顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。   作:おひるねzz

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(後編)

 

 突如として、阿修羅の怒号が響き渡る。

 

 教頭の脅威を瞬時に霞めるだけの迫力を前に、男子たちの手は一同に止まり──。

 

「ぼぼぼ、ぼくの……そろば…………n」

 

 男子を先導していたそろばんくんの唇は震え上がり──。

 

「ぉ、ぉぅふ……よ、吉木先生、こ、これは大問題ですよ? ま、まぁ今回はそこの悪童一人の責任ということで、ば、ばば場を納めましょうか」

 

 絶対的立場を有するはずの教頭までもが慄《おのの》いた様子を見せ、即座に妥協案を提示した。

 

 

 ──終息。

 

 

 あいつに果し状を叩きつけるチャンスは何度もあったはずなのに、その度に躊躇(ちゅうちょ)した。

 

 その結果。すべてを台無しにした。

 

 それなのに、ホッとしている自分がいる。

 

 これだけのことがありながら、俺ひとりの責任で場が収まることと──。これでもう、お前に果し状を叩きつけなくて済む状況に、情けなくも安堵してしまったんだ。

 

 

 

 しかし──。よっちゃん先生は男子たちを阿修羅の如き鋭利な視線で一蹴りにすると、教頭の目の前で立ち止まり、この場にいる誰もが予想すらしなかったことを言い出した。

 

「教頭先生。申し訳ないのですが、今は大切な授業中ですのでお引き取り願えますか?」

 

 えっ……授業?!

 

 皆がポカンとする中──。

 

 教頭だけは怒り沸騰に驚いた様子を見せ、前言撤回とばかりにすぐさま反発した。

 

「なっ、なにを言っているのかね君は?! これのどこが授業中だと言うのだね?! この子は果し状なるものを持ち込んで来たのだよ?! それに今しがたの男子たちの奇行は如何に説明するつもりかね? これを学級崩壊と言わずなんという!」

 

 すると、よっちゃん先生も応戦とばかりに反論した。

 

「わかりました。では今回の道徳の授業について、教頭先生のお硬い頭でもわかるように説明いたしましょう」

 

「ど、道徳の授業……だとぉっ?!」

 

「はい。そうです。ですのでとりあえず、彼の腕を離してもらっていいですか?」

 

 柔らかい口調とは裏腹に、教頭の手首をグギっと力強く握ると──。

 

「いぎぃっ!」 

 

 悲痛な叫び声とともに、俺を拘束する手が離れる。

 

「あぐぅっ!」

 

 さらに、有無も言わさず果し状をも取り上げてしまった。

 

「これは返してもらいます。授業に必要な、大切なものですので」

 

 そしてなにを言うわけでもなく、俺に果し状を握りしめさせた。両手で包み込むようにぎゅっと。揉み込むようにぎゅっぎゅのぎゅっと。

 

 言葉はなくとも、伝わる──。

 

「な、なんて乱暴な真似を?! 言葉を使わずに力任せに奪い取るなど、強奪ではないか! 君がそんなだから生徒たちが真似るのではないのかね?! デュクシの達人を生んでしまったのではないのかね?!」

 

 先生はいつだって、建前を大切にしていた。『戦い十ヶ条』は建前を守るために必要なことだと言っていた。

 

 それなのに俺たちは、何度も十ヶ条を破っては先生を困らせた。

 

「お言葉を返すようですが、果し状は彼のものです。それを強引に取り上げたのは教頭先生ではないですか?」

 

 その度に──。

 

 何度、叱られたかわからない。

 

「なにを言っているのかね! 私と君の行為を同じに語るでない! 喧嘩をしに来た生徒を止めるのは教師として当たり前のことであり、責任ではないか! 然り、果し状を取り上げるのも教師の努めである!」

 

 何度、ゲンコツをくらったかわからない。

 

「理由も聞かずに取り上げることが果たして、教師の努めと言えるのでしょうか?」

 

 何度、次はないと釘を刺されて、脅されたかわからない。

 

「なぁーにぃ? 理由もなにも、果し状なる物騒なものを持ち込んでいるのだよ? 万一、怪我でもしたらどう責任を取るつもりかね?! 君ひとりで取れる責任とは限らないのだよ? 事の重大さをわかっているのかね?!」

