魔物使い、はじめました。   作:YTとりあえずぶん投げてみる

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第101話 本編、はじめました。

 かつて、一ヶ月前までは閑静だった住宅街。

 今は異世界の巨木が窓を突き破り、街灯の代わりに発光植物が不気味な燐光を放つ、完全な魔境へと変わり果てている。

 

 湿った土の匂いと腐敗した植物の甘ったるい臭気。

 そのすべてを踏み抜くようにして――

 

 俺、望月友人は全速力で駆けていた。

 

「うぉぉぉぉぉ! ほら、追いつかれるぞ! 走れ走れ、影山ぁぁぁぁ!!」

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっっっ! ま、待ってください、望月さぁぁぁん!」

 

 俺の背後から聞こえてくるのは、情けない悲鳴とドタバタとうるさい足音。

 

 ちらりと振り返る。

 そこにいるのは――

 

 ダボついた黒のパーカーにズボン、黒縁メガネ。どう見てもド陰キャです、ありがとうございました、みたいな男。

 

 影山光人。

 

 顔は涙でぐしゃぐしゃ、呼吸は完全に崩壊寸前。それでもどうにかこうにか置いていかれまいと、必死に手足を振り回している。

 

「ハァ、ハァ、ちょ、ま、待って! ハァ、ハァ……なんで僕がこんな目にっ……! ほんと、マジで、待って! ま、待てって言ってるでしょうがぁぁぁ!」

 

「うるせぇな! ついてきたいって言ったのはお前だろ! 全部お前のやらかしのせいだろうが!」

 

 そうしてる間にも、背後から迫る()()が一段と濃くなる。

 

 地面を踏み鳴らす重低音。木々をへし折る破壊音。そして、鼻にツーンと来るあのくっさい獣臭。数が、多すぎる。

 

「お前、性別がメスなら何でもいいのか!? マジで引くわ!」

 

「ち、違いますよ! べ、別に、僕はそんなつもりは……!」

 

「言い訳すんな! これだから童貞は――影山、伏せろ!」

 

 反射的に叫ぶ。

 直後、空気を裂く鈍い風切音。

 

 俺達は飛び込むようにして目の前の地面へ身を伏せた。

 

 ズドォォォン!!

 

 すぐ頭上を、巨大な岩塊が唸りを上げて通過した。背後の建物に直撃し、壁ごと粉砕する轟音が夜に響く。パラパラとコンクリートの破片が雨のように降り注いだ。

 

「……っぶな……!」

 

 顔を上げ、舌打ちする。

 足が止まった。

 今はそれだけで致命的だ。

 振り返る。

 そこにいたのは――

 

「……うぉ、デッッッ!」

 

 思わず、素で声が漏れた。

 

 そこにいたのは、オーク。それも一匹や二匹じゃない。ざっと見たところ、三十はいる。

 

 体長2メートルほど。豚というより猪に近い見た目の肥大化した頭部。鼻は潰れて牙は不揃いに突き出し、粘着く涎を糸のように垂らしている。全身は分厚い脂肪と筋肉に覆われて、その上からビッシリと茶色い剛毛が生えていた。

 

 腕は丸太のように太く、指先には鈍く光る黒い爪。脚は短いが、その踏み込み一つ一つが地面を震わせるほど重い。

 

 豚面の巨体が、うねるように列をなし、こちらへと雪崩れ込んでくる。よだれを垂らし、目はぎらつき、完全に()を見るそれだ。

 

「ブヒ、ブヒィ!」

 

 その先頭、一際ガタイのいい――というか、驚異的な「胸部装甲」を揺らしているメスオークが、顔を真っ赤にして興奮したように咆哮している。

 

「ブヒィ! ……ブヒ?」

 

 こいつの視線はずっと影山に固定されていた。

 だが一瞬、濁った瞳がこちらを向いて――値踏みするようにわずかに揺れ、すぐにまた後ろで震える影山へと引き戻された。

 

「ぶっひぃ……♡」

 

 メスオークが、にちゃりと嗤う。

その視線は、憎悪というよりは……なんていうか、もっとドロドロとした気持ちの悪い「熱」を帯びてる。

 

 ……あ、この目、俺知ってる。

 よく、部下がこういう目で見てくるもの。

 

「……影山。お前、こいつに本当は何したんだよ」

 

