――世界がこうなったのは、女神のせいかもしれない。
勇者はそんなことを呟いて、黙ってしまった。
顔を見ればさっきまでのニコニコ顔とはうってかわり、何とも言えない顔で俯いてしまっている。
「……女神のせい?」
と言われても、こちらにしては「はぁ、そうですか」としか言えないんだが。
「実は……あの女神がっ……!」みたいなテンションで言われても、いや知らんがな。
女神ならやるよね〜、としか思わない。
世界融合だか何だか知らんが、だいたいそういうのは神とかいうよくわからん高次元存在の専売特許だろ。
ラノベとかゲームとかでよく見る、テンプレ展開なんだから。
「女神はね、世界を救おうとしたんだ。あちらと……それから、こちらの世界も」
勇者は俯いたまま、ぼつりと漏らした。
説明じゃない、ただ知っている事実を口にしただけ。
記憶の確認みたいな口調で。
「救うって?」
「二つの世界が、どちらも崩壊に向かっているんだ」
淡々としている。
でもどこか、擦り切れている。
「いや、なんだそれ……?」
「……女神がそう、言っていたんだ」
つまり、お前は確認したわけじゃないんだな。
「じゃあ」
「分からない」
「またそれかよ!」
「彼女は、必要以上のことは教えない」
少しだけ、琥珀色の瞳が揺れる。
「ただ、その結果として世界は融合していってる」
「ちょっと待て。融合『していってる』? 『した』じゃなくて?」
「うん。している最中。まだ始まったばかりだ」
また新設定来たわー。
急にぶっ込むのやめてもらえます?
いや竹原の時もなんかそんなこと言ってた気もするけど。
世界が融合している最中ってなんだよ、現在進行系かよ。じゃあなんだ、今この瞬間もどこかでジワジワ混ざってんのか。
「手始めに魔物からお届けしてまーす、てか? 配達かよ、頼んでねぇわ」
「……否定はできないね」
できないんかい。
じゃあ次に届くのは何なんだよ。
人か? 建物か?
それともその女神が来んのか?
「こちらに来る前に、彼女と話をしたんだ」
どうでもいいけどコイツ、「女神と話しました」なんてシラフで言ってるのちょっとウケるな。格好も格好だし。
こんな状況じゃなかったら精一杯馬鹿にしてやるのに。
「……何を? つーか女神と話すって普通にできんだな」
「うん。問いにはちゃんと答えてくれる」
おいおい、随分と部下に優しい女神だな。
もっとこう、「聞く前に自分で考えて、まずやってみろ!」とか「勝手に判断するな、やる前に聞け!」とか言わんのか?
俺の若いときは言われたぞ。前の会社のクソ上司に。
女神もハラスメントが怖いのかね、令和の今の時代に合ってるといえば合ってるけど。
「それにね。いつも僕に、道を示してくれていたんだ」
便利なナビだな、おい。
前のクソ上司にもその機能つけとけよ。
聞いたら答える、指示は明確、責任の所在も明瞭。
夢の管理職だ。
あれ、そう考えると勇者業って意外とホワイト?
権能とかいう便利な道具も支給されるし、これは……ワンチャンありか?