 

 でも──。必ず次はあって、また叱られて、またゲンコツをくらって、脅されて、

 

 楽しかった日々はいつだって──。

 

 先生の()()に守られていた。

 

「そうですか。やはり場所を変えて話しましょうか。教頭先生とは一度、教育についてゆっくりと、話したいと思っていましたので」

 

 鬼が怒る姿を、ずっと近くで見てきたからな。

 

 だから、わかるんだ。仏の仮面を外しても中身は阿修羅なんかじゃなくて、優しいよっちゃん先生のままだって。

 

「話ぃ? 職員会議に査問委員会。君から話を聞く機会はこれから先、いくらでもあるから安心しなさい!」

 

 そして、今もまた──。

 

 守られている。

 

「先の話ではなく、今の話をしています。二人きりで、サシでお話をしましょうと言っているのです」

 

 でも、まだ──。

 

 叱られてもいなければ、ゲンコツをくらってもいない。

 

「いいや結構。もう君とは二人で話すことなど、なにもない!」

 

 今の俺は、よっちゃん先生の建前の外にいる。

 

 守られるべき建前が、今の俺にはないんだ。

 

 次はなくて、これが最後だから。

 この機を逃したら、これっきりなっちまうから。

 

 だから──。

 

「まぁまぁそう言わずに。美味しい珈琲があるんですよ。終業式前のティータイムと洒落込もうじゃありませんか! 二人で、ね? ささっ、行きましょう。珈琲は熱いうちに飲めって言いますからね」

 

 建前で叱りつけるのではなく、

 建前で喧嘩を止めるのではなく、

 建前でゲンコツ制裁をするのではなく、

 

 建前で──。教頭の側に付くのではなく、ティータイムに誘い出して退場を促す。

 

「ちょっ、ま! いきなりなにをするのだね?! 君はまたそうやって強引に、力任せにぃ……! けしからん。非常にケシカ────」

 

 時折、憂鬱な顔を見せては教頭にドヤされるとこぼしていた。

 

 そんな先生の姿を、何度も見てきた。

 

「やっ、だめ……離しなさい! は、離せぇっ……!」

 

 だから伝わる。

 

 言葉はなくとも、伝わるんだ。

 

「は、離せぇ…………や、やめっ!」 

 

 先生は俺に、戦えと言っている。

 

 果し状を掲げたからには、最後までやり遂げろと言っている。

 

「だ、だめっ……やっ、やだやめぇっ……」

 

 いつかの脱線した国語の授業。

 

 ──果し状を掲げた者には、何人たりとも邪魔立てをしてはならない。

 

 果し合いを望む者は、覚悟を胸に、過去を振り返らず、未来を見ずに。ときに向こう見ずと言われようとも、目の前の相手だけを見つめ全身全霊を懸ける。

 想いを言葉に、気持ちを形に。たとえ灰になりて散ろうとも、青春の二文字で片付くのだから恐るることべからず──。

 

 意味なんて殆どわからなかった。

 

 でも今なら少し、わかる気がする──。

 

「ゃっ、いやっ…………ひいぃxy………………ぁっ……ぁぅっ…………ひゃめ……ひぃっぎぃぃっ…………」

 

 そして──。そのまま強引に、よっちゃん先生は教頭を引きずるようにして教室から出ていった。ティータイムと称した、おそらくは二人の果し合いへ──。

 

 

 ただただ呆気に取られるしかなかった男子たちも、これには一同に歓喜して、

 

 「す、すっげぇ……! やっべぇ……! よっちゃん先生マジツエー!」

 「やりやがった……! さすが俺たちの担任……! 仏の仮面を外した姿は伊達じゃねえぜ!」

 「でもこれ、確実に死んだよな……。教頭に楯突いちまったんだ……。南無……南無……ぽくぽくちーん…………」

 「そうだな。せめてもの手向けにみんなで合掌すっか!」

 

 

      「「「南無!」」」

 

 

 「よっしゃ翔太! よっちゃん先生の屍《しかばね》を超えて行け!」

 「もう誰もお前を邪魔する奴はいねぇっ! ブチかませぇ翔太!」

 「ここから先は永遠に! 翔太のターン!」

 

