顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。 作:おひるねzz
視界から――。佳純の姿が、消えた。
「……っ、ひぐっ、すんっ」
尚も俺は綾瀬の体を支え、胸に寄せられた顔をそのまま受け止めていた。
彼女の涙が服に触れ、熱と鼓動がじかに伝わってくる。
その静けさを断ち切るように、階段を下りてくる足音が響く。
がらんとしたホームに、その音だけがやけに大きく反響する。
帰宅時間とはいえ、急行の止まらない田舎の駅。
吹き抜ける風がベンチの影を揺らすほかに、人影はほとんどない。
……なのに。
なぜ佳純は、反対側のホームに居たのか。
どう考えても不自然だ。
しかもあの、薄気味悪い笑顔――。
……いや。関係ねえ。
あいつ彼氏いるし。俺がとやかく言われる筋合いなんて、ないだろ。
だからそのまま、俺は綾瀬の頭をさすり続けた。
その動きに呼応するように、綾瀬の両腕が指先まで力を込めて俺を抱きしめていた。
息づかいが近くて、胸の奥に重さがのしかかる。
そして――。
彼女が姿を現した。
真っすぐ視線を外さず、変わらぬ笑顔のまま近づいてくる。
綾瀬をさする俺の手と、抱きつく彼女の腕を一つずつ確かめ、それを肯定するみたいに笑った。
「ねぇ~、わたしって君のなに~? 姉? 幼馴染? それとも単なる同級生?」
笑みを崩さぬまま、ゆっくりと近づいてくる。
足音が、人気のないホームに不気味に広がるーー。
綾瀬も反応し、顔をあげて俺と佳純を交互に見た。
視線が、絡み合う――。
……なんでだよ。お前、彼氏いるのにどうしてそんな言い方ができるんだよ。……ふざけんな。
そう、思ったのに――。返す言葉は喉につかえて出てこない。人と距離を置いてきたツケが、また俺を黙らせる。
結局。出てきた言葉は、どうしようもないものだった。
「急に何言い出してんだよ……」
「じゃあ彼女だ?」
「はぁ?! え、な、なんでそうなるんだよ?!」
頭の中が一瞬でぐちゃぐちゃになった。彼氏いるのに、お前……何言ってんだよ?!
「うん。否定はしないね。しないんだよね、君は。いっつも!」
「……いや、ちょ!」
ちょ、え?! まっ……!
どうしてだよ。いいかげんにしろよ、俺――。
聞きたいことも満足に聞けないのかよ?! なぁ、おい?!
何ひとつ声にできない間に、佳純の手が伸びてきて――。
「ってことだから、ばいばーい」
「……は?」
綾瀬の肩をつかむと、俺から無理やり引きはがし、そのまま背中を突き飛ばした。
「ひゃぁっ……」
綾瀬は小さく悲鳴をあげ、よろけて尻もちをついた。
見上げてきたその瞳は大きく揺れながら俺を捉え、声を失っていた。
さきほどまでとは違う、別の色の涙をにじませて――。
俺はとっさに駆け寄り、背中をさすりながら「大丈夫か?」と声をかけた。
しかし綾瀬は言葉をつぐむように俺を見つめると、ばっと隠すみたいに、肩へ顔を埋めてしまった。
俺は声を張った。張らずにはいられなかった。
「なんてことするんだよ?! 危ないだろ?!」
佳純は薄ら笑いを浮かべ、冷えた目で綾瀬を見下ろした。
「へぇ、そっちに行くんだ? こーんな涙に訴えてくるような女、ろくなもんじゃないよね? わたし、嫌いなんだよね。男の前ですぐ泣く女」
肩に埋めた顔が小さく震え、そのまま細い指が俺の服をぎゅっと掴んできた。…………綾瀬。
堪えきれず、声を張り上げる。
「ただちょっと、涙もろいだけだろうが!」
けど、その声は情けなく響くだけだった。
弱い。あまりにも弱すぎる。
こんなんじゃ、佳純には届かない……。
「うわっ。そんな見た目になって、女を見る目までなくしちゃったんだぁ?」
「い、いいかげんにしろよ?!」
全力で声を張っているのに、ぜんぜん足りない。
言葉に重さもなく、空気を震わせるだけで終わってしまう。
口下手になり果てた自分が、心底いやになる。
そんな俺の姿をじっと見つめ、ただ一言だけ吐き出した。
「常夏花火」
その名はなによりも強烈で、胸の奥を一瞬で撃ち抜かれた。
「な、な、なんでその名前が出てくるんだよ?!」
わかっていたはずなのに。
佳純の口からその名前を聞いた瞬間、胸を鷲づかみにされ、息が詰まり、視界が揺らいだ。
「ださくなったね、君って。名前聞いただけで取り乱し過ぎでしょ。もういいんじゃない? その子で。今の君と、すっごくお似合い――」
パチンッ。
乾いた音がホームに響いた。
心臓が跳ね、体が固まる。
俺の肩にしがみついていた綾瀬が、ふいに体を起こし、そのまま小さな手を佳純の頬に叩きつけた。
「ここで花火ちゃんの名前を出すのは卑怯だよ!!」
潤んだ瞳を見開き、声を振り絞る綾瀬。
突然のことに、息を奪われていると、
――――バチィィンッ!!
