ゲヘナの風紀委員長に恋をした   作:むめい。

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1話 一般風紀委員の日常

 

 風紀委員会の執務室は、今日も書類で埋まっていた。

 

 机の上に積まれた紙の束を前に、俺は腕を組んで唸る。

 

「……多くないか?」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いたが、返事はない。そりゃそうだ。ここにいるのは、書類と俺だけ。たまに誰かが通り過ぎることはあるが、基本的にこの席は“静かな方”に分類される。

 

 俺は数字と文字の羅列が苦手だ。

 

 書類仕事は正直、得意とは言えなかった。文字は多いし、項目は細かいし、ちょっと気を抜くとすぐ抜け落ちる。なのに、なぜか俺は今もここに座って、風紀委員会の仕事をしている。

 

 理由は単純、行く宛がなかった。

 

 ここに来た当初、俺は文字通り、路上に転がっていた。

 雨の日で、視界は最悪、体調も最悪。どこへ行けばいいかも分からず、気づいたら倒れていた。

 

 そんな時、拾われた。ヒナ委員長に。

 

 それだけで、十分すぎる理由だった。

 

 恩義というやつだ。

 拾われた以上、何もしないわけにはいかない。

 

 だから俺はここにいる。時間がかかっても、間違えながらでもやるしかない。

 

 書類を一枚手に取る。

 読み返す。

 ……よし、多分合ってる。

 

 そんなふうに自分を誤魔化しながら、なんとか処理を進めていると、机の端に影が落ちた。

 

 カップが置かれる音。

 

「……ん?」

 

 顔を上げると、そこにいたのはアコだった。風紀委員会の行政官。ヒナの秘書みたいな立ち位置で、実質この委員会の運営を支えている人だ。

 

 俺のデスクに、コーヒーが置かれている。

 

「え? 珍しっ」

 

 思わずそんな言葉が口から出た。

 

 アコは即座に眉をひそめる。

 

「ヒナ委員長の指示です!」

 

 ぴしっと言い切ったあと、少し間を置いてから続けた。

 

「……それと、敬語使ってくださいといつも言ってますよね?」

 

「あー……はいはい」

 

「はいはーい、じゃありません」

 

 分かってる、分かってるんだけどさ。

 つい、いつもの調子が出る。てか伸ばしてないし。

 

 アコは明らかにムカついた顔をしながら、俺の手元に視線を落とした。

 

「……というか」

 

 嫌な間。

 

「そこ、間違ってますよ」

 

 心臓が一瞬で跳ねた。

 

 え? 

 

 マジで? 

 

 内心で一気に焦りが広がる。どこだ? どこを間違えた? さっき読み返したはずだよな? いや、読み返した“つもり”だっただけか? 

 

「え? 本当? ど、どこ……ですか」

 

 声が少し裏返った自覚はある。

 誤魔化せていない。

 

 アコは深くため息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

 そして、書類の一箇所を指で示す。

 

「……ここです」

 

 俺は、その指先を見つめたまま固まった

 

 俺は数秒だけ書類を見つめて、それから小さく声を上げた。

 

「あっ」

 

 間違いに気づいた瞬間だった。慌ててペンを走らせ、該当箇所を修正する。さっきまで気づかなかったのが不思議なくらい、単純なミスだ。数字の転記が一桁ずれていただけ。それでも、ここでは致命的になりかねない。

 

 修正を終え、顔を上げる。

 

「マジ助かりました。ありがとうございます! アコ行政官!」

 

 思わず笑顔で言うと、アコは一瞬だけ目を細め、それからすぐにいつもの表情に戻った。

 

「いえ。次からミスしなければいいんです」

 

 それだけ言って、さっさと去っていく。

 相変わらず手厳しい。

 

 俺は小さく息を吐き、書類に向き直った。念のため、他にもミスがないか確認する。一枚ずつ、ゆっくりと。さっきの件で、気が引き締まった。

 

 ……大丈夫そうだ。

 

 そう判断してから、ようやく次の作業に戻る。

 

 気づけば昼休憩の時間になっていた。

 

 肩を回し、背伸びをする。体が重い。椅子から立ち上がると、ようやく休憩だという実感が湧いてきた。

 

