顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。 作:おひるねzz
『ただまー! 今帰ってきたよー、バカ翔太!』
『遅っ。俺様からのメッセージが来たら二秒で返せっての』
『馬鹿じゃん。相変わらずバカそうで安心した』
『はんっ。お前もバカそうで安心したぜ』
『ねぇー! なんでそうやって翔太はすぐバカって言うの?』
『いや、それはお前だろ?!』
『わたしはいーの! でも翔太はダメー! ふふんっ』
こいつはすげえや。
画面越しなのに、すぐそばにいるみたいだ。
なぁ、常夏。会いてぇよ。今日会ったばっかだってのに、こんなこと言ったら驚くかもしれねえけど……。
『はぁ? なんでだよ?』
『それは翔太が翔太だからー!』
『まじで意味わかんねーっての!』
会いてえ。
会いてえよ……なぁ、常夏。
嘘をつかずにメッセージを送れたのは、最初の日だけだった。
いつからだったか、会いたい気持ちは消えていた。
会うのが、怖くなっていた。
どうにもならない現実だけが、目の前にあった。
それでも、お前が好きだった。
好きだから進むしかなかった。
止まったらもう二度と、会えなくなるとわかっていたから。
止まらなくても、もう――、会えないとわかっていたのに。
+
鹿児島に来て、一週間が過ぎた。
春休みも折り返し地点を越えて、退屈な日々は終わりのカウントダウンに入っていた。
「ね〜、うち行こうよ〜。広いし、ごろごろできるし〜」
「畳の上でだってごろごろできる。嫌なら帰れ」
「痛いし無理~。じゃあさ、スマホ貸して」
「ダメだっつってんだろ! 俺の目の届くとこでしか貸さねえ!」
──このやりとり、もう何回目かわからないんだよな。
ここ三日ほど、佳純は毎日のようにうちに入り浸っている。お目当ては俺のスマホだ。
最初は“地元案内してくれたお礼”に加えて、ちょうどこいつの誕生日だったから、仕方なく貸すことにしたんだけど──ここ二日は案内なんてそっちのけ。
今じゃ俺よりよっぽど使いこなしてる。
……むしろ、操作を教えてもらってる始末だ。
「頑固だね~。今ならお菓子もつけるよ? 広い部屋でお菓子食べて、ふかふかベッドの上でごろごろして、隣には可愛い可愛い佳純ちゃんがいるの。想像してみ? 夢みたいじゃない?」
「畳の上で塩握り。最高!」
「げぇ~。そういうとこ、全然シティボーイっぽくないんだよなぁ。なんか謎だよね、君って」
「つーか、買ってもらえよ。1円スマホとかゼロ円スマホとかたくさんあんだろ?」
「買ってもらえるわけないじゃん。まだ三年生だし。それにここ、クソ田舎だよ?」
出た、クソ田舎。初めて聞いたときは驚いたけど、今じゃすっかり聞き慣れた。こいつの口癖だ。
「ほら、うちのお母さんってさ、お店やってんじゃん? わたしがスマホ持ってたら、それだけで素行が悪いとか始まるわけ。そう思うとさー、翔太くんってほんとチートだよね」
どうやら──。爺ちゃんは世間体の外側にいるらしい。自由奔放というか、年功序列というか。よくはわかんねぇけど、たぶんそんな感じだ。すぐにキレる性格が、功を奏してんのか災いしてんのかは知らねぇけど。
「なんか、めんどくせえよな」
この町は、なんつーか──みんな顔見知りみたいな空気がある。
すれ違うたびに挨拶が飛んでくるのが当たり前で、俺が住んでた埼玉じゃちょっと考えられないんだよな。
「ねぇ~。ってことで、うち行こっか?」
「だから行かねえって!」
こいつのことは相変わらず苦手なタイプだし、嫌いなのは変わんねえ。
……でも、一緒にいても不思議と嫌じゃないんだよな。……なんかもうよく、わかんねぇや。
+
『今日は駄菓子屋に行ったら、新学期を共にする同級生らしき集団に会ったぜ』
『へぇ、仲良くなれた? 翔太は意外と人見知りだからなー』
『んなっ?! 馬鹿言ってんじゃねぇよ! さっそく俺様の瞬足っぷりを見せつけてやったら、全員が翔太様って讃えてきやがったぜ!』
『見せつけるって……翔太は弱っちいんだから無理しないの!』
『はぁ? 俺様に負けておいてどの口が言ってんだよ!』
『もぉ。お姉ちゃんとして弟くんに勝ちを譲ってあげてただけなのに』
『ああそうかよ。勝手に言ってろ。まっ、この調子なら俺様が一番になる日も近いな』
『だーかーら。無理だけはしないでね? 翔太をやっつけていいのはわたしだけなんだから』
『はん。俺様を傷つけられるやつはどこにもいねえぜ! 』
『喧嘩とかやめてほしいなー。翔太を殴ってもいいのはわたしだけの特権だったのに』
『俺様は瞬足だぜ? 鹿児島連中のぬるいパンチなんか止まって見えるっての。喧嘩にすらならねーよ。まっ、お前くらいだぜ? 俺様にパンチ当てられるのは。誇れよ、これでも認めてやってんだからな』
『はいはい。怪我だけは気を付けてよ? お姉ちゃんはそれだけが心配です』
