魔物使い、はじめました。   作:YTとりあえずぶん投げてみる

83 / 105
第82話 ノリでやった、後悔はしていない

 血の魔法が、ふらりと宙を漂った。

 

 刃にすらなりきれない、赤い雫の塊。

 それは途中で力を失い、床に落ちて静かに消える。

 

 もう、攻撃ですらない。

 

 俺の血を少しだけ吸って補充された魔力も、既に尽きかけている。

 

 それを横目で確認してから、スマホを耳に当てたままゆっくり息を吐いた。

 

「……なぁ」

 

 呼びかける声も、さっきより低い。

 

「電話、繋がってんだよな」

 

《…………》

 

 返事はない。

 でも、切れてもいない。

 

 無言のまま繋がり続ける回線。

 それはまるで、逃げ場を失った思考そのものみたいだった。

 

 俺は一歩、前に出る。

 吸血鬼――彼女との距離が、数メートルまで縮まる。

 

 紅い瞳が俺を見る。

 

 いや。

 正確には、見ていない。

 

 焦点が合っていない。

 命令と感情の狭間で、立ち尽くしているような、そんな目。

 

「……名前の話」

 

 その単語を出した瞬間。

 

 彼女の肩が、わずかに跳ねた。

 

《……っ》

 

 音にならない息。

 それだけで、十分だった。

 

「前に、言ってたよな」

 

 俺は彼女の紅い瞳から視線を逸らさない。

 

「名前は……ただの呼び名じゃない」

 

「呼ばれるたびに、自分が形になる」

 

《…………》

 

「だから、考えてほしいって」

 

「ちゃんと『今の自分』を呼ぶ名前を」

 

 紅い瞳が、かすかに揺れる。

 

 俺は苦笑した。

 

「それで俺、何て言ったか覚えるか?」

 

《…………………………花子》

 

 小さな声。

 喉の奥を擦るような、か細い音。

 

「即答で、しかもドヤ顔」

 

 自分で言ってて、流石になかったかなぁと今更ながら苦笑する。

 

「そりゃ怒るわな」

 

《…………》

 

 彼女は何も言わない。

 でも、魔法が完全に止まっている。

 

 もう、戦闘ですらない。

 

 俺はスマホを持つ手を下げる。

 肩が軋み、熱い痛みに指先が小さく震えた。

 

「……正直に言うぞ」

 

 少し、間を置く。

 

「最初は……スキル目当てだった」

 

「魅了の魔眼。欲しかった。マジで」

 

 紅い瞳が揺れて、すっと細くなる。

 

「それは否定しねぇ」

 

「騙してたって言われりゃ……まぁ、そうだ」

 

 床に血の雫が一つ落ちた。

 刃にすらならない。

 

「でもな」

 

 俺は一歩、踏み出す。

 

「ちょっとの、本当にちょっとの間だったけど」

 

「お前と話せて、笑いあって」

 

 一歩。

 

「文句言われて、怒られて」

 

「それでも一緒に居るうちに」

 

 また、一歩。

 

「……少なくとも今は」

 

「お前を道具としては見てないよ」

 

 彼女との距離が縮まっていく。

 

《…………》

 

「お前を大切な仲間だと思ってる」

 

《…………》

 

 沈黙。

 

「お前と、ちゃんと仲間としてやっていきたいんだ」

 

 長い、長い沈黙。

 

 その間、遠くでまた音が響く。

 でも、この場所だけ、時間が切り離されたみたいに。

 

「……だから」

 

 俺は息を吸い。

 

「ちゃんと考えた」

 

 揺れる紅い瞳を、真正面から見る。

 

 初めて見たとき。

 あまりにも綺麗で、あまりにも寂しそうで。

 

 燃えるみたいなのに、触れたら凍りそうで。

 

 ただ、目を離せなかった。

 

 

「……『茜《あかね》』」

 

 

 その名前を、ゆっくり口にする。

 

 一音一音、噛みしめるように。

 

「深い赤」

 

「夕焼けの色」

 

 彼女の瞳が、見開かれる。

 

《「……あか……ね……」》

 

 自分の口で、頭の中で、確かめるように。

 

 名前が、空気に溶ける。

 

