顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた暴力系女子と疎遠になって六年──。俺は陰キャになり果て、彼女は清楚可憐なS級美少女に変貌を遂げていた。……うん。見つからないように、影を潜めて生きていこう。   作:おひるねzz

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第25話 佳純劇場第二幕、裏側

 

 初めてのジャグジーにおっきなベッド。

 そして、使い放題のマッサージチェア。

 

 二時間で三〇〇〇円の元をしっかり取った俺らは、湯気とマッサージの余韻をまとったままホテルを後にする。

 体はぐったりなのに、隣の佳純は妙に元気だ。

 

 だからこそ――。

 

「ちょ、おま! くっつくなって!」

「え~、なんでなんで? いーじゃんっ」

 

 ホテルを出た途端に、これだ。

 部屋から出口まで普通に並んで歩いてたのに、これだよ。

 

 ……まぁ、別にもう、いいのか。

 

「諦めるの早っ! もう少し嫌がってみせてくれないと、やりがいないじゃん!」

「よくよく考えたら別に嫌じゃないなって」

「うわぁ……。お昼寝コース満喫した男のセリフじゃないね?」

「かもな!」

 

 心は晴れていた。

 自分を殺して縮こまる。

 抜け殻のような毎日は終わった。

 

 とはいえ――。

 

 なにから手を付ければいいのやら。

 赤点ばかりで授業にすらついていけてないからな。過ぎるのは時間だけで、夢も未来も――。大切なものすべてが、ただ、遠ざかるばかりの毎日だった。

 

 だからさ。

 

 明日からがんばるとか、今日からがんばるとか、そんなありきたりな言葉を掲げるつもりはない。

 

 今、この瞬間を大切にしたい。

 

「あーらら。一皮むけちゃいましたか?」

「どうだかな?」

「今の君、ラブホに行って人生変わりましたーって顔してるよ? その隣を歩かされてるわたし、とっても恥ずかしいです……。道行く人の視線が……痛いよぉ……」

「ば、バカ! な、なんでお前はすぐそうやってからかうんだよ!」

 

 俺が焦っているのを見て、佳純はうつむいたままクスクスと笑うと、いきなり一歩前に出て、くるりと振り返った。

 

「では、ここでひとつ問題でーす!」

 

 指を一本立て、先生気取りでその場の空気を一気に仕切り直した。

 

「クエスチョン! なぜ、可愛い可愛い佳純ちゃんは、綾瀬さんと抱き合う不届き者との現場に遭遇できたのでしょうか!」

 

 そういえば……。

 なんて思っていると、次の台詞が落ちてきた。

 

「ヒントその一。佳純ちゃんは見た! 駅のホームでひとり寂しく電車に乗りそびれる、情けない男の姿を!」

 

 は?

 

「一本のみならず、二本、三本と過ぎ去る電車! この男、正気か? と呆れつつも、優しい佳純ちゃんは影からそっと見守っていたのでした!」

 

「……いや、普通に声かけろよ?」

 

 つーか、誰のせいでそうなったと思ってるんだよ……。

 

「ヒントその二! 真の盗撮魔は足をひっかけて転ばせるーっ! からのシャッター連打! パシャリ・パシャパシャパシャ! 匿名掲示板に晒してご臨終――!」

 

 え? まっ?

 

「ヒントその三! 甘ったるい青春に溺れる不届き者を正面から覇気で睨みつける――! は・ず・が! 階段脇で二人だけの世界に入り込まれて、可愛い佳純ちゃんは視界から完全シャットアウト! 急遽反対口のホームへダッシュ! 健気で可愛い可愛い佳純ちゃん! 階段の上り下りがんばれがんばれファーイト!」

 

 まじかよ……。あのときゾッと寒気がしたってのに、裏側を聞いてみれば、案外しょうもない……。

 

「ほらほら、一緒に応援して! がんばれがんばれファーイトって!」

 

 え。

 

「ほらほら! 早く早くー!」

 

 ちょ、なんなんだよ、マジで!?

 

「がんばれがんばれ……? ふぁー……いと?」

「はい、もう一回! もっと元気に!」

 

「がんばれがんばれ、ふぁーいと!」

 

 いやいや、これ……なに!?

