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風紀委員会の執務室は、今日も書類で埋まっていた。
机の上に積まれた紙の束を前に、俺は腕を組んで唸る。
「……多くないか?」
誰に聞かせるでもなく呟いたが、返事はない。そりゃそうだ。ここにいるのは、書類と俺だけ。たまに誰かが通り過ぎることはあるが、基本的にこの席は“静かな方”に分類される。
俺は数字と文字の羅列が苦手だ。
書類仕事は正直、得意とは言えなかった。文字は多いし、項目は細かいし、ちょっと気を抜くとすぐ抜け落ちる。なのに、なぜか俺は今もここに座って、風紀委員会の仕事をしている。
理由は単純、行く宛がなかった。
ここに来た当初、俺は文字通り、路上に転がっていた。
雨の日で、視界は最悪、体調も最悪。どこへ行けばいいかも分からず、気づいたら倒れていた。
そんな時、拾われた。ヒナ委員長に。
それだけで、十分すぎる理由だった。
恩義というやつだ。
拾われた以上、何もしないわけにはいかない。
だから俺はここにいる。時間がかかっても、間違えながらでもやるしかない。
書類を一枚手に取る。
読み返す。
……よし、多分合ってる。
そんなふうに自分を誤魔化しながら、なんとか処理を進めていると、机の端に影が落ちた。
カップが置かれる音。
「……ん?」
顔を上げると、そこにいたのはアコだった。風紀委員会の行政官。ヒナの秘書みたいな立ち位置で、実質この委員会の運営を支えている人だ。
俺のデスクに、コーヒーが置かれている。
「え? 珍しっ」
思わずそんな言葉が口から出た。
アコは即座に眉をひそめる。
「ヒナ委員長の指示です!」
ぴしっと言い切ったあと、少し間を置いてから続けた。
「……それと、敬語使ってくださいといつも言ってますよね?」
「あー……はいはい」
「はいはーい、じゃありません」
分かってる、分かってるんだけどさ。
つい、いつもの調子が出る。てか伸ばしてないし。
アコは明らかにムカついた顔をしながら、俺の手元に視線を落とした。
「……というか」
嫌な間。
「そこ、間違ってますよ」
心臓が一瞬で跳ねた。
え?
マジで?
内心で一気に焦りが広がる。どこだ? どこを間違えた? さっき読み返したはずだよな? いや、読み返した“つもり”だっただけか?
「え? 本当? ど、どこ……ですか」
声が少し裏返った自覚はある。
誤魔化せていない。
アコは深くため息を吐いた。
「はぁ……」
そして、書類の一箇所を指で示す。
「……ここです」
俺は、その指先を見つめたまま固まった
俺は数秒だけ書類を見つめて、それから小さく声を上げた。
「あっ」
間違いに気づいた瞬間だった。慌ててペンを走らせ、該当箇所を修正する。さっきまで気づかなかったのが不思議なくらい、単純なミスだ。数字の転記が一桁ずれていただけ。それでも、ここでは致命的になりかねない。
修正を終え、顔を上げる。
「マジ助かりました。ありがとうございます! アコ行政官!」
思わず笑顔で言うと、アコは一瞬だけ目を細め、それからすぐにいつもの表情に戻った。
「いえ。次からミスしなければいいんです」
それだけ言って、さっさと去っていく。
相変わらず手厳しい。
俺は小さく息を吐き、書類に向き直った。念のため、他にもミスがないか確認する。一枚ずつ、ゆっくりと。さっきの件で、気が引き締まった。
……大丈夫そうだ。
そう判断してから、ようやく次の作業に戻る。
気づけば昼休憩の時間になっていた。
肩を回し、背伸びをする。体が重い。椅子から立ち上がると、ようやく休憩だという実感が湧いてきた。
「はぁ……」
独り言を零しながら、俺は食堂へ向かう。
財布を取り出し、中身を確認してから食券機の前に立つ。今日の日替わり定食は、肉と野菜の炒め物に、味噌汁とご飯。ゲヘナにしては驚くほどまともだ。
食券を購入し、カウンターに差し出す。
料理が出来上がるのを待ちながら、ふと思い出す。
ここに来たばかりの頃は、金なんて持っていなかった。食堂で飯を食う余裕もなくて、何度もフウカちゃんに世話になった。ツケでいいから、と言われて、甘えていた時期がある。
今は違う。
給料が出るようになって、少しずつだが貯める余裕もできた。ツケも全部返した。だから、こうして普通に食券を買って飯を食える。
当たり前のことが、少し嬉しい。
「はい、日替わり定食です」
「ありがとう」
料理を受け取ると、フウカちゃんがこちらを見て微笑んだ。
「最近、ちゃんと食べてますね」
「フウカちゃんのおかげだよ」
「それなら良かったです」
短い会話。それだけだが、妙に落ち着く。
席に座り、箸を取る。味は、相変わらず美味い。温かい飯を口に運びながら、無意識に肩の力が抜けていくのを感じた。
食べ終えると、俺はそのまま執務室へ戻った。まだ昼休憩だが、特にやることもない。休んでいいと言われても、何をすればいいのか分からないのが正直なところだ。
席に着き、書類を整理していると、声をかけられた。
「お疲れ様」
顔を上げると、ヒナ委員長が立っていた。
「休憩時間くらい、休めばいいのに。……ご飯は?」
「飯はフウカちゃんのところで!」
そう答えると、ヒナ委員長は小さく微笑んだ。
「そう。もうここには慣れたかしら」