「はぁ……」

 

 独り言を零しながら、俺は食堂へ向かう。

 

 財布を取り出し、中身を確認してから食券機の前に立つ。今日の日替わり定食は、肉と野菜の炒め物に、味噌汁とご飯。ゲヘナにしては驚くほどまともだ。

 

 食券を購入し、カウンターに差し出す。

 

 料理が出来上がるのを待ちながら、ふと思い出す。

 

 ここに来たばかりの頃は、金なんて持っていなかった。食堂で飯を食う余裕もなくて、何度もフウカちゃんに世話になった。ツケでいいから、と言われて、甘えていた時期がある。

 

 今は違う。

 

 給料が出るようになって、少しずつだが貯める余裕もできた。ツケも全部返した。だから、こうして普通に食券を買って飯を食える。

 

 当たり前のことが、少し嬉しい。

 

「はい、日替わり定食です」

 

「ありがとう」

 

 料理を受け取ると、フウカちゃんがこちらを見て微笑んだ。

 

「最近、ちゃんと食べてますね」

 

「フウカちゃんのおかげだよ」

 

「それなら良かったです」

 

 短い会話。それだけだが、妙に落ち着く。

 

 席に座り、箸を取る。味は、相変わらず美味い。温かい飯を口に運びながら、無意識に肩の力が抜けていくのを感じた。

 

 食べ終えると、俺はそのまま執務室へ戻った。まだ昼休憩だが、特にやることもない。休んでいいと言われても、何をすればいいのか分からないのが正直なところだ。

 

 席に着き、書類を整理していると、声をかけられた。

 

「お疲れ様」

 

 顔を上げると、ヒナ委員長が立っていた。

 

「休憩時間くらい、休めばいいのに。……ご飯は?」

 

「飯はフウカちゃんのところで!」

 

 そう答えると、ヒナ委員長は小さく微笑んだ。

 

「そう。もうここには慣れたかしら」

 

「……全然です。仕事はミスするし、ここの飯は美味いしで!」

 

 正直な感想だった。

 

 ヒナ委員長は少し考えるような間を置いてから言う。

 

「仕事の方は、頑張ってるわよ。ご飯の方は……良かったわね?」

 

「はい! あっ、ヒナ委員長の飯は──」

 

 そこまで言ったところで、足音が近づいてきた。

 

「すみません、ヒナ委員長!」

 

 アコだった。

 

「美食研究会と戦闘中のイオリから、応援要請が……」

 

 一瞬だけ、俺の方を見る。その視線には、特に意味はなさそうだった。すぐにヒナ委員長へ戻る。

 

 どうやら、また仕事らしい。

 

 ここはゲヘナだ。

 キヴォトスの中でも、特に治安が悪い学園。

 

 昼だろうと、関係ない。いざこざは日常茶飯事だ。……いや、今回は昼だからこそか。変なところで活発になる連中もいる。

 

「わかった……すぐ行く」

 

 ヒナ委員長はそう言い、踵を返した。

 

 俺は、その背中を黙って見送る。

 

 内心では、思う。

 

 俺も戦えたらいいのに、と。

 

 でも無理だ。

 俺には、ヘイローがない。

 

 この世界には、ほとんどの生徒の頭の上に、光の輪のようなものが浮かんでいる。天使の輪っかみたいな、それがヘイローだ。それがあるから、生徒たちは銃撃や爆発の中でも平然と動ける。

 

 俺の頭の上には、何もない。

 ──けれど。

 

 それでも、俺にもできることはある。

 

「……」

 

 そう思っていると、背後から気配が近づいてきた。

 

「毎回あなたに手伝ってもらうのは癪ですが……」

 

 振り返ると、アコが端末を抱えて立っていた。相変わらず、言い方が辛辣だ。

 

「今回も、お願いしますね」

 

 言葉とは裏腹に、その声には迷いがない。

 頼る相手として、俺を含めている声。

 

「了解です」

 

 軽く返すと、アコは小さく鼻を鳴らした。

 

 俺は戦えない。

 銃を持って前に出ることはできない。

 

