顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。   作:おひるねzz

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第12話 勝ち逃げは、許さない──。(前編)

 

「名前は“常夏花火”! 漢字はいつでも夏の常夏に、夜空にバーンと上がる花火だ!」

 

 父ちゃんに『果たし状』を書いてもらっていた。

 どうやらお習字三級とやらを持っているらしく、達筆だって言うから任せた!

 

 時刻は既に八時を回っている。

 これから学校に向かっても、朝の会には間に合わない。

 今頃、三年二組の教室は俺が登校していないことで大騒ぎになっているはずだ。遅刻も欠席も生まれてこの方、したことがないからな。

 

 そんな中、よっちゃん先生が教室に入って来てさ、言っちまうんだよ。

 

 “冬雪は家庭の事情で転校することになった”

 

 ありがちな、去りゆく者を知らせる言葉。

 それを聞いて教室内がどんな空気になっちまうのかは、わからない。……わからないからこそ、すべてを吹っ飛ばすくらいの物凄い勢いが必要だ。

 

 湿っぽいのは俺たちの柄じゃないからな。

 

 果たし状を叩きつけて、煽りに煽ってけしかけて──。

 

 教室内をラストバトル一色に染め上げる!

 

 よっちゃん先生には迷惑をかけちまうだろうな。一時間目は学活の授業で、その後には終業式だって控えている。

 

 いったい幾つの『十ヶ条』を破ることになるのやら……。考えると気が引けてしまいそうだ。

 

 でもさ、これで最後だから。

 きっと許してくれる。よっちゃん先生って、そういう人だ!

 

 それにいつだったか、よっちゃん先生は国語の授業で果たし状について熱く語っていた。なんびとたりとも邪魔立てをしてはならない、とかなんとか。

 

 だから果たし状はどうしても必要なんだ。

 

 ……だというのに、達筆を自称するお習字三級の手が止まった。

 

「常夏……はなび? 女の子の名前じゃないか……。果たし状だなんて物騒なものを用意するくらいだから、てっきり男友達だとばかり思っていたが……。そうか……。元来、果たし状とはラブレターとも言われているからな。そうかそうか……そうだったのか……」

 

 な、なにを言い出してやがるんだ! 父ちゃんはあれか、あれだな! 勘違いする癖が染み付いてやがるんだな!

 

「ち、ちげーから! あ、あ、あいつは女子かもしれないけど、そ、そんなんじゃねーよ! せ、戦友っていうか、宿敵っていうか……。と、トモってやつだよ! ……トモ! 本当にこれから戦うんだよ! ラブレターだなんてバカなこと言うな!」

 

 すると父ちゃんは哀愁を漂わせた。

 

「……本当に悪いことをしてしまったな。すまない……」

 

 おいおい、またか。またこれか。

 勝手に妄想して、勝手に勘違いまでして! これじゃあ付き合うこっちの身が持たねえよ!

 

「それはもう聞き飽きたっつーの! 父ちゃんはもう、謝るの禁止な!」

 

「ははは。それは無理なお願いだなぁ……」

「なんだよそれ。できることならなんでもするとか言ってたくせに!」

 

 するとぽんっと俺の頭に手を置いた。

 

「これからはたくさんわがままを言いなさい」

「言ったそばから無理って言ったのは誰だよ」

 

 ったく。本当に勝手な父ちゃんだぜ。

 

 

 そんなこんなで──。書き終わった果たし状を手にした俺は、これから行う事の成功を確信する。

 

「うおお! 父ちゃんすっげえ! お習字三級すげえ!」

「翔太もお習字教室に通えば、これくらい書けるようになるぞ?」

「それはいいや。俺、勉強は嫌いだし!」

 

 勉強は大嫌いだ。でも、授業に関連する項目での決闘もあったからな。

 ちっとばかし頑張っちまったが、それも今日でおしまい。

 

 本当にやりようはいくらでもあったんだよな。今日という日を負け越しで迎えられていたのなら、すんなりと事は運んだのに。

 

「……父ちゃんのバカ」

 

「な、なんだいきなり? ……いや、そのとおりだな……。……すまない」

 

 やれやれ。すぐにこれだ。

 父ちゃんとのこんな関係はしばらく続きそうだ。

 

 