『勝手に言ってろ! まっ、友達100人っつーか! 伝説の翔太ファミリー100人が、鹿児島を統べる日も近ぇな。ボスの座は、もう決まったようなもんだぜ』
+
「ていうかさ、翔太くんってお小遣いいくらもらってるの?」
「うちはそういうのねーよ。今まで一度ももらったことないし」
佳純の目がまん丸になる。今にも「え?」って声が出そうな顔だ。
「まじ? こーんなに良いスマホ使ってて、お小遣いなしとか意味わかんないんだけど。……あ、もしかして好きなときに好きなだけもらえちゃう感じ?」
「ん? なんだそれ。どこのブルジョワだよ?」
ぴんと来ない俺に、佳純は眉間にしわを寄せた。
「え。じゃあさ、今いくら持ってるの?」
「ないぞ?」
「はぁ~? お年玉は? 残さないで使っちゃうタイプ?」
「いや、俺んちにお年玉システムはなかったな」
当たり前のように口にすると、佳純は一瞬、息をのんで、なんとも言えない顔になった。
「あーね? ふぅん。ごめん、ちょっと意味わからないかも? 一旦整理させて⋯⋯⋯⋯⋯⋯えっと、東京の人ってこういうの多いの? それとも君が特別なの?」
「うーん。特別なんじゃん?」
からかうつもりはなかった。けど、佳純の目がスッと細くなる。
「……なんか前にも似たようなセリフ聞いたけど、そんときはもっと格好良かった気がしたんだけどな〜気のせいだったかなぁ」
な、なんなんだよ……こいつ……。
「べ、別に金なんかいらねー。欲しいと思ったこともねーし!」
駄菓子屋に行けば、なぜかお菓子が集まってくるし。金がなくても、毎日は十分楽しかったからな。
「あぁね。今日は駄菓子屋に連れて行ってあげようかなって思ったんだけど、お金ないっていうんなら無理そうだね」
「おっ駄菓子屋! 久々に行きてえなあ!」
思わず目が輝くと、またもや目がスッと細くなる。
「いやだから君……お金ないんでしょ?」
「お金なんかなくたっていいよ! 行こうぜ駄菓子屋!」
婆ちゃんが毎日ご馳走作ってくれるから、腹は減ってないしな!
「いや、君さ——」
言いかけて、少し考えるそぶりを見せると、
「はあ。佳純ちゃんはね〜、男に貢ぐ趣味はないんだけど……仕方ないから連れてってあげる。でも、そのかわり、帰りは佳純ちゃん家に寄ること! 約束できる?」
いたずらっぽく笑い、したり顔で指をピンと立てた。
「いやいや、奢ってくれなくていいよ! 俺、隣で見てるだけでいいから。駄菓子屋の雰囲気が好きなんだよなぁ」
「……いや、正気? ほんっと君って掴みどころないよね〜。ま、どのみち帰りはうちに来るってことで。じゃないと連れてってあげな〜い」
「げぇ〜、マジかよ……。でも駄菓子屋……行きてぇかんな……」
頭を抱えながらも、気持ちはもう完全に駄菓子屋モード。
「『げぇ〜』って何?! クラスの男子だったらさ、佳純ちゃんに『家来る?』なんて言われた瞬間、鼻血出して気絶するレベルだからね?! ……ま、誘わないけどね!」
なに言ってんだこいつ……。
「……まあ、しゃあない。今日だけ、特別だかんな!」
「なーんかムカつくね、君!」
+
駄菓子屋に着くなり、俺は声を張り上げた。
「うおおおおお!! これこれ! なあ佳純、俺、これ食いてえ!」
ソースせんべい。これだよこれ! よく食ったよなあ……腹持ちいいのなんのって。
「あーれー? お金なんかなくてもいいとか言ってたのに、もう矛盾してるじゃん? まぁ、今日だけじゃなくて明日もうちに来るなら買ってあげるけど?」
「うっ……こればかりは仕方ない……」
「はい決まりー! まいどありー! 他にも欲しいのあったら遠慮なく言ってね! 明後日も明々後日もうちに来るって約束してくれれば、なーんでも買ってあげるからぁ!」
「お、おう……」
……完全に、上手いことやられてる。でもこればかりは仕方ねぇ。そういや昔も、みんなよくタダでお菓子くれたよな。特にそろばん君なんて、毎回山ほどくれたっけ……。
思い出に浸りつつ、ソースせんべいを最後の一枚まで噛みしめた。指先のソースをぺろりと舐めて、ふたたび棚へ目をやると――。
「って、おいおい! これは!」
「なぁになぁに? どれが欲しいのかな〜、しょーたくん?」
「ほ、欲しいけど……ブ、ブタメンは……さすがに無理だよな……。ここはラーメン太郎で……我慢するか」
あまりの懐かしさに、ついはしゃいじまう。鹿児島に来てまだ一週間なのに、棚にはあっちと変わらない駄菓子がぎっしりだ。
今思えば不思議なもんだ。
学校が休みの日、朝飯の強奪《ハント》に失敗して、すがるように駄菓子屋へ行くと……決まってそろばん君がブタメンくれたんだよな。
ブタメンっつったらスープ一口の取り合いで血みどろの争いが起こる高級品だってのに……本当に世話になったよなあ。
――と思ったら、目の前にそれが差し出されてきた。まるで昔みたいに。
