場違いな声に、俺は思わず怒鳴ってしまう。
「誰だお前! ふざけてんのかっ!?」
「えっ!? いや、え、あの、」
逆光の中、入ってきたのは――若い男。
パッとしない。
いや、
ダボダボの黒パーカーに黒のズボン。
黒縁メガネに、フードを目深にかぶり表情もよく分からない。
猫背気味で俯いていて、声も小さい。
どう見ても、陰キャ。
モブ中のモブ。
若干、俺と同じ匂いがする気がして、なんかヤダ。
こいつ、竹原が魅了した避難民か?
じゃあ敵の増援……!
「松下さんっ! こいつ、ひょっとして!」
「いえ。彼は敵ではありませんよ、望月さん」
松下さんが薄く笑みを浮かべて断言した。
「魅了はされていません。彼は私の部下です。昼間に言った『尾行や監視が得意な部下』、影山くんです」
「あ、あ……あの……か、かげ、影山です……」
視線は床。
語尾は消えかけ。
声もほぼ蚊。
「人と話すの慣れてませんオーラ」が全身からこれでもかと噴き出ている。
「あ! アンタが尾行してたら即効バレて、まんまと魅了されたっていう噂の!」
「はい。そして私にゲンコツされて正気に戻った、噂の彼です」
「な、な、そんな、言い方は……事実ですけど……」
その噂の影山くんは、自分の頭をさすりながらモジモジしている。
「いや、悪い。……そのおかげで『魅了は殴れば解除できる』ってのが分かったんだ。それだけで全部チャラになる。むしろ捕まってくれて助かった!」
「ええ、彼のおかげで魅了された者を救う道筋が見えましたから」
「え、いや、えぇ……ど、どういたしまして……?」
褒めてんのに微妙な反応だな、影山。
「それにな、魅了が解除できるって知って、吸血鬼も魅了の呪縛から――」
――いや、待て。
俺はようやく
「……おい、なんで攻撃がこない?」
影山が部屋に入ってきた瞬間から、吸血鬼の攻撃がピタリと止んでいる。
発射寸前の槍も、伸びかけた刃も、空中で凍りついたまま。
全てその状態で停止している。
吸血鬼はまるでターゲットを見失ったかのように、目の前に立っている俺たちを
棒立ちのまま、そこにいるだけ。
「あ、あのそれは……ぼ、ぼく、僕のスキルで……」
「スキル? アンタ、なんかやったのか?」
松下さんが息を整えつつ、影山のかわりに補足する。
「影山くんのスキルによって、我々は今『完全不可視状態』になっています。気配だけでなく、存在そのものを認識すらできません」
おい……おい何だそれ。
斥候とか盗賊とか、そっち系のジョブか?
「認識すらできないって……チートかよ……」
「ち、違、違います! ぜ、全然チートとかじゃ……! むしろ……ぜんぜん戦えません……!」
だが、影山は慌てふためきながら両手を振る。
「じゃあ、今のこれも……?」
「はい。今は我々も含めて姿はまるっと消えている状態、ということです」
スゲェな。
偵察や潜入に超向いてんじゃん。
でも……こいつ、吸血鬼相手に偵察して即バレしてたよな?
しかも、昼間の弱体化してる吸血鬼に。
そんなしょぼそうな奴を頼って……大丈夫なのか?
「うん? てことは、おまえ……! 吸血鬼が言ってた、あの『覗き魔』か!!」
「ぶっ」
松下さんが変な声を出した。
「いや、いやいや! ち、違ッ……! ち、違い、ます……っ!」
影山が両手をぶんぶん振って否定する。
「そんなスキルがあんのになんで覗きがバレたんだ?」
「いや、あの、興奮してスキル操作が……」
「やっぱり覗き魔じゃねぇか!」
本気で顔真っ赤にして否定してるあたり、むしろ疑惑が増すんだが。
「おい、どうだった? あいつのコートの下、見たんだろ? やっぱりPerfect Bodyだったのか?」
「え、いや、その、違くてっ!」
ちくしょう、俺もまだ見たことないのに!
