幾重にも重なる淡い金色の光の層を、エマはぼんやりと見上げていた。ここは塔の裏手にある、小さな石造りのベンチ。
シリウスの言葉が、脳内で反芻される。
『一人だけに抱かれてもいいし、全員に抱かれてもいい』
(全員に抱かれるとはどういう意味だろう)
子を成す行為をするのだから、誰か一人で良いのではないだろうか。全員の子を順番に孕むという意味だったのだろうか。シリウスはバファマでは倫理が異なると言っていた。また、腹の中で胎児を育てていく過程が無く、身体的負担が無いのであれば、そういう意味だったのだろうか。
いや、レオールが言っていた。
『てめぇはオレたちの内の一人と子を作る』
やはり一人だけだ。
つまり……
(避妊するなら誰とでも……?)
エマは顔を両手で覆った。
(卑猥だ……)
ただの快楽目的ということなのだろうか。エマ自身の価値観から言えば、全員を選ぶなんて有り得なかった。出来ることなら誰か一人だけを選びたい。
しかし……
「決められない……」
小さく呟いた。そして、現実逃避。遠くの光の層を眺めているうちに、次第に瞼が重くなり、エマは静かに眠りに落ちていった。
***
エマが次に気がついたのは、柔らかな羽毛布団と肌触りの良いシーツの上だった。天蓋付きの豪奢なベッドの周囲は、白い大理石と、ところどころに青い宝石が埋め込まれた壁で覆われている。ここは、間違いなく彼女自身の部屋ではない。
慌てて上半身を起こすと、正面のソファに、一人の人影があった。
ジェルドだ。
彼は分厚い装丁の本を片手に、体をソファに預け、うつらうつつと微睡んでいる。銀髪が光を反射し、閉ざされた長いまつ毛が頬に影を落としている。CGのような人間味のなさ、見れば見るほど完璧な造形に、エマは思わず息を呑んだ。
(すごい……本当に、神話の中から出てきたみたい)
まるで美術館に展示された彫刻のように静謐な美し
さ。
エマは起き上がり、ジェルドの横に座る。彼に触れてみたくなった。頬は柔らかいのだろうか。唇は? エマが手を伸ばし、ジェルドの顔に触れようとした、その刹那。
ジェルドがゆっくりと目を開いた。
吸い込まれるようなマジョリカブルーの瞳と目が合う。まるで海の底から見つめられているような、強い視線。エマは伸ばした手を慌てて止め、硬直した。ジェルドは、少しだけ微笑むと、またゆっくりと目を閉じる。
「好きな場所を触るといい。君になら……何をされても」
まるで、自分が寝ている無抵抗な人をまさぐろうとする変態に見られたような気がして、エマは顔を真っ赤にして慌てて嘘をつき、否定した。
「い、いや、えっと、髪に埃が……ちょっとついてたから、取ろうとしただけ!」
ジェルドは目を閉じたまま、その整った顔に微かな笑みを浮かべた。
「そうか。それは失礼した」
まだ少し微睡んでいる。ゆったりとした声。甘やかな蜂蜜のような、優しい、声。
「勝手に俺の部屋に連れてきて悪かった。庭にあんな無防備な姿で落ちていたから、思わず拾ってきてしまった」
やはりここはジェルドの部屋らしい。ジェルドはソッと目を開き、ソファの横に座るエマに向かって優雅に手を差し出す。やや遠慮がちにエマはその手の上に手を重ねた。
「あんな姿……誰かが間違いを犯しかねない。……キスマークを見た。誰にされた?」
ジェルドの瞳は、シリウスのように探るような色ではなく、ただ純粋な心配が勝っているように見える。エマは苦笑いを浮かべた。
「……大したことじゃないよ」
「エマが望んでなら、余計なことを言うつもりは無い」
ジェルドは静かに言った。
「でも、もしそうでないなら、俺は君を守る。君が傷つくことは望まない」
エマはその言葉に、心底から安堵した。ジェルドのこの穏やかさこそが、今、自分が求めているものだ。
「ありがとう、ジェルド。すごい癒された」
エマは微笑み、率直に尋ねた。
「ねぇ、ジェルドはなんでそんなに穏やかでいられるの?」
「穏やか?」
「例えば……私がジェルド以外の誰かと親密になったとしても、嫉妬したり……」
そこまで言って声を呑んだ。嫉妬するほどの愛をジェルドが自分に向けているなどといった過剰な被愛妄想。己の傲慢さを恥じて俯く。
ジェルドは視線をわずかに下げ、少し首を傾げ答えた。
「正直に言うと、嫉妬の意味が、よく理解できない」
嫉妬を知らない。
それは彼があまりに美しく誰もが虜になるため、無敵モテ状態しか体験したことないから嫉妬をしないということなのだろうか。
しかし、他の神の子もこの宝石のような美貌とまでは無くても皆、魅力的な男性だ。必ず彼だけが無敵モテ状態になるとは限らない。
誰かを独占したいと思ったことが無い。独占欲の薄さこそが、彼の穏やかさの源ということなのだろうか。
「……ジェルドは前世代の黎明の女神に対して、本気で恋したことある?」
エマはソファの上で少し体勢を変え、彼に向き直った。
「エマ。俺は1番直近の世代の黎明の女神から産まれたから、今まで誰にも恋したことは無い。君が俺にとって初めての黎明の女神だ」
エマは一拍思考が遅れて止まった。
『一番直近の女神から産まれたのは、俺』
確かにバファマに来た当初の晩餐室で聞いた台詞だった。
つまり――。
「……ど、童貞だったんだ……」
口に出したと思っていなかったが、心の声が口から零れ落ちていた。エマはハッと口を手で抑える。
だが、手遅れだった。