顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。   作:おひるねzz

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(後編)

 

 

 俺はこの目を知っていた──。

 

 男子と女子の抗争が始まってすぐに、皆がそろばん君に向けた目だ。

 

 女子たちの最初のターゲットとなったそろばん君は、大切なそろばんを壊され、あまつさえブリーフまで脱がされてしまった。にも関わらず、何事もなく「こんなのへっちゃらだよ!」と、笑顔を振り撒いたんだ。

 

 そろばんが壊れそうになると「やめてよ!」「やだよ!」と何度も泣きっ面をかいていた男が魅せた、精一杯の強さと、痩せ我慢と、勇ましさ──。

 

 父ちゃんの瞳に映る俺は、あのときのそろばん君と同じだって言うのかよ?

 

 ……冗談じゃない。

 俺は瞬速の翔太だ。皆の希望の光であり続ける男、カシオペア──。

 

「なんだよ、その目。父ちゃんはいったい俺をなんだと思ってるんだよ?」

「すまない……。翔太が今までどれだけ辛い思いをしてきたのかと思うと、父さんは…………。父さんはな…………」

 

 言いながら涙を拭うと、その視線はより一層に強くなる。まるで雨の降るネオン街をひとり寂しく歩く、仔猫を見るような目に変わった。

 

 それは哀れみと同時に、なにか尊いものをみるような、目。

 

 そして──。

 

「でも、もう大丈夫だからな。今まで辛い思いをした分、翔太はこれからたくさん幸せにならなければいけないよ」

 

 確定だ。父ちゃんにとって、今の俺はあの日のそろばん君なんだ。

 

 

 辛い思い。幸せ──。

 

 情緒不安定と決めつけて、父ちゃんの言葉の意味を知ろうともしなかった。

 

 掃除や洗濯をしなくていいと言っていた。

 お腹いっぱい好きな物を食べられるとも言っていた。

 挙げ句、殴り掛かっても咎められず、それどころか殴りたければ殴れと意思を示してきた。

 

 ここまで状況が揃えば、なにがズレているのか嫌でもわかってしまう。

 

 あの日のそろばん君は、ネオン街の仔猫を見る目に晒されただけではない。

 皆が一同にそろばん君を気遣ったんだ。小遣いを出し合って新しいそろばんを買おうだとか、今履いているブリーフをあげると言い、脱ぎ出す者まで現れた。

 

 父ちゃんにとってのそれが、鹿児島行きなんだ。

 

 こんなありがた迷惑な話があってたまるか。

 

 ──俺は辛くなんかねえし、鬼が居なくなった今は最高に幸せなんだよ!

 

 誤解をしっかりと解けば、鹿児島へは行かなくて済むかもしれない。

 

 悔しいけど、力では父ちゃんには敵わない。だから──。

 

「なぁ父ちゃん。鹿児島に行けば幸せになれるって言うけどさ、俺、ここでの暮らしには満足してるんだぜ? そりゃ腹は減っちまうけどさ、それだけじゃん? 学校に行きゃ給食が食えるし、近所の駄菓子屋に行けば不思議と俺の周りにはお菓子が集まってくるんだよ。とにかく毎日が楽しくてさ、それこそ最高に幸せなんだよ! だからさ、もうこんな話はやめようぜ」

 

 お腹いっぱいご飯が食べられたからって、部屋の片付けをしなくてもいいからって、それは俺の欲しい幸せとは、少し違う。

 

 辛くないと言えば嘘になる。でも今の俺には、そんなのが小っぽけだと思えるだけの、最高に楽しい毎日があるんだ。──なぁ、常夏。

 

「翔太……。こんなところで幸せを見出してはダメだ……。これからゆっくりでいい……翔太には本当の幸せを知ってほしいんだ。いきなり言われて、戸惑ってしまうのはわかる。でも、父さんを信じてほしい。大丈夫。大丈夫だから」

 

 それでも父ちゃんはなにも変わらない。

 頑なで、俺を可哀想な奴だと決めつけ、鹿児島行きを勧めてくる。

 

 でもだからって、諦めるわけにはいかない。

 

 俺はお前とサヨナラなんてしたくない。なぁ、常夏──。

 

「大丈夫じゃないんだよ。なにも大丈夫なことなんてないんだよ! 鹿児島に行っちまったらもう、とこな…………と、友達には会えなくなっちまうだろ! 確かに辛いときもあったよ。でもそれは今じゃない。ずっと昔なんだ。父ちゃん、遅いんだよ。もっと前に言ってくれていたら喜んで爺ちゃん家に行ったかもしれない。もうさ、俺の幸せはそこにはないんだ。勝手に決めつけて俺から今ある幸せを取らないでくれよ。頼むよ、父ちゃん。もうこんな話、やめてくれよ」

 

 友達、か。言葉にすると胸がこそばゆくなるな。

 

 やっぱりあいつは俺にとって、宿敵と書いて、トモ──。

 

 なぁ、常夏。……常夏。

 待ってろよ。すぐに行くからな。なんてったって今日は、俺とお前の一年間を締め括る、ラストバトルだ!