羨まけしからんぞ、影山ァ!
「失礼……望月さん、影山くんが覗き魔とはどういう……?」
「こいつ、偵察そっちのけで吸血鬼の着替えを覗いてたみたいなんですよ。そのせいで捕まって魅了されたとか」
「ほぅ……?」
松下さんは急にスンッと無言になり、あの仏のような顔で影山をじっと見つめる。
「ちッ、違うんですって! あれは、そ、そんなつもりじゃっ……! 本当に任務で……!」
影山が頭を抱えて蹲る。
まぁ……分かるよ。
吸血鬼、めっちゃエロいもんな。
あのエロさはコートの上からでも隠しきれてない。
こんな童貞臭いのが生で見たら……うん……まあ……仕方ない。
あと、松下さんがちょっと怖い。
「覗きの件は後にしましょう。それよりも影山くん、外の状況を。竹原くんは?」
松下さんが強引に話題を戻す。
「あ、はい、外は……竹原くんは、避難民や先輩たちを……つぎつぎ魅了して回ってて……ぼ、僕は……彼が来る前に、その、隠れて……逃げ、ました……」
「……やっぱりか!」
「予想通りですね」
あのうんこマン、またみんな魅了して王様ごっこするつもりか。
このままじゃ本当に詰みかねん。
「望月さん」
松下さんが俺を見る。
「影山くんがいれば突破口があります」
「え?」
影山がビクッと肩を震えさせた。
「ぼ、僕なんかが……役に立つわけ……」
「何言ってんだ、こんなスゲェスキル持ってんじゃねぇか!」
「い、いえ、ぼ、僕は、僕のスキルは……隠れるぐらいしか……」
「いや、それだけで十分すぎるだろ! ナイスだ影山!」
「え……」
敵に見つからないってだけで爆アドじゃねぇか。
影山は何故かめっちゃ複雑な顔をしてるけど。
松下さんが頷く。
「このまま隠れて竹原くんのところへ向かう、と言いたいところですが……」
「……その前に吸血鬼をどうにかしないと、か」
「ええ。それと梅野くんと桐生くんも、安全に移動させたい」
あ、ヤッベ!
完全に忘れてた!
神乳を放置なんてとんでもない!
このまま三人を放置した場合、吸血鬼が目を覚ました二人を攻撃する可能性もある。
「あれ? このままぶん殴ればいいのでは?」
今は認識されてないんだから殴り放題だろ。
俺は、動きの止まった吸血鬼に視線を向けようとして……、
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
影山が慌てる。
「望月さん、動かないで」
松下さんも鋭い声。
「え?」
「彼のスキルは『他者に干渉』しようとした瞬間、解けます。あなたが『殴ろうと考えた時点』でアウトの可能性が高い」
「可能性? 確定でアウトじゃなく?」
「は、はい。その辺の判定が微妙でして……僕のスキルなのに、よく、分からないんです」
なんだそれ……使ってる本人が分からんのか。
チートっぽい影山のスキルにもそれなりの条件があるんだな。
「じゃあ……松下さんなら拳が当たる瞬間まで干渉する意識を抑えられません? その、『無心で殴る』、みたいな」
世界を狙える拳の松下さんなら、ワンチャン……?
