四角いリング。
ロープに囲われたその空間。
どこからどう見てもボクシングのリングだ。
「マジか? ふざけてんの? この状況で?」
人がバタバタ倒れてるド◯キの駐車場に、いきなりリングが現れた。
そしてその中央に血だらけのおっさんとキレ散らかした若者。
シュールだ。
シュールでウケるけど、竹原の反応は劇的だった。
「……て、てめぇ……!」
竹原は腹を押さえ、よろめきながら一歩下がる。
さっきまでの余裕は影も形もない。
「な、なんだ……今の……!」
「ジジイ……なに、しや……がっ……!」
竹原がよろけながら、必死に手を伸ばす。
多分、何かしらのスキルを発動させようとしてるんだろうが……。
そのロープの内側は、松下さんが作り出した『リング』。
「無駄ですよ。この中では、あらゆる
ルール無用の終末サバイバルにおいて、唯一、厳格な「拳闘」のルールが適用される……いわば聖域なんだろう。
いや、領域って言ったほうがいいのか?
領域展開っぽいし。
松下さんは静かに構え直した。
拳は血まみれ。
片腕は折れたまま。
それでも、背筋はまっすぐだ。
「ステータスに頼り、他人の力を奪うことでしか『正義《己》』を証明できないあなたには……少々、酷な場所かもしれませんね」
「ふざけ、んな……っ! たかが、ジジイのパンチがぁ!!」
松下さんは、折れた腕を庇う様子も見せず、流れるようなステップで追撃の間合いを詰める。
「ここは
淡々とした声。
「能力も、奇跡も、正義のご託も関係ない」
「あるのは――」
一歩、踏み込む。
ドンっ!
「……っ、がはぁっ……!」
また竹原の腹に、いいのが一発。
「殴るか、殴られるか。それだけです」
「……っ、ふざけるな!!」
腹を抑え、涎を撒き散らし、竹原が叫ぶ。
「俺は正義だぞ!! 神に選ばれた――!」
「だから、でしょう」
松下さんは遮る。
「あなたは
「力があるから正しい。勝つから正しい、と」
また、一歩。
「そ、そうだっ! 俺が……俺が正しいのに……!」
「竹原くん」
低く、落ち着いた声。
「あなたは、ずっと言っていましたね」
松下さんは、真正面から竹原を見た。
「ここは、あなたの理屈が通る場所ですよ」
「殴り合いなんですから」
松下さんが、薄く笑う。
竹原の喉が、鳴った。
「……ち、違う……」
初めて。
言葉に、迷いが混じった。
竹原の顔が、歪む。
「く……クソが……!」
殴り返そうと拳を振る。
だが、動きが雑だ。
まるで経験が違う。
松下さんは最小限の動きでかわし、そしてもう一度、腹へ。
ドンッ!!
「が――っ!」
竹原が折れ曲がる。
「正義だの、神だの言う前に」
松下さんは息を整えながら言う。
「まず、自分の足で立ちなさい」
「殴られる痛みを、知りなさい」
「……それが、スタートです」
☆
――さて。
松下さんがクソ野郎を教育してる間に、こっちも終わらせなきゃな。
俺は、いまだにガス欠気味の血液魔法を繰り出そうとしている吸血鬼に向き直った。
「悪いな、吸血鬼。……その重ね掛けされた保険、俺が全部叩き割ってやるよ」
俺は金属バットをフルスイングの構えで固定し、一気に距離を詰めた。
「っ……!」
血の刃を弾き、跳ね、かわしながら、俺は息を吐く。
「とはいえ、だ」
――やっぱり、俺は俺で限界近いな。
血の槍は遅い。
軌道も甘い。
威力も弱くなってる。
でも、数が多い。
弱いと言ってもそれはそれ、一発でも掠ったらアウトなんだよなぁ。
だって痛いもん。マジで。
「……ちっ」
金属バットを振るいながら、吸血鬼を見る。
虚ろな目。
操られてる。
「でもさっき、一瞬戻ったよな」
俺は呟く。
「完全に、空っぽってわけじゃない」
心が壊れたわけじゃない。
魅了の魔力で出てこれない……いや、
「……はぁ。新人のケアも大変だな」
しょうがない、これも上司である俺の仕事だ。
俺は金属バットを肩に担ぐ。
魅了された吸血鬼の狙いは俺だ。
俺だけを見ている。
虚ろな目で、殺すために。
命令通り、忠実すぎるほどに。
なら。
「いいよ来いよ」
俺はあえて背中を向けた。
駐車場に倒れている避難民たち。
その方向とは、逆。
俺は駐車場を全力で駆け出す。
――ついてくるだろ。
案の定。
次の瞬間、背後で血の刃が空を裂いた。
コンクリートを蹴る。
身体が悲鳴を上げる。
肩が、足が、まだ痛む。
正直、余裕なんて欠片もない。
「松下さん!」
振り返らずに叫ぶ。
「竹原、頼みます!」
「任せなさい」
「ほら、こっちだ吸血鬼!」
吸血鬼は、何も言わない。
血の霧を纏い、無言で迫ってくる。
背後から飛んでくる血の刃をギリギリでかわし、目指すのは――
避難所内部。
棚、柱、曲がり角、死角だらけの店内へ。
「よし、避難所ん中なら……!」
中へ飛び込む。
すぐに、血の刃が壁を抉る。
だが、直線じゃない。
棚を挟み柱を盾にして、とにかく吸血鬼の狙いを動かせる。
「……なぁ」
息を整えながら、声を投げる。
「いい加減、目ぇ覚ませよ」
返事はない。
「聞いてんのか? さっきから無視しやがって」
返ってくるのは、血の刃だけ。
「……だよな」
分かってる。
たとえ俺でも。
「それなら」
俺は、ポケットからスマホを取り出す。
「
アプリ「終末はじめました」の画面をタップ。
「
――スキル『魔物通話』
雇用した魔物と、直接繋がるスキル。
ジリリリリリリンっ!
コール音が鳴る。
黒電話みたいな、やたら不快なベル音。
「おい」
ジリリリリリリンッ!
「出ろよ」
……出ない。
血の刃が苛立ったように荒れる。
ジリリリリリリンッッ!
「上司からの電話だぞ」
ジリリリリリリンッッッ!
まだ、出ない。
血の槍が、辺り一面薙ぎ払う。
……俺もなんかムカついてきた。
「ワンコールで出るのが社会人だろが!」
ジリリリリリリンッッッ!!
俺が隠れていた棚が、吹き飛ばされる。
姿が顕になる。
吸血鬼の虚ろな目と俺の視線が、ぶつかる。
「お前いつまでも引きこもってんじゃねぇぞ、吸血鬼!!」
ジリリリリリ――
――ガチャ
スピーカーから、小さな声。
《………………………………なによ》
一瞬、時が止まった。
「……やっと出たか」
吸血鬼の拗ねたような声を聞いて、俺は思わず笑った。