまでに鋭利な集中力を研ぎ澄ませている。

 

一行が儀礼用の回廊を抜け、祭礼に使うであろう広大な空間へ足を踏み入れた時のこと。

磨き上げられた石床、天を衝くような列柱。その広間の中央に、一人の女が立っていた。

 

「おや、いらっしゃいませ。思ったより早かったですね」

 

ロクスタだった。相も変わらずサイケデリックなファッションである。

追い詰められた敗残兵の悲壮感など微塵もない。まるで茶会に客を招き入れるようないつも通りの軽薄な態度。

 

 

「……マスター、少しお下がりください。逃げ道を塞ぐのはこちらで」

 

ドレイクが静かに告げ、銃の撃鉄を起こす。リチャードは剣の柄に手をかけ、ブーディカと共に左右へ散開しようとした。相手が一人であれば、問答無用で取り押さえる。長々と会話に付き合うつもりは誰にもないらしい。

だが、ロクスタは悪びれもせずに肩をすくめる。

 

「そう怖い顔をしないでくださいよ。私はただの毒使いですからね。戦闘なんて野蛮な真似、できませんって。……まぁ、彼女は別ですけど」

 

ロクスタの背後の空間が陽炎のように揺らぎ、霊体化が解かれて一人の戦士が姿を現す。

褐色に染まった肌、白い髪。そして、異星の構造物を思わせる三色の刀身を持つ剣。

その名はアルテラ。

 

彼女が一歩前に出ただけで、広間の空気が物理的な重さを持ったように軋んだ。これまでに立ち塞がった母后派の残党たちとは、存在の格が違う。立っているだけで肌が粟立つような、純粋なる破壊の圧力が空間を満たす。

 

「私はアグリッピナの命令に従う。お前たちを、破壊する」

 

感情の起伏を感じさせない平坦な声。アルテラの赤い瞳が、真っ直ぐに藤丸たちを捉えた。

即座にリチャードとブーディカが動こうとした。アルテラという極大の脅威が立ち塞がったのなら、彼女の意識がこちらへ向いている隙に、元凶の一人であるロクスタの身柄を押さえる。それが戦術としての最適解だから。

だが、その二人の動きを制止するように、マシュが大きく声を張る。

 

「待ってください!」

 

マシュは巨大な盾を床に打ち据え、藤丸と仲間たちを背後に庇うようにして、単身アルテラと正対した。

 

「……マシュ?」

 

藤丸が声をかける。マシュは振り返らず、ロクスタへ向けてはっきりと告げた。

 

「確認します、ロクスタさん。これは、私と彼女の『一対一』という認識で間違いありませんか?」

「おや?」

「私が彼女の相手をする間、あなたも、私の仲間たちも、この戦いには介入しない。そういうことでいいですね?」

 

ロクスタにとって、意外な提案である。

一斉にかかってこられたら正直やばいかも、というのが頭にあった。だが、敵側が何を思っているのかは分からないがサシでやりたいと言うではないか。

疑う必要はあっても断る理由はない。

 

「ええ、いいですよ。私が手出ししないことは保証しましょう。そちらの皆さんがおとなしくしているなら、ですが」

 

ロクスタの言葉を受け、マシュは正面の剣士を見据えた。

アルテラもまた、盾を構えた少女だけを自らの破壊対象として認識し、静かに剣を正眼に構えた。

仲間たちは藤丸の顔を見た。藤丸はマシュの背中を見つめ、無謀を止めるのではなく、彼女の確信に満ちた姿勢を確認したうえで小さく頷いた。他のサーヴァントたちも藤丸の意志を尊重し、周囲を固めつつ静観の構えをとる。

ここに、マシュとアルテラによる一対一の闘争が成立した。

 

マシュの心の中からはすでに一切のノイズが消失している。

目の前に立つのは神話級の大敵。だが、数えきれないほどの絶望と終末を反復し続けてきた彼女の魂にとって、恐怖という感情はとうの昔に摩耗し尽くしている。それに、幾度となく見てきたのだ。今回みたいな強敵であれば、自分が抱えるべきである。

それは今のマシュが一人で挑むことを選んだ理由だった。こころのどこかでは(まぁ他の三人でもいける気はしますが)という思いがないわけではない。

 

