黎明の女神 17話 地下倉庫室1
「なんであんなこと言っちゃったんだろ〜〜」
エマは後悔に呻きながら、缶の発泡酒を勢いよく喉に流し込んだ。
バファマの塔は、どこもかしこも常に明るく、暖かい光に満ちている。ここは「時が止まった世界」であり、夜という概念がない。その中で、エマがようやく見つけ出した、今の荒んだ心境に唯一合う場所――それは、塔の地下にある食料庫だった。
石造りの床と壁はひんやりと冷たく、内部はかなり薄暗い。食料は腐敗しないため、冷暗が目的ではなく、ただの物置として存在している。この塔で働く使いの者――見た目は白い羽根を生やした真っ白な猿たち――が、果物や飲み物を運び入れる姿を以前見かけたことがあった。いつの日だったかエマは彼らに頼み込んで発泡酒を持ってきてもらっていた。しばらく自室に引き篭っていたが、同じ空間にずっといるとますます気が滅入る。エマは誰にも邪魔されないこの地下倉庫へと引き篭もりに来たのだ。
シリウスの研究室での一件は、エマの心に深い傷を残していた。
啖呵を切って見せたものの、その直後、エマは抵抗むなしく、シリウスによって有無を言わさず避妊薬を注射器で打たれ、そのまま部屋の外へと乱暴に放り出された。悔しさのあまり廊下に座り込んで地団駄を踏んでいたら、「うるさい」とさらに遠くへ放り出された。彼は心底、最低な男だ。
しかし、腹立たしさよりも先に、自らの愚かさがエマを襲う。
どうやってあの男を口説き、子を授かるのか。不可能に近い。エマは力なく笑う。
「あの瞬間が最大のチャンスだったのに」
シリウスを圧倒させたいがために手の内を明かしてしまうとは、全くの間抜けだ。他にも避妊薬があるなんて聞いていない。二本目の発泡酒が空になり、エマは三本目のプルタブに指をかけた。
「ヤケ酒ですよ! 今日は呑む! 私のおバカさに乾杯!!」
そう言って一人で缶を掲げた瞬間、暗がりの中でもうっすらと赤く見える自らの手首の痕に目が止まった。手錠の跡だ。酔いの膜が剥がれ、一瞬にして冷水が浴びせられたように冷静になる。
エマは床に缶を置き、自らの精神的ショックと向き合わざるを得なくなった。
最初は自責。相手を信じて着いて行った自分が悪い、と。――そんなわけない。同意なき行為をする方が、如何なる場合も悪だ。
次に矮小視。――他の神の子に同じ行為をしてもらえば、大したことのない事だと思えるだろうか。答えは否。自分含め皆を傷つける。
そして記憶の改ざん。――ここにいるのは全部夢で、現実じゃない。
いいや。
全ては、冷たい現実だ。
エマは膝を抱えて、さらに強く蹲った。元々強気で前向きな性格だ。仕事が上手くいかない時、彼氏と別れた時。大抵の事はお酒を飲んで愚痴を言えばいつまでも引きずることはない。だが、今回は例外だ。
床と壁の冷たさが、身体の熱を奪っていくようだ。このままずっとここに居れば、静かに死ぬことは出来ないだろうか。
死ぬことで元の世界に戻ることが出来る。元の世界に戻れば踏みにじられた身体も元通りになるのだろうか。
そんな絶望的な思考が頭をよぎり、エマは小さく唸った。その時。
蚊の鳴くような、小さな低い声が、階段の上から聞こえてきた。
「お〜い」
手をヒラヒラさせながら、暗がりの中に顔を出したのは、レオールだった。
***
薄暗い地下室に、レオールとエマの笑い声がケラケラと響く。
「〜でよぉ、馬鹿にしてんのかこうやって笑ってんだよ! ゲッゲッゲッゲッ」
「そんな笑い方するの?」
「ゲッゲッゲッゲッ」
「ちょ、近い、近い!」
エマはシリウスの一件で嫌悪の闇に飲み込まれそうだったのが嘘のように、今は目の前の太陽のようなレオールと笑い合えることで救われていた。
薄暗い地下室は、レオールがいるだけで、まるで陽光が差し込んだかのような明るさだ。二人は地下室にあったチーズとクラッカー、ワインを追加し、賑やかな飲み会を続けた。
「いーなー。私も使いの者たちとコミュニケーション取りたいな。やっぱレオールの人柄かなー?」
「おーい! 猿扱いすんな」
レオールが抗議するように、エマの頭を乱暴にわしゃわしゃと撫で回す。
「痛い、痛い! 褒めてんの!」
エマはふぅと息をつき、ワインを深く飲む。酔いと安堵で、顔がほろ酔いの熱を持つ。
「レオール、楽しいね」
レオールは、それまでの無邪気な笑いを止め、エマをまっすぐな目でじっと見つめた。その視線に、エマの心臓がドキリと跳ねる。
急に変わった空気とレオールの男っぽい視線にエマの心拍数は加速する。
「エマ……」
レオールの低い声が耳に落ちる。
まさか、シリウスにされたことは筒抜けになっているのでは。まさか、こうしてエマの緊張を解き、シリウスと同じ様に無理矢理犯そうとして地下倉庫室に来たのではないか。
エマは息を呑み、身体を強張らせた。