マシュ・キリエライトしか分からない   作:ats376

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第12話 「復権と祝祭-1」

首都ローマの高級住宅街。かつて母后派へ莫大な資金を流していたというある貴族の豪邸は内戦の終結から一か月が経った今、カルデア一行へ一時的な宿舎として下賜されていた。

 

門に掲げられていた家紋の刻まれた青銅板は白布で覆い隠され、玄関柱を彩っていたであろう装飾も一部が荒々しく剥ぎ取られている。書斎の立派な棚には何一つ残されておらず、高級な家具だけが所在なげに配置された空間は、元の主人の生活の匂いだけがすっぽりと抜け落ちていた。

中庭の中央には豪奢な造りの噴水があるものの、水はすでに止められ、代わりに実用性だけを重んじた洗濯紐が何本も張られている。

壁の向こうからは、三日間経っても終わる気配のない皇帝の帰還と内乱終結を祝う祭りの喧騒が微かに聞こえてくるが、この接収邸宅の中庭だけは、奇妙なほど静かな空気に包まれていた。

 

「風が心地よいですね。よく乾いています」

 

マシュが張られた紐から手際よく洗濯物を取り込んでいる。

その手には藤丸のシャツだけでなく、下着もごく普通に握られていた。

 

「あ、ありがとうマシュ。でも自分の分は自分で……」

「いえ、これも重要な任務の一環ですから。お気になさらず」

 

真面目な顔で事務作業のように言い切るマシュに、藤丸は若干反応に困りながらも苦笑をこぼす。

 

「先輩、顔色がだいぶ良くなりましたね。こちらへ戻ってからはブーディカさんに強制的に寝かされていましたから」

「おかげでぐっすり眠れるようになったよ」

 

二人がそんな穏やかなやり取りをしていると開け放たれた食堂の窓から、帳簿の束と睨み合っていたドレイクの声が聞こえてくる。

 

「……なるほど。これは随分と見事な手口ですね」

 

彼女の手元にあるのは宮廷の役人から「持ち出されないよう預かってほしい」と押し付けられたこの邸宅の元の主人の帳簿の数々。

 

「戦時の混乱に乗じて油や皮革を買い占め、価格を不当に吊り上げていた記録が残っています。ですが、私ならばもう少し足がつきにくいように偽装しますよ。詰めが甘いと言わざるを得ませんね」

「いや、感心するところじゃないからね?」

 

藤丸がすかさず突っ込みを入れる。

やっぱり犯罪者じゃないか!

 

 

一方、中庭の隅ではリチャードが落ち着かない様子で門の方をそわそわと見やっていた。外から陽気な楽師の演奏が聞こえてくるたびに、足でリズムを刻んでいる。

 

「……少しだけだ。少しだけ、外の空気を吸ってくるというのはどうだろうか」

「駄目よ」

 

門の前に仁王立ちしたブーディカが、有無を言わさぬ声でぴしゃりと跳ね除ける。

 

「マスターたちには休養が必要なの。あなたが外で騒ぎを起こしたら、休めるものも休めなくなるでしょ」

 

リチャードはその後も何度か門を突破する機会をうかがっていたが、ブーディカの鋭い視線に射抜かれると、肩を落として大人しく引き下がった。

二階の回廊を見上げればモルガンが一人、静かに宮殿や大神殿の方向を見つめている。

彼女の視線が何を追っているのか、藤丸にも察しはついていた。取り逃がしたアグリッピナたちの行方。そして、あの場で黒い影が見せた不気味な動き。

しかし、モルガンはそれを今この場で語ろうとはしない。今は何よりも、傷ついたローマの復旧が優先されているのだという空気を、彼女自身が誰よりも理解しているからだ。

 

「……ネロも、大変だよな」

 

藤丸がぽつりと呟いた。

首都へ帰還してからの数日間、ネロとは最初の夜に短く顔を合わせたきり。山積する戦後処理に追われ、不眠不休で政務に当たっていると聞いている。

 

 

 

なんて思っていたその直後。

けたたましい馬の嘶きと共に、重い馬車が邸宅の門のすぐ外で急停車した。

 

「お待ちください陛下! まずは先触れを――」

「ええい、待たぬ! 余の言葉こそが最速の先触れである!」

 

バンッ!と勢いよく門が開き、真紅の外套を翻したネロが中庭へと飛び込んでくる。

 