「べ、別に僕は何もしてませんよ!? た、ただ……その、水浴びしながら着替えてるのを、ちょっと……」

 

「ちょっと?」

 

「ちょっと……つい、うっかり、しっかりたっぷり、最後まで見届けてしまっただけです!」

 

「そんな堂々と言うことかよ!」

 

 だが……正直、一瞬だけ視線を奪われた俺も人のことは言えない。

 

 オークは二足歩行だ。顔さえ隠せば……そう、紙袋かなんかで頭隠せば少し、いや、かなり毛深いだけのガタイがいい人間に見えなくも……。

 

 ……いや、ねーわ。見えねぇよ。落ち着け俺、影山に毒されてんのか。

 

 俺は隣に蹲る影山に、心底哀れむような視線を向けた。

 

「影山……人間の女に相手にされないからって、ついにか。お前、もうこれ以上語るな。なんかすげぇ悲しくなるから」

 

「だから違うって言ってるじゃないですかぁぁぁ! 違うんすよ! ちょっと覗いた時にバッチリ目が合って、誤魔化すために『綺麗ですね』って言っちゃっただけで!」

 

 それで、気に入られちゃった、と。それ……あのメスオークの『旦那候補』とかじゃねぇだろうな。裸見たんだから分かってるな、みたいな。

 

「つーかお前、また覗きかよ。しかも豚相手に。覗き魔に磨きがかかってるな、さすが変態」

 

「だ、誰が変態ですか! ぼ、僕には、崇高で神聖な見守りという――」

 

「ブッヒィィィィ!!」

 

 メスオークが天を仰ぎ、一際大きく咆哮した。周囲のオークたちの動きが一瞬にして統率されたものへと変わる。

 

「……チッ、しかも『指揮』持ちかよ! 来るぞ影山、豚で童貞を失いたくなきゃ立て!」

 

「ひ、ひぃぃ! 怖いこと言わないでくださいぃぃ!」

 

 身構える俺たちにオークたちが突っ込んでくる。しかもただ突っ込んでくるだけじゃない。

後方の個体は岩や倒木を掴み上げ、前衛は間合いを詰め、側面へ回り込もうとするやつまでいる。

 

「……おおっ、豚のくせに役割分担か。一丁前に」

 

 これだから()()()()()はめんどくせぇ。

 乾いた笑いが漏れる。

 

「ど、どうしますか!? 予定の場所まで、まだありますけど……っ!」

 

 隣で影山が膝に手をついている。今にも倒れそうだ。

 

「おい、影山。スキルは使えるか?」

 

「む、無理、無理です……しゅ、集中力が……!」

 

「お前なぁ、ド陰キャだからってもう少し体力つけろよ。有能スキルに胡座かいてっからそうなる。今回のやらかし、松下さんにきっちり報告しとくからな。またゲンコツ貰ってこい」

 

「か、勘弁してくださいよぉぉ! あれ滅茶苦茶痛いんですからぁぁ……!」

 

 肩で息をしながら情けない声で叫ぶ影山を放おって、俺はポケットのスマホに触れる。耳にかけたハンズフリーイヤホンマイクが微かに震えた。

 

「茜、聞いてたな? 予定変更だ」

 

《聞いてるわ。随分と賑やかね、望月。ただの「追い込み漁」だったはずなのに、楽しそうでいいわね》

 

 俺のスキル『魔物通話』。イヤホンから響く部下の声――茜の声は楽しげで、どこか湿り気を帯びたように甘い。

 

「楽しくねぇよ! ちょっと肉獲ってくるだけの簡単な仕事だったのに、影山のせいで無駄な仕事が増えたわ!」

 

「す、すみませぇぇん!」

 

《ふふ、部下のやらかしは上司の責任、でしょ? それで、状況は?》

 

 茜は相変わらず「ぶってる」というか、夜だからか余裕たっぷりのトーンだ。

 俺は「報連相は簡潔に」をモットーに、迷いなく現状を叩きつける。

 

「影山がメスオークの着替えを覗いて透明化の制御ミス。現在、豚たちに包囲されてくっさいのなんの。どいつもこいつも涎たらたらで、目が完全にキマってる。……晩飯の『ロース肉』に追いかけられる気分を味わいたいなら、代わってやるぞ?」

 

《……はぁ、呆れた。あの子、また覗いてるの? しかもオークって……。この間も梅野に半殺しにされたばかりなのに、節操ないにもほどがあるでしょ。影山、後でじっくり再教育が必要ね》