今度は空気を裂くような音が響き渡った。
容赦ない佳純の一撃が、綾瀬の頬を打ち抜いていた。
痛みに顔をゆがめ、地面に崩れ落ちる。
それでも必死に、震える声を張り上げた。
「だって……だって……叶わない恋だって、翔太くんが一番わかってるはずだもん」
その言葉が胸を締めつける。
二人を止めなきゃいけないのに。動けず、ただ――。息だけが荒くなる。
「なに、その決めつけ?」
佳純の言葉は綾瀬に向けられているはずが、視線は俺を射抜いていた。
「ほんとうのことだもん……」
苦しげに言う綾瀬の姿が、さらに胸を締めつける。
佳純の視線は尚も俺を離さない。
……お前の言いたいことはわかっている。けど――。
言葉は喉につかえて出てこない。その沈黙を鼻で笑い、佳純は吐き捨てるように続けた。
「あ、そう。なんでもいいからさ、ほら、早く泣きなよ? さっきみたいにワンワン泣きなって? そしたらまた、そこの男が寄り添ってくれるよ?」
言葉が途切れ、空気が張り詰める。
佳純はそれすら楽しむように、容赦なく続ける。
「どうしたの? 足らないなら泣けるように、もう一回叩いてあげようか?」
「……泣かないもん。好きにすればいいじゃん」
「へぇ」
バッチ――――ンッ!
衝撃が再度、響き渡る。
まさかにも思わなかった。
なんの躊躇もなく二発目も振り下ろすなんて――。
「ちょっ! おまっ……もうやめろって!」
気づけば佳純の腕を掴んでいた。
綾瀬は今にも泣き出しそうな顔で、必死に堪えている。
その様子を眺め、佳純はにやりと俺に視線を移す。
「ほら、さっきみたいに抱きしめてあげなよ?」
俺の腕を振り払うとそのまま、綾瀬のほうへと押し出した。
綾瀬は叩かれた頬を押さえ、痛みに顔をゆがめながらも、俺に指先をゆっくり向けてきた。
震えるそれは、来ないでと告げていた。
そこへ畳みかけるように、佳純の声が落ちる。
「負け犬同士で寄り添って、傷の舐め合いっこでもしてろって言ってんの。さっきはあんなに幸せそうにしてたじゃん? なんでやらないの?」
「……やめろよ、そういう言い方。俺はともかくとして、綾瀬は違うだろ。……負け犬は、俺だけだ」
「は? おこぼれちょうだいの犬なんだから、その女だってどう考えても負け犬でしょ。……ひょっとして気づいてなかったの? ほんと、女を見る目なくなっちゃったねぇ」
「……いいかげんにしろよ。いくらお前だからって、これ以上好き勝手言うなら、許さねえっ!」
「ふぅん。こんなんだったらあの日、もっと早くに落としとけば良かったね?」
なっ……?!
「それを言うのはちょっと、ずるいだろ……」
「なにが? 自分で一番よくわかってるでしょ? いちいち言わせないでよ。めんどくさいな」
お前の言いたいことはわかってる。でも――。
「……俺だってやれることはやったよ。進学校に入学したよ。でもあいつは勉強でも俺よりずっと先に居たんだよ?! これ以上、どうしろっていうんだよ?!」
「で? 大学受験まで時間はたっぷりあったよね? なんで諦めてるの? な・ん・で?」
……は?
「なんでって……」
「進学校に入学出来て舞い上がりでもした? これでやっと肩を並べるーって? ひょっとして行き着いちゃったの? まさかそんなバカじゃないよね? で? それで? ねぇ、な・ん・で?」
……なんでって。
「あのさぁ、なんで、途中で諦めてんだって、言ってんの?! 君さ、今いくつ? 大人になるまであと何年あると思ってるの? 悪いけど、今の君よりわたしや剛場のほうが、ずっと勉強もできるからね」
「……だって、あいつは特進クラスで」
「そんなこと聞いてないから」
「天界の御方で……。俺なんかじゃもう、手が届かなくて」
「は? だったら死ねよ? なんで生きてんの? 君の覚悟ってそんなものだったんだ?」
考えなかったわけじゃない。
でも……爺ちゃんの船を継げば、お前や剛場とまた同じ時間を過ごせるかもって。帰る場所って言ってくれたから。……帰って来たら殺すって言ってたけど、あのときのお前、泣いてたから。
なのに、なんで、どうして……そんなこと言うんだよ。意味わかんねえよ……。
……あっ。五球瑠偉――。
胸の中で、なにかが音を立てて折れた気がした。
視界が揺らぎ、息が詰まる。
こらえきれず、熱がこみ上げてくる。
あれ……だめだ。これ、だめなやつだ。
とっさに背中を向けたときだった――。
「もうやめて!! 今の翔太くんの姿を見てなんとも思わないの?! 死ねとか簡単に言うの、よくないよ!!」
綾瀬が涙声で叫んだ。
すると佳純は、ぽつりとこぼした。
「あーあ。いいところだったのに」
その声には、さっきまでの鋭さはなく、どこか切なさがにじんでいた。
……いいところって、なんだよ?