 

「佳純ちゃん元気注入〜! ってことで〜!」

 

 ……いや、注入って。

 呆気にとられてる間に、もう次の話題に移されていく――。

 

「ヒントその四。ようやく不届き者に存在を認知された佳純ちゃんは薄気味悪く笑って、今度は自らで姿をシャットアウト! そして元いたホームに戻ると決め顔で言うのです『ねぇ~、わたしって君のなに~?』佳純ちゃんの登場、ここに極まれり! ぱちぱちぱちぱち~! さぁ、なぜ佳純ちゃんは現れることができたのでしょうーか! 回答どーぞ! どどんっ!」

 

「いや、もうそれ、答え言ってんじゃねえか!」

 

「では、思うがままに、お答えいただきましょう!」

 

 なんだそのドヤ顔。

 クイズっぽく仕立ててるけど、問題にもなってねえだろ!

 

「いや、だから! 電車に乗りそこねた俺を、つけてきてたってことだろ?」

 

 単なる事実。それが答えだ!

 

「ファイナルアンサー?」

 

 な、なんだよこの、ノリ……。

 

「ファイナルアンサー!」

 

「……………」

 

「……………」

 

 沈黙、長いって……。

 

「……………」

 

 おいおい、どこまで引っ張るんだよ?

 どう考えても正解だろ!?

 

「…………」

 

 まだか? まだなのか?

 

「…………」

 

 そろそろ一分経つぞ……?

 

「…………」

 

 やばい、切れそう……。

 なんだこの感覚。むずむずしすぎてやばい。

 

 も、もう限界だ!

 

 と、次の瞬間――。

 

 

「お昼寝コース君っ! よく待てました〜! 待てができてえらいえらい! はーい! では、ごほうびの…………ぶっぶー! ざぁんねん不正解でしたー!」

 

「おおーい! んなわけないだろうが!!」

 

「事実は事実だしぃ〜! 我慢だけは上手にできるお昼寝コース君には特別に種明かしぃ~」

 

 にやにやしながら、俺のスクールバッグのサイドポケットに指先を滑り込ませた。

 

 なにしてんだ……? 

 なんて思っていると、器用になにかをつまみ出した。

 

「じゃーん! 正解はスマートタグを忍ばせていたのでした~! 佳純ちゃん、やっるぅ〜!」

 

 指先に挟まれていたのは、小さな銀色のプレート。

 

 ……なにそれ?

 

 思わずぽかんとしているうちに、佳純の口が先に動いた。

 

「つまり偶然に君を見つけた訳ではなく、これは必然。君の行動は最初からバレバレだったのだよ! わっはっは! 佳純ちゃんの大勝利ぃ~!」

 

 すげー勝ち誇った顔……。これは、やばいな。

 

 なんだよ、その銀色のプレート……。

 

 人とろくに話して来なかったツケが、こんな形でも回ってくるのかよ。

 

 ここまでノリノリで引っ張って、ちゃんと落ちまでつけてくれたってのに……。理解できないってんじゃあ、どうしょうもねえ……。

 

 今どきギャルと陰キャの見えない壁ってやつを、もろに突きつけられている気分だ。

 

 わかっちゃいたけど、勉強だけ頑張ればいいってもんじゃ、ないよな。

 

 腐っていた時間の代償を知るには、きっとまだ早い。

 俺はかつての日常のほとんどを失った。

 

 正直、失いすぎて、何をなくしたのかもわかっちゃいないんだ。

 

 ぜんぶを取り返そうとも思っちゃいない。

 それは、きっともう無理だから。

 

 でも、せめて――。

 当たり前に、お前と笑って話せるくらいには、取り戻したいと思っている。

 

 んで……。

 

 はてさて、どーすっかなぁ……。

 

「おやおや? いつの間に仕込んだんだって顔してるね~? こ・れ・は! オタクくんさあ! 二郎でも食べて男になりなーのときにくっついたときでしたー!」

 

「あー、あのとき……!」

 

「そそ! 肘に胸押し当てられて、顔真っ赤にしてたときだよね! お昼寝コース君じゃ気づけるわけないよー。童貞丸出しでおどおどしてたからねー。お昼寝コース君じゃ仕方ないよねー」

 

「ほんと、その呼び方やめて?!」

 

「あははっ。やめなーい! だって事実だしぃ!」

 

 って、言っても――。今どきギャルでも佳純は佳純だよな。

 俺らの間に壁なんてない。情けない今の俺も、あいつは笑いに変えて受け止めてくれる。

 

 つまらないこと考えて縮こまるなんて、そんなのお前は望まないよな。

 

 それに。前向くって、決めたなら――。

 

 進まないとな!