 

「いや、そういうのは松下さんに任せる。お前や梅野さんが説教すると、なぜかこいつ喜ぶからな。……じゃ、なるはやで頼むわ」

 

《……貴方も含めて、つくづく変態って扱いに困るわね。了解よ、望月。すぐに向かうわ》

 

 

 通話が切れる。

 

 ……影山と一緒にすんなし。俺はコイツと違って紳士なんだ。

 

「よし、こっからは業務を切り替えていこう」

 

「ブヒィィィ!」

 

 前衛のオークが突っ込んでくる。同時に後方から二投目の倒木。

 

「……フゥ」

 

 俺は深く息を吐き、身体中に魔力を巡らせる。それに呼応するかのように、自らに流れる()()()()()が脈動を速め――

 

「も、望月さん! 来ます来ます来ます来ますぅぅ!」

 

 

 ――世界が少しだけ、()()見える。

 

 

「うるァっ!!」

 

 

 背中から相棒――『エクスカリバット3号』を引き抜き、目の前まで迫った倒木にフルスイング。

 

 ジャストミートした倒木が弾け飛び、そのまま大きな破片が後方のオークの顔面に直撃する。

 

 ドグシャっ!

 

 鼻面が拉げる快音と共にその一体が沈む。

 

「おぉ! ホームラーン、てか!」

 

「左からも、来てますっ!」

 

「影山! ちょっと飛んでろ!」

 

「え? う、うわぁっ!?」

 

 勢いそのままに、俺は影山の襟首をガシッと掴んで後方に思い切りぶん投げた。

 

「あ、扱いが、雑ぅぅぅ!?」

 

 その反動を利用して、横から回り込んできたオークの腹に、吸血鬼の剛力を乗せた回し蹴りを叩き込む。

 

 ズドンッ!

 

「ぶほぁっ!?」

 

 嘘みたいに巨体が軽々と吹き飛んで、廃屋の壁を突き破った。

 

「ははっ!」

 

 一ヶ月前との違いに、俺は思わず笑みを漏らす。オークたちも、信じられないものを見たような顔をして動きが止まる。

 

「やっぱすげぇな、あいつの血」

 

 そう呟く俺の唇の隙間から覗くのは、小さく鋭い牙。吸血鬼である茜の血を取り込んで、名実ともに吸血鬼の眷属になった証だ。

 

 ……本当は嫌なんだけど。いい歳したおっさんが牙て。そんなにあいつの血、摂取してないはずなんだけどなぁ……。

 

「でもまぁ、やっぱ夜は調子良いわ。完全に夜型人間になっちゃったけど、おかげで夜勤が捗るな!」

 

 一ヶ月前。

 初めてオークを倒した時のキツさが嘘みたいだ。金属バットで殴りかかっても厚い脂肪と筋肉、それにあのくっさい毛皮に弾かれて絶望的な打撃音を響かせるだけ。

 結局、目と鼻を潰して、眼球にナイフを突き立てて脳をブチ抜くしかなかった。

 

「それが今や、蹴り一発で吹っ飛ばせるなんてな。ステータス様々だ」

 

 この一ヶ月という「実務経験」が、俺を強くさせた。当時はコスパが悪いってそれ以来スルーしてたけど、今は違う。

 

 コイツラは今や貴重な「納品物」だ。

 

「この量だと避難所の何日分のタンパク源になるかわからんなぁ、おい!」

 

 ()()が開始された今、コイツらオークのドロップアイテムは肉で確定してる。物資が不足している中で見つけた貴重な「肉」だ、逃がす手はない。

 

「さて、次の『ロース肉』はどいつだ?」

 

 俺はその勢いのまま、真っ向から豚の群の中へと飛び込んだ。

 

 スキル『戦士の心得』が業務の最適解を脳内に描く。『剣術』がそれを忠実に身体の動きに落とし込み、『先制斬り』のバットの一撃がオークの硬い皮を容易に叩き潰していく。

 

 雑に振り回されたバットでこんな真似を可能にさせているのは――

 

 吸血鬼の血による補正。

 眷属の血による圧倒的な暴力。

 

 かつての部下、そして今の部下から()()()ものが、俺の中で息づいている。

 

 踏み込み。

 目の前の一体の顎にバットを叩き込む。頭部があり得ない方向に捻じれ、そのまま吹き飛んでいく。

 