「違う違う。君が食べたいのは、こっち! ブタメンでしょ?」
「……い、いいのか?!」
「明日も明後日も佳純ちゃん家に来るなら、買ってあげないこともない!」
「……くっ……い、い……いく!」
「はーい、まいどありー!」
婆ちゃんのご馳走で腹は満たされてるのに、それでも食いたくなっちまうんだから、不思議なもんだ……。またいつか、みんなに会いてえな。
そして、お湯を注いで一分。湯気と香りが鼻をくすぐる、ブタメンの食べ頃だ。
「これだこれこれ、たまんねぇな!!」
「めっちゃ美味しそうに食べるじゃん」
「なんだろうなぁ……こればかりは、俺にとってマイ・ソウルフードってやつかもしれねぇ」
湯気の向こう、ほんのり甘じょっぱい香りが鼻をくすぐる。思わず、あの頃の駄菓子屋での争奪戦を思い出しながら、俺はカップを佳純の方へ突き出した。
「ほら、一口やるよ!」
「えっ?! いやいや、いいし。だ、だって君の食べかけ……」
佳純は落ち着かない様子で髪先を指に巻きつけ、ちらっと俺を見るも、すぐに視線を逸らした。
「はぁ? なに遠慮してんだよ! 買い与えた手前、もわうのは申し訳ないってか? 違うだろ! ブタメンっつったらみんなで食うもんだろうが! スープの取り合いで病院送りになる奴もいたくらいなんだぞ! ひとり占めしたら死人が出るっつーの!」
俺の勢いに観念したように「……じゃあ一口だけ」と、カップと箸を受け取ると、ちょびっとだけ食べて、わざとらしく咳払いしてそっぽを向いてしまった。
ここに来て俺は、もうひとつの可能性に気づく。
「あれ……もしかしてブタメンのとんこつ味、好きじゃねえのか? カレー派だったか?」
「べ、べつに嫌いじゃないよ……」
「そっかそっか! 良かった。ならスープも飲めよ! うんめぇから!」
「っ……!?!?」
佳純の肩がびくっと跳ね、そのまま盛大にむせた。
「ちょ、おま! なんてタイミングでむせてんだよ! ほら、スープこぼれちまったじゃねえか! もったいねえ!!」
俺が慌ててカップを覗き込むと、佳純はカップから顔を離し、両手で口元を隠すと、そのままそっぽを向いた。
「ひょっとして顔に掛かっちまったか? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから。残りは君が食べて。……ね?」
「そうか? じゃあ遠慮なく」
こりゃ間違いねえわ。確実にカレー派だな。
しゃあねえ。次があったらカレーにすっか。
ブタメンを食べ終えれば、心も腹も大満足。
次はなにがいいかなぁ……と考えた瞬間、はっと思い出す。そうだ、一個食うたびに佳純ん家に行かなきゃいけないんだった!!
……よし、今日はこのへんでごちそうさまだな。
満ち足りた余韻にひたりつつ、周りに目をやる。
……あれ、静かだな。駄菓子屋ってもっと、ガヤガヤしてるもんじゃなかったっけ。
「そういや、他に誰も来ないんだな?」
「そだね。今日は剛場が家の用事で、この辺にいないって聞いたからねー。だから遊びに来れるかなって思ったの」
「……剛場」
鼻をツンとされ、短く告げられる。
「剛場には逆らわない」
「……お、おう」
「そもそも人いないからね~。どうせ翔太くんの通ってた小学校って、何百人っていたんでしょ? こっちは全校生徒で六十人もいないからねぇ」
「え、ええええええええええ」
「予想通りの反応すぎて、なんて言ったらいいかわからないね? ていうか君、こっちに越してきたっていうのに、なにも聞かされてないよね?」
「……まあな。朝起きて学校行こうとしたら、鹿児島行くぞって言われて来たからな」
「なにそれ……君って本当に、謎」
佳純の笑い声が、やけに遠く聞こえた。胸の奥が、ちくりと痛む。
──鬼に捨てられた。それだけのことを、わざわざ口にする気にはなれなかった。
駄菓子屋の空気に浸って、ついつい時間を忘れていた。
棚から漂う駄菓子の匂い、外から差し込む春の光。こんな時間が、ずっと続けばいいのに──そう思っていた、その時だ。
「か、佳純ちゃん!」
入口から三人組の男子が現れた。見た感じ、俺たちと同じくらいの年。
その中で一番背の高いノッポが、もじもじしながら近づいてくる。
「あー、ごめんね? 今ここ貸し切りだから。三十分後くらいに来直して? いいよね、おばちゃん?」
駄菓子屋のおばちゃんは、にこっと笑ってうなずいた。
「そ、そっか……でも、そいつ」
ノッポの視線が俺に刺さる。もじもじしていた顔が一転、あからさまに敵意を帯びた。
「帰れって言ったの、聞こえなかった? それともなに? 同じこと二回も言わせんの?」
「ご、ごめん。でもいくら佳純ちゃんでも、これはまずいって」
後ろの二人も顔をこわばらせ、俺をじっと見てくる。
「ふぅん。──帰れよ?」
声は小さいのに、空気が一瞬で冷えた。