「んじゃ、行ってくるよ! せっかく飛行機のチケット取ってくれたってのに、ごめんな」

「そんなものはいくらでも替えがきくのだから気に止む必要はないよ。それよりも、気をつけて行って来なさい」

 

「そっか! さんきゅー父ちゃん! 行ってきまーす!」

 

 ──思えば、この家にはおはようもおやすみもなかった。

 もちろん、行ってきますも行ってらっしゃいも。

 

 おかえりとただいまだって、当然ない。

 

 でも今日は父ちゃんにおはようをしたな。そして今、行ってきますをしている。

 

 父ちゃんのいう幸せってやつが、ほんの少しだけわかったような気がする。

 

 この場所はあまりにも、当たり前が欠けているんだ。

 

「どうした?」

「な、なんでもねえ! じゃあな!」

 

 でも、それを差し引いても──。

 やっぱりどうしたって、毎日が楽しかった。

 

 だからちゃんと、勝たせて終わらせないとな。それが俺にできる、唯一の恩返しだ。

 

 なぁ、常夏──。

 

 

 

 

 

 ++

 

 学校までの道のりが、いつもより長く感じた。

 

 この道を歩くのも、今日で最後──。

 

 普段はなんとも思わない景色が、心を擽る。

 

 

「あっ!」

 

 ここの田んぼ……。常夏と一緒に落っこちたんだよな。あいつ、いきなり襲いかかって来やがってさ。

 あんときはランドセルの中まで水浸しになっちまって、大変だったよなあ。

 

「おっ!」

 

 夏になると、この道端には猫じゃらしが生えるんだよな! それを常夏の背中に入れたっけ。

 あんときのあいつ、柄にもなく変な声出しちゃってさ。してやったりだったぜ。

 

「うわっ!」

 

 そうだ。ここの木は秋になると銀杏が生るんだよな。落ちている銀杏を拾って投げ合ったっけ。それがもう臭いのなんのって。結局、取っ組み合いになって二人で地面にぐしゃりとなっちまってさ……。あんときはまじで悲惨だったぜ……。

 

 

 本当に、いろんなことがあった。

 

 これから戦地に赴くってのに、思い出してしまうことが、あまりにも多過ぎる。

 

 やれやれ。いけねーいけねー。湿っぽくなっちまうぜ。

 

「……はぁ」

 

 とはいえ、後ろめたい気持ちの前では仕方のないことなのかもしれない。

 

 ごめんな。常夏。

 お前は、俺がわざと負けることを望まないよな。

 

 いつだって俺とお前の戦いは全力だった。

 だからこそ、今日まで続いたのだと思う。

 

 でもさ、お前は負けず嫌いだからな。負けたままじゃ終われないだろ。

 

 

「あれ……。なんだろう、これ……」

 

 ははっ。やっべ。父ちゃんのあれ(・・)が移っちまったか。

 

 ……まだだよ。今はまだ、だめだ。これはぜんぶ終わってから流すものだ。

 

 

「……すぅぅ」

 

 大きく吸って、深呼吸。からの──。

 

「うあぁぁぁああああ」

 

 猛ダッシュ!

 

 

 俺は瞬速の翔太だ。皆の光輝く一等星、カシオペア──。

 

 お前一人の笑顔を守れないほど、ヤワな男じゃねえ!

 

 

 

 

 

 

 

 ++

 

 学校に到着すると、時刻はちょうど九時の針を指していた。授業中のためか、昇降口は静けさだけが漂う──。

 ちょうど上履きを手にしたところで〝コツコツコツ〟と、できることなら今は聞きたくない革靴の音が聞こえてきた。

 

 とっさに身を隠そうとするも、時既に遅し──。背後から声を掛けられてしまった。

 

「待ちなさい。どうかしたのかね? 一時間目はとっくに始まっているよ?」

 

 最悪だ。まさかこのタイミングで教頭に出くわすなんて……。

 

「べつにどうもしねえよ。遅刻だよ、遅刻」

 

 俯き加減で顔を隠しながら答えてみるも、

 

「……おや? ランドセルはどうした? ……いや、お前は! ふ、冬雪! どうして学校に来ている? まさか喧嘩しに来たわけであるまいな?」

 

 ちっ。まずいな。そりゃバレるよな……。

 よっちゃん先生が庇ってはくれているけど、教頭は三年二組を目の敵にしている。

 

 喧嘩に寛容なよっちゃん先生に対し、教頭は断固として喧嘩を許してはくれない。

 

 だから俺たち三年二組にとっては天敵のような存在だ。

 

 しかもこの言い方。

 まるで俺が学校に来てはいけないと言っているようにも聞こえる。下手をしたらこのまま帰らせられるかもしれない。

 

 だったら絶対に取っ捕まるわけにはいかない。

 

 逃げるは恥だがなんとやら!