 間髪入れずに、横にいた個体の膝を蹴り砕く。骨の砕ける感触。倒れ込んでくる身体を軍手をはめた手でおもむろに掴み、思い切りぶん投げる。

 

 後方で投擲の構えを見せていた数体にぶつかり、まるでボーリングのピンみたいに弾かれていく。

 

「やっべぇ、楽しいなこれ!」

 

 自分より一回り以上でかい魔物を、思うまま蹂躙する全能感。

 ただのモブに見合わない力に酔いしれる。

 

「も、も、望月さぁぁん! 助けてくださぁぁいっ!!」

 

 酔いが一瞬で冷めるような、情けない声。

 視界の端、影山がオークに踏みつけられていた。

 

「お前、何やってん――ぐぁっ!?」

 

 肩に衝撃。

 影山に気を取られた隙を突かれ、投擲された岩の塊を食らった。その衝撃で吹き飛ばされて地面を転がる。

 

「ぐっ……! ってぇな、クソが……って、やば!?」

 

 起き上がるより先に四体が同時に覆い被さってくる。バットで一体の顔面を吹き飛ばす。

 

 だが。

 

 振り切った俺のバットを、一体のオークが己の腕の骨ごと噛み砕くようにして固定した。肉を肉で押し留める、捨て身の包囲。さらに別の二体が俺の両脚に組み付いて離れない。

 

「重っ!?」

 

 こいつら、単純なパワーと重量で押し潰してきやがる。いくらパワフルな眷属の力でも、オーク複数の体重を乗せた拘束は抜け出せない。

 

「おい、影山!」

 

「あば、あばばばばばばばば」

 

 視界の端に映る影山は……あ、ダメだ。完全に白目剥いてキョドりまくってる。あいつの()()()()でなんとかしてもらおうと思ったのに、ほんっと使えねぇ。

 

 なら、自力でなんとか抜け出さないといけないわけだが……。

 

「ブヒ♡ ブヒヒ♡」

 

 そこへ、メスオーク。

 興奮してるのか、目を見開いてガンギマリ。ダラダラ垂らした涎を太い腕で拭うと、さっきよりも膨張した身体を揺らしてノシノシと歩いてくる。

 

 その目は、完全に「獲物を捕らえた捕食者」のそれだ。

 

 他のオークが俺たちの周りを取り囲み、捕まえた俺と影山を持ち上げる。まるで主に捧げる供物みたいに、前へと差し出す形で並べ立てた。

 

「うわぁ、このままだとマジで食われるぞ。お前の場合は性的にも」

 

「あばばば、嫌すぎるぅぅ! 助けてくださいよ望月さぁぁん!」

 

 身体を大の字の形のまま持ち上げられた影山が情けなく声を上げる。

 

「いや、助けるったってなぁ。俺も捕まってるし」

 

「ち、ちょっと! 望月さんなら()()使えば簡単に抜け出せるでしょ!?」

 

 メスオークの歩みは止まらない。

 一歩。

 また一歩。

 

「嫌だよ面倒臭いし。そこまでやるほどじゃないだろ。俺はお前が食べられてる間にゆっくり抜け出すよ」

 

「そんなぁ!?」

 

 影山は「薄情者」「茜さんに言いつけてやる」とか言いながら、顔面蒼白でガクブルしている。

 

 影山の言うアレ――一ヶ月前に「本編開始ボーナス」として貰った、()()()()新スキルの一つ。

 

 アレを使えば大抵のことは解決するが……影山に言ったように、使った後が面倒くせぇからやりたくない。もう一つの方も……やらかす可能性があるから論外だ。

 

 まぁ、いよいよヤバくなったらやるけどな。これはこいつのやらかしに対する単なる嫌がらせだ。

 

 それに、そろそろ来る頃だしな。

 

 メスオークが歩く度にドシドシと地面が軽く揺れて、距離が削られていく。

 

 そして、ずっと影山を見ていたメスオークが不意に――俺の方を向いた。

 

「ブヒ…………♡」

 

 まるで、「メインの前は前菜だな」みたいな顔をして。

 

「……おい待て。お前、影山目当てじゃなかったのかよ! 食べるならそっちにしろよ! こいつ初物だし俺より美味いぞきっと!」

 

「あばば……って、望月さん!? なにしれっと僕を売ってんですか!?」

 