 

 

次の瞬間、静寂は唐突に破られた。

 

予備動作など皆無。

アルテラは膝を僅かに曲げたかと思うと、次の瞬間にはマシュの眼前へと到達していた。踏み込みの衝撃だけで石床が爆ぜ、放射状の亀裂が走る。無造作に、しかし致命の速度で振り下ろされる剣。

 

「シッ!」

 

マシュは盾を斜めに構え、その一撃を面で受け流そうとした。

だが、剣と盾が激突した瞬間、大気が悲鳴を上げた。弾き流しきることなど不可能。剣から伝わる常軌を逸した質量が盾を通じてマシュの肩、肘、そして背骨へと抜け、彼女の両足を石床へと深々と沈み込ませた。

激突の余波だけで周囲の空気が弾け飛び、広間の壁を飾っていた装飾品がバラバラと崩れ落ちる。初撃の余波だけで、広間の床が無惨に割れ砕けた。

 

(重い……!)

 

単純な膂力において、相手は並の英霊を遥かに凌駕している。初撃にしてそれを悟ったマシュだったが、彼女はただ押し潰されるのを待つだけの存在ではなかった。

両脚の筋肉を限界まで軋ませ、沈み込んだ姿勢から強引に盾を押し上げる。

 

「はぁっ!」

 

気合いと共に前へ出たマシュの異常なまでの反発力。アルテラもまた体勢を崩すことなく、正面からその反発を力ずくで押し返した。二つの巨大な力が拮抗し、火花が散る。

数秒の鍔迫り合いの後、両者は弾かれるようにして一度距離を取り、互いの力量を正確に測り合う短い間を入れた。

アルテラの瞳が目の前の個体を障害から「敵」へと明確に再定義し、距離を取る。

 

その動きに合わせて、マシュは間合いを完全に潰すことを選んだ。

あのような長大で質量の高い剣を、再び大上段から振らせるわけにはいかない。

リーチがあるならば、最高の威力を発揮する前に潜り込めばいいのだ。マシュは盾を構えたまま地を這うような低い姿勢で、残像を残すほどの超高速で肉薄する。

アルテラが迎撃のために剣を横薙ぎに振るう。マシュはその軌道に対して、盾の面ではなく縁をぶつけた。

ガァン!という甲高い金属音が響き、剣の腹が強引に下へと叩き落とされる。アルテラの手首が僅かに跳ね上がり、剣の戻りが一瞬だけ遅れた。

その隙を突き、マシュは盾の陰から肩を突き出し、アルテラの胸元へ強烈な体当たりを見舞う。

 

「ふむ」

 

だがアルテラは咄嗟に剣の柄を胸の前に挟み込み、その衝撃を殺した。押し込まれながらも、彼女は即座に近接格闘へと戦い方を切り替える。

長く持つには不便な距離。ならばと、アルテラは剣を短く持ち直し、空いた左手の肘をマシュの顔面へと叩き込んだ。さらには柄での殴打、足元を狙った鋭い蹴りを連撃として見舞う。

マシュは首を捻って致命傷を避けるが、肘の先端が彼女の頬を掠め、赤い血が飛んだ。太腿や脇腹にも、軍神の剣の三色の光が浅い裂傷を刻み込んでいく。

 

「くっ……!」

 

痛みに顔を歪めながらも、マシュは盾の底部を支点にして身体を回転させ、アルテラの足を刈り取るような低い蹴りを放つ。アルテラは跳躍してこれを躱すが、着地の瞬間にマシュが展開した短い魔力防壁が彼女の進路を遮った。

壁に阻まれ、体勢が崩れたアルテラの腹部へ、マシュの大盾による暴力的なまでの重い打撃がめり込む。アルテラに鈍い衝撃広がり、苦悶の呼気と共に彼女の口端から一筋の血が流れた。

互いの肉体を削り合う超近接戦闘。どちらかが一方的に優位な状況が続くわけではないが、圧倒的な手数と気迫によって、マシュが確実にアルテラを押し込んでいた。

 

激しい近接の応酬の中、アルテラは目の前の少女の特異性に気づき始めていた。

(この盾使いは、背後の主を守るために前へ出ている。ならば)

 