 

「コラッ! 廊下を走るでない! ま、待ちなさい!」

 

 追いつけるものなら追いついてみろ!

 

 今までならすぐに止まってごめんなさいをする場面。学校という場所は広いようで狭く、逃げたところで意味を成さないからな。

 

 だけど俺はもう、この学校の生徒ではなくなる。鹿児島に行っちまうんだ。行っちまうんだよ!

 

 だから! 止まらない!

 

 

「待ちなさい! こ、コラァ……!」

 

 全速力で廊下を走る──。

 

 この階段を登ったら、右に一直線。

 

 もうすぐだ、みんな……常夏。今行くからな。

 

「ま、待ちなさい……(ぜぇはぁぜぇはぁ……)……ま、待てぇ…………」

 

 教頭の怒鳴り声がどんどん遠くなる。

 

 百年追い掛けても、あんたにゃ俺は捕まえられねえよ! 

 

 なんてったって俺は! 瞬速の翔太だ!

 

 

 ──よしっ。見えた。三年二組の教室!

 

 これから俺がすることは、きっと──。いや、絶対に間違っている。

 

 でもさ。俺、他にやり方知らないからさ。

 俺とお前は宿敵で、毎日喧嘩ばかりしてきたから。……だからこれが、オレ流の別れの挨拶だ。受け取れ!

 

  〝バァァーンッ〟

 

 教室のドアを勢いよく開け、その勢いのままに、握りしめた果し状を掲げ──声を大にして叫ぶ。

 

 

「常夏、花火ぃぃいい!!!! 果たし状だぁあああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ++

 

 登場は完璧に決まった、はずだった──。

 

 男子から大歓声が湧き上がり、反対に女子からは大ブーイング。

 さらには授業中にも関わらず騒ぎを立てる不届き者に放たれる、担任教師(よっちゃん先生)のげんこつ制裁をスルリと交わし、あいつの座る窓際の席目がけて一直線に駆ける。

 

 そんで、果たし状を叩きつけて言ってやるんだ。

 

 「怖気付いて逃げるんじゃあねえぞ?」

 

 バシッと決めて、足早に去る。

 

 ──はず、だったんだ。

 

 

 

 

 

 

   +

 

 男子から歓声が上がることはなく、揃いも揃って冴えない面をしていた。

 

 「しょ、翔太ぁあ……!」

 「うっあああ翔太が来た……来たよぉ……!」

 「あぁ俺たちの翔太は……永遠だ……!」

 

「僕のそろばんは示していたよ。翔太くんは絶対に来るってね! ずっと信じて待っていたよ!」

 

 朝の会で去りゆく者が知らされたあと、どうなっちまうのかは考えてもわからなかった。……これが、答えってことかな。

 

 嬉しいような、悲しいような。

 複雑な感情が込み上げてくる。

 

 俺たちが過ごした時間が本物だったからこその、湿っぽさ満点のお出迎え。

 

 だからこそ欲張っちまう。

 そうじゃないだろって思っちまう……。

 

 …………やれやれ。いけねーよ。俺まで湿っぽい空気に呑まれちまいそうだ。

 

 それじゃあ困る。困っちまうよな。……なぁ、常夏──。

 

 

 のんびりしていれば今に、教頭が追いついてくる。

 取っ捕まれば果し状は取り上げられ、決闘どころの騒ぎではなくなる。

 

 だから悪いな、お前ら。

 今は再会を喜んだり、別れを惜しんだりしている時間はないんだよ!

 

「おいおいおいおーい! なんつー面してんだよ? これからラストバトルだってーのによ! 俺は行くぜ? 一人でも行っちまうぜ? お前らはどうなんだよ?!」

 

 果たし状を握った手で力強く拳を作る。それを再度、掲げる!

 

「なぁ、おい!」

 

 さぁ、決闘を盛り上げてくれよな!