「むっ、おったな!」

 

その目の下には濃いクマが刻まれ、美しく結い上げられていたはずの金髪もわずかに乱れている。誰の目から見ても明らかなほど疲労困憊の状態だったが、彼女は堂々と胸を張り、よく通る大きな声を響かせた。

彼女の背後からは、青息吐息の侍従たちが山のような文書の束を抱えてよろぼいながら入ってくる。

 

「藤丸! マシュ! 余は来たぞ! 待たせたな!」

 

ネロは中庭にいた全員の視線を集めると、誇らしげに両手を広げた。

 

「褒めよ! 称えるがよい! 聞け、余はな、この数日間でものすごーーく働いたのだぞ!」

彼女は侍従が抱える文書の山をバシバシと叩く。

「さぁ、刮目せよ! 我が全力の事務仕事の成果を!」

 

 

 

 

以下、皇帝ネロ・クラウディウスの首都帰還後、宮廷書記局および軍務記録官によって編纂。

皇帝裁可済みの布告・勅令・軍務命令の抄録

 

記録は復権、軍務、属州、財務、民生、対外監視、祝祭処理の各項目に分類される。

諸命令は内乱の終結を告げるのみならず、二つに裂けたローマ帝国を再び一人の正統なる皇帝の命令系統へ戻すために発布されたもの。

官僚達の文字通り、血と汗と涙と残業の産物。皇帝の威を示すためにネロが逐一文言を追加している。内戦処理は面倒極まるものなのだ。

 

 

【第一巻:皇帝復権および軍務処理】

第一号布告:皇帝復権と内乱終結の周知

主文:

皇帝ネロ・クラウディウスの首都帰還をもって、母后派による内乱が鎮圧されたことを宣言する。

 

実施事項:

・首都の公共広場、港湾、軍団兵営、貴族邸宅街へ掲示。

・主要街道の宿駅、関所、橋梁管理所へ写しを送付。

・属州総督、都市参事会、港湾組合、各軍団駐屯地へ皇帝封蝋付き文書を発送。

・識字困難な地域では布告官による定時朗読を認める。

 

(追記)

正統な統治者の下での秩序回復を急ぐ。傷病者への救済、飢餓地域への穀物配給、住居を失った者への庇護を保証する。同時に井戸汚染、橋梁破壊、放火、補給線売却などへ及んだ者には厳罰を処す。

 

皇帝裁可:

『飾られた戦勝の辞よりも先ず、余の帰還を告げよ。美辞麗句は、飢える民の腹を満たしはせぬ』

『剣を置く者には、ローマへの帰還を許そう。然れど、ローマを引き裂いたその手を、余は見逃しはせぬ』

 

 

第二号軍務命令:降伏兵の分類と再編

母后派の兵を一律に処刑、または奴隷へ落とすことを禁ずる。所属や階級、命令系統、実際の行為を査問し、以下に分類する。

 

第一種:徴集や強制動員によって従軍した下級兵。

第二種:母后派への忠誠を公言し、戦闘継続を扇動した者。

第三種:井戸汚染、橋梁破壊、放火、非戦闘員拘束へ直接関与した者。

第四種:右記の破壊工作を命じた者、または命令書へ署名した指揮官。

第五種:降伏後も武器を隠し、再反乱の兆候を示した者。

 

第一種は監視下で再編し、水と食糧を与え、首都近郊の警備補助や街道補修へ回す。段階を経て正規軍への復帰も認める。

第四種は軍事法廷へ送る。傷病兵は陣営を問わず治療するが、逃亡防止措置を維持する。

 

皇帝裁可:

『剣を置いた兵をことごとく誅殺しては、誰が壊れた橋を直すというのか。然れど、橋を落とせと命じた手まで、同じ杯で潤してはならぬ』

 

 

【第二巻:ガリア復旧および属州対応】

第一号復旧命令:ガリア方面の生活基盤再建

焦土作戦による被害(宿駅焼失、橋梁崩落、井戸汚染、穀物庫焼却、不当徴発等)に対し、以下の優先順位で復旧を行う。

 

第一位:飲用水(井戸浄化、仮設給水所)。

第二位:橋梁と街道(軍用・民間物流の回復)。

第三位:宿駅(兵站、避難民保護拠点)。

第四位:穀物庫と種籾(次期収穫の保護)。

第五位:徴発被害の監査と補償。

 

