「……」
「……」
マズい。
つい、口から本音がっ!
「……望月さん、今、なんて言いました?」
「……いや、あの……」
あ、終わった。
梅野さんのさっきまでのホワホワな雰囲気とは打って変わって、こちらを見る目には嫌悪感が滲み出てる。
「『おっぱい大好き』って……そう、言いましたよね?」
「い、いやっ、それは! えーっと、その、なんていうか!」
「さっきから褒めてくれてたのって……性格の話じゃなくて、もしかして……」
「あ、いや、違……」
「胸、のこと、だったんですか?」
「……」
はい、死亡。
望月友人、社会的死亡が確認されました。
頭の中には「痴漢逮捕」の文字。
その目が真っ直ぐ俺を貫いていて、逃げ場がない。
「ち、違う! いや、違うっていうか! そ、そういう意味もあったけど! 違うというかその……!」
「……あんなに励ましてもらって嬉しかったのに――」
「最低」
心臓が、キュッてなった。
怒鳴られるよりもずっと、静かで怖い声だった。
「え、いや、あれは本気で――」
「結局あなたも、胸しか見てないんですね」
涙の滲んだ目でそう言われた瞬間、
心臓が止まった気がした。
「いや、待って! 本当に違うんだ! 俺はただ――!」
「もういいです! そういう人、見飽きてきました!」
梅野さんが椅子を引いて立ち上がる。
肩が震えてる。
怒りと涙が混じった、あの感じ。
声も震えてて、それが余計に痛い。
「……最初は優しかった。『無理しないでいいですよ』とか、『自分のペースで』とか。だから、少しだけ……信じてみようって思ったんです。でも結局、他の男と同じじゃないですか」
「いや、俺はそんなつもりじゃ――!」
「嘘です!」
ビシッと音が鳴るような勢いで言葉が刺さった。
「……もう、うんざりなんです」
息が荒い。
彼女の声は、怒りよりも、長年の諦めが混じっていた。
「あなたも、結局は同じなんだ。どうせ、そうやって近づいてきて、優しい言葉で安心させて……。そうやって私のことを――」
「ちょ、ちょっと落ち着いて!」
「落ち着けませんよ! 子供の頃からずっとそうなんですよ! この胸のせいで、ずっといやらしい目で見られて……! 男の人はみんな、みんな胸ばっかり見て……!」
「最初は『真面目だね』って言ってくれるけど、時間が経てば目線が胸に落ちて、態度が変わるんです。『でかいね』とか『一回触らせろよ』とか、笑いながら平気で言うんです。……笑えないのに!」
……ああ、これはマズい。
俺、完全に地雷踏んだわ。
もう俺が何言っても悪化するパターン。
「『成長期すげぇな』とか『成長しすぎ』とか……! 何をしても、全部これのせいにされる! 『育ちすぎ』だの『隠せよ』だの、何だってんのよ!」
「女子からも言われました。『男に媚びてる』『絶対整形でしょ』とか。何もしてないのに。小学校のときからですよ? 小学生に『いやらしい』って言葉、分かりますか? あれ言われたとき、何より自分が汚い人間みたいで、家で泣いて泣いて……。それでも、親は『気にするな』しか言ってくれなかった!」
声が震える。
握りしめた拳が白くなる。
「い、いや、それは……」
怒ってるというより、泣きそうだった。
ずっと溜め込んでた感情が一気に溢れてるみたいに。
「だから、隠すようになったんです。でもそれでまた陰口言われて……。『気取ってる』? 『あざとい』? だったら、どうしろっていうのよ! 挙句の果てには、わ、私が、淫乱だって……っ! 『男に揉ませてんだろ』って……っ!」
何も言えない。
ただ、こんな時でも俺の視線は揺れる胸にいってるってのが、なんとも……。
「……結局、どんな格好してもどんな態度を取っても、みんな、胸しか見てくれない。性格がどうとか、努力がどうとか……そんなの関係ないんですよ。みんな、胸だけ。こんな、脂肪の塊……! 何が、いいの……」