「僕のそろばんは示している。そろばん交響曲、第五番。最終楽章のスタートだ! みんな! 心の算盤を捧げよ! 旋律を奏でよ! 勇敢な我らが担任へのレクイエムも兼ねて、奏でるんだ!」

 

 俺を阻む教頭の脅威が消え去った。

 

 よっちゃん先生が自らを犠牲にしてまで繋げてくれた舞台。

 

 ……ここでやらなきゃ、男じゃねえ。

 

 「あーらら。先生も所詮、男ってことかしらね〜。もう勝敗は決しているのに、お猿さんのために身体張っちゃって。こういうのなんて言うんだっけ〜?」

 「えっこひーいき! 男子に忖度(そんたく)してるぅ! まっ教頭先生に刃向かったからには学年主任は降ろされちゃうかもね〜。奥さん可愛そ〜。これだから男って生き物はロクでもないのよ」

 「ね〜! 家庭を顧みないなんて、男ってホントにロクデナシー! 臭いのは靴下だけでも勘弁なのに、生き様までクサイとか絶対無理ぃ〜! ってことで花火ちゃーん! 猿の戯言になんて付き合わなくていいからねー!」

 「そーそー。果し状だかなんだか知らないけどー、情けをかける必要なんてないからねー!」

 「まっ女子の勝利で幕を閉じているわけだから、今更遅いのよね〜! お猿さんは来世で出直して来てくださーい! さよならばいびー!」

 

 

 ──常夏花火。

 

 誰よりも強くて、誰よりも能天気で、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも馬鹿なお前が今──。女子の中で誰よりも弱々しく見える。

 

 その姿が俺の喉元を、再三にも渡り詰まらせる。

 

「とっ……とこな……とっ……とこ……! とっとこぉおおお!」

 

 「翔太、どうした?」

 「お前はもう自由だぞ?」

 「…………走るのか?」

 

 よっちゃん先生が果し合いのなんたるかを、背中で見せてくれたのに──。

 

 俺の心はまだ、怯えている。

 

 心の奥底で、ぶつかることを拒んでいる。

 

 ぶつかる以外の選択肢なんて、あるはずもないのに──。

 

 

 するとまたしても──。皆を先導するように、そろばんくんが声をあげた。

 

「負けたからどうした。女子の上履きを舐めたからどうした。僕たちは今日、翔太くんが居なくても立派に戦った。その結果、学年末の汚い上履きで顔をぐちゃぐちゃに踏まれても、口の中に無理やり突っ込まれて頬を抉られたとしても、心は決して折れない。すべてはそろばんの意思が示すままに! これは去りゆくヒーローに捧げる──そろばん交響曲第五番、最終楽章なんだ!」

 

 「なんかよくわかんねぇけど、よく言ったそろばん!」

 「まじで意味わかんねえけど、今日のお前、輝いてんぜ!」

 

 「あっそーれ! そろばん! あっそーれ! そーろーばーん!」

 

   「「「そろばん! そろばん! そろばん!」」」

 

「違うよ。ここはそろばんコールをする場面じゃない。勝利のシンフォニーはいつだって翔太君とともにあるんだ。僕たちの戦いは終わった。ここから先の戦いは、翔太くんによる翔太くんのためだけのリサイタルでなければならない! すべてはそろばんの意志が示すままに──。みんな、そろばんを捧げよ! 翔太くんが悔いなく新天地へ赴けるように、算盤を奏でよ!」

 

 「そうだぞ翔太! もう戦争は終わったんだから好きにやってくれよな!」

 「まっ戦いには負けちまったけど、勝負には勝ったってやつよ! だから翔太、お前もぜってー勝負には勝てよ!」

 「今日までご苦労さん! 毎日最高に楽しかったぜ! まじ最高に心から感謝!」

 

 

「我ら、そろばん音楽団が出した決断は──せぇーーの!」

 

 

 

  「「「勝ち負けなんかどーでもいい!」」」

 

 

 なに言ってんだよ。……お前ら…………。意味わかんねぇよ…………。

 

 そろばん音楽団ってなんだよ。聞いたことねえよ。初耳だろうが……。

 

 ……わかんねぇ。あぁまるっきしわかんねぇよ…………。わっかんねぇ……わっかんねぇ……わっかんねぇよ…………。

 

