少しだけ開いたカーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに目に刺さる。
「……っだる……」
思わず顔をしかめて、枕に顔を埋めた。
身体が重い。
鉛でも仕込まれたみたいに、指先までだるさが抜けない。頭もぼんやりしてるし、なんならちょっと気持ち悪い。
……あー、毎日のことながら面倒くせぇ。
「日光デバフ、どうにかならんもんかね。……
吸血鬼の眷属になってしまった代償ってやつだ。
夜は絶好調。
若返ったみたいにキレキレで、むしろバフ盛り盛りで楽しいくらいなんだが……その反動か、昼はこのザマである。
とはいえ。
「まぁ……始発出勤に比べりゃ、だいぶマシか」
あの頃は毎日こんなもんじゃなかったしな。むしろ頭痛と吐き気と眠気と絶望がデフォルト装備だったわ。
あの地獄を考えると、今のこのだるさなんて――
「……わりと余裕だな」
うん、余裕余裕。ブラック企業は吸血鬼よりよっぽど人の血……どころか魂まで吸うしな。アレを経験してる俺には屁みたいなもんだ。
くだらないことを考えながら、のろのろと上半身を起こす。
――ふと、甘い花の香り。
視線を横へ向ける。
……いる。
「……はぁ」
ため息を一つ。
いや、別に嫌とかじゃないんだが。ないんだが。
ベッドの隣、腕一本分も離れてない距離で。
――茜がスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
……朝チュンかよ。
いや違う。違うんだけど。
「ほんと距離感、バグってるんだよなぁ……」
昨日の夜――つーかさっきまでだが。
「早く上書きしなきゃ♪」とか言って、毎度毎度R18ギリギリのラインを攻めてきやがるし。あれ絶対わざとだろ。
「おい、起きろ。茜」
「……」
規則正しく上下する胸元。
長い睫毛が影を落として、呼吸に合わせてわずかに揺れる。
銀髪がシーツの上にさらりと広がって、朝日を受けて淡く光っていた。
普段のあのうるさい――いや、特定の方向に圧のある雰囲気は影を潜めて、今はやけに静かで、
……無防備だな。
「幸せそうに寝ちゃって、まぁ」
こいつは、一ヶ月前からずっとこんな調子だ。
事あるごとに俺への過剰なスキンシップをしてくる。
やたら距離を詰めてくるわ、毎晩毎晩布団に潜り込んでくるわ。
完璧にセクハラ案件である。
俺が一回マジギレして注意してからは少しは落ち着いたが――今度は「こっちから手を出させる方向」へとシフトしてきやがった。
いや、方向性おかしいだろ。
バンドマンだったら方向性の違いで解散するレベルだぞ。
「でもまぁ、うん。寝るのはいい。寝るのはいいんだけど」
問題は距離だ。
近い。普通に近い。
あとちょっと腕伸ばせば触れる距離に、超絶美少女吸血鬼が寝てる状況ってなんだよ。
しかも全裸の。
なんで毎回、俺もお前も全裸なの?
どんな人生だこれ。
……いや、触らないけどな?
別にそういうつもりはないし。自分から脱いだくせに、見ようとするとコイツ怒るし。
そう思いつつ、毛布に包まった茜の身体のラインを視線でなぞっていると――
「……なに見てるの?」
「うおっ!?」
びくっと肩が跳ねた。
いつの間にか、茜の目が開いていた。
薄く細められた紅い瞳が、じっとこちらを見ている。
「……起きてたのかよ」
「さっきからね」
「絶対嘘だろ」
なんだよ「さっきから」って。
どう見ても今起きただろ、それ。
茜は小さく息を吐いて、ゆっくりとこちらに身体を寄せてくる。
その仕草が妙に自然で。
無駄に距離が縮まる。
「ねぇ、望月」
「……なんだよ」
「ゆうべは おたのしみ でしたね」
「楽しんでねぇよ!」
どこで覚えてきたんだよ、そのセリフ。
つーか楽しんでたのは完全にお前だけだ。
俺が手を出さないのをいいことに、あんなコトやこんなコトを……!
「望月、我慢はよくないわよ? 私はその……いつでも、いいから……ね?」
「……えぇ」
お前さぁ……シーツで顔隠して照れながらそういう事言うなよぉ……。
耳まで真っ赤じゃん。こっちが恥ずかしくなってくるわ。
「……言っただろ。俺は社内恋愛はしない主義だ。お前は俺の部下。だから無理」
俺だって、手を出せるもんなら手を出したい。そりゃ男だし、元カノと別れてからご無沙汰だから。
だが、相手がこの「ヤンデレ吸血鬼」という特大地雷と考えると……なにか、心の奥底から必死に語りかけてくるんだ。
――それ、踏んだら終わるぞ!
って。
まぁ、これは経験則だ。というかトラウマ。
距離を間違えるとロクなことにならない。これはもう紀元前から決まっている確定事項である。
……すでにいくつか地雷踏みまくってる気もするけど。
「もう。本当に頑固ね、貴方……」
茜は少しだけ不満そうに目を細めて、
「でも、そういう真面目なところも嫌いじゃないわ」
ぽつりと、そんなことを言う。
やめろってぇ……その言い方ぁ……。
「ふふ、貴方に効きそうな攻め方、もっと梅野に教えてもらわなきゃ」
おい、なんだそれ。
お前ら定期的に連絡取ってると思ったら、何話してんだよ。
最近の茜の手数の多さって、梅野さんの差し金か!
「そんなに抱いてほしいなら、クビにするぞ? 部下じゃなきゃ遠慮はなくなる……かもしれんし」
「それは嫌」
「なんでだよ」
即答かよ。
つくづくこいつが何考えてんのか分からん。
乙女心ってやつか?