「でも、こちらに来てから……彼女の声は聞こえない」
「へぇ……体調でも悪いのかね。あ、有給とか?」
「有給……?」
「ごめん忘れて。……で? その女神と連絡つかないから、今は自己判断でトイレ掃除して? ただの一般人のおっさんと仲良く布団並べてお喋りしてんのか?」
「…………」
勇者は答えない。
ただ俯いたまま指先で毛布の端をなぞっている。
……なんだコイツ。
さっきまでの、あの「問答無用ニコニコ悪絶対許さないマン」はどこ行った。
今のこいつは、急に上司と連絡取れなくなって途方に暮れている新入社員みたいに見える。
さっきまで竹原の腕を笑顔で斬り飛ばしてたくせに、サイコパス勇者と同一人物とは思えないんだけど。
「……なぁ、お前さ」
「なに?」
「ずいぶんとお喋りだな。さっきまでの一方通行なイカれっぷりはどこいったんだよ。今、普通に会話できてて逆にキモ……いや、不気味なんだけど」
俺が呆れて言うと、勇者はようやく顔を上げた。
その瞳には、さっきまでの乾いた光がない。
代わりに、自分でもよく分かっていないような、困惑の色が混じっている。
「……不思議だね。僕も、どうして君にはこんなに話してしまうのか分からない」
「いや俺に言われても知らんがな」
「
不思議なのはお前の頭だ。
どうしてこう、意識高い系のやつはこういうこと言い出すんだろうか。
「……ユウト、君は、僕のことをどう見ているの?」
「どうって……見りゃ分かるだろ。ただの面倒くせぇ奴としか思ってないわ」
俺が即答すると、勇者は一瞬だけ反応が遅れた。
それから、わずかに口元が緩む。
その微かな笑みには、あの貼り付いたような不気味さはない。
「……そうか。面倒くさい、か」
「笑ってんじゃねぇよ、面倒くせぇな。……もういいや。今のお前ならまともに話が通じそうだから、今のうちにハッキリさせとくぞ」
俺は寝床から身を乗り出し、アリスティアの目を見据える。
さっきまでの「一方通行イカれ勇者」じゃなく、今の「イカれ勇者」のこいつなら言質が取れる。
こいつの「悪センサー」がどこで反応するのか、あらかじめ線引きをさせておきたい。
でないと、俺がいつあの「それは、良くない(ニチャァ」判定を食らって腕を飛ばされるか分かったもんじゃない。
「お前の『裁き』の対象はどこからどこまでだ。その基準を教えろ。めんどくせぇし、こっちも生活かかってんだ」
「裁きの対象?」
「あぁ。人間を理由もなく襲ったらアウトなんだろ? それは当然として、だ。どこまでがセーフで、どこからがアウトなんだ。基準を言え」
アリスティアは少し考えるように視線を彷徨わせた。
「……そんなに警戒しなくても、普通に生きる分には大丈夫だよ」
「その『普通』が分かんねぇから聞いてんだろ」
「マツシタも言っていたよね? 君たちの法を基準にしたらいいんじゃないかな。聞けば、よく出来た法みたいだし。それがこちらの世界のやり方なら、それで」
アリスティアは笑いながらそう言うが、
「法、ねぇ……」
俺は鼻で笑った。
「お前も言ってただろ。松下さんはああ言ってるけどな、今のこの状況で法なんて合ってないようなもんだ」
「……だろうね」
「外には魔物がいて、明日には食い物がなくなるかもしれない。そんな世界で、法を律儀に守って死ぬのが『善』なのか?」
「……勇者《僕》なら迷わない。悪を前にしたら」
俺の問いに、アリスティアはまた「勇者」の顔に戻りかけた。
けれど、完全には固まらない。
「法を超えなきゃ生きられない時が来る。その時、お前は隣でパンを盗んだ奴を『悪』として斬るのか?」
「でも、ユウト。君は……その選択をしないはずだよ」
「……根拠のない信頼はやめてもらえます?」
「だって君、勇者に向いてるし」
またそれかよ。
俺は『勇者』にはならんぞ。
例え……ホワイトっぽい社風だろうと。
「じゃあ、君がパンを盗む状況になったら、その時に判断するよ」
「それはそれで嫌すぎるんだが」
社畜時代に培った交渉術をもってしても、こいつの本質は掴みきれない。
「……もういい、寝る。俺は明日も早いんだ」
俺は会話を打ち切り、毛布を頭から被った。
「ユウト」
背後からアリスティアの声がした。
「なんだよ、まだあんのか」
「……そういえば。アネモネ……今は茜だね」
「……あぁ?」
不意打ちやめて?
なんで今、アイツの名前が出るんだ。
「彼女、君のこと、よく見てる」
「……えぇ?」
「大切にしたほうがいいよ。君のためにも」
それきり、部屋は静まり返った。
……俺のためにも大切にしろだ?
あの情緒不安定吸血鬼を?
いや、待て。
俺のため……それってつまり――
俺は毛布の中で毒づきながら、けれどなぜか、少しだけ心臓の鼓動が早くなっているのを感じていた。
――つまり、大切にしないと。
俺はあのメンヘラ吸血鬼に刺されるかもしれない、てことか?
勇者に襲いかかったさっきみたいに。