「巨乳好きなんだから丁度いいだろうが! つーか、お前のせいなんだからお前が責任取れよ! いろんな意味で!」

 

「嫌ですよ! 僕には心に決めた人がいるんですから! なんでこんなきったない豚に僕の初めてを捧げなきゃいけないんですか! 望月さんが抱いてあげればいいじゃないですか! アンタも巨乳好きなんだから! そうですよ、それがいい! だいたい茜さんの横という崇高で神聖な裏山けしからんポジションにいながら、なんでまだ手を出してないんですか! いや勿論手を出したら処してやりますけどね!? 僕の全身全霊を掛けて呪いますよ! ですが茜さんの気持ちにいつまでも応えないのは、流石にどうかと思うんですよ僕は! このヘタレ!」

 

「うるせぇな! なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ、関係ないだろうが! 俺がこんな臭ぇ豚野郎と寝るわけねぇだろ! こいつと寝るくらいならそこらのスライムでしたほうがまだ良いわ! お前本当こういう時だけ口が回るな! 推し活だかなんだか知らんが他所でやれよ! これだから拗らせたクソ童貞は面倒くせぇ! あと俺は巨乳好きなんじゃない、おっぱいが好きなんだ!」

 

 醜く言い争う俺たちの鼻先に、メスオークの太い腕が迫る。

 

「ブッヒィィ♡」

 

 その黒い爪が俺の顔に軽く触れて――

 

 

 

 

 

「――なに、してるの?」

 

 

 

 

 

 

 冷ややかな声が、戦場を凍りつかせた。

 一瞬で大気が冷えたのが、嫌でも分かる。

 

「……あ、やべ」

 

 俺に組み付いていたオークたち、そして目の前のメスオークの動きが、彫像のように静止した。ついでに、俺と影山も。

 

「そこの、雌豚」

 

 その背後。

 月光を背に、銀髪を冷たく輝かせて舞い降りた夜の眷属――吸血鬼、茜。

 

 その瞳には、ハイライトが欠片も存在していなかった。冷凍マグロみたいな、あの目。

 

「誰に断って、触れているの?」

 

 ひっ、と影山が悲鳴を上げる。

茜からジクジクと放たれる魔力の余波に、白目を剥いて気絶。

 

「ねぇ」

 

 茜が、視線だけでメスオークを射抜いた。その手に、視認困難なほど細い「血の糸」が展開される。

 糸の先は、オークの身体へ繋がっていて……、

 

「私の男《所有物》にその汚らわしい手を伸ばした罪……万死をもって、贖わせてあげるわ」

 

 パンッ、という軽やかな破裂音がした。

 メスオークを筆頭に、周囲のオークたちの体の穴という穴から――鮮血が噴水のように噴き出した。

 

 夜の廃墟に咲き誇る、おぞましいほど美しい「血の花」。

 

「……相変わらず、グロぉ。少しは加減しろよ。まぁ、助かったわ。おつかれさん」

 

 俺は拘束から抜け出し、バットを肩に担ぎ直す。

 

「ふん、私の望月に触れるなんて身の程を弁えなさい。……それで、聞き間違いかしら? 『スライムの方が、マシ』って、なに……?」

 

「あ、いや。ただの例えっつーか……」

 

「ふふ、モチヅキ。貴方の口からそんな『浮気』の言葉が出るなんて思わなかったわ。……あとでゆっくり、その感触を上書きしてあげなきゃ、ね?」

 

 返り血を操り身体の周りにふわりと浮かばせて、艶然と微笑む茜。

 

 上書きってナニするんだよ……。

 つーか俺はまだスライムでしたことないぞ。

 ……本当だよ?

 

 その重圧から逃げるように、気絶している影山の元へと向かう。

 

「……し、仕事の前に、影山を再教育しないと。あとはほら、今回のやらかしのこととか、取引内容の確認とか、色々と検討しないとだし」

 

 茜の顔を見ないように、背を向けて俺は言う。

 

「……ふぅん。まあ、いいわ。夜はまだまだ、長いしね。じゃあ私は少し散歩してから帰るわ。だから望月、帰ったら貴方の部屋に行くから――」

 

 背中に突き刺さる、もはや痛いほどの圧を感じながら、

 

「――ニゲナイデネ?」

 

「……はい」

 

 俺は気絶した影山の足を掴んで引きずり始めた。

 

 ……色々と、どうしてこうなった。

 

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