まさかまた、手のひらの上だって言うのか?
これだけのことをしておいて?!
それを証明するように、次の瞬間には――。
「ああね。今ならわたしでもいけるって? あ~落ちてきたなあって? それを、おこぼれちょうだいのワンコだって言ってんの。察しが悪い女だなぁ」
まるで計画を切り替えたかのように、綾瀬へと標的を移した。
「そんなこと思ってないもん。翔太くんは今も変わらず格好いいもん」
「は? 変わらずって、なにが? 今のどこを見たらそう思えるの? はっきり言ってやばいよ? 前髪の長さとか普通に気持ち悪いからね? どこからどうみてもオタク君じゃん」
「そんなことない! 髪型なんて関係ない! 翔太くんは翔太くんだもん!」
「いらいらするなぁ。つまりなに? 君にとって翔太くんはなんなの? 好きなの? 嫌いなの? ていうか、嫌いなんでしょ? はっきり言っちゃいなよ? 勘違いされたままだと後々、面倒なことになるよ? この手のオタク気質な男ってすーぐ勘違いしちゃうから。ほら、言いなって、早く言っちゃいな? 嫌いだって、ほらほらほらぁ?」
あっ。まずい――。そう思ったときには、もう手遅れだった。
「好き! 翔太くんはわたしにとってずっと変わらず王子様なの!! ずっとずっと前から翔太くんのことが好きだったの!! 見た目とかそんなの関係ない! 初恋の人ってそういうものでしょ?! もうなにがどうなったって、好きなものは好きなの……好き過ぎて辛いのぉ……ふとしたときに思い出しちゃって、ほかの人なんて好きになれないのぉ……」
……綾瀬。俺、ここにいるんだよ……。
それはもう、ほとんど告白だった。
綾瀬は気づかぬまま、佳純の仕掛けた罠に落ちていた。
完全に佳純の手のひらの上だった。
答え合わせを示すように、佳純はふいに笑みを浮かべる。
花が咲いたようなその笑顔が、どうにも不気味でならない。
「も~それを最初に言ってよ! 悪い女が寄り付いちゃったのかと思って、お姉ちゃんは心配しちゃったんだよ〜」
ぞくっとした。まるであの日を思い出すようだった。
今、彼女の中のもうひとりが、存在をはっきり主張してきた気がした。
俺もまた、彼女の手のひらの上に乗せられている。……しかも今回は、綾瀬まで一緒に。
……俺が、巻き込んでしまったんだ。
台本は破られた。新しい幕が開き、綾瀬がそこに立たされている。
「ごめんっ。わたし、晴海佳純! 翔太くんのお姉ちゃんみたいな? 感じでやってますっ! だからさっきまでキツく当たってたのは、試してたって言ったら信じてもらえる? 悪いことしたなって自覚はあるから……本当にごめんね?」
恐ろしいものを、見ている気がする。
「え……?」
綾瀬はぽかんと目を丸くすると、佳純のまわりを一歩二歩と回り込み、まじまじと眺める。
そしてなぜか、佳純の頬をつまんでぐりぐりし、首をかしげた。
「夢じゃないよ? それに、人の頬で試すんじゃなくて自分のでやるものだよ? ……えっと、またやり返されたいのかな? 百倍返しだぞ? なーんてね」
「あっごめんなさい! わたしは綾瀬雫です! よろしくお願いします! まさか翔太くんにお姉さんが居たなんて!」
いや、実の姉ではないんだよ?!
ていうか、綾瀬……。またやっちゃってるよ……。
「うん。いいのいいの。わたしのほうがビンタしたの一回多いからね? だからこれでチャラってことでね? わかったら、つねってる手、離してくれるかな? 普通に痛いからね? 結構痛いよ? さっさとやめようね?」
「あっ、ごめんなさいお姉さん!」
しかも、これ絶対誤解してるよね?!
でも……どうにも、それを今伝える気にはなれなかった。
歪で無理のある関係だとしても、曲がりなりにも二人が仲良くしているのであれば、着地点としてはきっと悪くはない。
それに――。
「はいはい弟君はさ、卑屈になってないで好意は受け取るべきなんだよ。ってことでさっそく! 今週末は二人でデートに行ってくること~!」
「で、で、で、でーとぉ?!」
佳純は絶対に間違わない。
あの日がそうだったように。
今日の出来事が単なる佳純劇場だったとしたら――。
俺はまた、救ってもらえる。
でも、心を計算に入れていない気がしてならない。
どんなに感情を操れたって、最後に残るのは心だ。
……たぶん。綾瀬は俺に告白したとは思っていない。
それに彼女には、秘儀『聞かなかったことにして』がある。
お前が思っているよりも、綾瀬はずっと強い子だよ。俺なんかよりも、ずっと――。
なぁ、佳純。
俺の心は、計算に入れてくれているか?
……俺はさ、お前が居なくなったら嫌だよ。
……どうして、五球瑠偉なんだよ。
挑むには、あまりにも高すぎる壁だった。