アルテラは単純な正面衝突を放棄した。

彼女はふわりと後方へ跳躍したかと思うと、そのまま広間の巨大な石柱の側面へと着地し、それを蹴り台にして斜め上方からマシュの死角へと襲いかかった。

三次元的な機動。柱や壁、さらには破壊された床の瓦礫すらも利用し、アルテラは角度を幾重にも変えながら、盾の側面、上方、足元へと連撃を散らしていく。

正面衝突による剣圧の嵐が巻き起こり、砕けた大理石の破片が散弾のようにマシュへ降り注ぐ。

 

だが、マシュは揺らがない。

マシュは瞬間的に小規模な防壁を空中に展開し、視界を塞ぐ瓦礫を弾き飛ばしながら、本体の剣撃を大盾で正確に受け止める。

しかし、幾度となく振るわれる凄まじい剣の重さにマシュの身体が初めて大きく後方へと吹き飛ばされた。

 

「あぁっ!」

 

強烈な衝撃。だが、空中で姿勢を制御し、床へ思い切り盾の縁を突き立てる。

ガガガガガッ!と石床を深く削りながら減速し、彼女は再び藤丸の十数メートル前、絶対に越えさせてはならない防衛線の上でピタリと停止した。

肩で荒い息をするマシュ。その両腕には細かい切り傷が刻まれ装甲の一部が裂け、血が滲んでいる。

見守る仲間たちの表情に緊張が走る。彼らは決して戦闘へ介入しようとはしなかったが、マシュが極めて危険な領域で戦っていることを理解していた。

ロクスタは背後の安全圏からその様子を眺め、内心で舌を巻いていた。

 

(ほう……あの小娘、予想以上に持ちこたえますね。あのアルテラを相手に、防御一辺倒にならず、むしろ余裕すら見せて対応しているとは)

 

戦局はさらに加速し、広間全体を使った超高速戦へと突入した。

アルテラが距離を取って突進の助走を得ようとすれば、マシュは盾を構えたまま猛烈な速度で追いすがる。マシュが防御を固めて機をうかがえば、アルテラは軌道を急激に変化させ、関節の隙間を縫うような鋭い刺突を放つ。

激突のたびに、広間のあちこちが爆発したように砕け散った。

太い石柱がへし折れ、豪華な階段が粉々に粉砕され、壁画が真っ二つに裂ける。

マシュが盾の突進でアルテラを柱へ叩きつけたかと思えば、直後にアルテラが大上段からの斬撃でマシュを石床へと深く押し込む。

マシュの腕や脚にはさらなる負傷が重なっていく。アルテラの肌にも複数の裂傷が刻まれ、赤い血が流れている。無傷の圧倒的強者という姿はそこにはない。

 

 

マシュは荒い呼吸を繰り返しながら、冷静な演算を続けていた。

 

(このまま通常の攻防を続けても、決定打には届かない)

 

アルテラの体力と破壊力は底なし。ジリ貧になれば背後のマスターを危険に晒すかもしれない。

ならば。

マシュは盾の構えを微かに下げ、両足のスタンスを広くとり、そして一瞬だけ背後に立つ藤丸へと視線を向ける。

 

『信じています、マスター』

 

言葉のないその一瞥だけで、藤丸は彼女の意図を完全に理解した。マシュは相手の最大攻撃を真っ向から受け止める覚悟を固めたのだ。

 

 

アルテラもまた、マシュの放つ空気の変化を察知した。

通常攻撃の連続では、あの異常なまでの耐久力を持つ盾を完全に崩すことはできない。ならば、全霊の破壊をもって消し飛ばすのみ。

アルテラは大きく後方へ跳躍し、マシュから十分な距離を取った。

 

そしてその手の内にある剣が煌々と三色の光を放ち始める。

周囲の魔力が渦を巻き、広間の空気が悲鳴を上げるように震えた。長い詠唱も仰々しい真名解放の口上も不要。ただ、天の物理法則を捻じ曲げるような純粋な破壊のエネルギーが、その刀身に凝縮されていく。

 

 

軍神の剣(フォトン・レイ)

「っ!」

 

放たれる圧に背後のリチャード、ブーディカ、ドレイクが本能的に藤丸の前に飛び出そうとした。

だが、それよりも早くマシュの声が広間に響き渡る。

 