被災地における祝祭は禁止しないが、予算は復旧を優先する。

 

皇帝裁可:

『火を灯すなとは言わぬ。然れど、雨露をしのぐ屋根すら持たぬ者の眼前で、余の栄誉を讃える火を焚くことは罷り成らぬ』

 

第二号属州命令:属州と地方都市の再統合

内乱中の行動によって都市を分類し、処分を決定する。

早期に忠誠を誓った都市(第一種)は赦免。母后派へ協力した都市(第三種)は穀物や資金を追加供出。勝敗を観望した都市(第四種)は参事会名簿の提出と代表者の首都滞在を命ずる。母后派と結託し略奪へ及んだ都市(第五種)は軍事法廷へ送致する。

 

皇帝裁可:

『遅れた忠誠をすべて罪に問えば、属州は沈黙しよう。然れど、沈黙する属州は恭順を示しているのではない。ただ息を潜めているに過ぎぬ。先ずは誓約を立てさせよ。然る後に、帳簿を提出させよ』

 

 

【第三巻:貴族処分、対外監視、民生経済】

第一号処分令:母后派貴族および同調者

内乱の謀略へ直接関与した者(第一種)は法廷送致と全財産没収。資金や武具を提供した者(第二種)は財産供出と名誉職剥奪。戦局を観望し便宜を図った者(第三種)は罰金と監視とする。

祝賀目的の支出は拒否しないが、宮廷の歓楽のみに使うことを禁じ、復旧や遺族救済へ優先的に振り替える。

 

皇帝裁可:

『余を喜ばせたいと欲するならば、余が為に獣を走らせるな。民が為に橋を架けよ。その橋をこそ、余は視察せん』

 

第二号特秘調査:帝国外勢力との接触

押収書簡から判明したゲルマニア方面有力者、東方商人、武装集団等への接触記録については直ちに公表せず極秘扱いとする。

関係者を泳がせ、背後の協力者を調査する。

 

皇帝裁可:

『外へ手を伸ばした者は、その手を切り落とすのみでは足りぬ。その手が何を掴もうとしたのか、誰がその手を握り返したのか、深淵を見極めよ。民を騒がせるな。然れど、決して忘れるな』

 

第三号経済命令:戦時経済から民生経済への転換

戦時徴発の即時停止、港湾倉庫の段階的開放、小麦粉や油などの価格監視を徹底する。戦時特例で暴利を得た商人の帳簿監査を行う。首都のみが飽食することを禁ずる。

 

皇帝裁可:

『市場に声が戻れば、民は勝利を信じよう。然れど、値札が狂ったままならば、その声は直ちに怒号へと変わる。麦を見よ。油を見よ。塩を見よ。民が先ず見るのはそこである』

 

 

【第四巻:祝祭および特秘事項】

第一号祝祭令:皇帝復権祝祭

広場の篝火、穀物配給の増量、楽師の演奏などを許可する。暴動や過度な飲酒、母后派残党への私刑は禁ずる。降伏兵への配給も認めるが、破壊工作の指揮官は対象外とする。

 

特秘別封:逃亡者および黒い影

アグリッピナ、ヘリオガバルス、ロクスタの三名は未発見。民心動揺を防ぐため一般布告には記載しない。黒い影についても軍務記録から分離し、兵士への詮索を禁ずる。

 

皇帝裁可:

『逃げたならば追う。然れど、今すぐ民の前で騒ぎ立てる必要はない。ローマはただ、皇帝が戻ったことを知ればよい。影の名など民のパンにはならぬ』

 

 

以上、首都ローマ復権後諸事対応記録の抄録とする。原本は宮廷書記局に保管。特秘別封は皇帝裁可印をもって封緘済み。

 

 

 

 

 

 

 

「――というわけで! 余は死ぬ気で働いたのである!」

 

中庭の真ん中で、ネロは再びふんす、と胸を張った。

背後に控える侍従たちは、重い文書の束を抱えながらすでに魂が抜けかけたような顔をしている。ネロはそれらの膨大な書類の細かい内容を説明するより先に、とにもかくにも自分の頑張りを認めてほしくてたまらない様子だった。

藤丸とマシュは顔を見合わせる。

 