 

 されども──。父ちゃんに俺の気持ちは届かない。

 

「……すまない、翔太……。そればかりは父さんにはどうすることもできない。でも翔太なら大丈夫。きっと向こうでも、新しい友達がたくさんできるさ」

 

 なんだよ、それ。

 あいつの代わりは居ないんだよ。どこにも居ないんだよ!

 

 どうしてこうも話が通じないのか。いい加減、嫌気が差してくる。

 

 でもここで諦めたら、鹿児島に行くしかなくなる──。

 

「なぁ父ちゃん、簡単な話だろ? 鹿児島に行かなきゃいいだけだ。俺は此処に残る。それで話は終わりじゃないのか?」

 

「……それはできないんだ。わかってくれ、翔太……」

 

「なにがだめなんだ? 鬼が居なくなった今、良いこと尽くめじゃんか! これからもっと、最高の毎日が始まるんだ!」

 

 そう。だから今日、俺は常夏をコテンパンにする。

 明日も明後日も、四年生になっても。お前とトモでいるために──。

 

「翔太……。すまない。……すまない。お爺ちゃん家に行く他、ないんだ……」

 

「なんでそうなるんだよ? なぁ、俺の話をちゃんと聞けよ。さっきからなんなんだよ?」

 

「すまない…………」

「謝って逃げるなよ! わかるようにはっきり言えよ!」

 

「……もう、この家には住めないんだ。翔太をひとり、此処に置いていくことはできないんだ……。わかってくれ……。一人で暮らすには、翔太はまだ……」

 

 父ちゃんの言葉が、頭の中で繰り返される。

 理解したくないから、何度も考える。

 

 考えても、考えても、考えても──。

 

 それは言葉通りで、他の意味を成さない。

 

 なんだよ。俺の意見を聞くように、意思を尊重するように鹿児島行きを勧めていたくせに、そういうことかよ。

 

 ……そりゃそうだ。

 父ちゃんは俺を哀れみの目で見るよりも以前に、鹿児島行きを決めていた。

 

 学校にも連絡をして、年に一度しか帰ってこないくせにわざわざ平日に休みを取って、飛行機のチケットまで用意して、爺ちゃんとも話はつけている。

 

 騙すような真似しやがって。最初から決まってたんじゃねえかよ。

 

 でも、それなら──。

 

「だったらせめて、父ちゃんが今住んでいるところに連れてってくれよ! そうすりゃ鹿児島に行く必要なんてないだろ!」

 

 そうだ。父ちゃんは東京で働いていると聞いている。

 そこからならまだ、夜中に自転車を走らせればここまで帰ってこれる。転校しても、土日は常夏と決闘ができるかもしれない。

 

 いや、絶対できる。あいつは負けず嫌いだからな。少しけしかければ絶対に乗って来るはずだ!

 

 大丈夫。父ちゃんは鬼には取り憑かれちゃいない。

 

 しかし父ちゃんは首を縦には振ってくれなかった。

 

「なんでだよ? 見てたからわかるだろ? 俺、掃除だって洗濯だってなんだってできるぞ? 父ちゃんの役に立てるんだ!」

 

「翔太……役に立つとか、そんな風に言うのはやめなさい……」

 

 そう言うとなぜか、父ちゃんはまた──。ボロボロと泣きだしてしまった。

 

「すまない。本当にすまない……」

 

 まただ。またこれだ。

 

「いいよ。俺、やれるから! 今までと何にも変わらない。お酒のゴミだってタバコの吸い殻だってそのままでいいから! ちゃんと父ちゃんの役に立つから! 任せろよ! 遠慮はいらねーぜ! 好きなだけコキ使ってくれよ! 父ちゃんは仕事頑張ってるんだもんな! それくらいやるぜ? いや、やらせてくれ!」

 

 されども、父ちゃんは首を縦には振ってくれない。涙はさらにあふれ、また──。

 

「すまない。…………すまない」

 

「どうしてだよ。俺の幸せがどうとか言ってるくせに、一緒には住めないっていうのかよ? 口先だけの嘘か? ……ふざけんなよ?」

 

「すまない……。そうじゃないんだ。……それができるのなら、鹿児島に行かせたりはしないんだ……」

 

 ……ふざけんな。

 

「だったらあの鬼をもう一度連れこいよ! あいつが居ればここに居てもいいんだろ? 百億倍居てくれたほうがいい! 父ちゃんなんかよりも、鬼のほうが百億倍いい!!」

 