松下さんは少し考え、首を横に振った。
「……無理でしょうね」
「その心は?」
「まず、意識を抑えようとしている時点で干渉の意思を持っている、と判断された場合。そして――先ほどの吸血鬼さんの反応速度。仮に殴れても、防がれたり反撃される可能性が高すぎます」
「できない」んじゃなくて、「成功率が低すぎる」という話でした……さす世界の松下。
「それならバレた瞬間にまた影山にスキル使ってもらえば?」
「いえ、それも無理です」
影山が小さく手を挙げる。
「あ、あの……ぼ、僕のスキル……れ、連続使用は……できなくて。一回解けちゃうと……しばらく使えないんです……精神的にキツすぎて……」
「マジかよ……!」
クールタイムってやつか。
つまり――殴れない。
そして、万が一解除されたら、さっきの怒涛の攻めで全滅の可能性。
「マジで隠れるだけのスキルなんだな……」
「はい、なんか……すみません……」
これで隠れたまま何でもし放題だったらチートそのものだ。
影山がボソボソと小声で頭を下げる。
うん、いちいち謝んなよ。
ちょっとめんどくさいなコイツ。
「あ……だから覗きの時も何も――いや、何かしようとしたから解除されて見つかったんだな」
分かる、分かるよ影山。
そんなスキル持ってたら、はっちゃけたくなるよな。
こいつ童貞だし。
俺は影山に生暖かい眼差しを向けてやる。
「い!? いやいやいや、だ、だから何もしてませんって……!」
覗き魔がなんか言ってるー。
する前に捕まったからだろ?
分かった分かった。
さて、覗き魔の必死の弁明はさておき――、
「じゃあ、もう吸血鬼は放置してくしかないのか……?」
思わず視線が吸血鬼に向く。
動かず、惚けたように立ち尽くしている、その姿。
涙で顔をグシャグシャにして、泣いていた。
涙と、指先から落ちる紅が床に滴り、止まらず流れていく。
――このまま、置き去りにする?
こんな痛々しい状態の、こいつを?
そう思った瞬間、胸の奥が酷く軋んだ。
そんな俺の迷いを見透かしたように、松下さんが静かに言った。
「まずは、二人を安全なところへ。吸血鬼さんは、今は……」
「……二人に触っても大丈夫なんですか?」
影山が弱々しく手を挙げる。
「あ、あの……そ、それなら……だ、大丈夫です……。ぼ、僕……あの二人も、スキル範囲に入れてます……」
「え?」
「松下さんに言われて……ずっと会話を聞いてました。だから……状況は把握してます。き、気絶してる二人も……吸血鬼さんに認識されてません」
「聞いていた、だと?」
「は、はい。僕のもう一つの、スキルで……最初から……」
「だったらっ! こうなる前に、もっと早くなにか……っ!」
思わず二人を責めるような声が出てしまう。
「ええ、その通りです。竹原くんが事を起こす前に指示を出せれば良かったのですが……その点は私の落ち度です。申し訳ありません」
松下さんが頭を下げた。
「ぼ、僕もその……お、推し……いえ、彼女を助けられなくて、本当に、すみません」
影山も頭を下げてくる。
「……っ」
違う。
二人は何も悪くない。
「……いえ。二人が謝る必要は、ないです」
悪いのは、俺だ。
俺は、竹原が魔眼を奪える可能性に――気づいてた。
なのに、それを忘れて報告しなかった。
そのせいで、吸血鬼を……。
「俺も……すみません。竹原が魔眼を奪えるかもしれないって気付いてたのに、報告するのを忘れてました」
吸血鬼を見る。
彼女は、ずっと泣いている。
壊れたみたいに……。
――俺のせいで。
「影山……くんもすまん。お前がいなけりゃ今頃マジで全滅してた。それに吸血鬼も……。助かったよ。改めてありがとう」
「い、いえいえ! 僕は、そんな! それに呼び捨てにしてもらって構わない、です」
「……過ぎた事を悔やんでも仕方ありません。過去を嘆くよりも、今はこれからどう動くかです」
松下さんの声はいつもみたいに落ち着いている。
「スキル対象への接触は干渉扱いになりません。なので、抱えて移動させられます」
「よし……」
俺は大きく息を吸う。
松下さんも頷く。
「影山くん、案内を頼みます。今なら……まだ、間に合う」
俺は吸血鬼を、ただ一度だけ振り返る。
彼女は無表情で泣き続けてる。
かすかに震える指先が、助けを求めてるみたいで……。
視線を逸らしても、胸の奥のきしむ感覚が……消えない。
吸血鬼、すまん。
今は……これが最善だ。
……絶対、後で助けるから。
俺たちは気絶した二人を抱え、血に濡れた応接室を後にした。