 

 ────嘘だ。嫌ってくらいに、わかっちまう。

 

 

 いつからだろうか。目的と手段が入れ替わっていたのは──。

 

 昨日までの俺は、誰よりも勝ちに拘っていた。その姿はきっと、何かが透けて見えていたのだろうか。

 

 自分ですら気づかなかった矛盾に、お前らはとっくの昔に気づいていたんだな。だから俺が来ると信じていながらも、負けるとわかっていながらも──。女子に勝負を挑み、戦争を終わらせた。

 

 負けても尚、勝ったと言えるだけのものを手に入れて、俺にバトンを渡した。托したのではなく、渡したんだ。

 

 なににも縛られない、自由なバトンを──。

 

 俺にもさ、負けてでも守りたいものがあるんだよ。それはなににも変えられない、かけがえのないもの。

 

 俺はお前の笑顔を、守りたい。

 

 ──なぁ、常夏。

 

 

 思えば俺は──。一度だってお前に、正面からぶつかったことはなかった。

 

 正々堂々戦えば、勝てないとわかっていたから。

 

 でもお前はいつだって、正々堂々、真正面からぶつかってきた。

 

 「男って本当に未練たらしい生き物よね。終わったことをいつまでもぐちぐちと言っちゃって。情けなくて見てられないわ!」

 「ほんとそうよねえ。負けたくせにロマンを語って美談に変えてしまうのだから救いようのない生き物だわ。花火ちゃん、相手にしなくていいからねー!」

 「そそ。女子の勝利は揺るぎない事実。再戦を許すほど、私たち女子のオツムは緩くないのよ〜! 残念でした〜お猿さぁん! さっさとお家に帰ってバナナと戯れてなさいよ〜」

 

 そんな真っ直ぐで馬鹿正直なお前が今、望まない勝利を手に入れてしまっている。

 

 

 お前との時間があまりにも楽し過ぎて、すっかり忘れていたよ。

 

 元気ない面を見るのは、これが二度目だったんだな。

 

 

 始まりの日。

 給食のプリンを懸けたジャンケン大会。

 お前は俺の術中にまんまとハマり、グーだけは絶対に出さないと宣言した。

 

 けれども、不幸な事故でうっかりグーを出してしまった。

 

 そんときのお前は勝敗には目もくれず、自らが出したグーの手を見て、泣きそうな面をしていた。

 

 勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。

 

 でもそれ以上に、もっと。大切なもんがあるんだよな。

 

 なぁ、常夏──。

 

 「ど、どうした翔太? 急に悟ったような顔してどうしたんだ?!」

 「おいおい、なにを悟ったってーんだよ? ひとりでふむふむしやがって! 俺らにも教えろください!」

 「あぁ、翔太。ついに永遠になったんだな……!」

 

「僕のそろばんは示している。おかえり翔太くん! おかえり僕らのヒーロー! ずっと信じて待ってたよ!」

 

 さんきゅーな。

 お前らのおかげで、大切なものを見失わずに済んだ。

 

 「あ~、やだやだ。勝手に盛り上がっちゃって見ているこっちが恥ずかしくなってくるわぁ! あのね、お猿さん? もうね、誰もあなたとは戦わないの。おわかり?」

 「そーそー。さっさとお家に帰ってバナナ片手に一人で盛り上がってなさいってーの!」

 「花火ちゃーん! こんな猿はシカトでいいからねー!」

 

 それに比べて、お前ら女子は…………。

 

 

 ごめんな。すぐに気づいてやれなくて。

 

 お前は女子から慕われていて友達もたくさんいる。……けど、誰一人として本当のお前ってやつを理解していないんだよな。

 

 プロレスごっこが大好きで、負けず嫌いで、意地っ張りでさ。戦争なんか関係なしに、俺と張り合っていただけなんだよな。おまけにバカで食いしん坊で、…………笑うとめちゃくちゃ可愛くてさ。

 

 …………ったく。困っちまうよな。欲しくもねえ偽りの勝利を与えられて、勝ち逃げしろってんだから、そりゃ元気だってなくなっちまうよな。 

 

 でももう、大丈夫だ。

 俺がまとめてぜんぶ、吹き飛ばしてやるよ。

 

 そんな冴えねー面は、お前には似合わねえかんな!