 

 「あぁ、そうだな。翔太……!」

 「かんばれ、翔太。まけるな、翔太……!」

 「……俺たちの翔太は、永遠だ……! うぉぉぉ……!」

 

 ズコーッ。

 

 ったく。仕方がねぇな。

 もう呑気に事を構えてはいられねぇってのによ!

 

「やっちゃえ、翔太くん!! 常夏花火をやっつけろー!」

 

 おっ。なんだよ。居るじゃねぇか。威勢のいいのがよ!

 

「さぁさぁみんなで奏でよう! そろばん交響曲第五番。最終楽章の始まりだー!」

 

 ……いや、待て。

 

 様子がおかしいぞ……?

 

 髪は埃まみれで服はズタボロ。真っ二つに割れたそろばんを双剣のように握りしめている。

 

「勝利のシンフォニーはいつだって翔太くんとともにある!」

 

 その姿はあの日の──。ネオン街の子猫と重なった。

 

 ……まさか?

 

 そんな不安を助長するように、よっちゃん先生もまた──。予想に反していた。

 

 表情は揺るぎなく仏のままで、げんこつ制裁が飛んでくる気配はない。

 

 そして極めつけは女子。ブーイングを投げかけてくることはなく、小賢しくもくすくすと笑みをこぼしているんだ。

 

 「あらあら、憐れで哀れなお猿さんが迷い込んで来たわよ〜!」

 「やぁーねー。果たし状ですって。笑止千万っ!」

 「悪いんだけどぉ~、お猿さんはお猿さんらしく木に登ってバナナでも食べててくれないかなぁ~? ウキィーって! ほらほらウキィーってやりなさいよ〜」

 

 おかしい。昨日までの女子は敗色ムード全開で、通夜モードでのお帰りだった。

 

 それがどうしてか、かつてないほどに小賢しい。

 

 

 ……まさか。

 

 

 冴えない面の男子。

 小賢しさ満点の女子。

 仏の仮面を被ったままの先生。

 

 そして、満身創痍のそろばんくん。

 

 

 …………俺を抜きにして、決闘が行われた?

 

 

 だとしてもまだ、一時間目の授業中だ。

 去りゆくものが知らされるまでは、単なる遅刻の線は消えない。であらば、代役を立てるにしても朝の会以降──。

 

 時間なんて、ないだろ?

 

 「う、うるせぇぞ女子! 翔太を猿呼ばわりしてんじゃねぇ!」

 「負けたのは俺たち男子であり、翔太は負けてないだろうが!」

 「勘違いしてんじゃねえぞ! 翔太にまで勝ったつもりになってんじゃねえっ!」

 

 ……あ。やっちゃってるな。

 

 「負けた分際でギャーギャーうるさいわね? お猿さんが現れたからって粋がらないでくれるかなぁ〜?」 

 「そーそー。あんまり舐めた態度取るようならまた、わからせちゃうわよ〜?」

 「ていうか、お猿さんの前でもわからせちゃったほうがよくなーい? 現実ってやつを見せてあげたほうがよくなーい?」

 

 しかも二戦以上して負け越しちまってるな。女子が『わからせ』を口に出すときは決まって、調子づいちまってるときだからな。

 

 「俺たちにデカイ態度を取るのはいい。でも翔太は違うだろ!」

 「そうだ。翔太に舐めた態度を取るのなら、俺たちだって黙っちゃいない!」

 「戦争には負けちまったが、俺たちはまだ! 戦えるんだよ!」

 

 ん? 戦争には、負け……た? 

 

 「男って本当に馬鹿な生き物よね~。立場ってものをお猿さんの前でもう一度、わからせる必要があるわね~」

 「さんせーい! ほらおいでー? 男子代表、そろばんくーん! 遅れてやってきた間抜けなお猿さんに現実ってやつを見せてあげよっかぁ~? さっきみたいに一年分の“ごめんなさい”しよっか〜?」

 「もちろん拒否権はなーし。勝者であるわたしたち女子がやれって言ったら、やるの。わかった〜?」

 

 は? 一年分のごめんなさい?

 

 おいおい……。勝ち越しを許しただけでなく、終戦しちまってるってのか?

 

 嘘、だよな?