 

「つまりそれは、お守りってことでいいのか?」

 

「え……? お守り?」

 

 佳純にしては珍しく、きょとんと目を丸くした。指先で小さなタグをつまみ、ひらひらと揺らす。

 

 ありのままの俺でいい。

 思ったことを、そのまま言葉にすればいい。

 気を遣う必要なんて、どこにもないんだ。

 

 佳純ならぜんぶ、受け止めてくれる!

 

「だって、それがあったから今こうして、一緒にいられるわけだろ? 俺、なんか間違ってるか?」

 

 何故か佳純は何も言わず、じっと俺を見つめてきた。

 

「………………」

 

 かと思ったらすぐに、くすっと笑って、いつもの調子に戻った。

 

「まぁね? これがあったから可愛い可愛い佳純ちゃんに会えたわけだからね? なになに~ひょっとして欲しいのかな? だったらあげるけど! なーんて」

 

「さんきゅ! 大事にするからな!」

 

 結局、これがなんのかわからずじまいだけど……ま、いっか。と思って、くれくれと手を出したら――。

 

「ちょっとタイム! そうだよね! 君、スマホ持ってないから、なにかわかってないんだよね! ごめんっ。盲点だった〜。ほんっとにごめん! これはね、お守りなんてものじゃないんだよ。まあ確かに、親が子供にお守り代わりに持たせるなんてことはあるかもしれないけど! そんなかわいいものじゃないの!」

 

「ど、どうした? めっちゃ早口じゃん……?」

 

 佳純らしからぬ慌てぶりに、胸の奥がざわつく。

 

「いや、だって……君。今、とんでもない過ちを犯そうとしてるから!」

「え……」

 

「それを持ってると、わたしのスマホに君の現在地が年中無休で丸見えになるの。リアルタイムで、ずっとだよ?!!」

 

「へぇ、で?」

「で、って?」

 

「でっていう?」

「で……?」

 

「そうだぞ?」

 

「いやいやいやいや! どこぞの束縛ヤンデレ彼女じゃあるまいし、って話だよ?」

 

「ごめん。よくわからないんだが、お前に俺の居場所を知られることの、どこがまずいんだ? 逆に安心というか、金城鉄壁というか……普通にお守りだろ?」

 

 佳純の肩がふっと緩んだ。

 

「あっ……あー……」

 

 何か言いかけて、言葉を詰まらせた。

 それでも納得したような顔で、ぽつりと漏らす。

 

「……ほんっと、君ってさぁ」

 

 小さく、呆れたように笑った。

 

「な、なんだよ?!」

「もういい。あげる! はい、どーぞ!」

 

「そんな投げやりに渡さなくてもいいだろ! でも……ありがとな! 大事にする!」

 

 小さく息を吐いて、佳純は一瞬だけ――。

 困ったような、それでいて嬉しそうな顔をした。

 

「て、ていうか、君さっ! も、もう、いいんじゃない? スマホ買っても! そしたら、声くらいならたまに聞かせてあげないこともないよ?」

 

 俺は首を横に振る。

 

「……頑なだなー」

 

 もう、間違えることはないけど――。

 きっと、お前からの連絡を待つようになる。

 

 でもそれは、今じゃない。

 欲しがるのは、すべてが終わったその先だ。

 

 それに――。

 

「どーしても声聞きたくなったら、家電から掛けるから、番号教えてくれ!」

 

 電話はスマホだけじゃない!

 綾瀬とも家電で番号交換できたしな!

 

 思えば立派な電話機じゃねぇか!

 

「なーんか、それは違うんだよなぁ……」

「は? 固定電話なめんな! スマホも電話機なんだから一緒だろ!」

「平成っていうか、それ……昭和……? あの、今。令和でーす」

「勘違いするなよ? 爺ちゃん家にあった黒電話じゃないからな? ナンバーディスプレイ付きのデジタル電話だぞ?! すげーんだからな!」

「あー……。これは勉強の前に、佳純ちゃんによるスマートフォン講座が必要かな?」

「馬鹿にしてる?」

「もちろん!」

「おまっ! ふざけやがって!」

 

 

 

 このまま、時間が止まればいいのに。

 

 

 

 

 

 俺の中の冬雪が許してくれない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  +++

 

 どうやら佳純は、修学旅行の帰りだったらしい。

 とはいえ、ちょっと語弊がある。旅行先は京都で、帰り掛けに立ち寄ったわけでないってことだ。

 

 大方、剛場が一枚噛んでいるのだろうなとは思う。……まっ、元気そうでなによりだ。

 