その瞳は、冷たい刃のように細く光る。──さっきまでの佳純とは、まるで別人だった。
「い、いや……ごめん……」
「…………ンゴ」
「……ご、ごめんなさい」
三人は縮こまり、足音も立てずに外へ出て行った。
まるで寸劇でも見ているようだった。いや、寸劇っていうより……見てるこっちが背筋冷えるやつ。
「なんか感じ悪くね?!」
「剛場の手下っていうか、使いっぱだからね〜」
「違う違う! お前だよ、お前!」
「はぁ? わたし? なにそれ! ほんと君って、面白いね」
いやいや、どう見たってお前だろ……。
まあでも、確かにあいつらの俺を見る目つきも相当だった。友達にはなれなさそうだな。……はぁ。
「でもね、わたしの予想だと翔太くん、剛場には気に入られると思うんだよね。普通に友達っぽくなれるんじゃないかなって」
「ん?」
「でもさ、あいつ、君よりずっとガキだから。君が大人にならないとだめだよ」
「なんだそれ。まあ見ての通り、俺は大人だけどな!」
「あそ。まあ、でも? 指切りしたからね。佳純ちゃんは君を信じることにしたの。……裏切らないでよね?」
まーた、そういう顔するんだよな。
「あぁ、いいぜ」
だから勝ちゃいいだけの、シンプルな話だろって――。
+
『鹿児島、初登校! 今日から四年生! さっそく先制パンチくれてやったぜ。相手はどっかの社長の息子で、“ちょっかいぎいん”だかの肩書き持ってる、どっかのドンの孫とか言ってたが、教室内で偉そうにふんずりかえってたから、取り巻き連中もろ共、まとめてぶっ飛ばしてやったぜ!』
『だから無理するなって言ってるの、バカ翔太!』
『無理なんかしてねーっての! 十本指で言ったら小指一本分くらいの力しか出してねーし! ま、とりあえず今日は俺様が勝ったが、あいつは一度負けたくらいじゃ引き下がらねぇタイプだな。しかも、やたら取り巻きが多くて、絶対また仕掛けてくる顔してやがった。こりゃしばらく熱い毎日が続きそうだぜ!』
『怪我だけには気をつけてね! 痛いの痛いのとんでけーってしてあげられないんだからね!』
『いやお前……。殴る蹴るは山ほどされたけど、“痛いの飛んでけ”なんて一回もされた記憶ねーぞ?!』
『そうだっけ? 忘れちゃったー、知らなーい』
『お前ってやつは……ほんっと都合のいい脳みそしてんな……』
+
「剛場には逆らわない。はい、続けて」
「剛場には逆らわない」
「ほら、もう一回」
今日は鹿児島での初登校。
本当は“登校班”ってのがあるらしいんだけど、佳純はそんなの完全にシカトして、いつもひとりで学校に行くらしい。
家も近所だし班も同じってことで、俺もその“勝手登校コース”に付き合うことになった。
……で、さっきからずっとこれだ。
「なぁ、これ何回言うんだよ?」
「予定では百回。でも、そんな気の抜けた言い方なら二百回に増やそっかな〜って考え中」
「ちょ、おまっ!」
なんか最近、こいつのペースに完全に呑まれてる気がする。どこで間違えたんだ、俺……。
「ほら、続けて」
「お、おう」
やれやれだ。
それにしても……学校まで、ずいぶん遠いな。
特にのんびり歩いたわけでもないのに、着くまでに一時間以上かかった。
遠っ! ……と、心の中で突っ込んでから、ふぅっと息を吐く。
そのまま佳純に案内され、職員室へ足を踏み入れると、やけに静かだで机も少ない。……いや、先生の数が少ないんだ。そういや、全校生徒で六十人くらいだって言ってたっけ。
そして、衝撃の真実が俺を襲う。
「おっ、田中だな。担任の椎名だ。向こうと違ってこっちは田舎だから、なにかと不便に感じることも多いと思うが、いつでも先生が相談に乗るからな。気軽に言ってくれ」
俺の他にも転校生がいるのか。田中くんね。
……でも、どう見ても三人しか居ないんだよな。俺、佳純、先生。……ん?
「…………………」
「…………………」
「…………………」
何故か皆無言。……なんだこの空気。
「せんせー? 田中って誰?」
口を開いたのは佳純だった。
「誰って、そりゃ」
先生はなぜか真っすぐ俺を見た。
「え? なに?」
「なにってお前……」
俺と先生の間にクエスチョンマークが咲き誇る中、佳純がさらっと言う。
「そっか。田中さん家に住んでるから普通に考えて田中だよね」
え。あ。俺?!
「えっとつまり、今日から俺は田中ってことか? 先生?」
「いや。今日からっていうか、前から田中だと思うぞ。いつからかはわからんが……今日、この瞬間から田中ってわけじゃ、ないな……う、ん」
先生は、まるで地雷でも踏んだように視線を泳がせた。
「苗字なんてなんでもいいじゃん? 翔太くんは翔太くんでしょ?」
「そうだな。べつに気にもしてねえけど。ちょっとびっくりしたっていうか、なんか」
いや、切ねえな。冬雪じゃなくなっちまったのか。なんで。なんでだ。意味わかんねぇよ?!