「――宝具、展開!」

 

 

マシュの盾を中心として、巨大な光の防壁が展開されていく。

その防壁は藤丸だけでなく、背後にいる仲間たち全員をすっぽりと内側へ包み込む。

直後、アルテラの放った破壊の奔流が防壁へと激突した。

 

轟音をまき散らし、宮殿全体が軋み上がる。

直撃の余波だけで防壁の外側にあった石床が波打つように捲れ上がり、列柱が次々と粉砕され、天井が吹き飛んでいく。

防壁の内部にまで恐ろしい轟音と振動が伝わり、藤丸たちは立っていることすら困難な状態に陥った。

だが、防壁の中心で両足を踏ん張るマシュはびくともしない。

 

アルテラは莫大な出力を維持し続け、光の奔流は終わることなく防壁を削り倒そうと暴れ狂う。

事実、宝具には時折ひび割れが走る。しかし、マシュの魔力が割れた端からは修復をもたらすためにたちまち塞がれ、ごく僅かな魔力すら通さない。

永遠のようにも感じられる数十秒の拮抗の末、ついにアルテラの放った破壊の奔流がその勢いを失い、霧散していく。

 

 

静寂が戻った広間。

いや、広間だった場所は完全に破壊し尽くされ、外壁すらも消し飛んだ瓦礫の山と化していた。

その中心にマシュは立っていた。

彼女の展開した防壁は、アルテラの宝具を完全に防ぎ切ったのだ。

 

だが、異変はそこに。

マシュの周囲を取り囲む防壁は、攻撃が終わったにもかかわらず消滅せず、それどころか防壁の表面や内部では、先ほど受け止めたはずの莫大な光と衝撃、そして熱が、行き場を失ったように圧縮され、荒れ狂っている。

盾が光と成ってマシュへ取り込まれ、マシュが猛烈な勢いで駆け出す。

 

「なっ……!?」

 

目の前の戦士が息を呑む音が聞こえたが、マシュは止まらない。

彼女はそのまま圧縮されたエネルギーの塊である防壁の中へと飛び込む。

 

瞬間、防壁に蓄積されていたアルテラの宝具の衝撃、熱、そして圧倒的な破壊力が、マシュの身体へと一極集中して流れ込む。

守護の極致が反転し、「攻勢」へと転ずる瞬間。

マシュはそれらの力を己の力として受け止め、守りの盾から攻めの刃へ転換する。

 

 

魔力の壁からマシュが砲弾を遥かに上回る速度で射出され、空気を引き裂き流星の如く飛び出す。

全身の重さと、アルテラの宝具から奪い取った全破壊力を右足の一点へと集束させた、超高速の跳び蹴り。

アルテラは即座に剣を構えて迎撃の態勢をとったが、宝具を放ち終えた直後の僅かなタイムラグと、自身の想定を遥かに凌駕するマシュの加速力によって、剣を振り切る手首の動きが間に合わない。

 

「――っ!」

 

マシュの蹴りがアルテラの胴体を真正面から捉えた。

接触点から、蓄積されていた破壊の威力が一気に解放される。

閃光と爆音。

アルテラの身体は広間を横断するように吹き飛び、そのまま広間の奥を塞いでいた分厚い石造りの外壁へと激突した。

 

ドバァァァンッ!!

 

外壁が爆発するように吹き飛び、無数の瓦礫と粉塵が宮殿の外へと撒き散らされる。

 

静まり返る廃墟。

もうもうと舞い上がる粉塵の中で、マシュは着地し、定まったテンポの呼吸を繰り返しながら、壁に開いた巨大な大穴を見据えていた。

やがて、粉塵がゆっくりと晴れていく。

 

崩れ去った壁の向こう。瓦礫の山の中で。

アルテラは立っていた。

 

膝を折ることも、尻餅をつくこともない。片膝をつくことすらなく、剣を杖代わりにして身体を支えているわけでもない。

両足をしっかりと地面につけ、直立した姿勢を保っている。

吹き飛ばされた際の衝撃で、彼女の靴底が地面を深く削り、二本の長い溝が刻まれていた。

身体は致命的に傷つき、全身が自身の血に濡れている。

 