 

 

 なにもぶつかるだけが、俺のやり方じゃねえっ!!

 もとよりお前には、ただの一度も真正面からぶつかったことなんか、ねぇんだよ!!!!

 

 

 そうと決まれば、俺のやることはひとつ!

 

 

 すぐさま教卓の上へとジャンプ!

 

「おいおい、なんの冗談だよ? ひょっとしてオタンコナスの女子共は、俺が本当に転校しちまうとでも思っているのか? このまま勝負を避けてれば勝ち逃げできるってか? バカ言っちゃイケねぇよ! 俺は光輝く一等星、カシオペア! 瞬速の翔太様が転校なんかするわけねぇだろうが! お前ら全員、消し炭確定なんだよ! いいかぁ? 耳をかっぽじってよーく聞けよ? 勝ち逃げは許さねぇっ!」

 

 「よっ翔太! そうこなくっちゃな!」

 「ようやくいつもの翔太に戻りやがったか! おせーっての!」

 「俺たちの翔太は、永遠だ……! いつだって心の中にある!」

 

「翔太くん……。そろばんの次に大切な、僕らのヒーロー……。見え透いた嘘だとわかっていても、その背中を押すのが我らそろばん音楽団の意思! ……さぁさぁ捧げよ! 心の中のそろばんを旋律に変えて翔太くんにエールを届けよう! 奏でよう! そろばん交響曲第五番、最終楽章のはっじまりだぁー!」

 

 ごめんな。今だけは俺の大嘘に付き合ってくれな。じゃないとあいつが、笑ってくれねえからさ。

 

 このまま勝ち逃げだけは、できないんだよ。

 

 だから、お前ら女子の()()()()()()()()()──。

 

 そんで常夏! お前をもう一度、戦いのステージに引っ張り出してやっからな!

 

「俺に負けたままで勝ったことにしちまっている負け犬花火はどこだぁ? どーこーだー?」

 

 常夏にしたり顔を向け、嫌味たっぷりに言ってみせる。

 

 それを見て、男子たちが一斉に常夏を指差す。

 

 「「「あーそーこー!」」」

 

「どこだどこだぁ? わっかんねえなあ! 負け犬過ぎて姿が見えなくなっちまってらぁ!」

 

 すぐさま女子たちが反論をする。

 

 「見苦しいわよ! あんたはもう負けているの! 花火ちゃんを負け犬だなんて、それこそ負け犬の遠吠えじゃない!」

 「花火ちゃん! こんなバカの言うことに耳を傾けなくていいからね!」

 「そうよそうよ! 見苦しいのよ! さっさと山に帰れ! この猿ぅ!」

 

 バカはお前らだよ。あいつはこんなんで勝って喜ぶような奴じゃねえんだよ。

 

 勝ち負けよりも、結果よりも、大切なもんがあんだろうがよ。

 

「おぉ~い? マケイッヌ・ハナービ~?」

 

 さらにわざとらしく言って見せて、教卓から小賢しくしている女子の机の上へと飛び移る。

 

「おっ、お前が常夏か?」

 

 机の上にしゃがみ込み、さらに顔を覗き込む。

 

「な、なにをしているのよ! こっち来んな! こっち見んな! この猿ぅ!」

 

 慌てて椅子から立ち上がる女子の姿を今度は机の上から、仁王立ちで見下ろす。

 

「ちっ。んだよ。常夏じゃねえのかよ。五月人形みたいな面しやがって。ぜんぜんちげーじゃねえかよ」

 

「なっ! こ、この猿ぅ! わたしのどこをどう見たら五月人形になるのよ! 今朝だってママに髪の毛巻いてもらったのよ! この溢れるキューティクルが見えないの?」

 

「はんっ」

 

 嫌味ったらしくも興味なさそうに鼻で笑い、さらにべつの女子の机へと飛び移る。

 

「おっ、お前が常夏か?」

 

 同じように机の上にしゃがみ込み、顔を覗き込む。

 

「ちょっ、チョット! 上履きのまま机に乗らないでよ! この猿ぅ!」

 

「おいおい? なんだよ? 五月人形の次は金太郎かぁ? ったくよ! 俺の可愛い可愛い負けイッヌ花火ちゃんはどこだってんだよ!」

 