そんな俺の頭の中をよそに、
「じゃあ先生と一緒に自己紹介の練習しようか」
「練習って大げさだな。普通にできるって」
「そうか? 全校朝会でやるから、失敗すると恥ずかしいぞ」
「え……」
「ま、がんばってね、シティーボーイ」
「ちょ……佳純!」
「佳純ちゃん。若しくは名前呼ばない」
一瞬で笑みが引いた。
「お、おう。わかってるよ」
「なら、よーし! ま、がんばってねー」
ったく。なんでこうすぐに空気変わるかな。
横で見ていた先生が、ふっと笑って言った。
「晴海と仲いいみたいだし、特に心配することはなさそうだな」
妙に含みのある言い方だ。なんだそれ、と首をひねっているうちに――。
「じゃあ田中、先生と練習するぞ」
「……………」
「おい、田中」
肩を叩かれて、はっとする。
「あ! そうか、俺……田中だ!」
口にしてみても、まだしっくりこねぇ。
慣れるまでには、しばらく時間がかかりそうだ。
練習が終わると、俺は体育館まで連れて行かれた。
「ここで呼ばれるまで待っててくれな。三十分くらい掛かるだろうから、気楽にしてていい。今日の主役は田中だからな!」
そう言い残して、椎名先生は自分のクラスの教室へ向かっていった。
ステージ裏には俺ひとり。カーテンの隙間から覗くフロアは、がらんとして椅子だけが整然と並んでいる。
やがてチャイムが鳴り、廊下のざわめきが近づく。先に他学年の列が体育館に流れ込み、椅子の列を埋めていく。
最後に、朝の会と点呼を終えたらしい椎名先生が、自分のクラスを引き連れて戻ってきた。
前方では壇上のマイクが軽く叩かれ、音のチェックが行われる。やがて校長先生が立ち上がり、始業式が始まった。
挨拶の声がスピーカーを通して反響し、体育館特有の涼しい空気と混ざって、胸の奥をざわつかせる。
出番が近づいている。その実感がじわじわと胸の奥を熱くする。
気づけば先生が背後に立ち、俺の肩に手を置いた。
「準備はいいか? そろそろ出番だぞ」
「お、おうよ!」
そうして――。
「――田中翔太くん!」
体育館にマイクの声が響く。
「…………………」
「……田中、翔太くん?」
再びマイクから、少し戸惑った声。
「おい、田中!」
今度はすぐ横で、先生が小声で急かしながら肩を叩く。
「あっ」
田中って、俺のことか!
そんなこんなで壇上へ――。
超緊張するものかと思ったけど、そういえば全校生徒は六十人。
……あれ、少なっ。
拍子抜けした瞬間、肩の力が抜け、大事なことも直前で思い出せた。
「東京から来ました、田中翔太、四年生です! 得意科目は体育。駆けっこは大の得意です。学校のみんなとも一緒に走りたいです。これから卒業までよろしくお願いします!」
拍手は思ったよりも静かだったけど、練習どおりにやりきった!
壇上から戻ると、先生が首をかしげて言った。
「田中、お前、埼玉だよな? 練習のときは埼玉って言ってなかったか?」
「そうなんだよ! ていうか先生! 埼玉ってわかってくれんのか?!」
「そ、そりゃ名簿に書いてあるからな……」
事情を説明すると、先生は真面目な顔になって言った。
「こういうのは早い段階で言ったほうがいいな。もう一度、クラス内で自己紹介する時間を作るから、そのとき正直に言いなさい。田中のキャラなら受け入れられると思うぞ。いざとなれば先生もカバーするから安心しなさい」
「おお、先生助かるぜ! でもそれだと爺ちゃんが嘘を言いふらしたことにならないか? そこんとこは大丈夫か?」
「お爺さんは大人だ。責任がある。田中、お前が背負う必要はないんだ。それにただの勘違いだろう。大したことにはならないと思うぞ」
「う~ん。爺ちゃんには世話になってるからな。嘘つきにはしたくねえんだ。だから先生、俺が埼玉ってこと、黙っててくれよ!」
「田中……お前……。……いや、まぁ、心配することはないか。晴海さんと仲いいみたいだしな」
また、あの含みのある言い方をした。
「まぁ、いざってときは先生を頼れ。先生も共犯だ!」
「共犯……なんか、カッケーな!」
始業式が終わり、先生に連れられて初めての教室へ。
扉をくぐった瞬間、何気なく目に入った胸元の名札に、思わず二度見した。
──三年一組。
……おいおい、俺、四年生だよな?
