――終わった。
俺の、この避難所における社会的地位が、今、跡形もなく消滅した。
……いや、まぁいい。慣れたもんだ。2回目だし今さら今さら。
むしろ、あの梅野さんの冷たい視線がご褒美まである。
「ふふ、望月、すっごい触ってきた……私の身体、気に入ってくれたのかしら。でも脇腹は反則よ、もう。私弱いんだから……」
社会的死亡を気にせず、未だに俺にピッタリとくっついているヤンデレ吸血鬼。
お前、さっきまで目を血走らせて俺の記憶を塗り替えようとしてたのに切り替え早すぎんか。
なんか呟きながら頬を染めて身体をくねらせている茜に、改めて俺は聞く。
「おい、それで? 勇者はまだいるのか?」
「……ふん。いないわよ、アリスなら夜が明けて、気がついたらもういなかったわ。アイツ、いつもそうなのよ」
茜は不満げに鼻を鳴らしながらも、布団から出ようとせず、むしろさらに俺にぴたりと寄り添ってきた。
「……おい。なんでそんなにくっついてくるんだ。暑苦しいんだけど」
「いいじゃない。今は、お仕事の時間じゃないわよね?」
茜がニヤニヤと笑う。
「お前なぁ、昨日からおかしいぞ。なんでこんな――」
言いかけて、昨夜のアリスティアの言葉が俺の脳裏をよぎる。
――『大切にしたほうがいいよ。君のためにも』
……そうだ。
大切にしないと、刺される。
あれ、比喩じゃなくてガチの殺害予告の類だった件。
「……あー。分かった。分かったよ。少しだけだぞ。あくまで、あくまで今後の仕事を円滑に進めるための手段として、な?」
俺が投げやりに受け入れると、茜は「えへへ、やったぁ」とずっしりと重たい笑みをこぼした。
いや、重いんだけど。
物理的にも情緒的にも。
こいつ、どうしてこうなった?
俺は、鎖骨あたりに押し付けられた銀色の頭をクンカクンカしながら、溜まっていた疑問を恐る恐る口にしてみる。
「……なぁ、茜。お前、大丈夫か?」
「……うん、望月、いい匂い。美味しそう」
美味しそうって、捕食的な意味で?
「うん、違ぇよ。そうじゃなくてだな。お前、出会ったときはもっとこう……クール? な感じで『大人のお姉さん』だったよな? 頭に『残念』がつくけど。それが何でこんな……」
俺の至極真っ当なツッコミの途中で、茜の動きが止まる。
彼女は少しだけ顔を上げて、ハイライトのない昏い瞳で俺を見つめてきた。
「……こんな重くて痛い、明らかに関わったらヤバい地雷女、なのかって?」
「い、いや、そこまでは……」
言ってない。
思ってるし言いたかったけど。
言ったら、また首絞められそうだったし。
「……自分でも分かってるのよ。おかしいって」
小さく息を吐いて、そう零す茜。
「あいつに、アリスに会って思い出したの」
――失うのがどれだけ怖いか。
――誰にも自分を見てもらえないのが、どれだけ惨めか。
「でも……でもね? 不思議なの。貴方に会えて、話して、助けてもらって、名前まで付けてもらって。貴方が隣にいると思ったら、少しだけ……それが和らいだのよ」
だから、と。
茜は俺の胸に頭を預けてくる。
微かに震えている。
でも、茜の温度はちゃんと暖かい。
「だから、もう絶対離したくない。離さないって、決めたの。その為なら、私は……」
「……」
茜が顔を上げる。
潤んだ紅い瞳が真っ直ぐ俺を見つめている。
いや、知らんがな。
実際、俺は6割くらいは仕事でやっただけだし。あとの4割は……罪悪感?
それにしても、いきなりアクセル踏み込みすぎだろ。
思い込んだら、こう……というか、少し優しくされたくらいでチョロすぎませんか?
