地面に転がっていた竹原の指が、ぴくりと動いた。
目の前であんだけドンパチやってたってのに気持ちよさそうに寝てやがって。
やっと起きたのか、こいつ。
そんなことを考えながら眺めてると、竹原は突然がばっと上半身を起こす。
「はぁっ……はぁ……っ!」
荒い呼吸。
座った姿勢のまま周囲を見回し、状況を把握しようとしている。
「ぅぐっ……!」
松下さんにどれだけぶん殴られたのか知らんが、相当キテるらしい。
勢いよく起き上がったせいか、腹を押さえて顔を歪めている。ざまぁ。
それを見た俺と茜、それに松下さんが同時に身構える。
「……茜」
短く呼ぶと、
「分かってる」
それだけ返して、茜は即座に指先へ魔力を集めた。
「いつでもやれるわ」
茜の周りに血の霧が立ち昇る。
血液魔法。
竹原が何か仕掛けてきたら、すぐに対応できる間合いだ。
こいつのこういう、多くを言わんでも「仕事できます」ってところは良いんだけどなぁ。
他がね……特に性格が、微妙に終わってるくさいんだよね。
そして、松下さんも満身創痍の体を無理やり引き起こし、血だらけの拳を構える。
……だが。
「大丈夫だよ」
勇者が一歩前へ出た。
「何もできないから」
振り向きもせず、当たり前みたいに言いやがる。
――他人のスキルをいじる権能、だったか。
なるほど。
それが本当なら、竹原が何をしようと無駄ってわけだ。
というか、竹原如きが何をしようが、この化物《ゆうしゃ》ならフィジカルだけで制圧できるだろ。
わざわざ権能とやらを使う必要すらなく。
なんなら、茜だってそのくらいやれそう。
二人とも化け物だし。化け物同士の実力は天と地だが。
そして、竹原は自分の正面に立つ勇者を視界に捉えた。
「……あぁ? 誰だテメェ」
血の混じったツバを地面に吐き捨て、勇者を睨みつける。
「俺の前に立って、偉そうに見下ろしてんじゃねぇぞコスプレ野郎。邪魔だ、どけ気持ち悪ぃ」
……あー、はいはい。
相変わらずだな、コイツ。
松下さんに徹底的にボコられて、少しは反省してるかと思ったが……俺の認識が甘かった。
竹原は、どこまでいっても竹原だった。
松下さんも、心底残念そうにほんのわずか首を振る。
これなら一発くらい殴っておいてもよかったな。
勇者は、そんな竹原にまた一歩近づいた。
「ダメだよ」
穏やかに。
「何言ってんだ? テメェは誰だって聞いてんだよ」
勇者は何も答えない。
竹原はイラついたように睨みつけるが、勇者は怒りも嫌悪も見せない。
ただ、穏やかに。
その整った顔に、薄い笑みを浮かべながら。
「女神から貰った力を、悪用するのはダメだよ」
ぼそり、と。
叱るというより、常識を確認するみたいな声。
竹原の眉がピクリと動く。
「はぁ? さっきから訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ」
「君が貰った力はね」
勇者は淡々と続ける。
「悪を裁くためのものなんだ」
会話が噛み合わない。
相変わらず、勇者には会話をする気がない。
「二つの世界が融合して、新しく生まれ直すこの世界で、秩序を守るための力」
……出たよ。
また始まったよ、勇者の一方通行イミフ会話。
つーか融合した世界とか女神とか、急に新設定ぶっ込んでくんなよ。聞いてねぇんだよ。
そもそも、じゃあその女神のせいでこっちの世界がこんな終末になってんじゃねぇの?
だったら一番悪いの、そいつだろ。
悪だぞ悪。そいつを裁けよ、勇者サマ。
「でも、君はそれを正しく使わなかった」
「スキルのことか? ハッ! 俺が正義《俺》のために使ったんだ、正しいに決まってんだろうが!」
「君は女神から選ばれたんだ」
「そうだ……そうだ! 俺は選ばれた! 俺こそが正義だと――」
「それが――間に合わせの、出来損ないの力だとしても」
「なっ……!? 誰が出来損ない――」
内心でツッコミを入れつつ眺めていると、いい加減焦れたらしい竹原が立ち上がろうとして――
「それは、良くない」
勇者の手が、腰の剣にかかった。
龍の意匠が施された鞘。
だが、引き抜かれた剣は拍子抜けするほど質素だった。
飾り気のない、ただの鉄の剣。
「……おい!」
まさか、斬るつもりか……!