 

 んで、今日はうちに泊まることになった。

 帰宅したころには、すっかり夜。時刻は九時を回っていた。

 

 玄関のドアを開けると、そこにいたのは義弟の健吾。まさかの鉢合わせだった。

 

 目が合った瞬間、いきなり怒鳴りつけられてしまった。

 

「お前、何時だと思ってんだよ? 連絡くらいしろよな? 母さんが心配す……」

 

 急に口を噤んで、石みたいに固まった。

 

 何事かと視線をたどれば、そこには佳純。

 

「……お、、女? 兄貴が……?」

 

 俺と佳純を交互に見やると、最初こそ驚いた表情を見せたが、すぐに鼻で笑った。

 

「レンタル彼女ってやつか? くだらねーことに金使ってんじゃねえよ、気持ちわりぃ」

 

 ここにもツケがひとつ、か――。

 健吾は、昔っから俺に当たりが強い。

 中学までは受け止めてたけど、高校に入学して腐ってからは言い返す気力もなくなって、関係は一方的になった。

 

 三歳違いで、健吾が中学に上がって少しやんちゃになった頃と、俺が腐りかけていた時期が重なったのもあるのだろうが、酷い有り様だな。

 

 正直、今さらこいつとの関係を修復するつもりはない。

 でも、この一方的なサンドバッグ状態だけは放置できない。

 

 俺はあまりにも、受け入れすぎてきた。

 

 こんなのは氷山の一角に過ぎない。学校に行けば、似たような問題が山積みになっている。

 

 ……やれやれ。前途は多難ってやつだな。

 

 そんな――。物思いに耽った一瞬の隙に、佳純が俺の腕にそっと抱きついてきた。

 

 あ、これはまずいと思ったときにはもう、手遅れで――。

 

「ラブホ寄ってたから遅くなっちゃったの。無断でお兄ちゃん借りちゃって、ごめんねっ?」

 

 言いながら、頬を赤らめているふうに、俺の腕に顔を隠す。見事なまでの恥ずかしがる女子を演出しながら、わざとらしいほどのボディタッチを織り交ぜて、レンタル彼女を否定する。

 

 もはや、その二枚舌ぶりと役者っぷりには呆れるを通り越して、尊敬すら覚える。

 

 すると健吾は――。

 

「嘘、だろ……」

 

 まるでこの世ならざる者でも見ているかのような、奇異な目を向けてきた。

 

「ねぇ、早く部屋行って続きしよ……?」

 

 これみよがしに佳純が畳みかけてくる。

 

 正直。このまま部屋に行ってしまいたいところだが、母さんもいる手前、誤解させたままにはできない。

 

「いいかげんにしろ!」

 

 佳純の頭をぽんっとして、健吾に声を掛ける。

 

「佳純だよ? 覚えてないか?」

 

「か、かす……み、さん?」

 

 まあ、その反応はわかる。

 

「今はギャルになっちゃってるからピンと来ないかもしれないけど、俺らが初めて会ったとき、女の子も一緒だったろ? 忘れちまったか?」

 

「あ、あぁ……」

 

 どうやら健吾の中で記憶が繋がったらしい。けれども、佳純の表情は何故か不機嫌だった。

 

「……ねえ、今なんて言った? ギャル?」

 

「お、おう。ギャルって言ったが?」

 

「ちょっと待って。ギャル判定おかしくない? 爪も普通だし、メイクもナチュラル。髪だって派手な色じゃないし? それに、なんてったって黒靴下だよ? わたしって普通に清楚系じゃん?」

 

「……は?」

 

 つまりは清楚系の、ギャルってことだろ。

 

 なんて思って、言葉を失っていると――。

 

「あー……。わかっちゃったかも。スカート折って髪染めてたらもうギャルだ? オタク君のギャル判定って感じ~」

 

 いたずらっぽく笑ってから、佳純はふっと目を細める。

 

「まっ、佳純ちゃんは~君のためなら、黒髪にだってなるし、スカート折るのだってやめるよ? 君が一番好きな姿になってあげるから、なんでも言ってね?」

 

 あれ……。怒ってる?

