セジュムの部屋は、彼の知的な人柄を反映し、以前来た時と変わらず清潔で整然としていた。香炉からはムスクの微かな香りが漂っている。扉が閉まる音がして、静寂が戻った。エマは背中をドアに預けたまま、両手で顔を覆い、ゆっくりと腰を滑らせてその場にしゃがみ込んだ。
「……っ」
セジュムは一瞬で異変に気づき、慌てて駆け寄った。
「エマ? 気分が悪いんですか?」
彼が膝をつこうとするより早く、エマは顔を覆ったまま掠れた声で呟いた。
「……なんで、あんな嘘ついたの?」
セジュムは動きを止めた。すぐに、申し訳なさそうに眉を寄せる。
「……すみません。ああでも言わなければ、シリウスは強引に貴女を連れて行ってしまうと思ったんです。それに、ああ言っておけばしばらくは……その、こちらの部屋には近づいてこないはずです」
セジュムの言う通り、これから2人きりで愛の時間を過ごすと伝えておけば、少なくとも事が終わるまでの時間は邪魔せず空気を読むだろう。
だが、風見台での告白。セジュムはあっさりと引き下がったため、シリウスを前に怯えるエマを見て、あんな甘ったるく強引な手を使うとは思っていなかったのだ。
エマは指の隙間から、ちらりとセジュムを見上げた
。
「……助かったけど、ちょっと……照れた」
セジュムはそれを見て、安心したようにふっと息を吐くと、優しく両手を広げた。
「ご希望なら、本当にたくさん愛しますよ?」
冗談めかした口調なのに、眼鏡の奥の瞳は真剣で、エマの心臓をぎゅっと掴む。
エマは「もう〜!」と顔を真っ赤にしながら立ち上がり、セジュムの胸に軽く拳を押し当てた。セジュムは短く笑うと、エマの髪をそっと撫で、ソファへと誘導し、座らせる。
セジュムは改めてエマの異変を指摘した。
「先程シリウスを前にして、ひどく緊張して見えました。まるで、凍りついたようで……」
エマの肩が小さく震えた。セジュムは静かに待つ。 沈黙が長く続いた後、エマは唇を噛み、意を決したように口を開いた。
「……ねぇ、セジュム。もしかして……アイコさんが傷つけた神の子って、シリウス?」
セジュムの瞳が大きく揺れた。驚きと、痛みと、どこか複雑な色が混じる。
「……えっ……と……」
エマはセジュムの動揺を見て、それが真実だと確信した。
「アイコさんとシリウスの間に何があったの?」
セジュムはゆっくりと頭を横に振った。
「ごめんなさい、エマ。彼らの間にあったことを、私が話すことは出来ません。それは、シリウス自身の尊厳に関わることです。聞きたいのであれば……直接シリウスに聞いてください」
セジュムの倫理観は正しい。エマはセジュムの言う通りだと理解しつつも、表情を強ばらせ、俯いた。震える足で立ち上がり、決意を滲ませた声で告げる。
「ありがとう、セジュム。私、シリウスのとこ行ってくるね」
セジュムは慌ててエマの手を取った。
「待ってください! そんな顔で行かせるわけにはいきません! まずは、座って。落ち着いてください」
エマはセジュムの手をほどき、向き直った。その瞳には、恐怖を凌駕する強い意志が宿っていた。
「これ以上はセジュムのこと、巻き込みたくないから」
そう言って、目を伏せるエマに、セジュムも立ち上がり、もう一度優しくエマの両手を取った。
「エマ? それは、どういう意味ですか……?」
彼の声は、静かだが強い熱を帯びていた。
「一人で抱え込まないでください。私を頼りにして欲しい。こんな小さな身体で、全てを背負って頑張らなくていいんです」
エマは、セジュムの深い優しさに涙がにじむのを感じた。だが、心の内を全て話してしまえば楽になるだろうか。なるわけがない。
「セジュムに……軽蔑されるかもしれない」
「軽蔑」思いがけない言葉が飛び出し、セジュムの瞳は少しだけ揺らぐ。
しかし、セジュムは、エマの両手をより強く握りしめる。まっすぐエマを見つめ、優しさに満ちた、揺るぎない声で言った。
「私は、貴女の全てを受け入れます、エマ」
その言葉は、「無条件の肯定」だった。エマはセジュムの言葉を信じ、信頼の感情とともに、自身とシリウスの間にあった出来事を、彼に打ち明け始めるのだった。