 魔力が、外へ漏れるのをやめる。

 今度は内側へ、静かに集まっていく。

 

《「……その名前は」》

 

 彼女の声が、震える。

 

《今の……私を……?」

 

 俺は、すぐに答えない。

 

 少しだけ考える。

 それから、はっきり言った。

 

「呼んでる」

 

「今、ここに立ってるお前を」

 

 紅い瞳。

 それは吸血鬼の色だ。

 彼女の過去の、呪いの。

 命令と支配が染み付いた、冷たい夜の色。

 

 でも、今ここに立つ彼女は違う。

 夜に沈み切る前の、暖かい熱を残している色。

 

 

「茜。……どうだ。今の、お前なら……」

 

 

 また、沈黙。

 

 けれど今度は。

 

 彼女は、胸元に手を当てる。

 

 

 

 

「…………茜」    》

 

 呟く。

 

 

「私は……」

 

 

 

 

 

 

「茜」

 

 

 もう一度、確かめるように。

 自分の名前を。

 

 そして。

 

 紅い瞳から完全に虚ろさが消えた。

 

「……望月」

 

 糸が切れる。

 重ねられていた保険が、音もなく崩壊する。

 

 命令ではない。

 支配でもない。

 

 選んだ結果として、ここに立っている。

 

 吸血鬼……『茜』は、まっすぐ俺を見る。

 

「……呼んだかしら?」

 

 その声は、はっきりと()()だった。

 

 俺は、ようやく肩の力を抜く。

 

「……遅ぇよ。はい、じゃあこれで試用期間は終わりな。これからは正式雇用ってことで」

 

 茜は、ほんの少しだけ頬を緩めて。

 

「言いたいことは山ほどあるのよ? 分かってるのかしら」

 

「はいはい。あのな、上司は忙しいんだよ。部下のやらかしの責任とかさぁ」

 

「やらかしって貴方、完全に自業自得じゃないの」

 

 茜は小さく息を吸い。

 

 ――微笑んだ。

 

 紅い瞳が、夜の中で確かに光る。

 

 《――》

 

 「……っ!?」

 

 と、思ったそばから茜の膝が崩れ落ちる。

 

「おっと。おい、大丈夫か?」

 

「え、ええ。大丈、《――せ》夫……よ」

 

 そのまま倒れそうになる茜を抱きとめる。

 

「はは、そういやさっきもこうやって抱きとめ――」

 

 そして、顔を確認しようとした、そのとき――

 

 

 

 

 

 

 

 ――《殺せ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずぶっ。

 

 

「……は?」

 

「……え?」

 

 熱い。

 茜を抱きとめて無防備になった腹に、異様な熱が走る。

 

「う、そ……違う……」

 

 遅れてきた痛みに、たたらを踏んで後ずさる。

 茜の紅い瞳が見開かれる。

 

 見下ろす。

 腹から突き出てる、紅。

 

 血。

 血の紅が。

 

「っ、マ、ジか……」

 

 血の魔力が形にならないまま、けれどもちゃんと突き刺さっている。

 

 ――《殺せ》

 

「わ、私……だ、だめ! 離れて……っ!」

 

 茜の腕が勝手に持ち上がる。

 紅い魔力が無理矢理集まる。

 まるで、命を削っているように。

 

「……くそっ」

 

 歯を食いしばる。血が噴き出る。

 刺された腹が焼けるように痛くて、熱い。

 

 ――《望月を、殺せ》

 

 スマホからノイズのような音が割り込む。

 

「この声……! あの野郎、マジで……!」

 

 彼女の顔が、歪む。

 泣きそうなのに。

 必死なのに。

 それでも、身体だけが言うことを聞かない。

 

「待って……! やめてっ!」

 

 茜は正気に戻ってる。

 でも、身体はまだ竹原に縛られている。

 

「っ……望月、逃げて……っ!!」

 

 彼女の意思じゃ止まらない。

 

「……魅了の核は、まだ残ってるっ……ぽいな……」

 

「お願い! 望月っ……!!」

 

 だったら――

 

 俺は、あえて一歩踏み出した。

 

 血の刃が放たれる。

 避けない。

 いや――避けられない。

 