 もしかしてギャルって言ったのが、まずかったのか。

 

「ありのままでいいよ。佳純は佳純だろ? 俺のために見た目を変えたら、それはもう俺の好きな佳純じゃない。……つーかギャルとか言ってごめんな。似合ってるし、普通に可愛いと思ったから、NGワードだって気づかなかった」

 

 言いながら、自分でもちょっと照れくさいと思った。

 でも、これだけはちゃんと伝えておきたかった。

 

「まっ、今の俺ってさ、オタク君だし、いろいろ教えてくれると助かる」

 

「……もう、君はすぐそうやって。反応に困るんだから、バカ……」

 

 空気がゆるんだところで――。

 

 健吾が突然、声を荒げた。

 

「……おかしい。絶対おかしいでしょ、佳純さん? なんでこいつと普通に喋ってるんですか?」

 

 こいつ、か。そんなふうに俺は呼ばれてたのか。

 耳を傾けて来なかったのだから仕方ないが、昨日までの俺はまったく気にもならなかった。……言っても今だって気にならないけど、だめだってことはわかる。

 

 剛場に逆らったときとはわけが違う。これは、俺が向き合わずに逃げてきたツケだ。

 

 俺は――。虐げられることにも、慣れてしまっている。

 

 ……どう考えても、よくないよな。

 

 そう思ったところで、またしても佳純に先手を取られてしまう。

 

「あれあれ~? 昔は佳純ちゃんって呼んでたのに、どうしちゃったのかな? さん付けだなんて、なーんか距離、感じちゃうなぁ」

 

「あ、あの頃は子供でしたからね……」

「へぇ、今はいくつになったの?」

 

「中学二年生になりましたよ!」

 

「ぷっ……可愛いくなっちゃったね? で、君はどこで反抗期を間違えちゃったのかな? いいこいいこ。お姉さんが頭を撫でてあげましょ〜」

 

「や、やめてください……!」

「やめないやめなーい! だってお子様だもんっ!」

 

「か、佳純さん! そんなしょうもない陰キャに、無理して絡む必要ないですよ? よかったら俺と脱衣チンチロでもして遊びませんか?」

 

 ん? 今なんて言ったこいつ? と思うのと同時に――。

 

 佳純の手が、ピタリと止まった。

 

 すると健吾は、

 

「いやいやいや、ちがっ、違いますよ? ルールは健全です、健全! サイコロ振って、出目で靴下とかリボンとか外していくってだけの、あの、ライトなやつ!」

 

「へぇ、面白そうだね?」

 

 まずい。目の色が変わった。

 

 慌てて佳純の両肩に手を置いてストップをかける。

 

「用が済んだなら、自分の部屋に戻れよ? それからな、佳純はお前の客じゃねえんだよ。脱衣チンチロとかわけのわからねえことは二度と言うんじゃねえ!」

 

「はぁ? 口ごたえするなんて珍しいな? 佳純さんの前だからって粋がんなよ? これからお前抜きで、二人で脱衣チンチロするんだから、邪魔すんなよ」

 

 ははっ。そりゃそうだよな。今までサンドバックに使ってきた捌け口がいきなり反抗してきたからって、素直に聞くわけねーよな。

 

 でもな。もう、そういうのはやめたんだよ。

 

 急で悪いな。健吾。

 

「やらせねえよ。お前少し、黙っとけ」

 

「……は?」

 

 当然、健吾も引き下がるわけもなく、視線がぶつかり合い、火花が散る。

 だがその空気を、佳純があっさりと切り裂いた。

 

「あれれ~。翔太くんは、わたしの前だからって格好付けちゃってるのかなぁ? ねえねえそうなの~?」

 

「ばっかお前! 邪魔するなって!」

「正直に言わないと言うこと聞いてあげなーい」

「そうだけど、そうじゃねえよ!」

「え、なにそれー? どっちなの? 正直に言えたらご褒美あげちゃおうかなぁ? 二人で脱衣チンチロしちゃう? なーんて」

 

 頬をつんつんして、俺をからかっていたかと思えば突然――。

 

「あれ、まだいたの」

「え? 佳純さん?」

「もう用ないから、いいよ」

 

「えっと? 脱衣チンチロは……?」

 

「めんどくさいなあ。最後まで言わせんなよ、ガキが」

 

 ほんの一瞬で、場の温度が冷えた。

 健吾の顔が引きつり、息を呑む音がはっきり聞こえた。

 

「……い、意味わかんねえ。どどどど、どうして、お前みたいな陰キャが……」

 

 健吾は俺を睨みつけると捨て台詞を残して、自分の部屋に引っ込んだ。

 

 その直後――。佳純の人差し指が頬にぐいっと食い込んできた。

 

「飛ばし過ぎ」

「ひゃ? にゃにが?」

 