でも、まぁ。
超絶美人にそんな顔されて、そんなこと言われたら……何も言えんじゃん。
いくら「NO」と言える日本人の俺でも、ここで拒絶するほど馬鹿じゃない。
「……いや、迷惑、とかじゃなくて。ただ、その、限度を考えろってことだ」
こんな感じに誤魔化すのが精一杯だった。
だって、「嫌でーす」「後腐れない身体の関係だけならいいでーすゲヘヘ」なんて言ったら文字通り消されそうだし。物理的に。
「……良かった。ありがとう、望月」
「いや、うん、こちらこそ?」
しかし、なんで俺が仲間にした魔物はこんなんばっかりなんだ。
ゴブ太郎といい姉ゴブといい茜といい、最初から好感度が高すぎるのも考えものだ。
やっぱり茜が昨日言ってたみたいに、『魔物使い』のジョブには何か隠されたスキルや効果みたいのがあるのかもしれない。
今後、色々と検証する必要があるかもだな。
「これからもよろしくね、望月」
「あぁ、うん……よろしく」
俺の適当な返事に、茜はにぱぁっと嬉しそうに笑った。
……とりあえず、誘惑されても一線は越えないようにしよう。できるだけ。
今のままでも色々と美味しいからな。
こいつも暴走しなけりゃただの超絶美人なわけだし。役得役得。そう考えよう、うん。
「よし、じゃあそろそろ起きるぞ」
「はーい。美鈴に怒られちゃったしね」
そんなやり取りの末、社会的にも精神的にも死にかけた――いや、茜のおっぱいと梅野さんのあの冷たい眼差しで、結果差し引きプラスか?――俺は布団からのそのそと起き上がる。
さっきまでのふにょんとぷるんが名残惜しいが、さすがにこのまま寝てるわけにもいかない。
妙にダルい身体に鞭打って、床に散らばっている服を拾い上げて順番に着ていく。
その様子を、毛布に包まったままじーっと見ている奴が一人。
「〜〜♪」
茜がニヤニヤと嬉しそうな顔してこちらを見ている。
「おい、茜」
「なによ、今忙しいの」
「忙しいってなんだよ。お前も早く起きて服着ろよ」
「えー……」
えー、じゃないんだよ。
まだ諦めてない顔してんのやめろ。
「むぅ、残念ね。美鈴が来なかったらあのままお楽しみだったのに」
とか言いながら、本気で名残惜しそうにため息を吐いていた。
お楽しみじゃねぇよ。
さっきのお前の首絞めガチで苦しかったし、血を操作とか意味わからん技で人の身体を勝手にいじんなよ。
「怖ぇこと言ってないで、ほれ、風邪引くぞ」
「もう、望月は心配性ね。私、吸血鬼なのに。まぁ、そこが良いとこなんだけど」
いや、吸血鬼でも服は着ろよ。
服ってもお前コート1枚だけだろうが。
茜が毛布を身体に巻いて布団から立ち上がり、俺に背を向けて着替え始める。
「恥ずかしいからあっち向いてて」
「別にいいだろ、減るもんじゃないし」
「減るの! いいから!」
「へいへい」
さっきまで裸で抱き合ってたのに何をいまさら。
しかも自分からそっちの方向へ持っていったくせに。
そのまま背中合わせに着替えを進めてると、茜が「あ、そういえば」と何か思い出したように声をあげた。
「ん? どうした?」
俺は後ろを向いたまま返事をする。
「ねぇ、見て見て? 私のこれ」
ちょんちょんと可愛く肩をつついてきた。
見ていいのかよ、と後ろを振り返ると、
「じゃ〜ん」
そこには――昨日まで来ていたあの黒いコート、ではなく。
「どう? かわいいでしょ!」
新しい装備。
「な、なん……だと……」
「さっき美鈴に選んでもらったのよ。避難所《ここ》って何でもあるのね。在庫にあるやつで一番私に似合ってるもの、ですって。こっちの下着ってかわいいのねぇ、それに作りもしっかりしてる。ほら、見て?」
そう言って、茜は身につけたばかりの「かわいい下着」をこれ見よがしに見せつけてくる。
深紅の下着。
茜の紅い瞳に合わせたんだろう。
落ち着いた色合いで、レースがふんだんに使われていて少し大人っぽい。
だが、所々フリフリも付いてたりして可愛さもある。
まさにオトナ可愛い、そんなデザイン。
……うん、エロい。エロいな、吸血鬼。
俺は無言で茜の身体の下から上へ視線を這わせる。
「……!」
いや、待て。
違う。そうじゃない。
見るべきは――ブラで補強されて格段に強化された、「おっぱい」だ。
「あっちの下着って、ただ締め付けるだけで窮屈でつけるの嫌いだったんだけど、美鈴に怒られたのよ」
すごい。
これは……確実に昨日よりも強くなっている。
視覚に襲い掛かる圧が違う。
「凄い剣幕で言うのよ? 『ちゃんと下着をつけないと、それだけ大きいんだから将来垂れますよ』って」
うん。
迫力が、ダンチだ。
梅野さん、いい仕事してる。
ちなみに俺は垂れたおっぱいも好きだ。
「大きいって、あの娘に言われてもねぇ?」
なるほど。切実だな。
あと、腰。
くびれがエグい。
尻もでかい。
白い肌に紅い下着が映えるぜ!
「……あ、そっか。だから、ね。あれだけ大きいと、そうよね……」
うんうん。
下着にちょっと肉が載ってるのもポイント高いぞ!
ナイスだ、ナイスだ梅野さん! あいつ、分かってやがる!
グッジョブ!
俺は垂れているであろう神乳へ向けて、心の中で親指を立てる。
「私も大きい方だと思うけど、美鈴はちょっと規格外だものね。大きいと可愛い下着がないって言ってたし」
「…………」
茜が女子ならではの美容トークを繰り出しているが、俺はそんな屁の役にも立たないものはスルーだ。
茜が話している間、俺は一言も発さず冷静に。あくまで冷静に。
上司として。
部下の体調管理、及び、装備の適合性を確認する一環として。
茜の着替えをじっと観察しなければならない。
そんな茜は無言で観察を続ける俺をよそに、鼻歌交じりに着替えを進めていく。
次に手に取ったのは――
「……ほぉ?」
薄手の黒のタートルネックセーター、だと?