 でも、戦闘の流れを見ることはできる。

 状況を整理して、優先順位をつけて、誰がどこで何をするべきかを考えることならゲームでも昔から得意だった。

 

 アコと並んで、俺たちはオペレーションルームへ向かった。

 

 そこは、風紀委員会の中でも一段奥まった場所にある。壁一面に設置されたモニター、中央にはゲヘナ全域の地図。現在、戦闘が起きている場所が赤く光っていた。

 

「ここです」

 

 アコが指し示す。

 

 美食研究会。

 いつものことだ。

 

 俺は空いている椅子に座り、ヘッドセットを装着する。ノイズ混じりの通信音が耳に入った。

 

「……こちらオペレーター。通信接続確認」

 

 少し間が空いてから、聞き慣れた声が返ってくる。

 

『こちら、空崎ヒナ。聞こえているわ』

 

 ヒナ委員長だ。

 

「準備おっけーです! いつでもいいですよ、ヒナ委員長」

 

 自然と、少しだけ声が弾む。

 

「……」

 

 隣で、アコが小さく咳払いをした。

 

「今は作戦中ですから何も言いませんが……後で覚えておいてください」

 

 低く、しかし確実に刺さる声。

 

 俺は一瞬だけ口を閉じ、それから背筋を正した。

 

「……準備完了しました。指示をお願いします、ヒナ委員長」

 

『ええ』

 

 一拍。

 

『戦闘を開始する』

 

 その声が合図だった。

 

 ■

 

《ヒナ視点》

 

 銃を構え、前へ出る。

 

 瓦礫の散乱する通りの向こうで、美食研究会のメンバーがこちらを視認したのが分かった。動きが速い。準備は万全、というわけではないが、いつもの無軌道さだけではない。

 

 爆発音。

 着弾は避ける。

 

『ヒナ委員長、正面二時方向、遮蔽物の裏に二名います』

 

 ヘッドセット越しに、彼の声が聞こえる。

 

 落ち着いている。

 戦場にいないはずなのに、状況把握が早い。

 

「確認した」

 

 指示通り、進路を微調整する。遮蔽物の影から飛び出した相手に、反撃の隙を与えない。

 

『右手側、路地に回り込もうとしてます。追わなくていい、挟撃を狙ってるだけです』

 

 即座に判断を切り替える。追わない。代わりに、その路地を塞ぐ位置へ移動する。

 

 ……なるほど。

 彼は敵の癖を、よく見ている。

 

 銃声が響く。

 弾幕を張りながら、距離を詰める。

 

『今です。前に出てください』

 

 迷いはなかった。

 

 合図に合わせ、私は一気に前進する。相手の意識がこちらに集中した瞬間、別方向からの攻撃が通る。

 

 爆発。

 敵が一人、動きを止めた。

 

『左側、残り一名。焦ってます』

 

 その通りだった。動きが雑になっている。攻撃の間隔も一定じゃない。

 

 ──詰められる。

 

 私は踏み込み、銃口を向ける。相手が反応するより早く、制圧射撃を叩き込んだ。

 

「……終わりね」

 

 静かに息を吐く。

 

 その瞬間も、通信は切れない。

 

『ヒナ委員長、奥にもう一人います』

 

 即座に次の位置を確認する。地形、距離、味方の配置。頭の中で情報が整理されていく。

 

 やりやすい。

 

 無駄な説明がない。

 命令も最小限。

 

 こちらがどう動くかを、分かったうえで言葉を投げてくる。

 

『このまま正面突破で問題ありません』

 

「分かった」

 

 私は迷わず、前に出た。

 

 戦闘は短時間で終わった。

 敵は撤退、あるいは制圧。

 

 通信越しに、彼の声が聞こえる。

 

『……お疲れ様です! ヒナ委員長』

 

「ええ」

 

 一瞬、間が空いた。

 

「お疲れ様、ありがとう」

 

 それだけ言うと、通信を切った。

 

 胸の奥で、わずかな違和感が残る。

 

 彼は戦場にいない。

 近くにもいない。

 

 それなのに──

 どうして、こんなにも“隣にいる”感覚があるのだろう。

 




色々気になるところはあるでしょうが、後ほどの話で解明していくと思います!読んでくれてありがとうございました!
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