 頬に捻じ込まれてるせいで噛んでしまった。

 お互い笑いかけたところで、佳純がすっと表情を整える。

 

「普通に今、弟くんと殴り合いになるところだったからね?」

「それでもいいと思ったから、言ったんだよ」

 

「だから、飛ばし過ぎだよって言ってるの。こんなんじゃあっという間にガス欠しちゃうよ?」

 

「大丈夫。全部を取り戻そうとは思ってないから。本当に欲しい物だけ取り戻せれば、それでいいんだ」

 

 弟に言いたい放題言われて、へらへらしてるような姿、お前には見せられねえよ。

 

「ふぅん。そっか。なら、なにも言わなーい!」

 

 まるで見透かされたような笑顔だった。

 

「ていうか、あの子はちゃんと学校行ってるの?」

「わからない」

 

「わからないって、一緒に住んでるんでしょ?」

「……………」

 

 興味がなかったと言えばいいだけなのに、少し言葉に詰まった。

 

 べつに、健吾に特別興味がなかったわけじゃない。……すべてがどうでもよかった。

 

 ただ遠くから、常夏を眺めるだけの――。抜け殻の毎日。

 

「もっと早くに会いに来ればよかったね」

 

 言葉にしなくて伝わってしまう。それはなんだか懐かしくて、少し安心する。

 

 俺は静かに首を振る。

 

「たぶん今日じゃなかったら、こんなに素直になれなかったと思う」

 

 腐った毎日に心地よさを感じていた。

 

 それは今朝も同じだった。

 

「ふぅん。つまり?」

「言葉のまま」

 

 そんな毎日から、お前が見つけてくれた。

 

 長い前髪。厚い眼鏡。顔なんてほとんどわからないはずなのに、お前は何の迷いもなく、ひと目みて俺に気づいた。

 

 心地の良い、地獄から掬ってくれた。

 

 少し沈黙が流れて、佳純は俺の肩に顔を預けた。

 

 吐息が肩にかかる。

 そのぬくもりに、胸の奥が不意にざわついた。

 なんだこれ、と思った次の瞬間――。 

 

「今晩、襲っちゃおっかなぁ」

 

 一瞬、脳が処理を放棄した。

 

「んな?!」

 

「よ・ば・い」

「ば、ば、ばか!」

 

 真面目な話をしていたかと思えばすぐこれだ。

 ほんと、からかわれてばかりだ。今も昔も、こいつとは変わらない――。

 

 いや、少し変わったか。

 

「ちなみにGカップだぞ~? どーん!」

 

 言いながら制服のリボン緩めて、覗かせた。

 

「き、き、聞いてねーから!!」

 

 

 ほんと、変わり過ぎな?!

 

 いや、そういう意味じゃねえけど!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 +++

 

 ――チュンチュン。チュンチュンチュンチュン。

 

 時刻は五時前。カーテンから漏れる光が晴れをお知らせする。

 

 隣には佳純の寝顔。

 肩に触れる体温が、まだほんのり残っていた。

 

 起こさないように、そっとベッドを抜け出す。

 いつぶりかわからないランニングウェアに袖を通すと、肌がしゃんと引き締まった。

 

「……すぅぅ――……」

 

 深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐く。

 

 振り返って見る寝顔に、思わず頬が緩んだ。

 

「(いってきます)」

 

 小さくつぶやいたその瞬間、まぶたが持ち上がった。

 

「悪い。起こしちゃったな」

 

「ううん。見てた。なにもしないで見送ろうかなって思ったけど、やめるね」

 

「なんだそれ」

 

「おいで」

 

「え?」

 

「いいからくるの」

 

 言われるままに近づくと、

 佳純はそっと腕を回して、俺を抱きしめた。

 

 そのぬくもりが、胸の奥にじんわりと広がっていく。

 

「君はお昼寝コース君なんかじゃないよ」

 

「いや、今の俺はまだ――」

 

 そこまで言って、佳純が抱きしめる両腕に力が入る。

 

 そして、耳元で――。

 

「……おかえり、瞬足の翔太」

 

 その一言が、まるで魔法みたいに響いた。

 

「ただいま」

 

 まだ、なにひとつ取り戻せていない。

 けど、たったひとつだけ。どこかに置き忘れてた自分を少し、取り戻せたような――。そんな気にさせた。

 

 

「がーんばれ」

「まけーるな」

 

 柔らかく笑う声に背中を押されて、

 そっと、ドアを開けた。

 

 

 

 

「行ってきます」

 

 

 

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