「うん、本当にお疲れ様。おかげで、ローマはまた動き出したよ」

「むむっ、それだけか? もっとこう、手放しで褒めちぎるがよい! あと、二人きりではないが、ちゃんと名前で呼んでおるか? 忘れてはおらんだろうな?」

「はいはい、お疲れ様、ネロ。本当に凄い働きだったよ」

「うむ! 苦しゅうない!」

 

書記官から、軍務官から、財務官から次々と持ち込まれた案件の山を、いかに鮮やかに捌いてみせたかを大げさに身振り手振りを交えて語るネロ。その声には明らかな疲労が滲んでいるが、特有の華やかさは微塵も損なわれていない。

 

「ネロさん、どうぞこちらへ」

 

マシュが中庭の椅子を引き、藤丸の隣へ促す。

 

「おお、すまぬな。皇帝たる者、常に毅然と立っていたいところだが……流石に少し足が痛い」

 

素直に椅子へ腰を下ろしたネロは、小さく息を吐いた。

 

「茶を所望する! あと、甘い菓子もだ!」

「あのガリアの惨状から、よくぞここまで迅速な復旧の手配を整えましたね」

 

ドレイクがテーブルの上に置かれた文書の抄録を一瞥しながら感心したように言った。

 

「それに、貴族たちの祝賀費を復旧や遺族への救済へ転用させた手腕はお見事です」

「ふふん、そうであろう!」

 

「自らの邸宅に引きこもっていた貴族どもが、こぞって余のために闘技会を開きたいと申し出てきおったからな。だから言ってやったのだ。『そんなことより仕事をしろ!!』とな!」

 

ネロは身を乗り出し、藤丸の顔を覗き込んだ。

 

「どうだ、藤丸? なかなか皇帝らしいであろう?」

「うん、文句なしに凄く皇帝らしいよ。最高に格好いい」

「そうであろう! そうであろうとも!」

 

ネロはパーッと顔に花を咲かせたように喜んだ。

 

「それにしても」

 

と、ブーディカが静かな声で口を挟んだ。

 

「あの降伏兵たちの処分……というか線引きは、かなり思い切ったわね」

「うむ。兵をただ一律に処刑してしまえば、次から誰も降伏しようとはせぬ。それに、復旧に必要な人員も失われるからな。だが……」

 

「一線を越え続けた指揮官までただの兵と同じように赦してはならぬ。そんなことをすれば被害を受けた民は、二度と余の約束を信じなくなるだろうな」

 

甘すぎても厳しすぎても、ローマは再びひび割れる。

 

「境界線を引くのが、皇帝たる余の責任だ。……赦しとは、皇帝が上から与えるものだ。罪人が下から奪い取ってよいものではない」

 

その言葉の奥にある重みに、マシュは息を呑んだ。

ブーディカもまた、戦場における報復と裁きの重さを知る者として軽々しく口を挟むことはしない。モルガンはといえば、ただ目を細め、減刑と無罪を混同しなかったネロの決断を内心で評価しているようだった。

 

「……ちょっと、怖いな」

 

藤丸が率直な感想を漏らすと、ネロはむしろ満足そうに頷いた。

 

「うむ! それでよい! 皇帝がまったく恐れられなければ、慈悲の価値まで軽くなってしまうからな」

 

そこへ、マシュが手早く淹れた温かい茶と、蜂蜜をたっぷりかけた焼き菓子を運んできた。

 

「おおっ、気が利くではないかマシュ! まさにこれを求めておったのだ!」

 

ネロは冷徹な支配者の顔を崩し、年相応の無邪気な笑顔を見せた。

茶器を両手で包み込み、ゆっくりと息を吐く。

門の外からは、相変わらず祭りの歌声や子供たちの足音、酔客の笑い声が風に乗って聞こえてくる。戦争の深い爪痕を抱えながらも、街は確かに生を祝い、呼吸を再開していた。

 

しばらくの間、誰も口を開かない静かな時間が流れた。

やがて、手元の茶器を見つめたまま、ネロがぽつりと呟く。

 

「……母上は、余に『皇帝になれ、ローマを統べよ』と言った」

 

その声は、先ほどまでの大きく張った声とは違う。

 

「余は、その期待に応えようとした。誰からも文句を言われぬ、完璧な皇帝を目指して努力してきたつもりだ」

 

ネロの瞳から、得意げな輝きが落ちていく。

 