「こ、この猿ぅー! どこをどう見たらわたしが金太郎になるのよ! 髪型のことを言っているのだとしたら、これはショートボブって言うの! 金太郎なんかじゃないんだからね!」

 

「はんっ」

 

 興味なさそうに鼻で笑い、さらに──。もうひとり。

 

「あ? 座敷わらしか、てめぇ?」

 

 「わ、わたしはNo2よ! 花火ちゃんの次席なんだから! あまり舐めた態度を取っているとお父様に言いつけるわよ! PTAの役員やってるんだからね!」

 

「と、座敷わらしが言っているけど、お前ら聞こえたかぁ?」

 

 「「「聞こえなーい!」」」

 

「だよなー! パッパや常夏の後ろ盾がないと粋れないような奴らの声なんて、俺らには聞こえねぇよなぁ!」

 

 「「「聞こえなーい!」」」

 

 そして巻き起こる翔太コール。

 

 「「「翔太! 翔太! 翔太!」」」

 

 

 「冗談じゃないわ! どうしてわたしが五月人形なのよ! この忌々しい猿が転校しないってどういうことよ!」

 「座敷わらしって言ったことを訂正しなさい! とっとと転校しなさいよ! 帰ってくんな! 帰れー!」

 「……金太郎。わたしだけ唯一、男の金太郎……。髪型じゃないとしたら、赤いポンチョかな? お小遣いを貯めて買った今季のトレンドなのに……。赤がだめだったのかな……酷いよ…………翔太くん……ぐすんっ」

 

 女子たちはよほど効いちまったようで、敵意を剥き出しにしていた。

 

 「「「おおおおおおおおお!」」」

 

 男子からは大歓声が巻き起こる。

 

 そして──最後は常夏の机の上を目掛けて大大大、大ジャーンプ!

 

「………………………」

 

 ったく。教室内はお祭り騒ぎだってのに、まだそんな冴えねー面してんのかよ。

 

 しゃあねぇな!

 

「おぉっと。こんなところに居やがったか! 負けイッヌ花火! ──ほら、よォッ!」

 

 果し状を叩きつけ、机の上から嫌味たっぷりに見下ろす。

 

 しかし、叩きつけた果たし状は床へと落ち、拾う様子さえもなく、

 椅子に座ったままでムスッとした表情で真っ直ぐと見上げてきた。

 

「……嘘つき。転校するくせに」

 

 なんだよ。普段はバカなくせして、どうしてこういう時だけ察しがいいんだよ。

 

「あ~、わかったぞ! 俺様に怖じ気づいちまったんだな? ごめんなさいをして敗北を認めるってんなら、寛大なる俺様の計らいのもと、今回だけ特別に見逃してやってもいいぜ?」

 

 すると次第にムッとした表情に変わると、勢いよく立ち上がり、椅子に乗ったかと思えばすぐさま──。俺が立つ、机の上に乗ってきた。

 

「バカ翔太! わたしがあんたなんかにビビるわけないでしょ!」

 

 そうだ常夏。それでいい。

 

「あ? ビってるようにしか見えねえぞ? 普段の威勢の良さはどうした?! 雑魚犬花火! こんなんじゃねえだろ!!」

 

「うるさい! バカ翔太! バカーッ!」

 

 いいぞ。もっとやれよ。俺を突き落とすくらい、力強くやってくれ。

 

 ほら、来いよ。ほら! 

 

 さぁっ!

 

「バカ……バカッ……バカ……」

 

 されども常夏から放たれるのは、猫ちゃんパンチ。

 

 なんなんだよ……。戦争を終わらせた責任でも感じているってのか? お前が感じる責任なんて、なにもないだろうがよ!