「はぁ……どうでもいいけど、そろそろ起きるぞ。仕事の時間だ」
「松下のところへ納品よね? 私はパスよ」
そう言って、茜はあっさりと布団に潜り込んだ。
……完全に寝る気だな、お前。
「昨日頑張りすぎたし、私は少し休むわ。梅野によろしく言っておいて」
「お前なぁ、マイペースすぎだろ。仕事しろよ仕事」
「私は夜勤専門なの。そういう契約のはずでしょ」
「それはそうだけど、仕事ってのはもっと臨機応変に」
「で・も――」
茜が俺の言葉を遮り、布団から顔だけ出してじっとこちらを見る。
「望月がど〜してもって言うなら、昼間も働いてもいいけど?」
「……けど?」
にやりと、口元が歪む。
「その分の
細めた紅い瞳。
薄く覗く牙。
ぺろりと、舌が唇をなぞる。
「……おやすみなさい」
「ええ、おやすみ。望月」
もぞもぞと毛布に包まり、完全に寝る体勢。
「……分かってて言ってやがる」
「いってらっしゃい〜」
ひらひらと振られる白い手に向かって、溜め息を一つ。
俺はだるい体を無理やり起こして、ベッドから降りた。
☆
洗面所で顔を洗う。
冷たい水で少しだけ意識がクリアになるが、だるさは相変わらずだ。
鏡で自分の口元を確認する。
そこに映るのは、寝起きの冴えないおっさん――と、
「……うわ、出てる出てる」
わずかに覗く、小さな牙。茜の血の影響。
口を開けばすぐ引っ込む程度だが、確実に
「ほんと、どこまで行くんだかなぁ俺。いや……今さらか」
呟いて、スマホを取り出してアプリを起動。
もはや見慣れた画面――『終末はじめました』。
まず目に入るのは、残高表示だ。
「……うわ、減ってんなぁ」
『M-Pay』の残高が、昨日よりもごっそり減っている。
生きるだけで金が減る。なんだこれ、現代社会の延長か? 終末とは?
軽く舌打ちして、画面をスワイプしてフリマ機能を開く。
「……『マモカリ』。いや雑すぎだろ」
誰だよこれ考えたやつ。センスの欠片もねぇ。
「センス死んでんなぁ……」
出品一覧を流し見する。
武器、防具、素材、よく分からん骨、謎の液体。
そして――
「……オーク肉、安っ」
昨日あれだけ苦労して狩ったのに、値崩れ起こしてる。供給過多かよ。
「これ、タイミング間違えたら普通に赤字だな……」
世知辛すぎる。
……いやほんと、終末ってなんだっけ。
☆
リビングに向かい、その辺の床に転がっている影山の足を、軽く踏んづける。
「うぅ……あ、茜さん、ダメですよ、そんなところ……」
どんな夢見てんだよ。
ニヤニヤして朝から気持ち悪いなこいつ。
「おい、起きろ。仕事だぞ」
「ぶへっ……!? あれ、ここは……天国……?」
「お前がそんなとこ行けるわけねぇだろ。地獄だよ。さっさと起きろ。覗き魔」
「ひどっ!?」
がばっと起き上がる影山。
寝癖爆発、目の下クマ、顔面蒼白。いつもの陰キャフル装備である。
「今日は納品の予定だろ。昨日のオーク肉」
「あ……そうでした……」
黒縁メガネをかけ直し、ふらふらと立ち上がる影山を見て、ため息。
「お前なぁ……ほんと体力つけろよ。昨日も途中で死にかけてただろ」
隠れるのがこいつの仕事なのに、体力なくて隠れられないとか……。おまけに捕まってるし。
「ぼ、僕はこう見えて後方支援タイプなんで……!」
「こう見えてもクソもねぇよ。その感じで前衛だったら詐欺だろ。つーか肝心な時に白目剥く後方支援なんて需要あるのか?」
「うっ……」
図星らしい。
口をもごもごさせて黙り込む。
まぁいい。どうせコイツに攻撃力は期待してないし。
「ほら、朝飯食ったら行くぞ。ちなみに茜はサボりだ」
「えっ!? いいんですかそれ!?」
「まぁ元々、夜勤専門で雇ったし」
「あれ? 茜さん、昼間が苦手な体質は克服したんですよね? 望月さんの『魔物教育』で」
「あぁ……貯まってた信頼ポイント、たんまり注ぎ込んでな。あの時は『昼間もデートしたい』ってうるさかったから仕方なく」
でも結局、「吸血鬼が昼間に出歩いてたら解釈違い」とか「日に焼けるのが嫌だ」とか、あれこれ理由をつけて引きこもってるけどな!
『日光耐性』のスキル、滅茶苦茶高かったんだぞ。種族特性を覆すんだからな。おかげで他のスキルもほぼ取れずに、稼いだ信頼ポイントもすっからかんだ。
「いや、推しに課金は普通では? というか、さり気なく惚気ないでくれます? デートしたんですか? 羨ましい。爆発しろ」
「惚気てねぇよ。朝からそのテンションで来るなよ、うるせぇな」
茜のことになると急に流暢に喋り出すの、普通に怖いんだけど。
「くそぉ……リア充めぇ……呪ってやる……」
ブツブツ呪詛を吐いて普通に気持ち悪い影山に、新しいタオルを投げつけてリビングから追い出す。
「ほら、顔洗ってこい。俺は朝飯用意するから」
「あ、はい……ありがとうございます」
テンションの落差が酷い。
ノソノソと出ていく影山の背を見送り、俺はまた溜め息を一つ。
――さて、今日も仕事だ。
ほどほどにモブらしく、死なない程度に頑張りますかね。