「だが……母上は、余の知らないところでヘリオガバルスを新しい皇帝として立てた。それは、余にとって『お前より皇帝に相応しい者はいくらでもいる』と告げられたに等しい」

「ロクスタもそうだ。彼女は余のために働いてくれていると信じていた。彼女なりの矜持があると思っていた。だが、彼女も母上の側につき、姿を消した」

 

ネロは顔を上げ、空の見える中庭の天井を見上げた。

 

「余は、自分の近くにいた者たちの本質を、すべて見誤っていたのではないか……。そう思えてきてしまった」

 

彼女が帰還後、休むことなく狂ったように政務へ没頭していた本当の理由。

それは単なる戦後復興のためだけではない。

自分がローマ唯一の正統な皇帝であることを、帝国の全土へ――そして何より、自分自身に証明するためだった。

 

「藤丸」

「うん」

 

「余は――ちゃんと、お前の目から見ても皇帝であるか?」

「……うん。最高に格好いい、ちゃんとした皇帝だよ」

 

ネロが小さく肩を震わせる。藤丸は言葉を続けた。

 

「全部を一人で思いついたからじゃない。いろんな所から目を逸らさず、現実から逃げなかった。厳しい決断も含めて、ネロがちゃんと最終的な責任を引き受けて、誰かに責任を押し付けず、皇帝として必要なことを全部決めたんだ」

 

藤丸は力強く頷く。

 

「だから、俺の目から見ても、間違いなく立派なローマの皇帝だよ」

 

ネロはゆっくりと視線を落としていく。

握りしめていた茶器から少しだけ力が抜け、張り詰めていた重圧がわずかに解けるのが分かった。

 

「……そなたは、余の欲しい言葉をいつもくれるな」

 

静かにそう呟くと、彼女は蜂蜜菓子を一つ口へ放り込み、誤魔化すように小さく咳払いをした。

 

 

「よし!」

 

ネロは勢いよく立ち上がった。その瞳には、再び本来の覇気が宿っている。

 

「余は大変な激務をこなした! 皇帝として働き、厳格に裁き、布告を出し、ローマを再び動かしたのである!」

 

彼女はビシッと藤丸を指差した。

 

「ならば! 今の余には、盛大なる褒美が必要である!」

 

突然の宣言に、マシュが目を丸くする。

 

「えっ、褒美、ですか?」

「うむ! 帰還してから今宵までに方針を決めねばならぬ緊急の案件はすべて片付けた! 故に、これより余は祭りを堪能する!」

「藤丸! マシュ! ブーディカ、ドレイク、リチャード、モルガン! そなたらも全員ついてこい!」

 

「おっ、待ってました!」

 

リチャードが嬉々として立ち上がる。

 

「リチャード、はしゃぎすぎないでよ。……まぁ、少し息抜きをするくらいなら、付き合うわ」

「現地の物価や流通がどうなっているか、この目で確認しておくのも悪くありませんね」

 

「わ、わかりました。ですが、皇帝陛下のお出ましとなれば、最低限の護衛と先触れの準備を――」

「ええい、余の侍従ならば堅苦しいことは抜きだ! 外に最低限の兵は待たせてある。ゆくぞ!」

 

ネロの有無を言わさぬ勢いに、マシュもモルガンも結局は押し切られる形で後に続くことになる。

 

ネロが足早に門へと向かう。

だが、その途中で彼女はふと足を止めて藤丸へと顔を向ける。

その顔には、いつもの悪戯っぽさと、そして祈るようなわずかな弱さが同時に浮かんでいた。

 

「藤丸」

「ん?」

「今宵は……ただ、余だけを見ておれ」

 

周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいたような気がした。

 

「ローマの皇帝としてでなくとも構わぬ。余が、ちゃんと心から笑えているか――ただ、それだけを隣で見ていておくれ」

 

それは、帝国を統べる者としての命令ではなく、一人の少女としての切実な願い。

言い終えるや否や、ネロは今度こそ振り返ることなく、勢いよく門の外へと飛び出していく。

開け放たれた門の向こうでは、祝祭の巨大な篝火が夜空を焦がすように揺らめいている。

藤丸はマシュと歩調を合わせ、止まった噴水の水面に映る祭りの灯りを横目に見ながら、彼女の背中を追って光の渦の中へと足を踏み出す。

 

 




こちら、前編となっております。
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