重苦しい不調と共に、レオールは深い眠りから浮上した。目を開けると、抱えていたはずのエマの温もりも姿もなく、地下倉庫は元の静寂に戻っていた。散乱していたワインや発泡酒の缶、つまみもきれいに片付けられている。
レオールは頭をガリガリと掻き、重苦しい二日酔いの不調に眉を顰めた。ハイペースでアルコールを食らうと、必ず頭と身体が重くなる。
(もう部屋に戻っちまったのか)
階段を上り、暗闇に慣れた瞳が、晩餐室の窓から差し込むバファマの強烈な光に焼かれた。思わず目を細める。バファマはこんなにも明るい場所だったのかと、レオールは眩しさに身をすくめた。
二日酔いには風呂だということを心得ているレオールは、重い足取りで浴場へと向かおうとした。その瞬間、キッチンの方から声がする。
「レオール! 起きた?」
エマの声に、レオールは振り返る。
「おぉ……そこに居たのか」
のそのそと重い足取りでエマの方へと向かう。エマはキッチンのカウンターの中に立っていた。近寄ると、香ばしい出汁と味噌の香りが、アルコールの残る鼻腔を優しく擽る。
「また二日酔いになってたらって思って、お味噌汁作ってみたの」
エマが小鍋の中をお玉でかき混ぜながら、レオールにほほ笑みかけた。小鍋の中で立ち上がる湯気と共に具材が踊っている。
それは、レオールにとって懐かしい香りだった。前世代の黎明の女神ヒメカが過去に数度、神の子全員に料理を振舞っており、その際に口にしたのがこの味噌汁だった。ヒメカは「みんなに喜んで欲しいから」と言いながら、ニコニコと一人でキッチンに立っていた。
「昨日のお礼」
「お礼? オレ、なんかしたか?」
「……いる?」
エマは少し遠慮がちにレオールを見上げる。事前にお願いされていた訳でもなく、突然作ってしまったものだ。要らないと言われるかもしれない、という不安が表情に滲んでいた。
レオールはエマのその純粋ないじらしさに、微笑み深く頷いた。
椀についでもらった味噌汁の具は、豆腐とネギとワカメ。極スタンダードな味噌汁だった。一口飲むと、温かな汁と出汁の香りが、レオールの重苦しい不調をじんわりと解きほぐしていく。
「……どう? 美味しい?」
エマのその言葉に、レオールはぼんやりとした顔で答える。
「ん、味噌汁だな」
「あれ……味見したんだけど、美味しくない?」
レオールの一切の感情が混じらないストレートな反応に、エマは納得していないように自分の椀から汁をすする。
「うんまー! 美味しいじゃん」
「あ? 美味くねぇって言ってねーだろ」
「え、だって美味しいって言わないから」
デジャブを感じ、レオールは口ごもる。
ヒメカにも似たようなリアクションをされたことがあった。食事は食事で色んな味があり、全部美味い。美味くない食事というものがこの世にあるのだろうか。
「なぁ、なんでオレに美味いかどうか聞くんだ?」
「あぁ……」
エマも何かに気がついたようで、少し思案してから言葉を選んでレオールに言う。
「ごめん。押しつけだった。あのね、美味しいって言葉には、作ってくれてありがとうって感謝の意味も込められているの。感謝が欲しくて作った訳じゃないけど、美味しいって言葉貰えたら私は安心するし、嬉しいかな。ごめん、ごめん」
そう言ってエマは味噌汁に口を付ける。レオールは目からウロコが落ちるような顔でエマのことを見つめた。エマの言葉はレオールにとって、新たな常識だった。
「"作ってくれてありがとう"か。いつも完成されたものしか見たことねぇから気が付かなかった」
美味しいと言うべきなのだろうが、このタイミングで言うと非常にわざとらしい。レオールはエマの顔を見て、一瞬躊躇うが、思い切ったように口にする。
「お、美味しい……」
「ふふ。わざとらし」
レオールの心遣いに、エマは心から安心して笑ってしまう。エマの笑った顔を見ながら、その背景に、少し悲しそうな顔で「あまり口に合わなかったかな」と言って瞳を伏せるヒメカの姿が重なる。
「あいつもこれくらいハッキリ言ってくれたら良かったのに」
レオールがボソッと呟くと、エマは反応する。
「ん?」
「なんでもねぇよ。これ食ったら一緒に湯浴みに行くか」
「行きません」
「かー、行かねぇかー」
何考えてんのとブツブツ呟くエマに、レオールは新しい感謝の意味を噛みしめるように、美味しい、美味しいと言いながらエマの味噌汁を完食するのであった。