 ……ふざけんな。

 

「どこに居るか教えろ! 首根っこ掴んでひっ連れて来てやる!」

 

 ……ふざけんな。

 

「父ちゃんには勝てないけど、俺はあんな奴には負けねえ!」

 

 ……ふざけんな。

 

「嫌だ。絶対に嫌だ。鹿児島になんか行きたくない。頼むよ父ちゃん……。俺、もっと良い子にするから。なんだってするからそんなこと言わないでくれよ……」

 

 

 どんなにお願いをしても、父ちゃんは首を縦には振ってくれなかった。

 

 

 

 

 

 ☆ ☆

 

 父ちゃんは言った。出発は今日だと。

 このあと10時発の飛行機に乗って鹿児島に行くから支度をしなさい、と──。

 

 申し訳なさそうに言う姿からは、これ以上、なにを言っても意味がないことを嫌でも悟ってしまう。

 

 どうにもならない現実を前にして、己を呪った。

 足手まといの家を汚すだけの鬼のありがたさを、こんな形で知るハメになるとは思いもしなかった。

 

 あのとき、願ってしまったからこんなことになってしまったのだろうか。

 

 ──鬼なんか、居なくなっちまえばいい。

 

 その願いはこうして、叶ってしまった。

 

 でも──。鬼だと思っていた酒臭い女は、俺の保護者で──。この家の番人で、母ちゃんだった。

 

 わかっていたんだ。最初から。

 でもあいつを母ちゃんだと思ってしまったら……。

 

「母ちゃん、戻ってきてくれよ……。俺を捨てないでくれ……」

 

 ふと、無意識に口からこぼれた。

 

 あぁ、そうか。俺は捨てられたんだ。

 

 だから、こんなことになっちゃったんだ。

 好き放題やらせてやってたはずなのに、なにがダメだったのかな……。本当に勝手だな。鬼って奴は……。母ちゃんって奴は……。

 

「……翔太。必ず、ここに戻ってこよう。父さんな、仕事が一区切りついたら辞めるから。必ず迎えに行くから……。だから少しの間、お爺ちゃん家で暮らしてくれないか……すまない、すまない……」

 

「……父ちゃん」

 

 俺は父ちゃんのことをあまりよくは知らない。

 会うのは年に一回。今日までで数えるほどしか会ったことはないんだ。

 

 でも、なんだかわかってしまった。仕事があるから、俺とは一緒に住めないんだ。もしかしたら東京に家があるわけではないのかもしれない。

 

 時折、母ちゃんが誰かと電話をしているときに聞こえてくる言葉がある。

 

 シャチク。

 カテイカエリミズ。

 エーティーエム。

 

 甲高い声で小馬鹿にしたように言うもんだから、なんのことだかさっぱりわからなかった。

 

 でもそれは、たぶん。父ちゃんのことだ。

 

 だったら父ちゃんにとって、生きるとは仕事をすることなんだ。それを俺が取り上げてしまうのは、きっと違う。

 

 そんなのはもう、鬼のすることだ。

 

 母ちゃんは俺からいろんなものを奪っていった。俺は鬼のようには、なりたくない。

 

「無理すんなよ。俺なら、大丈夫だから。さっきは悪かったな。父ちゃんよりも母ちゃんのほうが良いとか言っちまって。それから、殴りかかったこともごめん。俺はもう、大丈夫だから。行くよ、鹿児島の爺ちゃん家」

 

「翔太……。くぅっ、うぁああ……」

 

「ったく。父ちゃんは本当に泣き虫だな。言ったろ? 男は涙を流すもんじゃねえって。俺の前ではいいけど、外では泣くなよ? 友達に見られちまったら恥ずかしいかんな!」

 

 なに言ってんだよ、俺。

 これから鹿児島に行くってのに。恥ずかしいことなんて、もうないだろ。

 

 他にはなににも変えられない。かけがえないものが、この手からこぼれ落ちようとしていた。それは時を待たずして、必ず訪れる。

 

 そろそろ学校では朝の会が始まる時間だ。

 

 俺にはまだ、やらなければならないことがある。

 

 これからすることは、きっと──。間違っている。

 

 でもさ、お前は負けず嫌いだからな。

 

 あーあ。どうしてもっと早くに言わないかなあ。父ちゃんのバカ野郎。

 今日鹿児島に行くってわかっていれば、他にやりようはいくらでもあったのに。

 

 

「父ちゃん、最後にひとつだけ、わがまま聞いてくれるか?」

「最後なんて言うのはよしなさい……。父さんにできることなら、なんでもするから……」

 

「ありがとう。……俺、学校に行きたい。友達にさよならをしたいんだ」

 

 

 俺は今日、常夏に負けなければならない──。

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