 

「僕のそろばんは示している。たとえ戦争に敗れてそろばんが真っ二つに折れようとも、心までは決して折れない。お前たちクソッタレな女子たちが折れるのは、そろばんだけだという事実を思い知れ!」

 

 あー……。終わっちまってるな。

 

 しかもそろばん君が俺の代わりに戦ったのかよ。もっと他に適任者が…………いや、相手が常夏ともなれば、誰が戦っても結果は同じか。

 

 

 初手、ヘッドロックで瞬殺──。

 

 

 朝の会が終わったあとの短い休み時間で十分に、事足りるわけだな。

 に、しても再戦し過ぎだろ。終戦の判定が下されるほどに負けまくったってことだもんな。そりゃ、そろばんも真っ二つに折れちまうわけだ。……ったく。無茶しやがって。

 

 つーかどうして、俺が来るまで待てなかったのか…………。

 

 やれやれ。……でもそうか。なるほど、な。

 男子たちは負けちまって合わす顔がないから、揃いも揃って冴えない面でのお出迎えだったわけだな。

 

 女子には威勢の良い口調で言い返してるもんな。

 

 

 …………まっ。こればかりは仕方がない、か。

 

 昨日までの俺は誰よりも勝ちに拘っていたからな。……でもさ。もう、いいんだよ。

 

 なんせ今日は、負けに来たんだからな。

 

 ごめんな。お前ら。

 俺は今日、決闘における大罪を犯す。

 

 こんなのお前らに対する裏切りだし常夏に対しては侮辱だよな。

 

 それでも、勝ち逃げだけはどうしてもできないんだよ。

 

 あいつは馬鹿で、とんでもなく負けず嫌いだからな。おまけにオテンバ娘で男勝り。破天荒。そして傍若無人。

 

 うっかり勝ったまま鹿児島になんて行っちまったらさ、どうなるかわかったもんじゃねえよ。

 

 お前らにどんな火の粉が降り掛かるかも、わかったもんじゃねえ。

 

 でも大丈夫。俺が負ければ、終いだ。

 

 あいつは満足する。んでよ、お前らには今後、手を出さないように手打ちにしてもらうからさ。

 

 常夏以外の女子に後れを取るお前らじゃないだろ?

 

 だからちっとばかし付き合ってくれよな。冴えない面してねえで、俺とあいつのラストバトルを盛り上げてくれよな。

 

 こんなんじゃ終われねえもんな。なぁ、常夏──。

 

 

 だから叫ぶ。もう一度。

 

 今度は指をさして、狙いを定めて──。お前の名前を!

 

 

「とこなっ……つ?」

 

 

 あいつが座る窓際の席に目を向けると、おかしな光景が映った。

 

 女子の中にもひとりだけ──。冴えない面の奴が、居る。

 

 思えば──。普段ならすぐに俺の前へと駆け出し「上等!」「バカ翔太!」などと食って掛かって来ている場面。

 

 それがどうしてか、椅子に座ったままで覇気のない面をしている。

 

「……は?」

 

 おいおい? なんの冗談だよ? らしくないじゃねえか?!

 

 確かに戦争は終わった。男子の負けで幕は閉じた。…………でも。俺たちの戦いはまだ、終わってねぇだろうが?!

 

 だったら尚更!

 食ってかかって来なきゃおかしいだろうが!

 

 なぁ来たんだぞ? 俺はここにいるぞ?!

 なんなんだよ。どうしちまったんだよ?!

 

 なぁ、常夏?!

 

 言いたいこと、伝えたいことは山ほどあるはずなのに──。

 

「くっ……」

 

 ひとつとして、言葉として出てはくれない。

 

 初めて見る元気のない宿敵《トモ》の姿を前にして、果たし状を叩きつけるはずだった俺の身体は完全に、止まってしまった。

 

 

 そして時同じくして、タイムオーバーをお知らせする。

 

「おのれぇっ! 廊下を走りよってからに、許さん。許さんぞぉ……ぜぇはぁ……ぜぇはぁ…………ぜぇはぁ……」

 

 校内における『喧嘩ダメ絶対』派閥の代表たる男の手が、俺の腕をガシッと掴む。

 

「捕まえた! もう逃げられないぞ! ……ぜぇ……はぁ……これは預からせてもらうからな!」

 

 同時に、果し状を取り上げられる。

 