 

「痛くも痒くもねぇな! そんなに俺が恐いのか? そりゃ戦争に勝ったとはいえ、サシでの勝負は負け越してんもんなぁ? 結果が物語っちまってるもんなぁ? それじゃあ、しゃーねーよなぁ? あーあー、しゃーねーしゃーねー」

 

「うるさい。……うるさい!」

 

 まだ足らないか。だったら突き落としてやるよ。

 

「しゃらくせえ! 負け犬花火! 今日をお前の命日にしてやるよ!」

 

 言いながら、机の上から突き落とす。

 

 すかさず俺も飛び降りて、果たし状を拾い、尻もちをつく常夏に再度、叩きつける──。

 

 ──バシッ。

 

「ほらよ。地獄への招待状だ! 逃げるんじゃあねえぞ? 雑魚犬花火!」

 

 すると男子から大歓声が湧き上がる。

 

 「「「うおおおおおおお!」」」

 

 「やれっ! やっちまえ!」

 「やっぱ翔太はカッケーや!」

 「へへっ。俺たちの翔太は永遠なんすよ!」

 

「僕のそろばんは示している。翔太くん、そんなバレバレなツンデレはもう、やめようよ……。最後ならちゃんと、気持ちを伝えないとだめだよ……」

 

 対して女子からは、大ブーイング。

 

 「花火ちゃん! その猿に思い知らせてやって!」

 「わたしは五月人形じゃない! 謝れ! 謝れ猿ぅーッ!」

 「座敷わらしだなんて……。ひどい……。ひどいわ! 花火ちゃん! そいつの口を二度と聞けなくなるようにしてやって!」

 「金太郎ってひどいよ……。この中で唯一男じゃない。なんで……翔太くん。わたしだけどうしと金太郎なの……ひどいよ……ひどい…………」

 

 女子たちからのヘイトは十分過ぎるくらいに集まったな。これで四年生に上がっちまったら大変だが、鹿児島に行っちまうからな。……構うこたねえよ。

 

 此処での明日を気にする必要はねぇんだ。

 

 今の俺にとってこの場所は、限りなく自由な場所だ。

 

 明日も明後日もいらねぇ。欲しいのは今! この瞬間!

 

 だから来いよ、常夏!

 

 お前のために最高のステージを用意してやったぞ!

 

 

 けれども常夏は、果たし状を広げると──。

 

「……綺麗な字。……ねえ、本当に転校しないの?」

 

 なんなんだよ、まじで。

 本当にお前、どうしちまったんだよ?!

 

「あぁ、するわけねぇだろ」

「じゃあ今晩、うちくる? 特別にハンバーグ食べさせてあげる」

 

 ……常夏。何言ってんだよ。これから果たし合おうってときに……。

 

「おっ。なんだよ? 俺の勝利を祝ってくれるってのか? だったら御馳走にならねぇとな!」

 

 大丈夫。お前は今日、必ず勝つから。

 

「……なら、いいよ。戦ってあげる」

 

「おうよ! んじゃ、いつもの場所でお前を待つ! 逃げんじゃねーぞ?」

 

「……うん」

 

 まるで覇気が感じられない常夏を前にして、なにか大きな見落としをしているような気がした。

 

 それでも俺のやることは変わらない。他にできることなんて、なにもないから──。

 

 

 

 ごめんな。こんなやり方しかできなくて。

 

 湿っぽいのは俺たちの柄じゃないからな。

 

 

 

 俺はもっと、ずっと、

 お前と一緒に居たかった。

 

 こんな時間が続けばいいと思っていた。

 

 ──いつまでも続くと、思っていたんだ。

 

 なぁ、常夏。

 俺はお前が好きだ。大好きだ。

 

 だから最後は──。

 俺をコテンパンにやっつけてさ、勝利を掴んでくれ。そんで、とびきり最高の笑顔を見せてくれよ。

 

 んで、ちゃんと終わらせような。

 

 笑顔でお別れしような。

 

 だからそれまで、少しの間──。転校しないって嘘をつかせてくれな。

 

 

 

 

 

 

 

 +++

 

 嘘には二種類ある。

 人を傷つける嘘と、そうではない嘘。

 

 このときの俺は、後者だと思っていた。

 

 

 そうして六年後、決定的に後悔をしてしまう出来事が起こる──。

 

 もし一度。たった一度だけ、時間を巻き戻せるのなら──。迷わず、この日に戻ってやり直すことを選ぶ。

 

 

 ──最終戦績、一五六勝一五○敗。

 

 俺は負けることができなかった。

 

 このあと常夏に、五回も連続で勝っちまうんだ。

 

 

 忘れていたんだ。

 

 お前の元気ない面を見るのは、これが二度目ではなく、三度目だったことを──。

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