周りを見渡せば、同じ教室に「四年一組」の名札も混じってる。
頭の中でクエスチョンマークが大行進する中、椎名先生がにこにこしながら一言。
「この学校は三年生と四年生が同じクラスなんだ」
ガツンと殴られたみたいな衝撃。
……いや、マジかよ。
始業式が終わってからの一時間と少し。休み時間もなく、教科書を配られたり諸々こなして、気づけば初日は午前中で終了。
「せんせー、さよーなら!」
んじゃ帰るかって思ったら――。
「おいおいおいおい! シティーボーイ? 挨拶がねーじゃんよ?」
驚きの連続ですっかり忘れていた。ウェルカムではない空気は感じ取れたし、べつに構うことはないと思っていたんだけど、そういや居たな
「……剛場?」
正直、思ってたのとだいぶ違った。こういっちゃなんだがデブ。
正確にはぽっちゃりとドスコイの間って感じで、見た目から漂うのは陽気なデブ。
「そうだぜシティボーイ! 名前くらいは知っててくれたか。嬉しいぜ! おら、早く俺に挨拶しろ! 詳しく自己紹介しろや!」
「あ?」
なんだこいつ。悪びれる様子もなく、無邪気に当たり前に言ってくる。
挨拶しろ? 自己紹介しろ? ……しろ? ……しろ?? しろ?!
「なんで命令――」
口調なんだよ? って言おうとしたときだった。
「ねえ~、先帰るけどー、道わかるのー?」
会話を遮るように廊下から大きな声で呼ばれた
剛場がぱっと振り向き、佳純の方へダッシュしていく。
その後ろ姿は、どこぞのピンク色の魔人にしか見えない。……冗談じゃねえって。
「ごめんな佳純ちゃん! ちょっとシティボーイ貸してくれよ!」
「べつにいいけど。ちゃんと家まで送り届けてくれるの? 迷子になられでもしたら、お母さんに怒られるのわたしなんだけど」
「ちっ。あの爺さん所んだよなぁ……。遠いし、うるせえし……。しゃあねえ! また明日会えるしな! こいつ、威勢のいい目してるよなぁ? たまんねぇっ! 明日たっぷり話そうぜ! へへっ」
おまけにこいつ呼ばわりかよ。
仲良くするのはちょっと難しいかもしれねえな。
帰り道。人もまばらな通学路を、佳純と肩を並べて歩く。横顔からは、すでに不機嫌がにじんでいた。
「百回じゃ足らなかったねー?」
「は? 何が?」
佳純は足を止め、ちらっと俺の顔をのぞき込んだ。
その目は、からかうときのそれとは違っていた。
「……わたしを悲しませないでよ?」
「わかってるって」
「ま、なんとなーくわかったと思うけど、剛場ってああいう奴なの」
「無邪気の化身。陽気なデブか?」
「……」
佳純は呆れたように息をつくと、
「あいつはさ剛場建設の一人息子で、お爺さんは町議会議員のドン。逆らおうなんて思う人、この町には居ないんだよ」
「俺、そういうのよくわかんねーって」
親がどうとか関係ねえだろ。佳純の母ちゃんがスナックやってるから色眼鏡で見られるって話も、正直意味わかんねぇ。お前はお前だし、俺は俺。デブはデブだろ。
佳純は少しカッとしてみせて
「そうだよね。君はずっとこの町にいるわけじゃないもんね」
「べ、べつに」
本当は「わからない」って返すつもりだった。
でも、ひとつだけはっきりしていることがある。あいつの住む場所は、ここから遠すぎる。
だから、俺はずっとここにはいない。それはもう俺の中で決まっている。
誰に何を言われようが、何を変えられようが、これだけは揺るがねぇ。
「ま、どうでもいいけど。約束したよね? 剛場には逆らわない」
「ああ、わかってるって」
佳純の視線が、俺の奥まで射抜くようだった。
――あいつとは一度、ぶつかるしかねえな。
+
『登校二日目! 今日は俺様のマシンガンパンチが炸裂しちまったぜ!』
『また喧嘩しちゃったの? 弱いくせに威勢だけはいいんだから』
『馬鹿言っちゃいけねえよ。余裕のよっちゃんよ。昨日言ったどっかのドンの孫が、今日もクラスで威張り散らしてたからな。再度、俺様がわからせてやったまでだ』
『無理ばかりしてると、いつか痛い目見るんだからね! そのときは気軽に助けに行ける距離じゃないんだよ? わかってるの?』
『バーカ。誰がお前の助けなんか必要とするかよ。なんってたって俺様は瞬足の翔太だぜ?』
『はいはい。怪我したら怒るからね! 本気なんだから!』
『ひぃええ! こえーこえー! まっ、お前と違って、こっちの連中は骨のない奴らばかりだからよ。心配いらねえよ。それに今の俺ってば、ドンの孫を秒で沈めて、一躍クラスの救世主&人気者になっちまってるからな。伝説の翔太ファミリー100人ができる日は近そうだぜ』