「こんな物騒なものを学校に持ってきよってからに。まったくけしからん! こんなんじゃ君はこれから先、何度でも同じ過ちを犯すぞ? 喧嘩などはせずに、対話を用いる術を学びなさい」

 

 過ち……。なにが正しいのかはわからない。

 

 それでも今日まで過ごした日々は、間違いではなかったように思う。

 ぶつからなければきっと、こんなにも楽しい毎日にはならなかったはずだから。

 

 それなのに──。

 

 笑っていてほしかった奴らはみんな覇気のない面をしていて、かつてあれほどまでに燃やしていた闘志の炎は消えてしまった。

 

 

 対話。……対話…………か。

 

 決闘ができない以上、教頭の言うように話し合いで解決するしかないのかもしれない。

 

 でも──。何を話せばいいのか、わからない。

 

 俺たちはいつだってぶつかってきた。ぶつかることで、語ってきた。

 

 言葉なんて必要なかった。

 

 いらなかった。……はず、なのに──。

 

「さぁ、職員室まで来てもらうからな。時間が許す限りみっちりと話をしようじゃないか!」

 

 このまま連れて行かれれば、もう二度と戻ってはこれない。

 

 俺は今日、鹿児島に行っちまう。これっきりになっちまう。……ここまでわかっているのに。

 

 どうしたらいいのかが、わからない。

 

 ……わかんねぇよ…………。

 

 柄にもなく元気ない面しやがって。バカ野郎が……。

 

「ほら、しっかり歩きなさい! まったくけしからん。廊下を元気に走っていたかと思えばこれだ」

 

 答えを見つけられずにいると──。

 

 「教頭先生! 果し状を翔太に返してやってください。お願いします!」

 「今日が最後なんです。今日しかないんです! 見逃してやってください!」

 「俺たちの翔太は……永遠だ……! 永遠なんだ……!」

 

 ……お前、ら…………?

 

「なにを言っているのだね。この子は果し状なるものを持ち込んで来たのだよ? 教師として、大人として、これを見過ごすわけにはいかん。邪魔だてをするのなら君たちも共犯とみなすが、いいのかね?」

 

「僕のそろばんは示している。そんなの良いに決まっている! 僕たちは一蓮托生。ソロバンファミリアは永久不滅! そんなこともわからないで、僕たちの前で教師を語るな! さぁみんな! 脇の下をくすぐるんだ! さすれば道は開かれる! すべてはそろばんの意思が示すままに!」

 

「き、貴様! 教師に向かってなんたる態度!」

 

 「よっしゃ! そろばんに続け!」 

 「今日のお前、輝いてんぜ!」

 「なんかよくわかんねえけど、続け続け〜!」

 

「ふっ。折れたそろばんは脇の下をよく滑る。僕のそろばんはこの瞬間のためにふたつ(ツイン)になったんだね! さぁみんな、奏でるんだ! そろばん交響曲第五番! もう一度、最終楽章へ向けてやり直すんだ!」

 

「や、やめんか! こんなことをしてただで済うっおっおぉぉおおひょひょおお」

 

 微かに、俺の腕を掴む教頭の手が緩んでいる。

 

 今なら、もしかしたら──。

 

 「本当に男って救いようがないわよね〜。すーぐ頭に血が上って良し悪しの分別もつかなくなってしまうのだから、哀れよねえ」

 「お猿さんが檻から脱走したところで、結果は覆られないのにね〜。どうしてこうも無駄なことばかりしたがるのかしら」

 「まっ。わたしたち女子は関係ないってことで! これってどう見ても三年二組史上、最悪の大問題になりそうだしぃ〜」

 

 違う……。女子たちの言うとおりだ。

 くすぐりとはいえ教頭に手を出しては、ただでは済まされない。

 

 それに、今のあいつは──……。

 

「お前らやめろ! もういいんだ。俺ならもういいから! 教頭先生。悪いのはぜんぶ俺なんです! だからこいつらだけは勘弁してやってください!」

 

 「おい翔太! なにがいいってんだよ?!」

 「勝手言ってんじゃねえぞ? 果し状はお飾りだったのか?!」

 「やれ! いけっ! 翔太ぁああ! 止まるんじゃねえぞ!!」

 

 なんなんだよ……。負けて冴えない面してたくせに、なんで今になってそんな熱い目をしやがるんだよ。

 