殺さないんじゃなかったのかと、思わず声が出てしまった。
「彼はもう裁かれた」
やっぱり、勇者はまた振り向きもせずに答えた。
「だから殺さない」
その横顔を見て、松下さんが小さく頷く。
「……嘘は、ついていません」
魔眼の判定、か。
ただの剣とはいえ、刃物を持って笑いながら近づいてくる勇者に、さすがの竹原も顔に明確な焦りを浮かべた。
「おい! 待て! なんだコイツ!? おい、テメェらの知り合いか!?」
一歩。
また一歩。
じわじわと距離を詰める勇者に、竹原の顔が面白いくらいにどんどん引きつっていく。
「急に出てきて何なんだ! イカれてんのか!?」
うん。それは俺もそう思う。
「確かにイカれてるよなぁ……」
「僕はイカれてないよ?」
こういう時だけ振り返ってくんなよ。
俺は肩をすくめて、竹原に教えてやる。
「あー……ウン、ソウダネ。で、竹原。なんなんだと言われたら、こいつは『勇者』様だな」
「……は?」
「
「……ゆ、勇者? 選ばれた、本物……?」
竹原の顔が目に見えて青ざめていく。
言葉が続かずに口をパクパクさせながら、俺の顔と勇者の顔を交互に見比べてる。
「で、竹原。お前、悪なんだって」
「あ、あく……? 悪、だと? ……俺が?」
「そ。『女神に選ばれた本物の勇者様』から見て。お前は『正義』じゃなくて、裁くべき『悪』らしいぞ」
わざとらしく、本物ってところを強調して伝えてみる。
竹原はこういうのに弱そうだしな。
煽るだけ煽ってやるんだ、俺は。
だって反応面白いし。
「っ、な……!」
すると、案の定さっきまでの横柄な態度が一気に崩れ、あからさまにうろたえ始めた。
「ち、違う! 俺は、俺は人のために……!」
「ダメだよ」
勇者が被せるように言う。
「自分で選んだ末の『結果』だ」
竹原は慌てていくつも言い訳を並べ立てるが、勇者はそれを一つ一つ、淡々と切り捨てていった。
そして。
勇者アリスティアが竹原のすぐ前へ。
手が届く距離。
手に持った剣を振り下ろせば、そのまま突き刺さるくらいに近くまで。
しかし、追い詰められた竹原は最悪の選択をする。
「……っ、ハッ! 甘ぇな」
竹原が勇者の目をまっすぐ睨みつけた。
「『本物』だろうがなんだろうが……それを俺が正しく使えば、同じことだよなァ?」
竹原がニヤリと笑った。
「俺の力《もの》になれ!」
竹原の二つの眼が、妖しく光る。
――『魅了の魔眼』。
茜から奪ったあのスキル。
勇者は避けるでも何をするでもなく、ただそれを甘んじて受けた。
竹原は勝ち誇ったように、「油断したな馬鹿が」という顔で勇者を睨みつける。
だが。
「……は?」
でしょうね、当然のことながら何も起きない。
勇者は微動だにせず、ただ竹原を見下ろしている。うっすい笑顔で。
「な、なんでだ……!?」
竹原はスキルを何度も発動する。
「なんで効かねぇッ!!」
何度も、何度も。
勇者は困ったように首を傾げるだけだ。
そして、ゆっくりと。
まるで子どもに言い聞かせるように、勇者は言う。
「そのスキルは、人の心の隙間に入り込んで支配するんだ」
勇者は微笑む。
変わらず、困ったような顔で。
「だから、効かない」
「……は?」
竹原は理解が追いつかず一瞬固まる。
「それはね、自分より弱い人にしか効かないんだよ」
「なっ……!」
「あ、でも。何の力もない普通の人か、傷ついて弱っている人なら……君でもいけるかな?」
にっこりと笑う勇者。
「ほら……君、そういう弱いものいじめ、得意そうだし」
……あいつ、さっきから煽ってんのか?
沸点低い竹原にそんな言い方したら……
「て、テメェ! ふざけんなよっ!!」
ほら、キレた。
竹原の顔の焦りが消えて苛立ちが浮かんでる。
「……私は別に」
なぜか隣の茜も被弾してる。
手をギュッと握られたが、反応すると面倒くさそうなので今はスルーだ。
「……だったら、別のを使うだけだ」
低く唸るように声を絞り出して、竹原は勇者へ詰め寄る。
その両腕が鈍く光った。
皮膚の下から鉄の筋が浮き上がり、骨ごと金属へと置き換わるように変わっていく。
「……『鉄腕』」
松下さんが苦々しそうに零した。
「松下さんから奪ったやつ……っ!」
俺も思わず舌打ちする。
腕力を強化して肉体を武器に変える――シンプルで、だからこそ厄介なスキル。
竹原は奪ったその『鉄腕』を誇示するように勇者へ突き出す。
「ハハッ! 俺の『鉄腕』はジジイよりも洗練されている! さらに――『加速』!」
竹原は地面を蹴る。
鈍重なはずの身体が信じられない速度で勇者へ迫る。
「そして『魔力吸収』!」
竹原は左手を勇者に向けて翳す。
「あいつ、あんなスキルまで……!」
「二つとも、私の部下が持っていたスキルです。なるほど、どうりで……」
「『加速』、か。これがあったから、たまに竹原の動きが良かったのか」
「それに『魔力吸収』ね。たぶん、私が魅了を返された時にも使われたわ」
あぁ、あの時の。
お前なんかおかしかったもんな。
魔力吸われてたんか。
「どうだ! これが、これが俺の力だ!」
その叫びは誇示と言うより必死で、俺には何か縋ってるように見えた。
竹原が右の鉄腕を繰り出す。
振り抜かれる鉄の拳は、直撃すれば人間の身体なんて簡単に潰す威力だ。
だけど。
勇者は避けない。
剣を振ることも、防御の構えを取ることもない。
ただ笑みを浮かべて、竹原の行動を見つめているだけ。
そして、竹原の拳が届く寸前で。
「それは――」
勇者が静かに言った。
そして、勇者の腕が、わずかにぶれた。
――キンッ。
軽い音。
ふわり、と微かな風。
――ぼとっ。
何かが落ちる音。
ほんの一瞬。
瞬きの間に、それだけ。
「それは、君のものじゃない」
「……は?」
竹原が、呆然と自分の腕を見る。
「お、お、俺の……腕……?」
竹原の右腕が、いつの間にか落とされていた。