『まっ、でも楽しそうで良かったあ』
『ったりめーよ。俺様はどこに居たって瞬足でボスだからな! んで、そっちはどーよ?』
『んー? つまんない』
『なんだよ、どうした? なんかあったんか?』
『うん。だって、翔太がいないんだもん』
『まったく。お前ってやつは……』
『ねえ、会いたい。翔太に会いたい』
『急に甘えてきやがって……らしくねえじゃん』
『あれ~ひょっとして照れちゃったの~?』
『ばばばばばばっか! んなわけねーだろうが! 馬鹿で元気が取り柄のお前が柄にもなく元気ない感じに甘えてくるから、変なもん食ったんかなって心配してやったんだろうが!』
『もぉぉぉお! なんですぐそうやって言うの! バカ翔太!』
『う、うるせー!』
+
二日目の登校。今日も昨日と変わらず佳純と二人。そしてこれもまた、変わらずに――。
「剛場には逆らわない、はい続けて」
「剛場には逆らわない」
「ほらもう一回」
今日も昨日に続き、お経のように唱えさせられている。
「剛場には逆らわない」
「はい三回続けて~」
……これ絶対、嫌がらせでやってんだろ……。
そう思っても、佳純は真剣な顔で、どこか切なさも帯びている。
だから黙って言うことを聞く。
「剛場には逆らわない剛場には逆らわない剛場には逆らわない」
もはや念仏だ
「じゃあ次は……嘘つきは死ね。はい続けて~」
うっ……。
「どうしたの? 早く言いなよ?」
だからずるいって。そんな顔してんじゃねえよ。ったく。
「嘘つきは死ねえっ! 死ね死ね死ねーっ!」
大声でぶちかましてやった。
「あはは! なーにそれ。君って本当に馬鹿だよね」
「はぁ? 馬鹿って言うやつが馬鹿なんだぞ!」
ん……どっかで聞いたことあるセリフ言ってら。
でも、笑ってんじゃん。
「残念ながら佳純ちゃんは、聡明《ソーメー》でーす!」
ソーメンか。本当、お前はどっかの馬鹿と違って、察しもいいし頭も回る。ウドンじゃなくてソーメンって感じだよな。
「はいはい。で、次はなんて唱えればいいんだよ?」
「佳純ちゃんとの約束は死んでも守ります。はい続けて~」
「佳純との約束は死んでも守ります」
「佳純ちゃんを悲しませるようなことは絶対にしません」
「佳純を悲しませるようなことは絶対にしません」
勝てばいい。それだけの話だ。
「うん。どう考えても嘘つきは死ねだね?」
「なんでそうなるんだよ?!」
……って言っても、こいつが見ている景色は俺とは正反対なんだよな。
本当に、舐められたもんだよな。……なぁ、常夏。
+
教室に入るやいなや、待ってましたと言わんばかりに陽気なデブが声を掛けてきた。
「おっ、来たなシティボーイ! こっち来いよ!」
席にふんぞり返って、俺を手招きしてくる。
昨日は佳純んとこまで走ってったくせに、今日はずいぶんな差だな。
……用事があるならてめぇで来いっての。
「呼ばれてるよ? シティーボーイ?」
わかってるよな? って目だ。圧、すげぇ。
「へいへい」
まぁ、口が悪くて無邪気なだけっぽいからな。いきなりぶっ飛ばすのは可哀想か。
それに……喧嘩向きじゃねぇんだよ、こいつ。佳純にへこへこしてるの見りゃ尚更だ。
「ほら、自己紹介! 自己紹介!」
パンパンと机を叩くその仕草、やはりどこぞのピンク色の魔人。
まっ、挨拶くらいはキッチリしてやっか。
「おう。俺は冬雪翔太。前の学校では瞬足の翔太って言われてて、駆けっこをさせたら学年の誰よりも速かった。一等賞以外、取ったことはねえ! そして二つ名はカシオペア。誰よりも輝く一等星。それが俺だ! このクラスでも一等賞取るつもりだからよ、よろしくな!」
逆らうとか逆らわないとかじゃねえ。
対等かどうかだろ。友達になれるって言うなら、上も下もいらねぇ。あっちゃいけねえんだよ。
「だぁーーはっはっはっはははははっは!」
陽気なデブは腹を抱えて笑い、大げさに拍手した。
……取り巻きどもはポカン。俺は馬鹿にされていると思いムッとしたが、次の瞬間。
「おいっ、最高のスピーチだったろ? なんで誰も拍手しねぇんだ? なぁ、おい!」
「ご、ごめっぎああああ!」
たまたま一番近くにいた、駄菓子屋で見かけたノッポの肩を、容赦なくぶん殴った。
鈍い音と同時に、ノッポの体が後ろへ弾き飛び、背中から床にドンッと叩きつけられる。
……なのに。
誰ひとり駆け寄らない。代わりに、全員が笑顔になって、慌てたように手を叩きはじめた。ノッポも、息を荒げながら背中を押さえ、無理やり口角だけを上げて、カタカタ拍手している。
――なんだよ、これ……?