「……いや、違うんだって。俺は――」
言葉が出てこない。
何を言っても、下手な言葉を重ねても、梅野さんには届かない。
ただ、墓穴を掘るだけだ。
まぁ、実際俺もそいつらと同じだしな。
「今日だってそう。あなたが、初めてちゃんと中身を見てくれる気がしたんです。『性格の話だよ』って言ってくれて、嬉しかったんです。
でも……違った。結局、胸の話。また、男の人のそういう目だった」
涙が一筋、頬を伝った。
「だから、試したんです。わざと、脱いで、わざと見えるようにしました。あなたがどう反応するか。この人は違うかもって思ったからこそ、試したんです。……でも、やっぱり、同じ」
「……」
「結局、みんな同じなんです。私のことなんて見ないで、胸だけ見て、勝手に興奮して、勝手に『理性が』とか言って、自分を正当化して……!」
一歩、近づいてきた。
怒気がこもった視線に射抜かれて、俺は息を飲んだ。
「――あなたも、そうなんですね。獣と同じ」
「……あー」
「え?」
「あー……もう、めんどくせぇな」
「……何ですか、それ」
小声で、思わず漏れた。
マジで終わってる。自分でも分かってる。
けどさぁ、ちょっと……いや、かなりイラッとしたんだよね。
「だからって、拗らせすぎだろうが……。つーか、出会って数分の男に何求めてんだよ。試し行為とか、ワザワザすんなよ。頭おかしいのか」
「なっ……!?」
「あー、クソ面倒くせぇ」
人間ってやっぱ、だりぃな。
これならゴブ太郎の方がまだマシだったわ。
いや、今回は完全に俺が悪いんだけどさ。
それは、もう十分分かってます。
「あー、いや、違う。違うんだよ。俺が悪いのは分かってる。本当に、全面的に俺が悪い。でも、なんかもう……なんつーか、すげぇ疲れた」
「疲れた?」
「うん。人って、めんどくせぇなって思って。
いや、俺が悪いんだって。分かってる。けど、たぶん、俺が何を言っても、今のあんたには裏にしか聞こえないでしょ」
「……それは」
「だから……すみませんでした」
深く頭を下げた。
気まずいけど、謝るしかない。
「……何ですか、それ?」
「この度は私が不快な思いをさせて、誠に申し訳ありませんでした」
「……」
「ただ、ひとつだけ言わせてもらうと、さっき言った『やれることをやればいい』って言葉だけは本音です。俺みたいなやつが言っても説得力ないし、聞き飽きた言葉かもしれないけどさ」
美鈴は黙ったまま、目線を落とした。
さっきよりは、怒りよりも戸惑いの色が強い。
「ま、こんな空気になったし、俺、元々すぐ出てくつもりなんで。だからまぁ、いろいろすまんかったっす」
そう言って、立ち上がる。
喉が痛いほど乾いてるのに、もう水を飲む気にもなれなかった。
「……あ、ちなみに」
足を止めて、振り返る。
「あなたが可愛いってのと、支えたいってのは……まぁ、ちょっとだけ本当。俺もコンプレックスあるし、いじめられた経験もあるしね。……できれば、もう少し仲良くなりたかったのも本当かな。これは下心ありありだし、キモいって言われるだろうけど」
梅野さんは怪訝な顔をしてこちらを睨む。
「何を、言ってるんですか?」
「いや別に? ただの……自己満足? じゃ、俺はこれで」
逃げるように背を向けた。
もうこれ以上ここにいるのは無理だ。
出口に向かって歩き出そうとした、その瞬間――
「――お二人とも! 少しだけ、よろしいですか!?」
声をかけてきたのは、松下さんだった。
その迫力に俺たちは同時に肩をビクッとさせ、
気まずいまま、ゆっくりと目を合わせた。
……無言。
地獄の沈黙。
「……行きましょうか」
「……はい」
松下さん、空気読んでよ。