吹き飛んだ壁の穴からは、夕刻の太陽の光が差し込んでいた。粉塵の中でその光が後光のように広がり、血まみれのアルテラを、立ったままの戦士を、神々しく照らし出している。

 

「悪くない、これもまた一つの力か」

 

平坦だった彼女の声に、微かな満足の響きが混じっていた。

アルテラは立ったままその台詞を口にし、足元から、そして身体の輪郭から、彼女の霊基は魔力の粒子へと分解されて去っていく。

最後まで一人の戦士として立ち続けたまま、彼女はこの世界から消滅した。

感傷的な別れの言葉もない。マシュもまた勝利を誇示することはなく、強敵の最期をただ静かに見届けた。

 

 

 

 

 

「あぁ~、まぁ無理ですよね。流石に薄々そんな気はしてました。まぁ、時間稼げたしこれでいいでしょう!」

 

アルテラが完全に消滅した直後、ロクスタの声が響く。

最強の客将の敗北を目の当たりにしても、彼女には深刻な動揺など欠片もない。

まるで最初から結果を知っていたかのような、腹立たしいほどの余裕だった。なんなら台詞を言い終える頃には、ロクスタはすでに撤退の動きに入っていた。

 

「逃がすか!」

 

リチャードとブーディカが即座に床を蹴り、捕縛へと向かう。ドレイクもまた、二丁の銃口をロクスタの背中へとピタリと合わせた。

 

「そこを動くな!」

 

だが、彼らが間合いを詰めるより早く、ロクスタの足元から赤い魔力が爆発的に噴き上がった。

嵐のように激しく渦巻く魔力の奔流。視界を真っ赤に染め上げ、近づこうとしたリチャードたちの身体を強い風圧で強引に押し返す。

赤い嵐の中で、ロクスタの姿がブレて消えていく。

 

そして同時に。

先ほどまでアルテラが立っていた場所、魔力の粒子が舞い散るその空間から、唐突に『黒い影』が滲み出た。

形のない、底知れぬ漆黒。

その影は、アルテラが遺した霊基の残滓へ蛇のように絡みつくと、床へ沈むでもなく、別の方向へ逃げるでもなく、ロクスタを包み込んでいる赤い魔力の嵐へと向かって一直線に飛び込んだ。

黒い影が嵐の中へ吸い込まれた直後。

バツンッ!という空間の弾ける音と共に、赤い魔力もロクスタの姿も、跡形もなく完全に消失した。

 

後に残されたのは、激しい戦闘の爪痕が刻まれた廃墟の静寂だけ。

 

「……逃げられたか」

 

リチャードが舌打ちをし、ロクスタが消えた場所の床を剣の柄で軽く叩く。

マシュはすぐさま藤丸の元へ歩み寄り、「マスター、お怪我はありませんか」と自身の乱れた息を必死に整えながら気遣った。

そんな中、一人だけ。

モルガンだけが、先ほど黒い影が赤い魔力へと飛び込んでいった空間を、微動だにせず見つめていた。

その横顔は普段の冷静さとは違う、ひどく険しく、怪訝なものだった。

 

「モルガン?何か分かったのか?」

 

モルガンは一瞬だけ沈黙した。

ほんの数秒の間。やがて彼女は意図的に表情の筋肉を緩め、いつもの柔らかな笑みへと戻った。

 

「いえ、何も。エレナならば『気にしなくていいのよ!』とでも言う程度のこと。マスターはどうぞ、肩の力を抜いてくださいませ」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□

 

 

 

一方その頃。

 

藤丸たちが激闘を繰り広げていた広間から遠く離れた、宮殿の裏通路。あるいは衣装や儀礼具を保管するための薄暗い小部屋であろうか。

ロクスタは赤い魔力の渦と共にそこへ姿を現し、待機していた二人の元へと合流した。

アグリッピナとヘリオガバルスの待つその場所へ。

部屋の扉越しには宮殿を制圧し、残党を捜索するローマ兵たちの重い軍靴の音や、扉を打ち破る怒号が刻一刻と近づいてくる。

アグリッピナは腕組みをして威厳を保とうとしていたが、その指先は自身の腕に刻まれた令呪の痕へ、血が滲むほど深く食い込んでいる。

ヘリオガバルスは煌びやかな皇帝の衣装を纏ったまま、顔色を完全に失っていた。

余裕のない表情でアグリッピナが口を開く。

 