 反射的に手に持っていたスマホを前に突き出す。

 耳元で鳴り続けていたノイズが甲高く跳ねた。

 

 ――ガンッ。

 

 硬い音。

 想像以上の衝撃が走り、指が痺れる。

 

「っ……!」

 

 血の刃は確かにそこに当たった。

 けれど、刃は貫通しない。

 スマホを滑り、そのまま俺の胸を切り裂いていく。

 

 スマホが弾かれ、床を転がっていく。

 金属とコンクリートが擦れる音が、やけに遠くに聞こえた。

 

「なんで、お願いだから……逃げてよ……!」

 

 腹の痛みがエグい。

 手も足も痺れてきてて、感覚が薄くなってきてる。

 

 そして、ノイズが止まらない。

 俺を殺せと、無機質に無感情に響いている。

 スマホは弾かれて、()()()()()()()()()()()

 

 遠くから聞こえるでもなく、足元でもなく。

 聞こえるのは胸元……ダメだ、ノイズについて考える余裕はない。

 

「……大丈夫……だ。ちょっ……待っ、てろ……っ」

 

 胸を裂かれた痛み。

 口の中に広がる、鉄の味。

 

「……っがは」

 

 咳と一緒に、血を吐く。

 

 それでも――

 

 俺は倒れない。

 倒れてやらない。

 竹原の思い通りになんて、意地でもさせねぇ。

 

「……おい、茜」

 

 彼女の目が、揺れる。

 滲んだ紅い瞳から涙が溢れる。

 

 はは、酷い顔してんな。

 ったく、うちの新人をこんな顔にしやがって。

 あのクソ野郎、マジであとで殴ってやる。

 

 茜との距離は、もうゼロだ。

 目と鼻の先。

 

「……解除方法、覚えてるか」

 

「え……?」

 

 頭に巣食う魅了の魔力を、魔力を纏った打撃で吹き飛ばす。

 でも、金属バットは持ってない。

 そもそも……もう腕が上がらない。

 

 

 だから。

 血を。

 魔力を。

 俺の魔力で、頭の魔力を上書きする。

 

「……身体動かすのダルいんだよ。だから、悪いな」

 

 茜の身体が血の刃を振りかざす。

 

「だめ、やめて、いやっ!」

 

 俺は、ふらつきながら前に出て――

 

 

 

 

 

「――セクハラで訴えんなよ」

 

 

 

 

 

 振りかざした血の刃が、俺の胸へ突き立てられる。

 

 ――それと、ほぼ同時に。

 

 

 俺と茜の唇が、重なった。

 

 

「もちづ――んむっ!?」

 

 

 血を流し込む。

 刺される。

 紅い瞳が揺れる。

 

 コク、コク、と喉が動く音。

 ガッ、ガッ、と刃を突き立てられる感触。

 

 そして――

 

 血の刃が、霧散した。

 

 抱きしめられる。

 優しく、けれど逃がさない強さで。

 

 唇は離れない。

 血を吸われる。

 

「……ん……ちゅ……」

 

 吸う音だけが、やけに大きく響く。

 

 柔らかな唇。

 血に塗れて。

 奪われるたび、脳の奥が揺さぶられる。

 

 舌に触れる牙。

 微かに混じる痛み。

 かすめる感触に、背筋が震える。

 

 絡む息。

 密着する身体。

 血の匂いに混じって、かすかに花の香り。

 銀髪がふわりと揺れた。

 

 ――やがて。

 

 目を開ける。

 紅い瞳が確かな光を宿している。

 

 その色に負けないほど、顔を真っ赤にした茜。

 

 ……たぶん、俺も同じ顔をしている。

 

 茜は恥ずかしそうに視線を逸らしそうで――逸らさない。

 キスも、やめない。

 

 今度は茜のほうからも流れ込んでくる。

 温かい。

 魔力だ。

 

 切り裂かれた胸が熱い。

 刺された腹も、肩も、足も。

 身体中にある小さな傷さえも。

 彼女に優しく撫でられてるような、くすぐったい熱さが。

 

 だけど、それ以上に――

 

 顔が、舌が、熱を持つ。

 

 そして、しばらく。

 血塗れの中。

 言葉もなく。

 

 互いを確かめ合う時間が続いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。