 お前らがその気なら、やるしかなくなっちまうじゃねえか。

 

 …………やるしか……。

 

「僕のそろばんは示している。今こそ、奏でるとき。そろばん交響曲第五番、第二楽章! 勝利のリサイタルは既に始まっている! さぁみんな! 頑固ジジィをくすぐり倒すんだ! 両脇、覚悟ぉっ! ウィーンガシャン。ツインソロバンライフル発射! ダダッダダダダダッダダダ! デュクシデュクシ!」

 

「やめっうひゃはyっっっっh」

 

 「ナイスそろばん! 今日のお前、輝いてんぜ!」

 「よっしゃ! そろばんに続け〜!」

 「翔太に楯突いたこと、後悔させてやろうぜ!」

 

「デュクシデュクシ! デュデュデュデュ・デュクシ! ツインソロバンキャノン発射! すべてはそろばんの意思が示すままに! ダダダダダダッダダダ!」

 

「や、やめっうひゃうひょひょhっはは」

 

 今なら──。三秒と掛からない。

 

 教頭の腕を振り払い、果し状を奪い返し、あいつのもとまで駆けられる。

 

 「翔太! 今だ! 今しかない!」

 「今がチャアァァンス! ラストチャアァァンス!」

 「いけ! 行ってくれ! 翔太あぁああ永久にぃ!」

 

 わかっている。この機を逃せばもう、次はない。

 それどころか二度と、教室には戻ってこれなくなる。

 

「やめんかあひゃっh! ぜ、ぜ全員、た、た、たただでは済ませんからなひゃひゃっh」

 

 教頭に手を掛けてしまっているんだ。もはや単なる説教では済まされない。春休み中、洗脳とも言える『喧嘩ダメ絶対』派閥主催の特別授業を受けるハメにだって成りかねない。

 

 

 だったら、やれよ?

 

 やるしかねえだろ?

 

 あいつらの覚悟を無駄にするんじゃねぇよ?

 

 

 わかっている、のに……。柄にもない宿敵《トモ》の姿が俺の身体を石のように重くさせる──。

 

 ……元気ない顔してるお前に果し状なんて、叩きつけられるわけねぇだろうがよ……。

 

 いつだってお前は元気で、笑ってて、楽しそうで、馬鹿で、能天気で、食いしん坊で……。たまにお姉ちゃん気質な一面もあったりしてさ……。

 

 こんな暗い面するような奴じゃねえんだよ。

 今のお前は、なんだか……。俺の知っているお前じゃないみたいなんだよ……。

 

 だからわからねえんだ。

 どうしたらいいのかが、わからねえんだよ。

 

 なぁ、常夏。

 

 お前は俺と戦いたくねえのか?

 

 なぁ、常夏。

 

 負けたままでいいのかよ?

 

 なぁ、常夏。

 

 俺は今日、鹿児島に行っちまうんだぞ? これで最後なんだぞ? これっきりになっちまうんだぞ?

 

 なぁ、わかってんのかよ?! 

 

 だから──。だからさ……。そんな顔してねえで、いつものお前に戻ってくれよ。

 

 頼むから…………。なぁ、常夏──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして──。

 

 事態は急展開を迎える。

 

「くぅぉおおおお! けしからん! けしからんぞ貴様らぁぁああ! 集団で教師に手を上げるとはなんたること! 誠にけしからん! ケシカ・ラーン!」

 

「デュクシデュクシデュクシ! デュク・デュ・デュックーシ! ツインソロバン・フルバースト、発射! すべてはそろばんの意思が示すままに! ダダダダダダッダダダ」

 

 「このクソ! くすぐり過ぎて効かなくなってきちまってるんじゃねえのか?!」

 「あと一歩。あと一歩届かないってのかよ?!」

 「ちくしょう……これじゃあ俺たち、無駄死にじゃねえか……こんなのって……こんなのってないだろうがよ……」 

 

 

 ──誰もが目の前の敵に夢中で忘れていた。

 

 この場には一同が恐れを成す、校内最強の教師が居ることを──。

 

 

 

「おどれら!! 静かにせんかァァッ!!」

 

 

 

 三年二組、担任。──吉木《よしき》 壱道《いちどう》。

 

 

 仏の仮面が外れた、瞬間だった──。

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