「……アルテラは、勝ったの?」

「負けましたよ。見事にね。完敗です」

 

さらに彼女は続ける。カルデアのマスターたちはほとんど消耗していないこと。宮殿はすでに大部分がネロの軍勢によって制圧されたこと。母后派の主要な官僚や貴族たちは、あらかた捕縛されるか死に絶えたこと。そして、追手がこの隠し部屋へ到達するのも時間の問題であること。

その報告がアグリッピナの中から最後に残っていた平穏を完全に打ち砕いた。

 

「な……ぜ」

「条件は満たしたはずだ! お前が言った通り、全ての客将たちも倒れた! そして今、最後のアルテラまで失われた!」

 

彼女は令呪の痕を掻きむしりながら、ロクスタへ一歩詰め寄る。

 

「私の軍も、協力者も、この都市も、宮殿も! すべてを失った! それだけを差し出したというのに、なぜ何も起きないの!?」

 

ロクスタから聞かされていた条件。それを満たせば、この劣勢すら覆せるかも知れない。

アグリッピナ自身、それが具体的に何なのかは理解していないが、確実に何かが起こると信じて、自らの手勢がすり減っていくことすらも許容してきたのだ。

 

「終わっていない……まだ終わっていないはずよ……!」

 

威厳を取り戻そうとする声は上ずり、ひどくヒステリックに裏返っている。彼女は虚ろな目のまま、最後に残された手駒である自身の擁立した皇帝へと向き直った。

 

「そうだ……まだあなたがいる。ヘリオガバルス、あなたがいる限り、ローマは選び直せる! ネロではなく、あなたが真の皇帝として君臨するのよ! そのために、私はここまで……!」

 

縋りつくように叫ぶアグリッピナ。

だが、ヘリオガバルスはすぐには答えない。

彼は静かに顔を上げ、狂乱の淵に立つアグリッピナを真っ直ぐに見つめ返し、ぽつりと問いかけた。

 

「僕は――貴方の望む通りの、皇帝でいればいいのですか」

「僕はちゃんと皇帝であろうとしました。貴方に言われたからというだけじゃない。……前は、うまくできなかったから。今度こそはと考えて、選んで、自分の足で立つつもりだった」

 

過去の失敗。だからこそ、今度こそは自分自身の意志で皇帝としての責務を果たそうとしていた。

 

「でも」

「最後に独り残っても、何も起きないというのなら。――僕は一体、何のためにここに喚ばれたのでしょうね?」

 

その問いに、アグリッピナは息を呑んだ。

自分の綿密な計画が崩壊したことへの絶望だけではない。完全に自分の支配下にあると思っていたこの少年すらもが、自分とは全く別の意思を持ち始めたことに衝撃を受けたのだ。アグリッピナは怒鳴って黙らせることもできず、ただ愕然と言葉を失った。

 

 

背後で、重い扉が打ち破られる音が響いた。兵士たちの怒号と足音がすぐそこまで迫っている。

 

パンッ、と乾いた音が鳴った。

ロクスタが手を叩き、二人の重苦しい会話を強引に打ち切った。

 

「はいはい、お話はそこまで。考えるのは逃げながらにしてくださいな」

 

そう言うと、ロクスタは小部屋の奥の壁に手を触れた。音もなく隠し扉が開き、その奥に暗い通路が口を開けた。祭礼用の献上品を秘密裏に運ぶために作られた、宮殿の地下や倉庫へと通じる裏動線。

 

アグリッピナはハッとして我に返り、「まだ……終わっていない」と自分に言い聞かせるように呟きながら、ヘリオガバルスを伴って暗い通路へと足を踏み入れていく。

ロクスタが二人の背中を見送り、最後に部屋の灯火を吹き消す。

暗闇の中、ローマ兵たちの荒々しい足音が部屋へ雪崩れ込んでくるのを背に聞きながら、三人は宮殿のさらに深部へと姿を隠していった。

 

 




この世界線verマシュの資料も出したいけど、タイミングわかんない



ヘリオガバルス、お前やれるのか?
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