「……全然です。仕事はミスするし、ここの飯は美味いしで!」
正直な感想だった。
ヒナ委員長は少し考えるような間を置いてから言う。
「仕事の方は、頑張ってるわよ。ご飯の方は……良かったわね?」
「はい! あっ、ヒナ委員長の飯は──」
そこまで言ったところで、足音が近づいてきた。
「すみません、ヒナ委員長!」
アコだった。
「美食研究会と戦闘中のイオリから、応援要請が……」
一瞬だけ、俺の方を見る。その視線には、特に意味はなさそうだった。すぐにヒナ委員長へ戻る。
どうやら、また仕事らしい。
ここはゲヘナだ。
キヴォトスの中でも、特に治安が悪い学園。
昼だろうと、関係ない。いざこざは日常茶飯事だ。……いや、今回は昼だからこそか。変なところで活発になる連中もいる。
「わかった……すぐ行く」
ヒナ委員長はそう言い、踵を返した。
俺は、その背中を黙って見送る。
内心では、思う。
俺も戦えたらいいのに、と。
でも無理だ。
俺には、ヘイローがない。
この世界には、ほとんどの生徒の頭の上に、光の輪のようなものが浮かんでいる。天使の輪っかみたいな、それがヘイローだ。それがあるから、生徒たちは銃撃や爆発の中でも平然と動ける。
俺の頭の上には、何もない。
──けれど。
それでも、俺にもできることはある。
「……」
そう思っていると、背後から気配が近づいてきた。
「毎回あなたに手伝ってもらうのは癪ですが……」
振り返ると、アコが端末を抱えて立っていた。相変わらず、言い方が辛辣だ。
「今回も、お願いしますね」
言葉とは裏腹に、その声には迷いがない。
頼る相手として、俺を含めている声。
「了解です」
軽く返すと、アコは小さく鼻を鳴らした。
俺は戦えない。
銃を持って前に出ることはできない。
でも、戦闘の流れを見ることはできる。
状況を整理して、優先順位をつけて、誰がどこで何をするべきかを考えることならゲームでも昔から得意だった。
アコと並んで、俺たちはオペレーションルームへ向かった。
そこは、風紀委員会の中でも一段奥まった場所にある。壁一面に設置されたモニター、中央にはゲヘナ全域の地図。現在、戦闘が起きている場所が赤く光っていた。
「ここです」
アコが指し示す。
美食研究会。
いつものことだ。
俺は空いている椅子に座り、ヘッドセットを装着する。ノイズ混じりの通信音が耳に入った。
「……こちらオペレーター。通信接続確認」
少し間が空いてから、聞き慣れた声が返ってくる。
『こちら、空崎ヒナ。聞こえているわ』
ヒナ委員長だ。
「準備おっけーです! いつでもいいですよ、ヒナ委員長」
自然と、少しだけ声が弾む。
「……」
隣で、アコが小さく咳払いをした。
「今は作戦中ですから何も言いませんが……後で覚えておいてください」
低く、しかし確実に刺さる声。
俺は一瞬だけ口を閉じ、それから背筋を正した。
「……準備完了しました。指示をお願いします、ヒナ委員長」
『ええ』
一拍。
『戦闘を開始する』
その声が合図だった。
■
《ヒナ視点》
銃を構え、前へ出る。
瓦礫の散乱する通りの向こうで、美食研究会のメンバーがこちらを視認したのが分かった。動きが速い。準備は万全、というわけではないが、いつもの無軌道さだけではない。
爆発音。
着弾は避ける。
『ヒナ委員長、正面二時方向、遮蔽物の裏に二名います』
ヘッドセット越しに、彼の声が聞こえる。
落ち着いている。
戦場にいないはずなのに、状況把握が早い。
「確認した」
指示通り、進路を微調整する。遮蔽物の影から飛び出した相手に、反撃の隙を与えない。
『右手側、路地に回り込もうとしてます。追わなくていい、挟撃を狙ってるだけです』
即座に判断を切り替える。追わない。代わりに、その路地を塞ぐ位置へ移動する。
……なるほど。
彼は敵の癖を、よく見ている。
銃声が響く。
弾幕を張りながら、距離を詰める。
『今です。前に出てください』
迷いはなかった。
合図に合わせ、私は一気に前進する。相手の意識がこちらに集中した瞬間、別方向からの攻撃が通る。
爆発。
敵が一人、動きを止めた。
『左側、残り一名。焦ってます』
その通りだった。動きが雑になっている。攻撃の間隔も一定じゃない。
──詰められる。
私は踏み込み、銃口を向ける。相手が反応するより早く、制圧射撃を叩き込んだ。
「……終わりね」
静かに息を吐く。
その瞬間も、通信は切れない。
『ヒナ委員長、奥にもう一人います』
即座に次の位置を確認する。地形、距離、味方の配置。頭の中で情報が整理されていく。
やりやすい。
無駄な説明がない。
命令も最小限。
こちらがどう動くかを、分かったうえで言葉を投げてくる。
『このまま正面突破で問題ありません』
「分かった」
私は迷わず、前に出た。
戦闘は短時間で終わった。
敵は撤退、あるいは制圧。
通信越しに、彼の声が聞こえる。
『……お疲れ様です! ヒナ委員長』
「ええ」
一瞬、間が空いた。
「お疲れ様、ありがとう」
それだけ言うと、通信を切った。
胸の奥で、わずかな違和感が残る。
彼は戦場にいない。
近くにもいない。
それなのに──
どうして、こんなにも“隣にいる”感覚があるのだろう。
色々気になるところはあるでしょうが、後ほどの話で解明していくと思います!読んでくれてありがとうございました!