「悪ぃな、シティボーイ。どうにも他所もんを色眼鏡で見る腐った連中が多くて困っちまうよな。好きか嫌いか、気に入るか気に入らねぇか。それだけでいいと思わねぇか?」
いや……あれ。こいつ、ひょっとして。
「そういうことだ。おめえらの親や兄弟がなんつってようが、俺はこいつを気に入った。覚えとけよ?」
一瞬の沈黙。取り巻きたちの視線が、俺とデブの間を行き来する。
そして――。
「「「は、はい!」」」
声はそろっているのに、誰ひとり笑っていなかった。空気がぴんと張りつめたまま、全員が剛場の顔色をうかがっている。
なんかよくわかんねえ。相変わらず“こいつ”呼びされちまってるし。
まぁ、仲良くできるならそれに越したことはねえが……。
んでよ。だからお前はそんな顔で見るなよ。……佳純。
+
朝から濃い出来事が続いたが、二日目の今日からは平常授業。しかも一時間目は体育だった。
ここで俺は、瞬足の本領を発揮してやった。
スタートからゴールまで、風を切る音しか聞こえない。ゴールした瞬間、クラスの空気が変わったのがわかった。
そして授業が終わり教室に戻ると――。
「チーター! お前、マジでカッケーな! シティボーイっつーから、腑抜けた野郎が来るかと思ってたが……最高だぜ!」
「ああ、そうかよ。褒めてくれてんならサンキューな。……つーか、その呼び方やめろって。恥ずかしいんだよ」
「その口が悪ぃ感じも、嫌いじゃねえ! まっ、仲良くしよーぜ!」
……意外にも友達になれたのかもしれない。
なら、あれだ。取り巻きにキツく当たるのはやめさせねえといけねえ。よそ者だからって冷たくされるのは我慢できる。でも、一方的な暴力だけは話が別だ。
殴り合いは構えてやるもんだ。相手が何もできねぇままやるのは、ただのイジメだ。
そんなん、あいつが知ったら絶対に怒るからな。
……なんて、思っていたのに。
「なぁチーター? 喉乾いただろ? ジュース奢ってやるよ。ほら、買ってこい」
言うなりいきなり千円札を突き出してきやがった。
「お前らも飲むかー?」
「「「はい!」」」
「じゃあチーターに飲みたいもん教えてやれ。こいつは宅急便よりもはえーぞ! ははっ」
……買ってこい? 俺が?
あまりのことに目を瞬かせたせいか、剛場はニヤリと得意げな笑みを浮かべ、
「あぁ、千円じゃ足らねえか。悪ぃな。じゃあもう千円っと。釣りはいらねえから、ささっと行ってこいチーター。お前の歓迎を兼ねての乾杯だ。遠慮はいらねえよ!」
……違うだろ。そうじゃねえだろ。
千円増やすとか、そういう話じゃねえんだよ。
正気か、こいつ。
自覚してんのか? してねえよな。
やっぱり、冗談じゃねえ。こいつ……無邪気の化身だ。
「転校生! 俺コーラな!」
「僕はミルクティー!」「じゃあ俺はサイダー!」「俺もコーラ!」
……いや、こいつらだな。
揃いも揃って当然みたいに言いやがって、しかも年下まで平然と仲間入りしてくる。
俺はお前らの使いッ走りじゃねえだろうが。
「おい、チーター? さっさと行けよ? 休み時間終わっちまうぜ?」
「飲みたきゃ自分で買って来い。なんで俺が買いに行かなきゃいけねぇんだよ」
当たり前のことを言っただけだ。けど、こういうのはハッキリ言ってやらねぇと、こいつら一生気づかねぇ。
次の瞬間、剛場の口元から笑みが消え、ポカンと開いた口がゆっくり閉じる。
「あぁ……? なんだって? 今こいつ、なんつったんだ? よく聞こえなかったなぁ……。俺に行けって命令したのか?」
声が一段低くなった瞬間、取り巻きたちがざわつき、空気がピリつく。
……だから“こいつ”呼びすんなっての。
するとノッポが慌てて口を開く。
「す、すぐに買ってきますって言ってましたよ!」
「だよな。安心したわ。いけねーいけねー……空耳が聞こえて、あやうくぶち切れそうになっちまったぜ、なあ、おい!」
ドガッ。
剛場の拳がノッポの肩を打った瞬間、ノッポの体が派手に吹っ飛び、床に転がる。
「ぐっはぁぁあああ!」
……誰一人としてノッポには駆けよらない。
代わりに、じりじりと俺の周りを取り囲んでくる。
「早く行けよ、転校生」
「そうだぞ、頼むから行ってくれ」
「おいおい勘弁してくれって、マジで」
「お前、状況わかってねぇのか?」
「冷静に考えろよ。タダでジュース飲めんだぞ?」
「な、行けって」
「空気読めよ、他所もんが」
「……死ね。控えめに言って死ね。波風立てんな、死ね!」
吐き捨てられる声が、背筋をじわじわと冷たくする。
……なんだ、こいつら。気持ちわりぃ。
俺を取り囲む腕や肩を、ブォンと薙ぎ払う。
「うるせぇ! 行くわけねぇだろうが! てめぇで行けって言ったんだよ! ガキの使いじゃねえだろうが! それから俺は、こいつじゃねぇ! 冬雪翔太だ!」
胸の奥がカッと熱くなる。
こんなの、どう考えても間違っている。
……シン、と音が消えたように、教室が静まり返った。
全員が一斉に視線を逸らす。剛場を見る者も、俺を見る者もいない。
ただ一人を除いて。
そいつは、先ほどまでの心配や不安をすっかり消し去り、ただただ鋭く、冷めきった目で俺を射抜いていた。
悪いな、佳純。
でも――。
俺は瞬速の翔太。
光輝く一等星、カシオペア。
こんなもん受け入れたら、ファミリーにも……あいつにも顔向けできねぇ。
だから剛場は、俺がぶっ飛ばす。