しかも縦線のリブが何本も入った、身体のラインがこう、もろに出るタイプの。
真の意味での
……おい、梅野さん。あんた、分かってて選んだだろ。
「へぇ〜、こっちの服は着心地いいわね。身体にピッタリ張り付いてるのに動きにくくないし」
茜がそれを頭からすっぽり被る。
胸を張るたびに縦のリブがぐわんぐわんに歪み、視覚的な暴力となって俺を襲う。
「……なるほど、なるほどぉ」
あとさ、女の子が上着を被ったあとに、服からふわっと髪の毛を出す仕草、めちゃめちゃエロいと思うんだ。
誰か分かってくれるかな……きっと影山辺りなら分かってくれるはずだ。
あとで報告しよう。業務の一環として。
報連相は密に、だ。
「……素晴らしい」
「ん? どうしたの、望月?」
「いや、なんでもない。続けて、どうぞ」
「?」
おっと危ない、つい口から漏れてしまっていた。
だが、俺じゃなきゃもっと取り乱していただろう。
ここで下手なことを言って『着替えるから先に出てて』なんて言われたら惜しい。
銀髪巨乳美人の着替えシーンなんて、そうそうお目にかかれるものじゃない。
なんなら裸を見るよりこっちの方が見たい、まである。
「……ねぇ望月」
「なんだ」
「さっきから妙に静かだけど」
「いや、別に」
「絶対なんか変なこと考えてるでしょ。やっぱり先に行ってて……」
「ふざけるな! 俺は部下の健康状態、そして装備の適合性を確認してるだけだ! これは立派な業務の一環! いいから続けるんだ!」
「えぇっ……? わ、分かったわ」
茜は「そんな怖い顔しなくてもいいのに……」とブツブツ言ってじとーっとした目で俺を見てくるが、すぐに着替えを続けた。
ふぅ、危ねぇ……!
勘の良いやつだ。
だがチョロくて助かったぜ。
さらに、茜が次に手に取ったのは。
茶色のロングプリーツスカート。
シンプルだけど、少し広がりのある形で、動くと揺れそうなやつ。
黒いリブニットと合わせて見ると、綺麗な銀髪と相性が良く非常にエレガントな印象を受ける。
そして、最後。
足元には、歩きやすそうな黒いサイドゴアブーツを添えて。
うむ。
こう見ると、全体的にシンプルで無難な選択ではある。
だが、それを着ている茜がとびっきりだからな。
つーか、正直何着ても似合うだろ、こいつなら。
「全部この避難所にあったのよ。凄いわね、ド◯キ」
「あぁ、凄いんだ◯ンキは」
ドン◯は万能なんだ。
安いし品揃えいいし。
メ◯ドンキならお野菜だって買えちゃう!
「ねぇ……」
くるりと一回転して。
茜がこちらを見る。
「ど、どうかしら? 似合ってる、かな?」
さっきまで攻めまくってたくせに。
こういう時は途端にポンコツになるんだよな、こいつ。
視線泳いでるし、耳ちょっと赤いし。
そわそわしながら銀髪の毛先いじって上目遣いとか、こいつ可愛いかよ。
「あー、うん。いいんじゃないか? 似合ってる似合ってる、かわいいかわいい」
「なによそれ。そんな雑に言わないでくれるかしら」
俺は、ぶーたれる茜に肩をすくめて言う。
「……本当に可愛いよ。似合ってる」
「! ほんとっ!?」
「ああ、本当だ」
いいもの見せてもらったかわりに、顔をちょっとキリッとして言ってみた。
「……そ、そう」
茜がなんかフリーズした。
それから顔がジワジワと赤くなっていく。
「べ、別にそんなに褒めなくてもいいんだけど……」
「いや、一言しか言ってない」
「う、うるさい!」
完全にテンパってんな。
さっきまでのヤンデレどこいった。
普通のデレじゃないか。
「本当に可愛いぞ? そのニットの縦線が可哀想なことになってるくらいには」
「もう! 素直に褒められないの!? 変なとこばっかり見ないでよ、ばか!」
俺が茶化すと茜はさらにテンパってポカポカと叩いてくる。
「ほら、着替え終わったんなら行くぞ」
「どこ行くの?」
「松下さんとこ。状況確認のために」
「あ〜、そうね」
茜も頷く。
二人揃って応接室の扉をくぐる。
「……」
「〜〜♪」
……なんか、これ。
傍から見たら。
完全に。
――『昨夜、ワンナイトをキメて浮かれまくってるバカップル』
にしか見えなくね?
いや、実際は違うんだけど。
……違うよな?